あたたかなランプの明かりが、暗い闇に閉ざされていた罪人の墓を照らし出す。
 眠る死者には、そのやわらかな明かりすらまぶしいだろうか。いや・・・・・・、死者は何も感じない、語らない・・・・・・。何かを感じ、思いを言葉にして口にのぼらせる事ができるのは、生者だけだ。

 賑やかな初対面の後、生者である二組の冒険者は、ぐるりと一つの墓を取り囲んでいた。

「依頼を・・・?」

「ええ」

 カレブの問いかけに、アンマリーという名の司教の少女は、愛らしいと表現するにふさわしい笑みを浮かべた。

「この地で迷宮に挑む冒険者なら、金策の為になにかしらの依頼を受けるものでしょう?」

 ロレンツォの依頼を受け、ギルマンの墓を探していたカレブ達と同様に、アンマリーの一行も、依頼を受けてここに来たらしい。

「わたし達が受けた依頼は、彼の記憶の糸口を見つける事」

 アンマリーに示された法衣姿の中年男は、居心地が悪そうに身体を小さくした。

 アンマリーは、己の身体を抱き締めるように、ふわりと腕を組む。伏せられた長い睫が白い頬に濃い影を落とし、思わず駆け寄って護りたくなるような儚さが生まれた。

「可愛そうに。彼はあの閃光のショックで記憶をなくしてしまったのですって」

 その表情を感極まったという様子で見つめていた赤毛の少年が、アンマリーの傍に駆け寄り、肩に手を置いた。カレブの拳を腹に受けたというのに、なかなか元気なことだ。その生命力と体力は賞賛に値するかもしれない。

「ア、アンは優しいから」

「まあ、オスカー」

 アンマリーの呼びかけから、カレブ達はやっと赤毛の少年の名を知ることができた。

 オスカーは、アンマリーの微笑を間近で見て、嬉しそうに顔を真っ赤にしている。
 と、むっつりとしていたリューンが、ばりっとオスカーをアンマリーから引き剥がした。

 アンマリーは気にした様子もなく、懐から小さな銀板を取り出す。

「これが彼の記憶の鍵」

 銀板は、ランプの明かりを受けて、鈍い輝きを放った。
 しげしげとのぞきこんだカレブは、そこに彫りこまれた数字に気づいた。
 972・・・・・・。

「これは、罪人の認識票?」

 カレブの言葉に、アンマリーは満足そうに頷いた。

「わたし、頭のいい人って好きよ」

「なんだって、そんなものを彼が持っているんだ。認識票は罪人につけられているべきじゃないのか」

 コツコツとアンマリーが靴をならした。
 まるで、授業の開始をつげる教師のようだ。

「そこでわたしは考えたわ。彼が、罪人となにかしらの接触をもったのではないか、と。罪人達の多くは、閃光の時に死んでいるでしょう? だから、この墓場に来たというわけなのよ」

「カンペキだ!」

 オスカーを押さえ、リューンが叫ぶ。だが、その声量は押さえられていた。どうやら、アンマリーに叱られるのを避けるためらしい。

「さすがアンだ。並みの人間じゃそこまで頭がまわらないぜ」

 リカルドはこめかみをもみほぐした。

「どうかした? 戦士さん」

 わざとらしくミシェルが聞く。

「いや、な」

 絶対にわざとだ、と思いながらも、律儀にリカルドは答えた。

「あいつと葡萄の収穫を競っていたのかと思うと、情けなくなってきて・・・」

 ミシェルは無言で微笑んだが、リカルドにはその目が、”お似合いよ”と言っているように思えた。
 しかし、ここでなにか言ってはそれこそ情けないではないか。リカルドは、ぐぐっと言葉を飲み込んで耐えた。

「ここが、972号のお墓よ。さあ、何か思い出して?」

 法衣の男は、瓦礫をつんだだけの粗末な墓に触れると、静かに首を横に振った。

「そう・・・」

 アンマリーは幾分がっかりしたようだ。

「おっさん、ここまでやってきたアンの苦労を無駄にするんじゃねえよ」

 オスカーが男にすごんでみせる。
 あくまで基準はアンマリーらしい。

「す、すまない」

 謝る男をみて、カレブは胸が苦しくなった。記憶がないという男に、自分を重ね合わせてしまったのかもしれない。自分が何者なのかわからないその心細さ、痛い程によくわかる。

