閃光の落ちる少し前。 ドゥーハンは珍しく大きな事件が連続して起こっていた。 東西の国境付近に、これまで姿を見る事がなかった魔物がちらほらと現れ始めたのを発端に、各地に盗賊団が横行。騎士団がそれらの討伐にあたるが、その間隙をつくかのように、北の地に不死者が大量に発生した。 クイーンガードの一人、聖なる癒し手と称される高僧が派遣され、不死者達は鎮められるが、間をおかず、再び北の地で翼竜の群れが山間の村を襲った。聖なる癒し手が城に戻り、半月もたたない内の出来事だった。 慣れない魔物と山間部の戦いに、北の地を治めるギュスターム家の白騎士隊は苦戦。若き公爵が自ら指揮をとろうとするが、婚礼を間近に控えた彼の身を女王が案じ、再びクイーンガードが派遣される。派遣されたクイーンガード二人は、白騎士隊と協力し、翼竜を殲滅。翼竜が発生した原因も究明され、その原因の元は、ギュスターム家に管理が依頼されたという。 そして、閃光前の最後の大きな事件が、アンジュウの村の連続殺人事件だった。 「平和な村だったなァ・・・」 ロレンツォと名乗った男は、ちびちびとエールを口にしながら呟いた。 「一番の感心事が、村の特産の栗を、毎年誰が領主様と王都へ届けるかだった」 思い出したのか、ロレンツォの口元に微笑が浮かぶ。 「アリシアも小さな手で栗を拾って、領主様に召し上がっていただくんだって・・・」 幸せな思い出を、苦いエールで流し込んで、ロレンツォは憎しみをかきたてた。 「でも、どんなものにも、悪い部分ってぇのはあるもんなんだな。栗の実に、虫が入っている事があるのと同じように、俺達の村には、鬼子がいた・・・」 「鬼子?」 聞きなれない言葉に、グレースが首をかしげる。 「親殺しさ」 続けたロレンツォの声は、どこか迷宮の湿った空気に似ていた。 生れ落ちるときに母親の命を奪った者を、アンジュウでは鬼子と呼ぶのだと、ロレンツォは言う。生まれる前に、鬼に魅入られた悲しい子だと。 「まさか、その子供を迫害したのですか」 グレースの声に、責める響きを感じ取って、ロレンツォは太い首を振った。 「違う! 村のもんじゃねぇお嬢さんにはわからんかもしれんが、俺達は鬼子を迫害した事はねえ」 真摯な瞳だ、とカレブは思った。 「鬼子は可哀相な子だ。自分で望んだわけでものないのに、いっとう大切な母親を殺しちまうんだからな。俺達は死んだ母親に代わって、その子を育ててやらなきゃならねえ」 そう、鬼子は大切に育てられるのだ。ついた鬼を「落とす」ために。 「俺達はあの子をかわいがった。鬼の心を忘れるように。ちゃんと、まっとうな人間になるようにって。なのにな、あいつの鬼は、落ちなかったんだ・・・」 後に殺人鬼となるギルマンは、おとなしく、無口な青年に成長した。 だが、予兆は確かにあったのかもしれない。 彼は、優しくしてくれた村人達に感謝はしていたが、その優しさを重苦しく感じていたのだ。村人達の優しさが、そのまま自らの罪を意識させたから。 優しくされればされるほど、親を殺したのだという罪悪感が、繊細な青年の心を、刺すように傷つけていた。 優しい村人達。なのに、誰一人、この心の痛みには気づかない・・・。 緊張し、押さえつけられた心は、やがて狂気となって爆発した。 きっかけは、一振りの短剣。 ギルマンを己の心を苦しめる「優しさ」に、短剣を振り下ろした。 ギルマンは血に酔ったかのように、村人達を殺し続けた。彼の刃に倒れたのは、日ごろ特に親切にギルマンの世話をやいていた者達だった。 「アリシアも、あんなやつを慕っていたばっかりに・・・」 カタカタとロレンツォの手が震える。 「おっさん、言いたくなかったら、それ以上は・・・」 リカルドが気遣わしそうに声をかけるが、ロレンツォは酒臭い息を吐き出し、言葉を続けた。 「あいつの殺しの手口は、変わってた。普通じゃねぇ。あいつはな、人ごみの中から被害者をかっさらって、その死体を家族の元へ送り返すんだ。アリシアも、俺の目の前からさらわれた・・・。ヤツは、空間を切り裂いて現れ、そして空間の向こうへアリシアを・・・」 どこでそんな力を身につけたのか。ギルマンは空間を渡る力を手に入れ、その力を使い被害者を拉致したのだ。誰も彼の居場所をつかめない。誰も彼を追えない。 村人達の嘆願を聞き届けた領主の兵が派遣され、姿を隠したギルマンを追ったが、結局死体の数が増えただけだった。 三度目の派遣兵が全滅したとき、領主は聖都に救援を求めた。 幾つかの会議が迅速に執り行われ、女王は最高の魔術師をアンジュウに派遣した。 「俺は魔法にはくわしくねえが、空間を越えるってのは、そうとうな魔術らしいな」 「そうね」 黙って話を聞いていたミシェルが頷いた。 「空間を渡るには、魔力を制御しきらなければならないから。扱いが難しく、危険な魔法とされているわ。転移の薬や、リープの魔法のように、転移する場所を限定してしまえば、さほど難しくはないのだけれど。自由に空間を渡るには、己の身が砕ける覚悟もしなければならない。それだけの魔術を使える人は、そういないわ」 「なるほど、それがクイーンガード長を引っ張り出す事ができた理由か。