金欠魔法使いのギィが、異世界の姫君こと王子さまの花嫁候補であるゆかりをつれてやって来たのは、城門からまっすぐに続く大通りから、すこし東に外れた路地にあるこじんまりとした食堂だった。
食堂の壁や扉は石と木材で出来ていたが、屋根が一風変わっていた。一瞬、ゆかりはその屋根をうろこ屋根かな、と思った。だが、五色の愛らしいそれは。卵二つの目玉焼きの朝日をあびてキラリと輝くそれは。うろこのように重なりあった皿達であった。
目を皿のようにして、皿の屋根を凝視するゆかりを見て、ギィは首をかしげた。
「どうしました? ゆかりさん」
ギィが首をかしげる拍子に、長い砂色の髪がうすぎたないローブの上でさらりと揺れる。その仕草をだんだんと見慣れつつある自分に多少うんざりしながら、ゆかりは尋ねた。
「この国って、屋根がお皿でできているの?」
「ああ、これですか? いやだなあ、ゆかりさん。他の家の屋根は違うでしょう?」
ギィが指し示す方をみやれば、確かに軒を連ねる家々の屋根の素材は皿ではない。
「皿の屋根は、ここが食堂ですっていう印でなんですよ。そしてね、皿の色が多ければ多いほど、その店の料理は美味しいですよっていう証なんです。例えば、赤は肉料理に優れていることを示していて、青は魚料理、とかね」
なるほど、とゆかりは頷いた。きっと皿の色と数は、ゆかりの知るレストランのランクを示す星と同じ理屈なのだろう。では、五色の皿を屋根とするこの食堂はかなり上等な店という事になる。ゆかりは、思わず隣に立つ若い魔法使いの懐具合を心配した。
日本からやって来たゆかりは、当然この常若の都の貨幣など持っていない。となれば、支払いはおのずとギィが、ということになるのだが、彼は自らを貧乏と呼んではばからない。夢が王宮の魔法使いになって、パンの心配をしなくてすむようになりたいというのだから、なんとも涙ぐましいではないか。
ゆかりの表情からその心を読み取ったギィは、照れくさそうに苦笑した。
「や、ご心配なさらなくても結構です。代金は王子さまよりお預かりしています。それに、ごらんのとおりこの店は気取らない街の食堂ですよ。楽しい朝食といきましょう」
「そう。だったらいいの」
ゆかりは、愛らしい笑顔で頷いた。内心、昨夜であった王子の姿を思い出して、眩暈をおこしそうになったのだが。
ゆかりを望んだ常若の国の王子アーネストは、いわゆる王子という固定概念を粉々に突き崩す容貌の持ち主であった。整えられた口ひげとたくましい筋肉がチャームポイントで、齢は四十を越している。
「ありがたく、いただくことにしましょう」
愁傷な言葉とは裏腹に、代金が王子もちならなんの心配いらない、むしろ徹底的に使って彼の財政に痛手を与えてやろう、とゆかりは考えた。アーネスト王子は、ゆかりを不幸のどんぞこに叩き落した張本人である。彼がゆかりを望んだがゆえに、ゆかりは味あわなくてもいい不幸を、味わっているのだ。少々高いものを食べたとしても、許されるのではないだろうか……。
確かに、ゆかりの現在の不幸の四割はアーネスト王子に原因があったが、残りの六割に王子は無関係であった。ゆかりの最大の不幸は、自分とよく似た男に彼氏の瑞貴を奪われたことなのである。だがこの際、ゆかりはその事実には目をつむることにした。
「なんだったら、ギィ。お土産をつつんでもらって、ご家族に届けてあげたら?」
「ゆ、ゆかりさん、なんてお優しい……」
ゆかりの心中を知らないギィはやたらと感動しながら、食堂の扉をひらいた。
食堂は朝食をとりに来た人々でにぎわっていた。ギィに気づいた給仕の男がはっとして頭をさげかけ、思いとどまった。