 ギルマンの墓を確認できた今となっては、ここを立ち去る事も可能だったが、カレブはそれをよしとしなかった。

「あなたは、アンジュウの住人かもしれないね」

 男の隣に立ったカレブは、静かに呟いた。

「アンジュウ?」

 村の名を口にした男は、心にわきあがった一瞬のなつかしさに困惑した。
 胸に手をあて、戸惑いを押さえ込む。

「この墓に眠っているのは、アンジュウの殺人鬼。わたし達は、アンジュウの住人、ロレンツォさんの依頼を受けて、殺人鬼の生死を確かめに来た」

 男は、小さな目をカッと見開いてカレブを見つめた。
 何かを期待するような、何かを酷く恐れるような、そんな目だ。

「ロレンツォさんは、自分の娘を殺した男の末路が知りたいと言っていた」

「娘・・・、殺された、娘・・・」

 男の手が小刻みに震え出す。

「殺人鬼の名は、ギルマン」

「・・・・・・ぉぉ」

 男の口から、低い声がもれた途端、パン! と音をたてて次々にランプが割れとんだ。

「まあ」

「アン!」

「アンマリー!」

 たいして驚いた様子もないアンマリーだったが、オスカーとリューンが素早く背後にかくまう。

 ランプの明かりが消えたせいで、視界は急激に悪くなった。

「オスカー、気をつけろ。闇は不死者を招き寄せる」

「へ、わかってるよ。アンにゃ傷一つつけさせねえ」

 二人にならったわけではないが、リカルドとグレースも互いにミシェルをかばうような位置に立ち、剣の柄に手を伸ばした。

「魔法で光を呼ぶ事もできるけれど」

 ミシェルは、暗がりの向こうに立つカレブに声をかける。

「いや、魔力は温存しておいて」

 油断なくあたりに気を配りながら、カレブは答えた。何故ランプがはじけ飛んだのかわからない。不測の事態にそなえて、魔力は温存しておくに限るだろう。また、もし、不死者達がやって来るのなら、ミシェルの魔法で一撃で葬ってもらう方がいい。これだけの人数では乱戦になる事は必至だ。足場の悪いここでそれは、得策ではない。

 全員が息を殺す中、異変は、まず足音から始まった。

 ひかえめな、しかし確かに石床を歩く足音。

「この音・・・」

「静かに」

 不思議そうに呟くオスカーを、アンマリーが一言で黙らせた。
 オスカーは素直に口を閉じ、足元を確認する。

 土交じりの石畳。ここを歩いても、今響いているようなあんな高い足音はしないはずだ。

 では、「誰」が「どこ」を歩いているのだろう。

『神よ・・・』

 不安げな声に、皆、記憶をなくした男を見つめた。声は確かに彼のものだったから。
 しかし、彼は小刻みに震えながら立ち尽くしているだけだった。

『お許しください・・・』

 再び響く男の声。声は、背後から聞こえた。

 皆が見守る中、幻のような影がこちらへむかって歩いてくる。
 深くフードをかぶり、キョロキョロと落ち着きなくあたりを見回していた。フードの隙間からちらりと覗いたその顔は、まさしく記憶をなくした男の顔。

「私は、ベルジェ、アンジュウの司祭、ベルジェ・・・。そう、あの日・・・、私は、我が子を殺したギルマンに会いに来たんだ・・・」

 影ではなく、カレブの隣に立つ男が今度は呟く。

『それとも、最早私は、救いすら求める事が出来ないのでしょうか』

 影が。

「捕らわれのギルマンに会う事は、簡単ではなかった・・・。それはそうだろう。クイーンガード長が直々に手を下さねば捕らえられなかった男だ。厳重に地下に閉じ込めて、隙をみせてはならない。そう、頭ではわかっているんだ。だが、私には・・・ギルマンが王城に捕らえられているのではなく、護られているように思えた」

