「ちくしょう、痛え」
リカルドはブツブツと文句を言いながら、焼けた手を近くの雪につっこんだ。 「馬鹿。雑菌が入るぞ」 それを見たカレブが、あわててリカルドの腕をひっぱる。 「まったく、戦士のくせにうかつなんだから」 リカルドの手をじっと見て、カレブは少し安心した。 「グレースに治してもらうといい」 きっと彼女の事だ。ご丁寧に、自分の知る最高の癒しの魔法を使うのは、想像に難くなかった。 「夜まで痛い思いしろっていうわけだな」 幾分非難の色を含んだリカルドの声に、カレブは唇をゆがめる。 「まさか素手で掴むなんて思わなかったんだよ」 「はいはい。どうせ俺は篭手も持っていない貧乏戦士ですよ」 「拗ねないでよ」 おどけたリカルドの仕草にカレブは笑った。 いい笑顔だな、と思う。 「お前も癒しの魔法を覚えろよ。あれだけ見事に雷を扱うんだから、きっと簡単に覚えられるだろ」 ふと、カレブの顔から笑みが消えた。 気を悪くした、という訳ではなさそうだ。 「カレブ・・・?」 カレブは、ちらりと上目遣いにリカルドを見る。 「・・・似たような事を、誰かに言われたような気がする」 おぼろな記憶から、誰かの言葉が浮かび上がってくる。 ”癒しの魔法の一つくらい覚えておけ。俺の手を煩わせるな。お前は・・・なのだから” 「わたしは、・・・なのだから・・・?」 繊細な少女の瞳で見つめられ、リカルドはギクリとした。 手を伸ばして捕まえようとした瞬間、誰かに肩を叩かれた。 「もし」 上品そうな声に振り向くと、そこに立っていたのは、えんじ色の法衣をまとった女僧侶だった。法衣の肩に縫い取られた紋章は、彼女がドゥーハンの僧兵である事を示している。 「アラベラ」 カレブが女僧侶の名を呼んだ。 「その節はお世話になりました」 「どうしてここに?」 カレブが不思議そうに尋ねる。 「市民への援助を。今はその命をラディックと共に受けております」 アラベラはそう言うと振り返った。 「さすがは、オティーリエ女王。行き届いた政策だわ」 ミシェルが呟くと、アラベラは嬉しそうに微笑んだ。 「はい。陛下のご命令を受け、ガード長がなさっていた研究が実を結んだのです。詳しいことは存じませんが、結界をはった場所での、食糧供給に成功したと聞いています」 「それで、この炊き出しか」 リカルドは納得がいった、と頷いた。 「月夜亭にも食料は届けられています。冒険者の皆さんも口にする機会があるでしょう」 「それは、楽しみだね」 しかし、カレブの表情は微妙だった。 「どうしたの?」 耳元でミシェルに囁かれ、カレブはあわてて首を振った。 「なんでもない」 言葉を濁したが、ミシェルの青緑の瞳は、まっすぐとカレブの目を見据えている。 アラベラに聞こえないように、カレブは声をひそめる。 「”あの”女王が、こんな政策をするとは、思えなくて」 「そうね・・・」 ミシェルは唇に指を当てると首をかしげた。 「あなたの疑問はわからなくはないけれど・・・、わたしはとても”オティーリエ女王らしい”政策だと思うわ」 「うん・・・」 心に渦巻くこの違和感がなんなのか、カレブ自身うまく表現する事が出来ないのだ。 「会って確かめるといいんじゃないかしら。指輪、渡すのでしょう?」 「・・・そうだった」 カレブはやっと頷いた。 顔を上げると、アラベラがリカルドの火傷を癒していた。 アラベラはフィールの魔法をかけ終わると、リカルドの傷の具合を確かめた。 「ありがとう」 リカルドが礼を言うより早く、カレブがそう言った。 なんとなくアラベラを目で追っていたリカルドが、「おや」という表情を浮かべた。 「リサさんだ」 「リサ?」 聞き覚えのない名前に、カレブは首をかしげた。 