異世界ロマンティックラブコメディ







LOVE15 天馬の屈辱

 与えられた居室は広々としていて居心地がよかった。
 吹き抜けていく柔らかな春風が、鼻腔をくすぐっていく様は中々だ。
 香りスミレを浮かべた飲み水はかぐわしく、食事も量、質共に申し分ない。

 だが、しかし。

 脳裏に焼き付けられた敗北の記憶が、彼をひどく不機嫌にしていた。

 火球に雷光に竜巻、次々に放った力を剣で弾く規格外筋肉だるまはともかく――もう少し時間をかければなんとか攻略できたかもしれないという手ごたえはあった――腹立たしいのは、一瞬で意識を奪ったあの眠り粉。

 ギリ、と奥歯をならし、眠り粉を調合した男の顔を思い出す。

 砂色の瞳に涼しげな光を浮かべたこの国の王子は、にこやかに言ったものだ。

「お前は我が血の契約を受けた。疾く名乗るがよい」

 ――セルジアン。

 静かだが逆らいがたい声に、自然と秘めし名が口を突いて出た。

 告げた名に、王子は満足そうだった。

「良い名だな」

 褒められて悪い気はしない。

 思えば、この時はまだ今ほど腹立たしくはなかった。自らを支配した力は伸びやかで若々しく、また強大だったから。納得、していたのだ。次のセリフを聞くまでは。

「だが、その名で呼ばれることはもうあるまいよ」

 耳を疑うとはまさにこの事。

 支配者に名を渡し、以後その名を呼ばれることで使役される、それが血の契約ではないか。だからこそ、王子は名を聞いたはずなのに。

 何故に。笑顔で。全否定。

「お前は我が花嫁へ贈られる」

 支配を受けた以上、いかように扱われようと仕方がない。花嫁に贈られるというのならそれもいいだろう。

 大切なのはそこではない。名前だ! 契約に必要な名前なのだ!