 男が。

『いや、そんな事はない。神が私をお見捨てなら、あの方は現れなかった』

 影が。

「だから、私は・・・、あの方の導きに従ったのだ」

 男が。

『それはつまり、神も真実が光の下に明白にされることを、望んでおられるのだ』

 影が。

「それが、ああ! こんな、こんな事に」

 男が。

『祈るばかりでは、事は成せぬ。祈りと共に進む事こそ人の正しい姿』

 影が。

「私はどの神に祈ったのだ。我らが全能なる神か、それとも死神か。はたまた、異邦なる虚ろの神か」

 男が。

『神よ、あわれなる僕をお護りあれ・・・!』

 影が。

「救われない。私は救われない。自らが犯した大罪の為に、永遠に救われる事はない!」

「やめろおおおッ!」

 反響する男の声にたまらなくなったオスカーが叫んだ。

「気が狂っちまう! なんなんだ、これは!」

「お黙りなさいな、オスカー。わたし、取り乱す人って、嫌いよ」

 アンマリーの無邪気ともいえる声音は、オスカーにとってなにより効力をもつものらしかった。不可思議な現象に対する恐怖も、アンマリーの言葉によって消えうせる。

「ご、ごめんよ、アン」

「静かにしていれば、全てがわかるわ。ほら、また靴音」

 アンマリーの言葉どおり、幾つかの靴音が聞こえてきた。

”侵入者を捜せ!”

 鋭い声が飛ぶ。

『兵士が・・・』

 影のベルジェは呟くと、司教には似つかわしくない黄金の短剣を手にとった。頭上にかかげたそれを、勢いよく振り下ろす。

 ぱっくりと空間が裂けた。ベルジェはその裂目に身を潜める。

「あっ!?」

 グレースが叫ぶ。昨日ロレンツォから聞いた空間を渡る殺人鬼の話を、咄嗟に思い出したのだ。

 誰もいなくなった通路に、そろいの鎧に身を包んだ複数の影が現れた。彼らも、影のベルジェと同じように、陽炎のように不確かな存在だった。

「あの紋章は」

 リカルドは瞳を凝らした。影達の鎧に、紋章を確認したのだ。

「あの紋は、ドゥーハンの兵士?」

 リカルドの言葉を受けて、リューンが呟く。
 台詞を取られたリカルドは、カッとして叫んだ。

「手前、真似すんじゃねえよ!」

「ふん、俺の方が答えを導くのが早かっただけだ」

「静かに!」

 ミシェルの鋭い声が飛び、二人ともピタリと口を閉じる。

”いない・・・、よし、二手にわかれよう”

”了解した!”

 影の兵士達は、その場に誰もいないことを確認すると、二手に別れ散っていった。
 しばしの時を置き、再び空間に裂目が走った。影のベルジェが緊張した面持ちで現れる。

『お許しあれ、王宮の兵士方。私は、ただ、一目ギルマンに会いたいだけなのです』

 影のベルジェは頭を下げると、黙々と歩き始めた。
 兵士と出会わぬようにしているためか、複雑な道程のためか、その進行は呆れるほどに遅かった。オスカーが痺れを切らすほどだ。

「よくこんな長い時間、魔物がやってこないな・・・」

 ため息を漏らしながらも、カレブは影から目を離せない。

「そうね。ここは今、ここであって、ここではないからかしらね」

 アンマリーの言葉は、まるで答えのない謎かけのようだ。
 しかし、納得のいく言葉でもあった。ここであり、ここでない場所。幻が存在するうたかたの空間。影が消えるまで、きっと自分達はこの場所に捕らわれ続けるのだろう。

