「まあ、美しいわ」

 ミシェルが小さく感嘆のため息をもらした。
 彼女の特徴的な青緑色の瞳は、ひたとカレブの手に注がれている。
 いや、正しくはカレブの手の中の白い小箱、というべきか。

 それは、ローグを追い払った後、石が欲しいと言ったカレブに、ガルシアが手渡した物だった。

 カレブはざっと小箱に目を通すと、なかなかの品だと値踏みした。

 優美な飾り彫りをされたその小箱は、大理石の美しい紋様を生かすように作られており、自然の美しさと、人工の美しさが、絶妙のバランスで同居している。

 滑らかな表面がひやりとしていて、その感覚が心地よかった。
 細い指先でスッと黄金の縁取りを撫でながら、カレブはガルシアに尋ねる。

「これ、おじさんが作ったの?」

「そうだ」

 誇らしげにガルシアは頷いた。

「とても良い品だけど、これは石じゃない。わたしは、あんたが掘り出している石をひとつわけてくれないか、って言ったんだよ?」

 物怖じしないカレブに、ガルシアは笑う。

「まあ待て、火酒の娘」

 慣れない呼ばれ方に、カレブは肩をすくめた。

「石達はな、こう見えてなかなか繊細だ。お前が扱えるかどうか、ちぃと確かめさせてもらおう」

「確かめる?」

 それと、この小箱となんの関係があるのか。
 カレブは怪訝そうにガルシアを見つめた。

「そうだ。ああ、怒るんじゃねえぞ。確かにお前は俺の恩人となったが、ソレとコレとは話が別だ。石は俺の子供と同じさね。その子供を預けるとなれば、慎重にもなろうってもんだろう?」

 親に捨てられたカレブにとっては、実感のわかない話だったが、ひとまず頷く。
 ガルシアの顔を見れば、その言葉に嘘がないという事はわかるからだ。

「わかった。どうすればいい」

「その箱を、開けてみろ」

「これを?」

 随分と簡単な、とカレブは思った。

「一秒で終わる」

 呟きながら箱に手をかけ、カレブはわずかに力を入れた。
 あっけなく開くかと思われた箱は、しかしピクリとも動かなかった。
 まるで鍵がかかっているかのように。

 カレブは表情を改めると、もう一度用心深く箱を見た。

「・・・へえ」

 箱に、鍵穴はなかった。

「開けてみろ」

 ガルシアはニヤリと笑うと、もう一度同じ台詞を言った。

「開けてやる。ちょっと待ってて」

 キラキラとカレブの冬の泉の瞳が輝く。
 負けず嫌いな性格が、触発されたらしい。

「リカルド、兜脱いで」

 興味深そうに小箱を見ていたリカルドに、カレブは言った。

「あん?」

「いいから、早く」

 言われるままに、リカルドは兜を脱いだ。
 カレブはさっと手を伸ばすと、ツンツンとはねるリカルドの髪の毛を一本、引っこ抜く。

「痛え! なにすんだ!」

 だがカレブは答えずに、引っこ抜いたリカルドの髪の毛を小箱の蓋の隙間に差しこんだ。
 そして、用心深くそれを動かす。

「・・・ん。蓋にしかけはないみたい」

 髪の毛は、何かにひっかかるでもなくスイスイと動いた。
 中央の部分で一度止まるが、そこはとめ具のようだ。

「つまり、どこかに鍵穴があるんだね」

「なるほど・・・。確かにそれは俺の髪じゃなきゃ無理だな」

 リカルドは兜をかぶり直しながら、仲間達を見回した。
 娘達三人の髪はそれぞれにやわらかそうで、この作業に使うにはむいていない。
 リカルドの髪が長さも固さも丁度いい、というわけだ。

 納得しながらも、リカルドは唇を尖らせる。

「でもなぁ、カレブ。一言くらい断ってから・・・」

「うるさい、リカルド。邪魔しないでよ」

 カレブはリカルドの訴えをピシャリと跳ね除けると、作業に没頭した。

「時間がかかりそうだな」

 ガルシアはどっかと腰をおろすと、なにやら石を並べだす。
 石はあれよあれよという間にかまどとなり、どこからかとりだされた木屑と炭がほうりこまれる。ガルシアはかまどに火を入れ、水のはいった鍋を置くと、換気のために少しばかり扉を開けた。