 酷く楽しげに王子は続けた。

「花嫁候補は三名の異界の姫君。彼女達がお前に新たな名を与え、以後お前はその名で呼ばれる」

 くすりと王子は笑った。

「不服か?」

 不服だ。新たな名など必要ない。セルジアンと姫君達が呼べばいいだけのこと。

「だがあいにく、名を渡したお前は私に逆らえぬ」

 その悪賢さに口をぱくぱくさせていると、王子はふむと頷いた。

「意外と愛らしいところがあるのだな、気に入ったぞ」

 気に入らなくてもいい、という視線は笑顔で無視された。

「しかしな、私は寛大な王子だ」

 この短い時間で二度も耳を疑うとは。

「契約を、むやみやたらにひけらかしたくはない」

 まさか三度とは。

「姫君達がつけた名が気に入らなかった場合、お前を野に返そう」

 それは素晴らしい提案だった。
 この腹立たしい契約から解放されるのだから。

 そんな心境を読んだのか、王子の細い指が突きつけられる。

「嘘はなしだぞ。真にお前が気に入らなかった場合のみだ。心惹かれたのに嘘をついた場合は、遠慮なく契約で縛らせてもらうからな」

 脅迫めいた言葉とは裏腹に、王子は魅惑的な笑みを残すと、長い髪を翻して立ち去っていった。

 ――それが約一週間前の事。

 いつ来るとも知れぬ異界の姫君達を、ただ待つだけのセルジアンにとっては、非常に長い時間だった。

 普通こういったことは速やかに行われてしかるべきではないだろうか。一週間あまりも放置するとは、非常識なことこの上ない。

 セルジアンの怒りと我慢はもはや限界だった。

 と、忘れたくても忘れられない王子の声が聞こえてきた。

「ゆかりさん、さあ、こちらですよ」

 記憶の中の口調とのあまりの違いに、軽く眩暈を覚える。

「モイラさんとナンさんも。さあ、お早く」

 微妙な違和感はあるが、セルジアンが待ちわびていた時が来たのだ。

 扉を開けて一人の少女と、二人の姫……と、王子……が現れた。

 気弱な笑みを浮かべ、ボロローブをまとったかの人を、王子と呼んで差し支えないならば。

 何故支配者はあのような格好をしているのか。

 そして今は姫君の装いをしている黒髪の娘は、金鴉を乗りこなすこの国の戦乙女ではなかったか。

 さらにその隣にいるオレンジ色に髪を染めた娘は、王子の幼馴染であの筋肉だるまの姪ではなかったか。

 二人とも食事や水を運んでくれたのでよく知っている。

 断じて彼女達は”異界の姫君”ではないはずだ。

 呆然とするセルジアンの耳に、初見の少女の非礼極まりない言葉が突き刺さった。

「うわあ、広い馬小屋ねえ」

「厩舎と言え」

 戦乙女の訂正にいたく頷きながら、セルジアンは少女を観察した。

 ――これは酷い。

 顔立ちは善良そうではあったが平凡そのもの。なのに着ている服は奇抜で見るに耐えない。両手に大きな袋をさげ、まだ足りないのか背中にも荷物を背負っている。言動に落ち着きがなく、歳よりも幼く見えた。

 この少女が姫君であってはならない。

 ああ、とセルジアンはひとり納得した。

 つまりこれは約束の時ではないのだ。
 姫君たちと会うのはまたの機会となるのだろう。

 ではこの少女は新たな世話係か。

 さっさと姫君たちを連れて来いと、仮装した王子をにらみつけると、フ、と彼は笑った。セルジアンの記憶の中にあるあの笑顔だった。

「では、お三方。かの”白馬”に名を」

 セルジアンは目と歯をむいた。

「ひっ!? な、なにかこの馬、怒ってるよ!?」

 少女はおびえて王子の背後に隠れた。

「気のせいですよ、ゆかりさん。ささ、どうぞステキな名前を」

「う、うん。でも、今日はピクニックに行くだけだと思ってたのよ。急に言われても……」

「王子殿下のご命令なのだ」

 戦乙女が吐き捨て、筋肉だるまの姪が続けた。

「白馬が気にいる名前をつけることができるかどうか。言わばコレは試験ね。わたくし達の感性を、殿下はお知りになりたいのでしょう」

「試験!?」

 さっと少女の顔が青ざめる。

「わ、わたし、そんなに成績は悪くないんだけど、それは予習と復習をちゃんとやった場合で、実はこういう抜き打ちってすごく弱かったりするんだけれど」

「がんばりなさいな」

 笑顔で斬り捨てられて少女はうなだれた。

「しょうがないですねえ、では申し訳ありませんが、ナンさん。あなた様からお願いできますか」

「先陣を切るのは嫌いではない」

 美しい黒髪の娘は、すっかり戦乙女に戻って頷いた。

「ドラグディオン。どうだ、強そうでいいだろう?」

 どうだもクソもなかった。
 ドラグディオンとは、古の時代に各地を荒らし回った翼竜の名だ。それだけならまだしも、ドラグディオンが白馬を主食に、天馬をデザートにしていたことは有名である。いったいどれだけの同胞がドラグディオンの牙にかかったのか。到底受け入れることなどできはしない。