 影のベルジェをにらみつけていたオスカーが、ぽんと手を打ち合わせた。

「この道・・・、これって、迷宮の二層じゃないか?」

「言われてみれば・・・」

 グレースも頷く。どことなく彼の歩く道筋に覚えがあったのだ。影は風景までは描かないので、確信はもてなかったが。

 しかし、オスカーは間違いない、と請け負った。盗賊である彼の頭には、迷宮の地図が寸分野狂いなく記憶されているのだ。

「なるほど、ギルマンに会うために、あんた地下牢に侵入したってわけか。あの不思議な短剣を使って」

 肉を持つベルジェは答えなかったが、影が答えをしめしている。

「けどなあ、おっさんよ。回廊をぐるぐるまわってるだけじゃダメだ。しかけを動かさないと先には進めないぜ」

 オスカーの言葉が届いたわけではあるまいが、影のベルジェもやがてその事に気がついたらしい。

 迷宮第二層の、ドゥーハンの地下牢のしかけは複雑だ。一度や二度ためしたくらいでは、うまく先には進めないだろう。

 影のベルジェも随分と長い時間をかけて、やっと、地下牢の奥深くへと進む事ができたようだ。

 新たな影が現れる。鉄格子と、青年の影。

 ギルマンだった。

 影のベルジェの道筋を頭の中でなぞっていたカレブは息を飲む。

 ここは、この場所は。死神が現れ、死闘を繰り広げたあの場所ではないか・・・?

 そばかすの浮いた気弱そうな顔。薄い茶色の瞳。カレブの夢にあらわれた殺人鬼と寸分たがわぬ姿。

 影のベルジェは、鉄格子に駆け寄った。

『ギルマン!!』

 鉄格子の向こうで膝をかかえるようにして座っていたギルマンの影は、ゆっくりと顔を上げた。

『ああ、司祭様』

 たよりない細い声。これが、大量殺人をおこなったものの声だろうか。
 ロレンツォの話を聞いていた面々の思いは同じだったらしく、思わず顔を見合わせる。
 ギルマンの顔にふわりと浮かぶ、かすかな笑み。

『お久しぶりですね』

 それはまるで、道で出会った顔なじみ同士が交わす、気楽な挨拶のようだった。

 影のベルジェは頭に血が上ったのか、両手でぎゅっと鉄格子を握り締めた。

『ひ、久しぶりだと? 他に口にする言葉はないのか!?』

『他に・・・?』

 不思議そうに呟いたギルマンは、ああ、と頷いた。

『よくこんな所まで来れましたねえ』

 ギルマンはふらりと立ち上がると、怒りのあまり言葉をなくす影のベルジェの方へと歩み寄った。

『どうやって入ったんですか? ああ、帰るときは僕も連れていってくれません? ほら、ここはせまくて・・・』

 そう言って背後をふりかえったギルマンの胸倉を、影のベルジェはつかみあげた。

『よくもそんなたわ言を・・・!』

 ギルマンはゆっくりと、感情の失せた目で影のベルジェを見つめた。
 背筋がぞくりと震えるような、何も映さない深遠なる瞳。

 影のベルジェは己を奮い立たせるかのように叫び声を上げる。

『何故だ、何故なのだ! 何故あのような神をも恐れぬ行いをした! そなたは優しい子だったではないか。鬼子ではあったが、皆に可愛がられたいい子だったではないか! 私は、そなたの真意を確かめに来たのだ! 神の許しを与えにきたのだ!』

 がくがくと揺すられていたギルマンは、一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、次の刹那に笑い始めた。

『鬼子! 聞き飽きた言葉だなあ。あなた達の大好きな言葉だ』

 ギルマンは手をさしのべ、影のベルジェの頬をなでた。

『あなた達は知らないでしょ? その言葉がどれだけ僕を苦しめていたか。あなた達のその見せ掛けの優しさが、どれだけ僕を追いつめていたか』

 ぎゅっとギルマンは影のベルジェの頬をつかむ。

『あの短剣・・・! あれは素晴らしかったな。僕に自由を与えてくれた。僕にうるさくかまう連中を一突きした時のあの感動! 信じられないって顔をして、罠にかかったウサギみたいに震えてた。あっはははは!』

 深遠の瞳が、影のベルジェの瞳をのぞきこんだ。

『そっか。その中にあんたの娘もいたんだっけ。綺麗だったよ、彼女の血は。彼女が並べた千の言葉よりも、美しかった! 死んで彼女は初めて僕の役にたったんだ!』

『き、貴様!』

 真実は。影のベルジェが求めた真実は、こうであればいいと望んだ真実ではなかった。
 彼は願っていた。気の弱いこの青年が、犯した罪に涙している事を。跪いて神に許しを請うている事を。