「これは、その、そう、魔法使い様!」
「やあ、今日もよい半熟具合ですね」
たどたどしく呼びかけた給仕に、ギィは笑顔で天気の挨拶などしてみせる。髪と同じ砂色の目に一瞬危険な光がひらめくが、ゆかりはそれには気づかなかった。気づいたのは給仕だけだ。
給仕は何度も頷きながら、両手を左右に広げた。
「生憎込み合っておりまして、奥の席しかあいておりませんが、よろしいでしょうか」
「ええ、朝食をいただければそれで。まだ、売り切れてはいないでしょう?」
ギィとゆかりを席へと案内しながら、給仕は頷いた。
「はい、大丈夫でございますよ!」
「ギィは、ここにはよく来るの?」
給仕の返答がなんだかたどたどしいなあ、とおもいながらも、ゆかりはふと気になったことを口にした。
「え?」
「なんだか、給仕さんとギィ、顔見知りみたいだから」
ゆかりの鋭い質問に、ギィはギクリとした。実は、この店は常若の都の”真の王子”である、ギィの気に入りの店なのだ。しかし、ギィは内心の焦りなどおくびにも出さず、パタパタと左右に手をふった。
「鋭いですねえ、ゆかりさん。確かに彼とは顔見知りですよ。でも、客として通っているわけじゃないんです。そんなお金、あるわけないじゃないですか」
ギィは、わずかに目をふせ、遠い瞳で微笑んだ。
「残り物を、いただいてるんです……」
聞いてはいけない事をきいたようだ、とゆかりは口をつぐんだ。給仕も、気の毒そうな目でギィを見ている。
ギィは気を取り直したように、勢いよく顔をあげると、おまかせで朝食を頼んだ。
どんなメニューが出てくるかは、お楽しみというわけだ。
やがて、食欲を刺激する香りとともに、そろいの水色の器に盛られた料理が運ばれてきた。
果物のスープに、スライスされた黒パン、半熟の目玉焼き、ベーコンとじゃがいものスパイス炒め、それにミルクだ。次々に料理を並べながら、お茶は食後に持ってきます、と給仕が言う。
ギィにすすめられ、ゆかりはまずはパンを手に取った。焼きたてらしいパンはふんわりとしていて、あたたかないい香りがした。少しだけ感じる酸味が、舌に心地よかった。
桃をベースにした果物の冷たいスープは、木苺の実が花模様のように散っている。少しとろりとしたスープと、プチプチした木苺の歯ざわりが楽しくて、ついにっこりしてしまう美味しさだ。ベーコンとじゃがいものスパイス炒めは、じゃがいもにベーコンの油とうまみがしみていて、ピリリとしたスパイスが全体の味をひきしめていた。スープと対照的に熱々なのが、うれしい。
腹と心をどちらも満たしてくれる素晴らしい料理だった。
「気に入りましたか、ゆかりさん」
なんとも幸せそうにナイフとフォークを動かすゆかりに、ギィがたずねた。
「とっても!」
ゆかりの答えに、ギィが得意げに微笑む。
「どれも美味しかったけれど、わたし、この果物のスープが特に好きだわ」
「ああ、モモモと、花イチゴのスープですね」
「モモモ!?」
あまりな名前に、ゆかりはぷっと吹き出した。
ゆかりを気晴らしさせたいという、ギィの思惑は成功したようだ。
「わたしのお母さん、とってもお料理が好きなの。お母さんにこのメニュー教えてあげたいな」
笑顔で答えたゆかりだったが、己の言葉が脳に染み渡ったとたん、青ざめ、絶叫した。
「ああああああああああっ!」
椅子を倒して立ち上がったゆかりに、何事かと店中の人間が注目する。
へなへなと倒れそうになるゆかりを、ギィはあわてて向かいから支えた。
「何事です、ゆかりさん」
「わ、わたし……」
ゆかりは涙目で、金欠魔法使いを見つめた。
「無断外泊しちゃった……!」
ゆかりの長い一日が始まる。