疲れていたカレブ達は、月夜亭で夕食をつめてもらい、そのまま宿に引き上げることにした。明日の予定を確認してから、各自解散する。 ミシェルは用事があるから、とマフィン二つと林檎のジャムを持ってどこかへ出かけてしまい、グレースは湯を使いに行ったようだ。 部屋へと戻ったカレブは、窮屈な皮鎧を脱ぎ捨てると、部屋のすみにしつらえてある洗面器に水をいれ、顔と手を洗って深呼吸した。汚れと共に、迷宮の空気も流れていったような気がしてほっとする。 カレブはそのまま休憩する事無く、武器と防具の整備をした。 なんとなく、薄寒い部屋で食事をする気になれなかったのだ。 ロビーの暖炉の所へ行くと、先客がいた。リカルドだ。 「なんだ、あんたも来てたんだ」 考えることが同じだな、とカレブは笑った。 「よ、隣に座るか?」 リカルドは腰を浮かせると、長椅子の端により、火の傍をカレブに譲った。 「ありがと」 カレブは軽やかに腰をおろし、がさがさと夕食の包みを開く。 「さめちゃったかな」 「さめても美味いぜ」 リカルドはカレブに片目をつむり、手にしていた夕食にかぶりついてみせた。 茹でたソーセージとキャベツの酢漬けを包んだもの、蒸した鳥の胸肉とチーズを包んだもの、それにデザート用の甘いクレープの三種類だ。 空いた瓶につめてくれた紅茶と共に、カレブはそれらの夕食を楽しんだ。 「ねえ」 ソーセージのクレープを飲み込みながら、カレブはリカルドに話しかける。 「今日のあれさ、なんだったんだろう・・・」 今日もいろんな事がおこったが、リカルドは、カレブがいう「あれ」がなんなのかすぐにわかった。きっと、アンジュウの司祭ベルジェの記憶の幻の事だろう。 「・・・司教のお嬢ちゃんは、魂の残滓とか言ってたっけ」 「うん」 「あの現象が何故起こったのかは、俺にはとうてい説明できないな。カレブの言葉が、記憶の解放の糸口となったのは、間違いないだろうけど」 「あの人は司祭だから、記憶の混乱と共に魔力が暴走して、それであんな事が起こったのかしら」 自信がなさそうにカレブが言う。 「わかならい。けど、俺達は、あの人の魂に触れたのかもな」 薪が爆ぜ、それきり二人は沈黙した。 このまま考えを煮詰めていけば、恐ろしい何かに突き当たるような気がしていた。 「わたしも・・・、記憶を取り戻したらああなるのかな」 沈黙が耐えられなくなったのか、カレブの口から不安気な言葉が零れる。 「たとえそうなっても、俺は傍にいてやるよ。あのお嬢ちゃんみたいにごきげんよう、とは言わないから心配するな」 自分が弱音を吐いたことを自覚して、カレブは顔を赤くした。 「ば、ばーかっ」 リカルドをののしる言葉も歯切れが悪い。 「なにさ」 「いや、それやめといた方がいいぞ。結構酒がきいてる」 「二つじゃ足りないもの。食べる」 甘い物が嫌いではないカレブは、リカルドの制止も無視して、クレープを口に運んだ。途端に口中に広がる、洋ナシとラム酒の香り。 角切りにした洋ナシを、バターとラム酒でソテーしたものが、ふんだんに入っていた。なかなかの絶品だが、確かにこれは酒がきいている。 カレブはラム酒にくらくらしながらも、結局全部食べきった。 「これくらい平気なんだから」 「わかった、わかった」 二人は先ほどまでの会話を打ち切ると、いつもの様に憎まれ口を叩きながら雑談をした。カレブがリューンとリカルドの事を聞きたがり、こわれるままにリカルドが昔話をするといった形だ。 カレブは、リカルドの話に頷いたり、笑ったりしていたが、その内うつらうつらと船をこぎはじめた。 「眠いのか?」 「ん、大丈夫」 そうは言ったものの、心地よい暖炉の炎と強すぎたラム酒のせいで、なんだかまぶたが重い。 殴られるかな、と思いつつも、リカルドはカレブの肩をだいて、己の方にもたせかけた。 ふらりと揺れる風景に、カレブはとうとう耐え切れなくなってまぶたを閉じた。 リカルドは目を細めて、暖炉の炎に照らされた子猫のような寝顔を見つめた。 「明日は女王様に会えるといいな」 銀糸の髪をなでるその手つきは、限りなく優しかった。 |
