3.すごく大変で素敵なこと
「はい、これ」
勉は、やっと笑った日咲子に土産を差し出した。
「なにこれ?」
日咲子は、包みをまじまじと見つめる。たっぷり一分は見つめ続けてやっと叫んだ。
「綺麗。アネモネだね! 勉君、これどうしたの?」
「帰りに雑貨店で見つけたんだ。いろいろあったけど、日咲子のお眼鏡にかないそうなのを選んでみた」
「すごいすごい、よくわたしが好きなのわかったね!」
日咲子の素直な叫びは勉を嬉しくさせる。
「花柄でアネモネって珍しいな。すごく嬉しい」
「ちょっとアンティークでいいだろ」
「うん、まさにそんな感じ! よし、これは特別お気に入りの子のお腹部分に使おう。そうしよう」
日咲子は鼻歌交じりで、勉の土産を端切れ入れにしまいこんだ。
「そういえば、帰ってきたとき夢中でパソコンに向かってたけど、新しいのできたのか?」
「勉君見てたんだ。趣味悪い! 声掛けてくれればいいのに」
「邪魔しちゃ悪いと思ったんだよ」
それより見せて、というと日咲子は勉をちょいちょいと手招いた。
「今度のはね、リスなんだよ。結構自信作」
そう言って日咲子が差し出したのは、小指サイズのリスのぬいぐるみだった。
耳や顔、手などパーツ事に異なる端切れが使われていて、とても可愛らしい。こんなに小さいのに、きちんと手足が稼動するようになっていた。
「付属品は、コレなんだ」
次に見せたのは、小さなコック帽とエプロン、樹脂粘土で出来た直径一センチ程のレモンパイ。どれも、さっきのリスが着たり持ったり出来るらしい。
「相変わらず細かいなあ」
おそろしく不器用な日咲子だったが、絶望的におぼつかない手つきでこんなに繊細なものを作り出すのだ。その過程を見ていると、人の神秘の一端に触れたような気がする。
「プロフィールカードもさっき出来たから、またいい人がもらってくれるといいな」
好きだった仕事を辞めて、パート勤務に変わった頃、日咲子はひどく元気がなかった。
働く時間が減った分、身体は随分と楽になった筈なのに、どんどん笑顔が消えていく。考えてみれば無理もなかった。手足をもがれたような気持ちだったのだろう。後ろにも、前にも進めない。立ちすくんで呆然としている日咲子は、底なし沼にはまった迷子の猫のようだった。
「あの時、勉君のすすめにしたがって本当によかった」
元気のない日咲子に、勉は作りためたぬいぐるみをブログに載せる事をすすめたのだ。
最初は、作ったぬいぐるみの写真をポツポツ載せるだけだったが、作り方や、ぬいぐるみに合わせたちょっとした物語を載せていく内に、ぜひぬいぐるみを売って欲しいという人が現れだした。
小さなサイズと、愛嬌のある顔、独特の世界観がうけたらしい。
「わたしのぬいぐるみを買ってくれる人がいるなんて、本当に夢みたい」
何度も言った台詞を口にして、日咲子は微笑む。
「閉じきっていた世界がぱあって広がったんだよ。すごいね、勉君」
「日咲子のぬいぐるみが良く出来てるからだよ」
「でも、勉君がああ言ってくれなかったら、わたしきっとただ作って飾ってるだけだった。一人じゃないってほんと、すごいね」
これだけ、すごいすごいと言われると照れくさくなってくる。勉は咳払いをひとつすると、リスに付属品をつけて棚の上に起き、デジカメでブログ用の写真を撮った。
この写真に、日咲子が作った物語やプロフィールカードをつけてネットで販売するのだ。
物に執着する性分の日咲子は、同じぬいぐるみを二つ作る。ひとつは販売して、ひとつは手元に残すのだ。
勉が写真を撮っている間に、もう一体のぬいぐるみは、日咲子の手によって飾られていた。くいしんぼう、という設定のくまのぬいぐるみの横で得意げにレモンパイを差し出している。
「次の子は、さっきのアネモネの布で作るね。いい名前を考える」
ふと思いつき、勉は日咲子を誘った。
「日咲子もあの布買った雑貨店、行ってみる? 布の他にもいろいろ日咲子の好きそうなものあったよ。明日は特に予定ないだろ?」
「……勉君、ほんとすごいね。わたしを喜ばせる天才だよ」
切れ長の目を精一杯見開く日咲子に、勉は笑う。
「おかげさまで長く一緒にいますから、日咲子の好きな事は大体わかります」
「それって違うと思う。ぼうっと一緒にいるだけじゃなにもわからないもん。勉君がわたしの事考えてくれてるって証拠だよ。すごいすごい、それってほんとすごいね」
「大げさだなあ」
「そうかな。すごく大変で、素敵なことだと思うんだけどな……、うー、上手く言葉にならないや」
悔しそうに日咲子は短い髪の毛をかき回した。
「――とにかく、勉君はすごいの。大好き。ありがとう!」
「どこの小学生だよ……」
これじゃ奥さんじゃなくて娘だよ、と苦笑しながらも、勉は心地よい空気に身を委ねた。