 細い煙が開いた扉から流れていく。

 冒険者や魔物が見たら、何事かと思うだろう。

「ガルシア親父、ランプを借りるぜ」

 ガルシアが鉱石を採掘しているこの部屋には、彼がもちこんだ細々とした品があちこちに乱雑におかれていた。リカルドは手近にあったランプをひょいとつかむと、カレブの手元が明るくなるようにかかげる。

 カレブはそれに気づいた様子もなく、子細に小箱を調べていた。
 その真剣な表情にリカルドは見とれた。


 やっぱり、綺麗だ。

 ランプの淡いオレンジ色の光が、銀色の髪をほのかに彩っている。
 スッと伸びた睫の下できらめく青い瞳。それこそドワーフの細工物のようだった。
 カレブの邪魔をしないように息まで殺しながら、リカルドはそっと微笑した。


 やがて湯がわき、ガルシアが慣れた手つきで茶を淹れる。とっておきの酒を一滴ずつたらすと、ふわりと芳香がたちのぼった。ガルシアはよしよしと頷くと、ミシェルとグレースに茶を手渡した。二人は小声で礼をいい、床に腰をおろす。

 二人が、一口、ふたくち茶を口にしたところでカレブが叫んだ。

「ここだ」

 小箱を逆さにしていたカレブは、腰から短剣を引き抜くと、その切っ先で用心しながら小箱の底を突いた。よくよく注意して見ると、その部分だけかすかに色味が違う。

 突かれた部分がかすかにクッと押し込まれると、小箱の底の左半分がパカリと開いた。

「うっわ」

 カレブが苦い声を上げた。ガルシアはニヤニヤと笑って、わざとらしく茶をすすった。

 開いた部分には、正方形の小さな銀板が九つのマス目に一枚ずつ並んでいた。だが、一番右上のマスには銀板が入っていない。銀板には、なにやら模様のような彫刻がしてあるが、不規則で意味のある形には思えなかった。