「言ってなかったっけ。ピクシーの羽の依頼主さ」 そう言ってリカルドが指し示したのは、ラディックの隣で配給を続ける街娘だった。 「あれ、彼女は・・・」 カレブはそのリサという娘に見覚えがあった。 「ハッカ茶を出してくれた人だ。へえ、そうか。彼女が」 カレブはキラリと輝くピクシーの羽を取り出すと、リサの元へ走った。 「リサさん」 急に声をかけられ彼女は驚いたようだが、声をかけたのがカレブだと知ると、配給の手を止めて笑みを浮かべた。 「こんにちは、カレブさん」 「依頼、あんただったんだね」 「え?」 カレブは、手にしていたピクシーの羽を差し出した。 何事かと振り返ったラディックを見て、リサは頬を赤らめた。 「あ、あの、すみません。少し、席を外します」 「わかった。手伝いご苦労」 相変わらず生真面目なラディックにカレブは苦笑する。 「ごめんなさい」 訳がわからないという顔をしたカレブに、リサはまず謝った。 「あそこでは、受け取りにくくて」 目を伏せ、頬を染めるその様子は、なんとも恥ずかしそうだった。 「お、お前に言われたくないぞ」 カレブは口を尖らせた。 ひとまずカレブは、リサにピクシーの羽を手渡す。 「・・・せっかくとってきていただいたのに、無駄になってしまいそう」 リサは切なそうにそう言うと、視線をカレブから外した。 ラディックは雪に転んだ子供を助け起こしており、その隣ではアラベラが子供の泥を払ってやっていた。 それを見送りながら、ラディックとアラベラは顔を見合わせ微笑む。 「あの騎士様に、恋人がいらっしゃるなんて、わたし、知らなかったの」 呟くリサの声は苦い。 「・・・ひとめぼれだった」 吹雪の中、女王の名を受け宿へとやって来たラディック。 「こ、恋人になりたいと思ったわけじゃない。あの方は王宮騎士で、わたしはよるべない街娘。ただ・・・、そう、ただ、少し、夢を見たかったの」 夢は甘く、切なく、そして儚い。 カレブは小さく咳払いすると、顔を赤らめ口を開いた。 「あんたの想いを、その羽に乗せるといい」 「え・・・?」 同じ台詞をもう一度口にするのはためらわれた。 「答えは、もうここにあるんじゃないのか? あんたは、答えを出した顔をしている」 「答え・・・。わたしの、想い・・・」 リサは両手で、ピクシーの羽を握り締めると、そっと目を閉じた。 祈りの言葉が、リサの唇から小さく零れた。 「あの方々の愛が、いつまでも、消えないように・・・」 リサは目を開くと、羽から手を放した。 キラキラと光の破片をふりまきながら、羽はやがて見えなくなった。 ほうっとリサは息を吐き出し、肩から力を抜いた。 そして、カレブを見て微笑む。 「ありがとう、わたしの依頼を引き受けてくれて」 カレブは無言で首を振った。 「それに、もうひとつありがとうだわ。カレブさんが陛下の命を受けてくれたから、クイーンガード長様は魔法実験に打ち込む事が出来た。そして、新しい命をうけて、騎士様が再び街へとやって来た。少しの間だけど、あの方と一緒にいられて、声が聞けて・・・・・・。わたし、幸せです」 ふわりとリサは綺麗な微笑を浮かべた。 「どうぞ。依頼の報酬です。わたしの持ち物の中で、一番価値のあるものだわ。売ればそこそこの値段になるはず」 カレブは頷いて受け取る。 「それじゃ、もう行きますね。騎士様のお手伝いをしなくちゃ」 リサの顔から切なさは拭い取られていた。 「また、夜に。皆さん」 リサはカレブ達にそう言うと、くるりと身を翻し、ラディックの元へと走っていった。 「また夜に、リサさん」 カレブも小さく、その背に呟く。 だが、その日を境に、リサがカレブ達の前に姿を現す事はなかった。 |