異世界の姫君こと王子さまの花嫁候補ゆかりが、金欠魔法使いのギィと共に朝食を楽しんでいるころ、口ひげ筋肉だるま……いや、艶やかな口ひげとたくましい筋肉を誇るアーネスト王子も、ゆかり以外の花嫁候補と共に朝食をとっていた。
彼らが使っているのは王族専用の小食堂で、晩餐などが開かれる大食堂の隣にしつらえられている。小食堂とはいっても七、八人で食事をするには充分な広さがあり、選び抜かれた調度品が落ち着いた空間を演出していた。朝食や軽い昼食はこの小食堂が使われる事が多く、王族や近しい臣下が共にお茶をとることもあった。
濃灰色の絹服をまとったアーネスト王子は、朝だというのに冴えない顔色でビロードのクッションに深々と身体を預けていた。ふう、とこぼれたため息がご自慢の口ひげをチロチロと揺らす。
「どうにも、落ち着かんなあ」
その呟きを聞きとめた二人の花嫁候補が、仲良くそろって顔を上げた。
「大義、お疲れ様です」
まず労わりの言葉を投げかけたのは、洋装と和装を混ぜ合わせたような不思議な衣服を着た漆黒の髪の美しい娘、ナンだった。
ナンは生真面目な色をたたえた瞳でアーネスト王子を見つめ、王子の手にそっと己の手を重ねる。
なんとも親しげで、見ている者が顔を赤らめたくなる雰囲気がかもし出された。
「先は長いんだから、とりあえず腹ごしらえなさいな」
次いで発言したのは、オレンジ色の髪をみつ編みにした小柄な少女、モイラである。
「ほーら、せっかくの料理が冷めてしまってよ」
モイラは優雅な手つきでハムエッグにナイフとフォークを入れ、アーネスト王子に微笑んでみせた。
ナンと内容は異なれど、モイラはモイラで、随分と馴れ馴れしい物言いだ。
ナンとモイラとは、ゆかりと同じく常若の都とは異なる世界の姫君で、アーネスト王子とは昨夜初対面のはずなのだが。
おいおい、とアーネスト王子が苦笑する。
「モイラ、お前は今、”アーネスト王子”の花嫁候補なんだぞ。もう少し口の聞き方を考えんか」
「あーら、最初にボロを出したのはそのアーネスト王子でしょ。それに、わたくしだけ注意するなんて、どういう了見でいらっしゃるのかしら」
とろりとした半熟の黄身に、ほどよく焦げ目のついたハムをからめながら、澄まし顔でモイラは言う。
「なんともこれは手厳しい」
可愛らしい少女の言葉にたじろぎながら、アーネスト王子は絹のハンカチで額の汗をぬぐった。
「今、ここにいるのは我々だけ。息抜きをすることも必要かと」
やんわりとナンが助け船を出す。アーネスト王子は感動した面持ちでナンの白い頬に手をやった。
「そなたは優しいな、私の戦乙女よ」
「また始まった……」
げっそりとしてモイラが呟く。なるべくなら、美しい娘と筋肉のかたまりのラブシーンは見たくないものだ。しかし、いい加減にしてくれない? というモイラの切なる訴えは、愛を語り合う二人に鮮やかに無視された。
「婚約の儀を整えた時から、わたしは貴方だけのものです。愛しい戦神」
「おお、あの日の喜びを忘れるものか。生涯この手を離しはせぬぞ」
「はい。ずっと握り締めていてくださいませ」
アーネスト王子とナンは微笑みあい、そしてそのまま唇を重ね合わせようとした。
すっかり置き去りにされたモイラが、とうとう我慢しきれずに叫ぶ。
「ちょっと、ナン、いいかげんになさいな! あなた、王子のいない隙に愛を深めようという魂胆ね!」
ヒュッと音を立てて、ナンがフォークで空を切り裂いた。喉元にぴたりと鋭い切っ先を突きつけられて、モイラは沈黙する。
「何か異議があるのか? 王子の恋が成就するまで、わたしは花嫁候補の役を演じなければならない。アーネスト様の胸に、身を預けられないんだ。この程度の事は許されてもしかるべきじゃないのか」
すっかり普段の言葉遣いになったナンにむかって、モイラは肩をすくめてみせた。
「わたくし、あなたの事は好きよ。でも、あなたの好みだけは理解できない」
こっそりと酷い事を言って、モイラはアーネスト王子にわざとらしい視線を送る。
「あなた程の美しさなら、男なんてよりどりみどりでしょ!? な・の・に! どうしてよりによって、アーネスト伯父様なんかが好きなのよ」
「モイラ、わたしも貴方を友人として敬愛している。身分を越えてこうしてお付き合いが出来ることを嬉しく思う。けれど、それとこれとは、別問題だ。アーネスト様を侮辱することは許せない」
にらみ合う二人を、アーネスト王子がべりっと引き離した。
「やめんか、二人とも。いつ王子とゆかり殿が帰っていらっしゃるのかわからぬのだぞ」
二人はしぶしぶといった感じで席に腰を下ろした。今の騒動に無事だったカップに手を伸ばし、朝食を再開する。
勢い良く紅茶を飲み干したモイラは、それでも腹の虫がおさまらなかったらしく、尖った声でカリカリと叫んだ。
「まったく、幼馴染のバカ王子のせいでわたくしはいい迷惑だわ! 全部終わったら覚えていることね、ギィ」
心からのその叫びが、事の全容を物語っていた。
つまり。
将軍であるアーネストが王子を演じているのと同じく、ナンとモイラも王子の花嫁候補をそれぞれ演じているのである。
ナンは戦乙女の二つ名を持つ女騎士で、アーネストの婚約者。
モイラは伯爵令嬢にして、常若の都の真の王子の幼馴染。その愛らしい容姿からはとうてい信じられないが、アーネストとは伯父と姪という関係だ。
どうりで二人ともこのはちゃめちゃな状況に動じていないはずである。元々この国の人間なのだから、ゆかりのように些細な事で驚く必要がないというものだ。
アーネストは自身にも言い聞かせるように、重々しく宣言した。
「いいか、ナン、モイラ。王子とゆかり殿の恋を成就させるのは我らの使命。勅命をいただいた誇りを忘れてはならぬぞ」
「いただいた勅命は、恋の成就ではなくてゆかりの友達になることよ」
モイラはアーネストの言葉に訂正をいれたが、使命と感動にたくましい胸を震わせるアーネストには届かなかった。
「心得ております、我が戦神! 非才なる身の全力をあげてゆかり殿と勝負をいたします!」
だから、違うってば! というモイラの言葉は、使命と愛に胸を焦がすナンには届かなかった。
「うむ、ナン。共に手をとり励もうぞ。これは我らの宿命でもあるのだ。すべては、ギルゼック王子の為に!」
「は!」
アーネストとナンは言葉通り手を取り合うと、一糸乱れぬ仕草で天を仰いだ。
もはや、訂正を入れる気力をなくしたモイラは、ナプキンでそっと口元をぬぐいながら、幼馴染の王子に呟いた。
「ねえ、ギィ。力の限り人選を誤まったかもしれなくてよ……?」
ゆかりとは違った意味で、モイラの苦労も続きそうである。