酒場に響く、ジュウジュウというその景気のいい音は、暗いドゥーハンの夜を賑やかに彩った。

 苦い顔をしているのは、昼の一件を思い出すリカルドだけで、居並ぶ冒険者達の顔は、どれも楽しそうだ。誰かが竪琴を急ごしらえしたらしく、その単調な音色がポロンポロンと零れると、ワッと拍手が広がった。

「へぇ、これがあの舌を噛みそうな名前の料理かぁ」

 込み合う月夜亭でなんとか四人がけのテーブルを確保したカレブは、目の前におかれた料理をしげしげと見つめた。

「戦士さんの火傷がヒントになったというわけね」

 ミシェルが、嬉しそうにパチパチと手を打ち合わせる。
 それがリカルドを讃えるものかどうかは、はなはだ怪しかったが。

「チェ。感謝して食べろよ、お嬢さん方」

 リカルドもその空気を読みとったのか、ふてくされ気味に片手をふった。

 リカルド本人から、昼間の話を聞いていたグレースが、まあ、と苦笑めいたものを浮かべる。どうやら、いつものグレースに戻ったらしい。迷宮での痛手から完全には立ち直っていないのかもしれないが、その表情は穏やかで、変わらず心の奥底をのぞくのは、難しそうだった。

 四人はそれぞれ、茶や酒で口を潤わせてから料理の攻略にとりかかる。

 魔術師ヘルガの名前がついたその料理は、なかなか楽しい趣向がこらしてあった。
 料理の完成を、食べるものが自分で行うのだ。

 並んだ大きな皿の上には、どれもこれも、熱した石がゴロゴロのっていた。これに皮をむいた海老の身をのせて焼いて食べるという寸法だ。

 心もちわくくしながら、四人が一切れ目をのせると、ジュッ! と軽快な音がした。
 半透明だった海老の身が、みるみる赤くなっていく。なんとも言えない香ばしく甘い香りが、焼き上がりの合図となった。

 焼けた海老は、別皿の果物のタレにからめて食べる。
 林檎と香辛料がきいたそのタレは、海老の旨味を際立たせ、甘味をふくよかに広げた。

 一切れ目を飲み下した四人は思わず顔を見合わせ、同時に次の海老へと手を伸ばした。
 次々に海老を焼きながら、合間にパンや付け合せのサラダを楽しむ。

 オレンジの実をまぜたバターが添えられたパンはふわふわとやわらかく、焼いた海老と一緒に口にほうりこむと互いの味を引き立てあった。

「海老だけで食べるより、絶対美味しい」

 カレブが力説し、少々行儀の悪い食べ方に戸惑っていたグレースも実践してみる。

 グレースは、もぐもぐと口を可愛らしく動かし、パンと海老をのみこんだ。

「・・・美味しい」

 グレースはかすかに頬を染め、唇の端を持ち上げた。
 この表情を見れば、料理を考案した月夜亭の主人も大満足だろう。
 石を焼くためにこき使われたヘルガの意見は、また違うかもしれないが。

 カレブ達は食事をしながら、明日の計画を練った。

 カレブが女王に指輪を届ける事を強く望み、それに対してリカルドが慎重論をいくつか述べたが、結局はカレブが意思を通した。反論しても無駄だと悟ったリカルドが降参したからだ。