 王子も顔をひきつらせ、そ、それは……、とうめいていた。

 セルジアンが首を振ると、戦乙女ははばかりもなく舌打ちした。

「この遊び心がわからぬとは」

「遊び心だったの……」

 戦乙女の遊び心は、親友である筋肉だるまの姪にも理解しがたいものだったらしい。

「ではモイラ、次はあなたの番だ」

 戦乙女にうながされ、筋肉だるまの姪は首をかしげた。

「そうね。わたくしがつけるなら、もっと軽やかで、楽しさすら感じるような名がいいわ」

 パン、と手のひらを打ち合わせ、愛らしい顔をほころばせる。

「クルノスラフなんていかがかしら」

 クルノスラフ。聞いた名だが、果たしてどこでだったか。

「本気か、モイラ」

 戦乙女が筋肉だるまの姪を見据える。
 愛らしい顔をしながらなかなか豪胆な筋肉だるまの姪は、笑顔のまま、ええ、と頷いた。

「あー、モイラさん。私の記憶に間違いがなければ、それは最近常若の都で人気の劇に出てくる、詐欺師の名前ではありませんでしたかね」

「ええ、そうでしてよ。現状にぴったりだと思いませんこと? いっそ楽しくなりますでしょう」

 そうだった。クルノスラフという名は、劇のことを話す侍女たちの会話から漏れ聞いたものだった。詐欺師、というところまでは知らなかったが。

 詐欺師というなら妙な仮装をしたり、異界の姫君になりすます貴様らだ、とセルジアンはいたく憤慨した。

 気に入らなければ自由になれるのだから幸いというべきなのだが、それすら忘れるほどの怒りだった。

「あら、まあ。ダメですのね」

 残念、と筋肉だるまの姪は肩をすくめた。
 かいがいしく世話をしてくれた二人であったが、セルジアンは大いに心象を改めた。やはりあの王子の周りには、ロクな人間がそろっていない。

「では、ゆかりさん、お願いします」

 王子は最後に残った少女に、乾いた笑みを向けた。どうやら戦乙女と筋肉だるまの姪が考えた名は、王子にとっても意外だったらしい。

 セルジアンは多少胸がすくおもいだった。

 フンと鼻を鳴らして少女を見つめると、少女もこちらをじっと見ていた。

「綺麗な馬ね。本当に真っ白。たてがみや、うわあ、まつげも白いんだぁ……」

 嫌な予感がした。

 少女は妙に真っ白というところにこだわっている。

 どこからどうみても単純そうな少女だ。

 百合やレース、あるいは真珠といった、そのものズバリな白を連想させる名を口にするのではなかろうか。

 セルジアンの読みは当たっていた。

 少女が考えたのは白をイメージしたごくごくシンプルな名前だったのだ。

 ただ、すこし計算違いがあるとしたら、戦乙女や筋肉だるまの姪とは違い、少女は正真正銘異世界の住人であるというところだった。

「モッチー」

 セルジアンは少女を凝視した。
 この世界には存在しないその響きがセルジアンを捕らえる。

 あまりにも滑稽な、そして不思議な名前。

 この少女の感性は大丈夫なのか。
 あまりに異質すぎて、体中が震える。
 なのに。

「うん、モッチー。いいじゃない、モッチー。うわ、ぴったり!」

 少女がモッチーという度に、セルジアンは反応し、その視線は釘付けとなった。

「モッチー? どういう意味かしら。あなた、知っていて? ナン」

「いや、知らぬが……」

 筋肉だるまの姪と戦乙女が首をかしげるのもムリはない。二人はモッチーの語源をしらないのだから。

 唯一、少女が暮らすニホンに造詣の深い王子は、まさか、と思いながらたずねた。

「ゆかりさん、その、もしや、モッチーというのは」

「うん、あのね、フクちゃんと迷ったんだけど……、フクちゃんだとネコみたいだし」

「フクちゃん、ということは、ただの餅ではなく」

「そうなの!」

 少女は嬉しそうに目を輝かせた。

「白くてすべすべしてて、大福餅そっくり! だから、モッチーなの。ちょっとしたこだわりなんだけど、漉し餡の大福餅なのよ」

 王子は身体を二つに折り曲げて爆笑した。

「ゆ、ゆかりさん、あなた、最高です」

 王子はふところから水晶玉を取り出すと、噂の大福餅を映して見せた。

 のぞきこんだ戦乙女と筋肉だるまの姪は、顔を青ざめさせて沈黙する。

 コレを天馬と結び付けるとは、並みの感性ではない。少女はセルジアンが天馬とはまだ知らないが、仮に白馬につける名だとしてもあんまりだ。

 同じく映像を見たセルジアンも、半ば意識を失いそうになっていた。

 ありえない。
 ゆるせない。

 この少女にはとくと天馬というものを知らしめる必要がある。

 セルジアンの青い瞳に悲しいまでの決意が浮かんだ。

「……おや」

 王子が形のよい眉を持ち上げる。

「気に入ったんですか、モッチーが」

 気に入ったわけではない。
 だが、この少女を野放しにすることは出来ない。
 傍について感性や美的感覚というものを鍛えなければ!

「では、あなたは今日からモッチーで」

 王子が例の笑顔で宣告した。

 仕方なく、本当に仕方なく、屈辱の波にさらわれそうになりながら、セルジアン、いやモッチーは、少女に膝を折った――。


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