 だが、真実は。

『お、鬼子め・・・!』

 影のベルジェは袖口にしのばせていた短剣をひきぬくと、大きく振り上げた。
 その時、初めてギルマンの顔に驚愕の表情が浮かんだ。

『その短剣は!』

 短剣は空を切り裂き、ギルマンの額に突き立った。

 ギルマンの傷口から、紅の血潮が吹き上がったその瞬間。

 眩しい白光が目をやいた。

 咄嗟に腕で目をかばったカレブ達だったが、強い光はそれでも瞼をとおして瞳をやく。

 音こそ伴わなかったものの、あの閃光の再現だった。

 閃光の恐怖を体験した者達は、思わず悲鳴をあげ、身を強張らせる。

 光はすぐに収まり、それと共に幻が消え去ったが、しばらくは鼓動が落ち着かなかった。
 最初になんとか平常心を取り戻したのは、カレブだった。

 アンマリーだけは、恐怖する事もなく涼しい顔で立っている。

「今のは・・・・・・」

「記憶の・・・、いえ、違うわね。魂の残滓といったところかしら」

 くすくすとアンマリーは楽しそうに笑った。

「ここまで強烈に見せ付けられるとは思わなかったけど」

 影のベルジェは消えうせ、肉を持つベルジェが立ち尽くしている。
 やがて彼は、狂気を滲ませた笑い声を上げ始めた。

「結果はともかく、依頼は、完了ね」

 ベルジェはそのまま、ふらふらと墓場を歩いていく。

「おい、待てよ!」

 引きとめようとするリューンを、アンマリーが止めた。

「いいのよ、リューン」

「でもアン、報酬だってもらってないぜ?」

 盗賊らしく、オスカーがまくし立てた。

「あら、今見たものが報酬といっても過言ではないわ」

 アンマリーがそう言えば、リューンとオスカーの二人に文句はない。
 アンマリーが満足すれば、それでいいのだ。

 闇に消えたベルジェに向かって、アンマリーはごきげんよう、と手を振った。

 アンマリーはそのまま立ち尽くすカレブに近づいた。
 その手に、ギルマンの認識票を滑り込ませる。

「これ、あなたにあげるわ。依頼の役にたつんじゃないかしら」

「あ、ああ。ありがとう」

 カレブは小さなそれを、落とさないように握り締めた。

「またお会いしましょうね」

 アンマリーはカレブの手に、己の手を一瞬かさねると、リューンとオスカーを引きつれ、立ち去って行った。

 もちろん、リューンとオスカーは、アンマリーの手に触れたカレブを睨んでいく事を忘れなかった。


 

   カレブ達が迷宮から戻ってきた時には、もうすっかり日が落ちていた。
 疲れた足をひきずって、月夜亭へと向かう。

 酒場の片隅で、ロレンツォは一人静かに杯を傾けていたが、カレブ達の姿を認めると、ハッとした様子で立ち上がった。

「四層に、行って来たよ」

 カレブは、ロレンツォの隣に腰をおろすと、彼にも座るようにすすめた。
 待ち続けた男を、これ以上待たせないために、カレブは簡潔に迷宮で起こったことを話した。自分達が墓場で体験した事を、包み隠さず。

 ただ、ベルジェがギルマンを殺害した事だけは、ベルジェ自身から聞いたのだという事にして。

「そ、そうか、司祭様が、あの人が・・・!」

 カレブは頷いて、ロレンツォにアンマリーから受け取ったギルマンの認識票を渡した。

「証拠ってわけじゃないけれど」

 頷いて、ロレンツォは認識票を握り締めた。

「疑うわけがないさ。それなら、最初から頼んじゃいねえ・・・」

 ロレンツォは、口元を押さえ熱い涙を零した。

「すまない・・・」

 そんな彼の肩をリカルドが優しく叩く。

「謝らなくていいから。今は楽になればいい。あんたは、今、開放されたんだ」

 ぴくりとミシェルの片耳が持ち上がったことに、その場にいた誰もが気づかなかった。
 皆の注意は、ロレンツォに向いていたので。

「アリシア・・・! アリシア・・・! アリシアッ!!」

 ロレンツォはテーブルを叩きながら、愛しい娘の名を呼び続ける。

 こうして、アンジュウの村に現れた殺人鬼の事件は幕を閉じた。
 いくばくかの謎と、大いなる悲しみを残して。