「よし、じゃあ女王陛下に面会するとして、だ。その後はどうする?」

 リカルドは思案するように、コツコツとエールのジョッキの縁を指先で叩いたが、カレブはフッと笑うと、なんの迷いもなく言い切った。

「決まってる。下を目指す」

「下ね・・・」

 リカルドは目を細めた。
 菫色の瞳は、揺れるエールを見つめているが、実際にその瞳に映っているのは、迷宮の暗黒なのだろう。

「ミシェルさん、あんたは下に進めると思うか?」

 リカルドはこの中で唯一、迷宮深くまで降りる事が可能らしいエルフの娘の判断をあおいだ。

「そうねぇ」

 パンを小さく千切りながら、ミシェルはのんびりと答える。

「初夏の野ばらが、晩夏まで残っているのと同じくらい、微妙だと思うわ」

 一瞬、リカルドはきょとんとした表情をうかべたが、やがて言葉の意味が理解できたらしく、「あーあ」と苦笑した。

「そりゃあ、だいぶ微妙だなぁ。あれだろ? 秋の葡萄が、霜の季節まで残ってるのと同じくらい、微妙なんだろ?」

 ミシェルは嬉しそうに頷いた。

「お上手だわ、戦士さん」

 グレースは、なるほどこれがエルフ流の物言いなのかと納得し、カレブはというと、恨めしそうにミシェルを見ていた。

 まさか、彼女に反対されるとは思っていなかったのだ。
 しかし、カレブのそんな視線に気づいているのかいないのか、ミシェルは変わらず涼しい顔のままだ。

「わたし一人なら、いかようにも身を隠しながら進む事ができるけれど、この人数では少し厳しいかもしれないわね」

 カレブは、いらいらと親指の爪を噛んだ。
 先ほど意見を通したばかりなので、さすがに強引に下に行くぞ、とは言い難いのだ。

「よろしいですか?」

 諦めの言葉が脳裏を過ぎった瞬間、グレースが、ふわりと乳白色の長衣の袖をゆらし手を上げた。
 それはまるで、優秀な、しかし新参の文官が、会議の時に意を決して発言するさまによく似ていた。

「確かに、野ばらが晩夏まで残る事はないでしょう。ですが、花々は一生懸命生きようとしているはずです。そして、我々は花ではありません。彼ら以上に生き長らえる工夫をこらし、努力をする事が出来るはずです。・・・難しいからとか、確率が少ないからとか、そんな理由で簡単に諦めたくはありません」

 カレブは思い出していた。

 確かにグレースは、白百合の美姫と呼ばれる深窓の姫君だ。
 だが、たった一人で迷宮を彷徨い、魔物と戦う意思の強さを秘めた騎士でもあるのだ。

 初めて出会ったときも、目的の為に安全だと言われた部屋から抜け出し、複数の魔物と渡り合っていたではないか。

 意外なところから意外な意見が出て、リカルドとミシェルは顔を見合わせた。
 この二人の息があうというのも、珍しい話だ。

「・・・確かにな。危険を恐れてちゃ冒険者は務まらない」

「無理だと思えば、引き返せばいいだけの話ですものね」

「そこは、引き受ける」

 ピンとリカルドのジョッキを弾いて皆の注目を集めてから、カレブが言った。

「引き際は、わたしが責任をもって見極める。・・・・・・あんた達をつきあわせてるんだからな」

「決まりだ!」

 嬉しそうに立ち上がって、リカルドが叫んだ。

 カレブには、今の言葉のなにが、リカルドをそんなに喜ばせたのかがわからなかった。
 単に、あいかわらず単純な奴だなあと思っただけだ。

 だが、リカルドは確かに見ていたのだ。
 おぼろげではあったが、自分が求めた絆という輪郭を。
 破顔するなというほうが、無理な相談だろう。

「よし、そうと決まれば難しい話はなしにして、英気を養おうぜ」

 随分と機嫌のよさそうなリカルドにつられ、カレブも笑みを浮かべた。
 悪くはない心地よさが、ふわりとその場に流れていた。

 しかし、その居心地のよさも一瞬のものだった。

 リカルドがエールの二杯目を頼もうとジョッキを振り上げると、給仕娘がやってくるよりも早く、その腕を掴んだ者がいた。

「あん?」

 首をめぐらせると、そこには小太りなずんぐりとした中年男が立っていた。
 着ている服は貧相で、無精ひげがびっしりと生えた顔もやつれている。
 だが、小さな目には暗い炎が静かにともっていた。

「エールなら俺がおごらせてもらう」

「高いエールになりそうだな」

 ふっとリカルドは笑い、椅子に腰をおろした。
 カレブ達女性三人も、それぞれ男に視線を走らせる。

「あんた達に依頼を頼みたい」

 男は注目を浴びることに慣れていないのか、しきりに顎をなでながら続けた。

「依頼ってのは、アンジュウの殺人鬼、ギルマンって奴についてだ」

「アンジュウ!」

 叫んでカレブは目を見開いた。
 次第にその顔に真剣味が増していく。

 それは、閃光の後カレブが目覚めた村の名前だった。
 彼女はその村に、ひとかたの恩があるのだ。

「迷宮に、死神とかいう奴が現れはじめたとかで、みんななかなか依頼を受けたがらない。ところが、だ。あんた達の会話をもれ聞いていたら、下層をめざすっていうじゃないか」

「ああ、そうだ。わたし達は、明日下層へ行く」

 カレブの確固たる答えに安堵したのか、男はやっと唇をゆがめ、笑った。

「娘の、アリシアの導きみてえだ・・・」

 その言葉から、男の娘がすでにこの世にない事を四人は悟った。
 いったい何故亡くなったのか、想像は難くない。

 男は言った、アンジュウの殺人鬼と。ならば・・・・・・。

「話をきくよ」

 カレブの瞳に促され、男は口を開いた。

 夜は、終わらない。