出会い頭に怒り狂った銀髪のハーフエルフの少女と鉢合わせしたオークの一団は、本当に不幸だった。美味そうなにおいだと思う暇もなく、少女が澄んだ声で何事かを呟いたのだ。

 昼食と夕食の間にしゃぶるのに丁度よさそうな細い指が差し出される。
 思ってもいなかったおやつにフゴフゴと喜ぶ間もなく、光がパチッと鋭く踊った。

 次の瞬間、息の詰まるような衝撃と痛みを受け、オーク達は身悶える。
 青金の雷が身体を駆け抜けていったのだ。

 痛みを感じると共に、哀れなオーク達の心臓は脈打つ事をやめた。

 バタバタと倒れるオーク達を見て、リカルドはため息をつく。

「・・・気の毒だ」

「へぇ」

 遠慮なくティールの魔法を浴びせたカレブは、挑戦的な声をあげた。

「じゃあ、リカルドはこのオーク達が生き残って、他の冒険者を殺すほうがいいって言うんだな」

「そうは言っていない」

 いささかムッとしてリカルドは答えた。

「ただ、この中にキャスタみたいなヤツもいたのかな、と思っただけだ」

「随分とオークに優しくなったもんだねえ。けど、安心してよ。こいつら、殺気をぷんぷん放っていたんだから」

 見てみればオーク達が着込んでいる鎧は赤黒い血で汚れており、どこかで人と剣を交えたのだと知れる。

「確かにな」

 リカルドは漂う焦げ臭い匂いに顔をしかめて、首をふった。
 倒さなければこちらがやられてしまうのだから、それは仕方ない。
 だが、弱いものいじめをしてしまったようで、なんとなく後味が悪いのだ。

「ま、これが迷宮か」

 リカルドは苦笑すると、気弱な考えを振り払った。
 そんな彼に助け舟を出すかのように、グレースが呟く。

「逃げるものに剣を向けるのは好きではありません。ですが、向かってくるものには全力で立ち向かうのが礼儀というものでしょう」

「そうだな」

 リカルドはグレースを見て微笑んだ。

「剣の師の言葉です」

 一言ひとこと、大切そうにグレースは言う。
 表情には、どことなく懐かしそうなものが浮かんでいた。もっとも、それはごくわずかなもので、注意してみなければわからなかったが。

「まあ、今のは単なる八つ当たりだけどね」

 あっけらかんとしたカレブの一言が、戦士と騎士の崇高な心を台無しにした。

「そうだと思ったわ」

 くすくすと笑うミシェルの笑い声が、何故か胸に痛い。

「あのぅ・・・」

 グレースがリカルドを見上げる。
 リカルドは疲れた笑みで答えた。

「慣れてくれ、グレース」

 グレースはカレブを見、ミシェルを見・・・、そして頷いた。

「はい」

 環境にいち早く慣れる事。
 それがいかに大切かを、貴族令嬢から冒険者になったグレースはよく知っていた。


 その後、「不幸な犠牲者」はなかなか現れなかった。
 カレブの殺気に怯えて、身を隠してしまったのだろうか。

 おかげでカレブは欲求不満だ。この憤りをぶつける相手と巡り会いたかった。
 こんなに敵の出現を待ち望んだのは、この迷宮に入るようになって初めてかもしれない。

「止まって」

 そろそろリカルドにちょっかいでもかけようか。
 カレブがそう思った時、ミシェルが一行に制止の呼びかけをした。

「・・・石が泣いている。鋼の悲鳴が聞こえる。土がうめき、砂がざわめく」

 目を閉じたミシェルが、とうとうと言葉を重ねる。

 カレブもミシェルに習い、目を閉じた。
 辺りに気を配ると、かすかな争いの音が耳へと届く。

「この先・・・」

 カレブの頭の中で、現在地と地図が重なった。

「捜しているドワーフがいるところじゃ」

「ガルシア親父が誰かと戦っているのか?」

 ハッとしてリカルドがミシェルを振り返る。

「そのようね。石達が泣いているもの。親しいドワーフが危ない、と」

 カレブ達は一瞬視線を交えると、何も言わずに走り出した。
 手は、それぞれの得物にかかる。

 一歩ごとに、争いの音は大きくなった。
 目的地への最後の角を曲がると、茶色い人影が数体目に飛び込んでくる。

 薄汚れた皮鎧を身にまとった彼らは、迷宮の浅い階層を根城にしている盗賊団だった。
 コボルドやオークと剣を交える事もあるが、もっぱらひよっこ冒険者の身ぐるみをはぐ事を仕事にしている。心得たもので王宮の兵士達には手を出さず、それゆえここからつまみ出されるような事はない。

 盗賊団は知っているのだ。女王の関心は冒険者達にはない、と。

「さがれ、さがれぃ!」

 ずしりと腹に響く声が、盗賊団、ローグ達を下がらせた。

 開け放たれた両開きの扉の奥から、ずんぐりとした人影が姿を現す。
 手にはギラリと輝く斧が握られていた。頭には角のついた兜をかぶっている。皺の深い顔は、土ぼこりで汚れていた。