 ハッと気づいたカレブが空いたマス目の下の銀板に指をやった。
 少し力を入れると、スッと銀板が動く。

「並び替えて、模様を完成させろって事か」

 どうやら、神経を集中させる部分は終わったらしいと踏んだミシェルとグレースが傍へとやって来た。
 銀板をのぞき込んだ二人は、それぞれ歳若い娘らしい感想を述べた。

「これも綺麗」

「とても凝った細工ですね。彫刻がとても繊細で・・・」

「何の模様だろう」

 言いながらも、カレブは手を休めない。
 銀板を次々と動かしながら、ああでもない、こうでもないと試行錯誤する。

 しばらくすると、なんとなく形がわかり始めた。

「つがいの鳥だ」

 二羽の小鳥が、中むつまじく巣を作っているようすが彫刻されているらしい。
 こうなると、俄然楽しくなる。

「右下のを動かせばいいんじゃないかしら?」

「違う、違う。左のヤツを先に動かしたほうがいい」

「そうですか? 右をずらして真ん中をひとつ上に上げれば」

 次々に口を出す仲間達に、カレブはまなじりをつりあげた。

「これはわたしの仕事! 外野は黙ってろ!」

 グレースはビクッと肩をすくめ、ミシェルは舌を出し、リカルドは苦笑した。
 カレブはブツブツ言いながら、二、三枚板を動かす。

「・・・出来た」

 木の枝に巣をつくるつがいの小鳥が綺麗に現れた。
 揺れる木の葉や、小鳥のふわふわとした羽毛までが、小さな銀板に克明に彫りこまれている。

「生きてるみたいだ」

 カレブは少し微笑むと、リカルド達にも彫刻を見せる。
 三人はそれぞれの言葉でドワーフの技を讃えた。

「さて、と」

 全員が一通り彫刻を楽しむと、カレブは底の蓋を閉めた。

 カチリ。

 小さな、だが確かな手ごたえを覚えさせる音が響く。

 カレブが上蓋に手をかけると、スッとそれは抵抗なく開いた。
 途端に流れ出す、明るい音色。

 ピィン、ポロンと高い音が零れる。

 小箱の中は外とはうってかわって水晶が使われていた。そのため、オルゴールの内部がよく見えた。銀色の筒にしつらえられた突起が爪を弾き、曲をかなでている。

 そして、銀板に彫られていた小鳥を模した黄水晶細工のつがいの小鳥が、筒の回転にあわせるかのようにクルクルと愛らしく回っていた。

 カレブ達はしばらく言葉を忘れて小箱に見入った。

 曲が一巡したところで、グレースがため息をついた。

「素敵です。少しの間、ここが迷宮だという事を忘れてしまいました」

「そうだね。うん、多くの言葉はいらないな。すごいと思う。とても心に響いた」

 カレブは蓋を静かに閉めると、煙管をくわえ、紫煙をくゆらせていたガルシアに小箱を差し出した。

「それはお前にくれてやろう、火酒の娘」

「え?」

 思ってもいなかった贈り物に、カレブは瞬きした。
 断られるより早く、ガルシアが機嫌良く笑った。

「なに、ドワーフはな、酒をおごられるのも好きだが、それと同じくらい細工を褒められるのが好きなのよ。つい腹が太くなるのも、まあご愛嬌というやつだ」

 ガルシアがポンと太い腹を叩いてみせた。

「お前さんも好いた男が出来たら、それにしまう装飾品をもらうといい」

 ガルシアはちらりと意味深にリカルドを見るが、カレブもリカルドもまるで気づかない。
 言葉の表面だけを捉えたカレブは、やや口元をひきつらせながら答えた。

「・・・ありがとう。好いた男はともかく、気がめいったら、聴くことにする」

「まあ、かけた鍵をとくのは、大変だがな。頼むからイライラして壊してくれるなよ?」

 茶目っ気たっぷりの言い様に、カレブはたまらず笑った。

「壊さない。約束する」

「石をひとつ、だったな」

 ガルシアは掘り出してあった鉱石をひとつ取り出すと、小箱を持つカレブに代わってリカルドに渡した。

「ありがとよ、ガルシア親父。これで依頼が達成できるってモンだ」

「なに、依頼!?」

 ギョッとしてガルシアはリカルドを見る。

「この石はお前達が使うんじゃねえのか?」

「あ、言ってなかったっけ。魔術師ヘルガの依頼で、俺達来たんだ」

「な、なんと」

 愕然とガルシアは肩を落とした。

「あのみょうちくりんな娘っ子に・・・」

 あまりの落胆振りに、カレブはガルシアが気の毒になった。

「返そうか? あの女には適当な石を渡したところでわかりゃしない」

 ガルシアは一瞬心動かされたようだが、首をふった。

「いや、ドワーフに二言はない・・・」

「大事に使うように言うよ」

「頼む、火酒の娘」

 ガルシアは名残惜しそうに、リカルドに渡した鉱石を見つめた。

「それじゃ、行きましょうか」

 ミシェルがバサリとマントを払う。
 充満してしまった紫煙が、どうやら辛かったようだ。

「うん」

 カレブはガルシアに片手を差し出した。

「ありがとう、なかなか楽しかった」

 カレブの細い手を、ごつごつとしたガルシアの手が握り返す。

「俺も久しぶりに楽しかった。今夜の酒は美味そうだ」

「ローグにやられるんじゃないぜ」

 リカルドがガルシアに笑いかけた。

「ふん、しゃらくさい。はねのけてくれるわ。ここの鉱石は奴らにはひとかけらもやらん」

「行くぞ、リカルド」

 さっさと扉を開けていたカレブが振り返る。

「ああ。じゃあな、ガルシア親父」

 慌しく出て行くカレブ達を見送りながら、ガルシアは煙管をくわえ直す。
 そして、美味そうに紫煙をくゆらせながら呟いた。

「・・・あやつらに、剣を鍛えてやるのもおもしろいかもしれんな」

 声に出すと、それはなかなか良案に思えた。
 ガルシアの瞳が輝き出す。

 あごひげをひっぱりながら、ガルシアはひとり頷いた。