カレブ達が四層まで行けるという噂は、あっという間に広まったようだ。 しかし、それらの日々、カレブは女王と会う事が出来なかった。 気にはなったが、王宮の兵士達はその事について黙して語らず、歯がゆい時を過ごさねばならなかった。 焦燥でイライラするカレブをなだめながら、リカルドは四層の地図を完成させようと提案した。 何か目的があった方が、カレブの気もまぎれるだろうと思ったのだ。 一層と二層を危なげなく突破し、つかみ所のない三層へと侵入する。 最初はこの階層も戸惑ったが、変化の鉄則さえ押さえておけば、それほど進む事は困難ではない。 時間をつぶすだけの部屋へは侵入せずに、回廊をぐるりと歩く。 角を曲がると、迷宮にはふさわしくない青白い光が目をやいた。 光の元には、僧服をまとった異貌の男が座禅を組み、静かに瞑想している。 「おい、坊様。こんな所にいたら、魔物に食われちまうぜ」 リカルドが屈託なく男に話しかけた。 男が閉じていた目をゆっくりと開く。不思議な銀色の瞳。 その人ならざる瞳に、リカルドはハッと息を飲んだ。 「我は月。紫紺の空に上弦を描く者。月は全てを静かに見つめ、未来を想う。空の高みにある月に、手を出すものはいないだろう」 リカルドは、困ったように仲間達を振り返った。 軽く頭をさげて通り過ぎようとしたが、男がカレブを呼び止めた。 「月の導きの元我らは出会った。そう急く事はあるまい、高貴なる者の盾にして剣よ。月は知っているかもしれんぞ? そなたの求むる者の命運を」 ぴくりとカレブは足を止め、怪訝そうな表情を浮かべたグレースが、ハッとしてカレブを見る。しかし、カレブは男に注意をむけていて、グレースのその視線には気づかなかった。 「どういう事。それって、女王の事を言っているのか」 「さて。我は月。月は全てをただ見つめるのみ」 男の手に、ふわりと一組のカードが現れる。 「知りたければ、触れるがよい」 カレブは、鋭い瞳で男を見据えたまま、カードに手を伸ばした。 きらりと白銀の輝きをひらめかせ、カレブの触れたカードは宙に舞う。 その美しさに、ミシェルとグレースが感嘆の声を小さくもらした。 「ふむ」 男がカードの角を軽く叩くと、空中でカードはくるりと反転した。 カードには小さな風景が揺らめいていた。 「・・・迷宮?」 カレブは目を凝らしてその風景を見つめる。 「そなたが求むる者はどうやらここに捕らわれているらしい」 「え・・・?」 くるりと翻ったカードに現れたのは、さび付いた鎖。その先は、灰色の靄に吸い込まれている。 男が指をならすと、次々にカードが反転していった。 現れる不可解な映像達。 「求むる者は捕らわれ、大きな混乱の中にいる。真に求める者は尚深く・・・、たどり着くにはさらなる試練を潜り抜ける事となろう。そなたはまず風と出会い、その刃に倒れ伏す」 不吉な宣告だった。 リカルドがカレブをかばうように前に出る。 「坊様、あんまりいい加減な事を言ってくれるなよ」 「いい、やめて、リカルド」 カレブは、ひたと男を見つめた。 