「石の歴史も、宝石のささやきも知ろうともせぬ欲深かどもめ。薄汚いツラで近寄るんじゃねえ!」

 唾を飛ばしながらドワーフは叫んだ。

 どうやらローグ達は、ドワーフの採掘する貴重な鉱石や宝石をいただこうとやって来たらしい。

「いいか、いいか! 今夜も美味いメシを食いたい奴は、とっととここから立ち去れぃ!」

 その声量に、一瞬気おされたらしいローグ達だったが、相手が一人だという事を思い出すと、下品な笑い声をあげ、ドワーフににじりよった。

 短剣が次々に振り下ろされる。

「二日目のエールの如く気の抜けたお前らに負ける俺ではないッ!」

 ぶうん! と振り上げられた斧の刃と柄が、短剣を止めた。

 しかし防ぎきれなかった一刀が、シュッと空を裂く。
 ドワーフは避けなかった。
 きらめく刃に、己の兜の角をぶち当てる。

 ボキン、と角は折れ飛んだが、短剣も勢いを殺された。
 バランスを崩したローグが、無様に転げる。
 ドワーフは太くて短い足で、倒れたローグをむんずと踏みつけた。

「まだやるか、欲深ども」

 眼光鋭く、ドワーフはローグ達をにらみつけた。
 しかし、ローグ達に怯んだ様子はない。
 ゆっくりと確実に追い詰めて、なぶりものにするつもりなのだ。

「ガルシア親父!」

 リカルドは長剣を引き抜くと、捜していたガルシアの元へ駆けた。
 盾でローグ達の短剣を弾き、ガルシアをかばうように剣を構えて立つ。

「発酵前の戦士じゃねえか」

 ガルシアはリカルドの登場に、少しばかり驚いたようだ。

「いいかげんその「発酵前」っていうのやめてくれよ」

 ローグ達と剣を交えながら、リカルドは苦笑した。
 ドワーフは何かと酒に例えたがる。発酵前とは、熟しきらない酒の事。つまり半人前という事なのだ。

「ふん、上物のエールになるにはまだ早いわい」

 カカカとガルシアは笑った。
 だが、そう言いながらも、リカルドが戦いやすいように自らは後ろへ下がる。
 ローグ達に弱みを見せないようにしてはいたが、老いた身体はそう長く戦えないのだ。
 それだけに、この救援はありがたかった。

 ローグ達は突然の乱入者に腹を立てた。
 素早い動きでリカルドをかく乱しようとする。

 リカルドは冷静に動きを読み、剣と盾でローグ達の短剣を止めた。

「残念だったな。カレブの方が速いぜ?」

 カレブの素早い攻撃に己の攻撃を合わせるうちに、知らず、リカルドの動きも速さを増していた。以前は反応しづらかったローグ達の攻撃を、容易く防げるほどに。

「少しはマシになったか。ところで、カレブとは?」

 扉を護るようにして立つガルシアに、ニヤリとリカルドは笑った。

「新しい俺の連れさ。おい、カレブ。俺だけに戦わせるつもりか!?」


 タイミングを計っていたカレブは、勢いよく飛び出した。

「冗談。暴れたいんだ」

 スッと綺麗な弧を描いて、カレブの短剣が閃いた。
 その一撃で、ぱっくりと皮鎧をさかれ、ローグは狼狽した。
 ローグの構えた短剣は、未だ防御の体制にさえはいっていない。

「遅い!」

 叫んでカレブは二撃目を繰り出した。


 スッと滑るようにグレースが走りこむ。
 それと同時に、磨きこまれた長剣が、ローグ達の首元を掠めた。
 まるで宮廷舞踏のような、洗練された一連の動作だった。
 ドレスの代わりに、短いマントがひらりと舞う。

「次は、当てます」

 表情を消した美貌がこれほど恐ろしいという事を、ローグ達は冷や汗と共に学んだ。


 乱戦を見て取ったミシェルは、攻撃魔法の使用を頭から除外した。
 円を描くようにして杖を動かし、魔法の言葉を紡ぎ出す。

 詠唱と共に、魔力と寄り合わされた空気が、見えざるロープとなってローグ達の手足を絡め取った。目に見えてローグ達の動きが鈍くなっていく。

 ミシェルは唱えたデルプスの効果に、にっこりと微笑んだ。

「クモの巣に絡んだ蝶にしては、少し醜悪かしらね」


 ガルシアはグイグイと己のあごひげを引っ張った。
 それは、面白いものを見た時の彼の癖だった。

「なかなか、なかなか!」

 ガルシアの瞳がミシェルからグレース、グレースからカレブへと映る。

「香り高い林檎酒に、芳醇な葡萄酒、それに強い火酒と言ったところか」

 ローグ達を斬り伏せながら、へえ、とリカルドは感心した。
 最上級の褒め言葉ではないか。

「いい仲間をもったな、発酵前の戦士」

「だろう?」

 へへッと嬉しそうにリカルドは笑った。

 だが、仲間達ばかり褒められるのも癪だ。
 自分も成長したのだと、このドワーフに認めさせたかった。

「俺もいいとこ見せてやるよ」


 リカルドは、ローグ達の攻撃をかわしながらカレブの動きに集中した。
 彼女の攻防は型にはまらないが、隣で戦った時間がリカルドに様々なタイミングを知らせる。一度の戦いではわからないちょっとした動作が、読み取れるようになっていた。

 カレブの動きと呼吸を合わせ、彼女が短剣を繰り出すと同時に己の剣を突き出す。

 迫る二つの刃に、ローグの反応が遅れた。
 どちらを防ごうかと迷ったのが、運のつきだった。
 結局半端な体勢で構えた短剣と盾は弾き飛ばされ、防御の手段を失ってしまう。

 二剣はそれぞれ、右と左からローグの脇腹を切り裂いた。
 血を吐きながら、がっくりとローグは膝をつく。


 ガルシアはグイッとあごひげを掴むと勢いよくひっぱった。
 顔の皺がクシャクシャと、より一層深くなる。

 むうっとうなりながらも、ガルシアはどことなく嬉しそうだった。

「エールに格上げだ」

 ガルシアのその言葉に、やったぜ、とリカルドは心の中で快哉を叫んだ。