カレブ達は、神経を研ぎ澄ませて通路を進んだ。 その気配を感じてか、コボルドやジャイアントトードといった魔物は、一切姿を見せなかった。魔物とはいえ、生きる者。敏感に死の臭いを嗅ぎ取って身を潜めたのだろう。 たった百メートルを進むのに、どれだけの時間を消費したのかわからない。 休憩させた方がいい、そう判断したリカルドは、前を行くカレブを止めようとした。 「カレ・・・」 呼び止めようとし、カレブにぶつかる。 カレブは、歩を止めていた。 「すまん、不注意だった」 謝るリカルドの背後から、スッとグレッグが前に出た。 「ふん」 カレブはニヤリと笑った。 「やっぱり、あんたはわかるか」 「ああ・・・」 グレッグの手には既に抜き放たれたダガーがあった。 「敵か!?」 リカルドは慌てて辺りを見回した。 「鈍い奴」 あきれたようにカレブは吐き捨てた。 「それで、戦士だってんだから、笑わせる」 カサリ。 軽い音がした。まるで、虫が床を這うような音だ。 そこには、昨日、カレブが倒したコボルドの死骸が転がっていた。 だが。 カサリ。カサリ。カサ、カサカサカサ・・・ 「屍」が動いていた。 四肢をばたつかせ、床の上でうごめいている。 サラが高く悲鳴を上げた。 がくがくと首を揺らしながら、何かに引かれるかのように屍達の上半身が持ち上がった。 「アンデッドコボルド・・・!」 そう、カレブ達は哀れな不死生物誕生の瞬間を目の当たりにしたのであった。 床を蹴り、カレブはアンデッドコボルドの脳天に短剣を叩き込んだ。 カレブはアンデッドコボルドを蹴り、飛び退る。 「ふうん、元より強いってわけか」 「あいつらには、普通の武器は聞かない。魔力がこめられていないと・・・」 カレブは自分の短剣に目を落とした。 「魔法は効くが、これから先を考えると温存したいところだ。私も、君も、魔術師のように豊富な魔力があるわけではない」 確かにこの先不死の魔物が現れるならば、ここで魔法を使うのは得策とはいえないだろう。 「戦士が防御。僧侶が天に還してやるってのが、セオリーだな」 リカルドはサラを振り返った。 「サラ、頼むぜ」 「う、うん。がんばるから、守ってね!」 ニヤッとカレブは笑った。 「失敗したら、あんたが不死者になるだけだ」 「カレブー・・・」 リカルドは苦笑すると、ポンとサラの肩を叩き、防御の体制に入った。 「ツメには気をつけろ! 麻痺の毒が滲んでる!」 リカルドは叫びながら、剣と盾でアンデッドコボルド達を叩き伏せる。 三人が奮闘する間、サラは必死に祈りを捧げていた。 アンデッドコボルド達の中心に、ポウッと暖かな光が踊った。 アンデッドコボルド達の身体がビクリと強張り、眼窩にともった暗青色の炎が薄らいでいった。 「そのまま、眠って! もう、戦わなくてもいいの」 これは効いた、とカレブは思った。 光に包まれた生ける屍達は、がくりと膝をつき、まるで祈るかのように頭をたれている。 この女も腐っても僧侶か、そう思った瞬間、ビョウ、と風が吹いた。 たっぷりと死の匂いを含んだそれは、まるで墨を運んできたかのようにサラが導いた光をかき消した。 サラが狼狽のうめき声をあげる。 光が消えうせた途端に、アンデッドコボルド達は立ち上がった。 「サラ!」 リカルドは、アンデッドコボルドが突き出してきた剣を、勢いよく弾き返した。 「畜生、この風がある限り、僧侶の祈りは効かないってのかっ」 「違うだろ。単に、サラの祈りが死に負けただけだ」 冷酷にカレブは、言い放つ。 しかし、振り向いて、カレブはふっと笑った。 「それだけ、ここに満ちている死が強いって事さ。半人前のあんたにしちゃ、さっきのあれは上出来だ」 サラはアハハハ、と乾いた笑い声をあげた。 「悠長に喋っている場合ではないぞ」 アンデッドコボルド達と距離を取りながら、グレッグが言う。 「どうする、カレブ」 魔法を使うか? カレブは頷くと、右手をかざす。 「もう一度、灼いてやるさ」 カレブは、チロリと唇をなめた。 だが、それにおおいかぶさるように、もう一つの詠唱が響き渡った。 高く、歌うような女性の声。 カレブは、こんな風に歌われるようにして導かれる魔法を知っているような気がした。 歌は、炎を呼びおこす物だった。 詠唱をやめたカレブの目の前で、朱金の炎が渦を巻く。 炎はパチパチと小さな火の粉を撒き散らしながら、アンデッドコボルド達を飲み込んだ。 魔法の炎はアンデッドコボルド達を焼き尽くすと、まるで花が宙に舞うかのように散り、消えうせた。後には、何も残っていなかった。骨の一片すらも。 カレブ達は振り返り、ジャクレタの魔法を放った人物を見つめた。 杖をかざしていたエルフの娘は、ほう、と物憂げにため息をついた。 「あ・・・」 カレブは娘を見て驚いた。 優しい森の香りに、一瞬死の気配が遠のく。 娘はカレブの傍に近寄ると、銀色の髪を見て目を細めた。 「髪を染めるのは、やめたのね」 カレブは頬を染めると、頷いた。 「う、うん。派手にばれてしまったから」 随分と素直なカレブの様子に、リカルド達はどぎもを抜かれた。 気に入らなかったのだ。自分の祈りをしりぞけた死の風を物ともせずうちはらった娘が。 サラは、あからさまに不機嫌な声を出した。 「カレブ君、誰、その人」 言われて、カレブはまだ娘の名前さえ聞いていなかった事に気がついた。 「わたしは、ミシェル。調の森のミシェルよ」 「ミシェル」 聞いたばかりの名前を、カレブはゆっくりと口の中で転がす。 サラはますます面白くない。
「何故、ここに? 外の吹雪はやんでいるのだろうか」 ミシェルはそっとまぶたを閉じた。 「いえ・・・、外はまだ吹雪ね。氷雪の子供達の叫び声がするわ」 「じゃあ、あんたも王宮騎士に呼ばれて、吹雪の中を来たのか?」 ミシェルは目を開くと、物珍しそうに自分を見るリカルドに微笑んだ。 「わたしは、吹雪の前からこの中にいるの。あの人に、会わなければいけなかったから」 「あの人?」 ミシェルは頷くと、懐から小さな皮袋を取り出した。 「髪粉。作ってもらっていたの」 「あ」 ”知り合いに、調合を頼んでみる” 確か、彼女はそう言っていた。 「ごめんなさい! 危険な事をさせたんだね」 謝るカレブに、ミシェルは首をふった。 「気にしないで。事のついでだったし、故郷に行くのは怖くないわ」 その言葉に、カレブ達は顔を見合わせた。 「故郷? 迷宮が?」 サラが遠慮なく尋ねる。 むうっ、とサラの表情が険しくなる。 「あなた、いったい何者よ」 「サラ」 リカルドが感情的になりだしたサラを止める。 「答えなさいよ!」 ミシェルは綺麗に澄んだ瞳で、サラを見つめると口を開いた。 「わたしはミシェル」 音楽的な声。 「炎と雷、氷を操り、淀む悪夢を払う者」 彼女が喋るたびに、長い金色の髪がさらさらと揺れた。 「そして、わたしも、未だ醒めぬ悪夢の中に居る・・・」 語られた真実の悲しさを理解できる者は、この場にはまだ一人もいなかった。 |