「月なる人よ、あなたの言葉は曖昧で、わたしにはよくわからない。わかる言葉で伝えてほしい」 「さすれば、月が見たままに」 カードが音を立てて、男の手の中に戻る。 「そなたらが女王と呼ぶ者は連れ去られた。その血をわけたものの手によって。あの者は今・・・」 スッと男は、指を下に向けた。 「・・・・・・陛下っ!」 弾かれたようにカレブが駆け出す。 「あ、おい!」 リカルドが止める暇もない。 「今の、言葉は」 男の言葉に衝撃を受けたのは、カレブだけではなかった。 「真実なり、白百合の姫よ」 「行きましょう」 ミシェルが、グレースの手を取る。 「離れるのは得策ではないわ」 グレースは頷き、ミシェルと共に走り出した。 下り階段のところで、グレースとミシェルはなんとか二人に追いつくことが出来た。 「ごめん」 息を乱す二人に、待っていたカレブが謝る。 「でも、急ぐ。四層の突破は無理でも、せめて五層への階段を見つけたい」 「おい、カレブ。あの男の言葉を信じるのか。まずは騎士さん達に確かめたほうがよくはないか」 「語るものか」 カレブは唇をかみ締める。 「女王がさらわれたのが本当なら、決して彼らはその事を口にはしないだろう。そのような無能者は王宮騎士じゃない」 「同感です」 グレースがきっぱりと頷いた。 「その忠誠ゆえに、彼らは口を閉ざし続けるでしょう」 リカルドは、ラディックを思い出し、むう、とうなった。 「四層の地図を完成させるのが、今日の目的だろ。だったら、五層への階段を探すのと同じ事じゃないか」 「わかった、わかったから。落ち着いてくれ、カレブ。引き際だけは、まちがえてくれるなよ」 わかっているとばかりにカレブは頷き、すべるように階段を降りた。 しかし、リカルドの不安を肯定するかのように、四層の道行は楽ではなかった。 魔物と複雑な通路によって、カレブ達は二重に苦しめられた。 焦るカレブが見落とした落とし穴に全員が叩き落され、ミシェルをかばったリカルドが右足を骨折してしまう。 その治療に、グレースはほとんどの治癒魔法を使い切る事になったが、それでも、リカルドの足は完治しなかった。 痛む足をひきずるリカルドをかばうように、ミシェルが魔法を駆使して魔物を打ち破る。炎と雷が炸裂し、氷雪の嵐が不死者の活動を停止させた。だが、確実にその威力は弱まっていく。 疲労が全員の動きを鈍くしていた。 「休憩、しよう」 さすがにカレブも足を止める。 「ごめん、もう少しだけ。この区画を突破したら帰るから」 痛みをこらえていたリカルドは、くしゃりと顔をゆがめて笑うと、カレブの頭をぽんぽんと叩いた。 「約束だぞ」 「うん。ごめん、リカルド」 泣きそうな顔をするカレブの額を、リカルドはつついた。 「こういうときはな、ありがとうって言うのさ」 「・・・ありがとう」 へっとリカルドは笑い、目を閉じる。 「ミシェルさんとグレースも休憩して。顔色が、悪いよ」 らしくもなくしおらしいカレブに、ミシェルとグレースは微笑んだ。 「そうするわ。少し疲れたから」 「お言葉に甘えます」 二人の笑顔に、カレブはホッと胸をなでおろした。 だまってついてきてくれる仲間達を休憩させるために、カレブは短剣を手にしたまま、辺りに注意を配った。 皆の呼吸が落ち着き、汗がひいた頃だっただろうか。 カレブはぞくりと身を震わせた。 濃い、死の国の匂い。 まばたきする間もなく、グレースの背後の空間がぱっくりと割れる。揺らめく血の紅とともに現れたのは、グレッグとサラを滅ぼした、黒い影。 何故その存在を忘れていたのか。 