高等魔術には、高等魔術をってわけだ。それくらいの理由がなきゃ、あの人が女王陛下の傍を離れるわけないものな」 レドゥアは、百年を生きたフクロウのように狡猾な狩人だった。 だが、もっとも重要な仕事は、己自身を餌としてギルマンをおびき寄せる事だった。 捜査を開始して幾日もしないうちに、レドゥアの目論見は当たった。 ギルマンが餌にくいついたのだ。 だが、それは、狩る者が、狩られる者に変じる瞬間だった。 「狩人」は、待ち望んでいた「獲物」を逃しはしなかったのだ。 「あの時は、凄かったぜ。空間が震えるっていうのかな。村全体がギシッと揺れたようだった」 ギルマンが空間を渡って逃れる事を阻止するため、レドゥアはアンジュウの村全体の空間を固定したのだ。 「空間の固定?」 ミシェルは、顔を青ざめさせた。 「なあ、それって、そんなに凄い事なのか?」 ロレンツォとミシェルの様子から、どうやらとんでもない魔術らしいという事はわかるのだが、それがどの程度とんでもないのかという事が、リカルドにはピンとこない。リカルドにとっては、カレブやミシェルが雷や炎を呼ぶ事も、グレースが癒しを導く事も、充分にとんでもない出来事なのだ。 「そうね。わたしが空間を固定しようと思ったら、まず念入りな下準備に一月はかけるわ」 「一月!?」 リカルドはあんぐりと口をあけた。 「そうしておいて、呪文の詠唱に半日をついやして・・・、それでやっと、このテーブルの広さ程度の空間を固定できるかしら」 ミシェルは口元に指をあてると、いつものように微笑んだ。 「それから、その場にいる人の安全は保証できないわ。押さえつけられた空間が悲鳴をあげて、手近な人を押しつぶすかもしれなくてよ」 「クイーンガード長ってのは、伊達じゃねぇ・・・」 リカルドは、改めてレドゥアの恐ろしさを心に刻んだ。 「あの方でなければ、ギルマンを捕らえる事は出来なかっただろうよ」 しみじみと呟きながらも、ロレンツォの口調から悔しさが拭われる事はない。 「クイーンガード長様があいつを捕らえなさった時、俺達は喜んだ。犠牲者がこれ以上増える事もなくなったし、なによりこれで犠牲者のかたきがうてるってな。できる事なら、この手であいつを殺してやりてえが、それをしちまったら、俺はギルマンと同じだ。俺は鬼にはなりたくねえ。だから、期待したんだ。法の鉄槌を。女王陛下の裁きを」 空間を固定され、逃げ道を失ったギルマンは、優秀なドゥーハンの魔術師達によって捕らえられた。 ロレンツォは事件の結末を己の目で見るために、アンジュウから聖都へやって来たのだという。しかし、その旅の途中、ギルマンへの裁きが下るよりも早く、ドゥーハンに閃光が落ちた。 閃光は、ドゥーハンに生きる者全てに、等しく滅びをもたらした・・・・・・。 「やっとたどりついた街はこんなありさまだ。捕らえられて、ひとまず害のなくなったギルマンの事なんかうやむやさ。いや、それどころか、あいつは、もう死んじまってるのかもしれない。なんてったって、あいつは、崩壊した王宮の地下牢にいたんだからな」 「おっさん、まさか迷宮に連れて行けっていうんじゃないだろうな」 ロレンツォはくっくと苦笑した。 「俺なんかが行っても、足手まといになるだけさ。そんな愚かな事は頼まねえ」 「じゃあ?」 「俺だって、この街についてから何もしなかったわけじゃねえんだ。少しずつだが、あいつの情報を集めてた。・・・閃光の後、死んじまった罪人達は、迷宮の中の墓地に葬られたらしい」 「四層か」 ふうむ、とリカルドが腕を組む。 「俺がここに来た当初は、四層まで行ける冒険者はなかなかいなかったし、今は死神とやらのせいで、誰も墓場になんて行ってはくれんのさ」 ロレンツォは肩をすくめて、自嘲した。 「俺は、アリシアに報告しなきゃならん。あいつの末路を・・・」 「四層の墓場を調査すればいいんだね。ギルマンの墓が、あるかどうかを」 「ああ、頼む」 カレブは頷きながら、ロレンツォを見つめた。 「もし、四層の墓場に、ギルマンの墓がなかったら・・・?」 「また、探るさ。あいつが、どうなったかを。それを知るまで、俺は死にきれねえ」 「・・・わかった。アンジュウの村には恩がある。この依頼、引き受けるよ」 にこりと涼やかな笑顔を浮かべたカレブの手を、ロレンツォは握り締めた。 |
酒場から出た時には、四人から食事時の陽気さは失われていた。 出会った事のないはずの殺人鬼の影が、チラチラと脳裏をかすめる。 あの角や、この路地から、ふいに短剣が振り下ろされるような錯覚さえ覚えてしまう。 「アンジュウの殺人鬼の事は知っていたはずなのに、そいつがどうなったかなんて、気にしたことなかったな。あんなに、世話になったってたのに」 カレブはどうやら、自己嫌悪気味らしい。 「お前自身いろいろ大変だったし、国自体がこんなだろ。考えがまわらないのも無理はないさ」 「ん・・・」 リカルドのなぐさめに頷きながら、カレブはどこか心あらずだった。 こんなに己を責めたくなるのは、恩人の不幸を忘れていたから、ただそれだけだろうか。 カレブは、ロレンツォの話に、大切な何かが紛れているような気がしてならなかった。 |