カレブは、己をののしる舌打ちをすると、グレースの腕をつかんで力任せに引っ張った。必然的に、グレースとカレブの位置が入れ替わる。 「カレブ!」 倒れたまま、グレースが叫んだ。 黒い影は、その冷たい両腕でカレブを抱き締めた。 「ぐ、ぅ・・・」 そのまま影は、カレブの中へと侵入していく。 「カレブ!」 かけよったリカルドが、カレブの肩を掴んだ。 「・・・グレッグとサラも、こんな思いをしたのかな」 青ざめた顔で、カレブは唇の端を持ち上げた。 「帰るぞ・・・」 リカルドが、転移の薬を取り出す。 「待って。もう少し、この区画だけ」 「馬鹿野郎! そんな場合じゃ!!」 しかし、リカルドの叫びは、瓶の割れる甲高い音にかき消された。 リカルドの手にあった転移の薬の瓶が、地面に叩きつけられて割れている。 「痛ぅ・・・」 リカルドの手から血が滴り落ちた。 リカルドを切り裂き、一行の丁度中心に音もなく舞い降りたのは、ガーゴイルの名を持つ悪魔だった。 「いつの間に・・・っ」 リカルドは悪くなる一方の状況に、表情を厳しくした。 「お前は、下がっていろよ」 リカルドは、カレブをトンと押すと、傷ついていないほうの手で剣を握った。 「チッ」 素早い動きに、リカルドは苦戦した。傷ついた足と腕では、ガーゴイルに一太刀浴びせる事すら難しい。彼らは素早い動きだけではなく、頑強な肉体を持っているのだ。 「リカルド!」 カレブが援護に向かおうと立ち上がる。 「お前は引っ込んでろ! 絶対出てくるんじゃないぞ!!」 厳しいリカルドの声が、カレブの足を止めた。 「で、でも!」 「いいから、言う事を聞け!」 「リカルド、危ない!」 グレースが悲鳴を上げる。 「ぐあっ」 肩当てが吹き飛び、勢いよくリカルドは弾き飛ばされる。 「リカルド!」 倒れたリカルドにとどめをささんと、ガーゴイルが高く舞い上がった。 「くそっ」 リカルドは逃れようと身体をひねるが、足がズキリと痛み、一瞬動きが止まる。 ここまでか、とリカルドは目を閉じる。 と、次の刹那リカルドは風を感じた。 走り抜ける、一陣の疾風。 石を砕く音に目をあければ、東方風の衣装に身を包んだ男が、空中でガーゴイルの額に短刀を突き刺していた。 男はそのままガーゴイルの頭部に蹴りを見舞い、悪魔を地面に叩き落した。 男は、何事もなかったかのように、軽やかに地に足をつけた。 くすんだ金色の髪。細長い特徴的な耳。おどろいた事に、男はエルフのようだ。 「済んだか」 低く、エルフは呟いた。 「ハッ」 何事かと振り返れば、リカルド達の背後で、数体のロッティングコープスが横たわっていた。偽りの命は打ち破られ、元の物言わぬ屍へと変じている。 不死者達を滅ぼしたのは、そろいの衣装をまとったドゥーハンの忍者兵だった。 ごくりとリカルドは息をのむ。 ガーゴイルに気を取られ、不死者が近づいていたことに気づきさえしなかった。 「では、行け」 エルフの短い命令にこたえ、忍者兵達は駆け出した。 その姿が見えなくなると、エルフはゆっくりと振り返った。 「先へと進むには、実力が足りぬな、冒険者よ」 「すまない、助かった」 リカルドは嘆息し、立ち上がった。 「見事な手並みだな」 しかし、エルフはリカルドの言葉を聞いていなかった。 落日の瞳は、リカルドの後ろ、立ち尽くすカレブに向いていた。 動揺といったものに縁遠いエルフの心臓が高鳴った。 まさか。 しかし。 ありえない。 そう。 死んだ。 だが。 俺は。 幻を。 見て。 いるのか。 そして、エルフは口にする。心の奥に封印し、その笑顔と共に葬った名前を。 「・・・・・・カレン」 |