「今一度、言おう。控えるがよい、下賎なる者よ」

 カレブは笑いをさめると、一切の表情を消し、スッと膝を折った。
 それは、長年しみこんだ仕草のように滑らかで、そして自然なものだった。
 一瞬、リカルド達は目を奪われ、つられるように膝を折る。

 ようやっと、王族とそれにかしずく民草の図が出来上がった。

 レドゥアは満足げに一つ頷くと、女王のほうへと頭を向けた。

「では、陛下。お言葉を」

「ドゥーハンの地下迷宮に挑む者は」

 ねぎらいの言葉も、あいさつもなく、唐突に女王の言葉は始まった。

「すべて、王室の管理下におかれる。それは在野の冒険者にしても同じ事。ゆえに、これからわたくしが下す命令は絶対です。否はうけつけません」

 サラは、女王の言葉を聞きながら、内心小首を傾げていた。
 心優しい賢明な女王。それが、サラが女王に抱いていたイメージだった。
 もちろん実際女王に目通りした事などなく、人の噂や執り行われる政策から導き出された物ではあったが。

 女王の美しい紅唇からこぼれ出る言葉は、そのイメージを打ち砕くに充分だった。
 心に緩やかな失望感が広がっていく。

 サラが僧侶を目指した大きな理由の一つが、オティーリエ女王だった。
 十年前に女王となって以来、オティーリエは福祉に力を入れていた。孤児院をつくり、救護院をつくり、貴族達の反発を買いながらも、国庫の多くを力のない民を守る事にあててきた。

 なかなか出来る事ではない。
 偉大な王の多いドゥーハンでも、ここまでした王はいなかった。
 一説によれば、戴冠したばかりの頃に飢饉にあえぐ民を救えなかった事が、女王の政策を方向づけたという。

 サラは、そんな女王を尊敬していた。
 女王のように、誰かを救える人になりたかった。
 だから、サラは僧侶となった。

 なのに・・・・・・


 信じていた物は幻だったの?


 少なからずショックを受けるサラには目もくれず、女王は話を続ける。
 定められた台詞を再生するかのごとく、ただ、淡々と。

「ここ最近、不死者達が異常発生しています。迷宮の奥から湧き出る死者達は、何故か街を目指している・・・。兵達が掃討にあたっていますが、成果はあまり好ましくない・・・。現在不死者達は迷宮第二層にまで達しています」

 グレッグは思わず伏せていた顔を上げた。
 第二層などとは。すぐそこではないか。

 グレッグの隣では、リカルドが小さなうめき声をあげていた。

 ある程度の深さまで迷宮に潜れる二人には、事態の深刻さがつかめたのだ。

「原因は、忍者部隊が調査中です。しかし、時間がない。原因を突き止める前に、荒ぶる死者を鎮めねばなりません。本来なら、我が手勢だけで事に当たるのですが、数が足りない。足りぬどころか、不死者に倒され、自らがその中に加わる者まで現れる始末です」

 女王は眉をひそめた。
 そこに、いたわりの表情は無い。

 サラの不快感は一気に最高潮に達した。

 自らの命を受け、死力を尽くした者にその態度はあまりではないか。

 ムカムカと腹を立てるサラを抑えたのは、意外にもカレブだった。
 カレブは、黙っていろとサラに目で合図を送る。
 サラは唇を尖らせながらも、そのまま控えた。
 そこに、女王の冷たい声が降りかかる。

「本意ではありませんが、冒険者の力を借りたい。そなた達に命じます。第二層の不死者掃討に当たる兵の援護をなさい」

「ハッ」

 短く、カレブが答えた。

「勅命、謹んでお受けいたします」

 ぽかんとリカルドが口を開く。
 まさか、カレブが唯々諾々と命に従うとは。
 女王の高圧的な態度に、皮肉の一つでも飛び出すのではないかと、ひやひやしていたというのに。

 そっとカレブをうかがうと、彼女は真摯な瞳で女王を見つめていた。
 綺麗に澄んだ瞳だった。

 女王は頷くと、レドゥアを振り返る。

「クイーンガード長。この者達に通行許可証を与えなさい」

「かしこまりました」

 レドゥアはカレブとサラに、小さな羊皮紙を手渡した。

「階段を護る者にこれを見せれば、以降の通行が可能になろう。苦戦する兵を助けてやってくれ」

 レドゥアの唇が笑みを刻む。

「ヴァーゴが言っていたぞ。見込みのある冒険者が現れた、とな」

「お褒めいただき、光栄です」

 立ち上がり、カレブは答えた。

「心せよ。迷宮の深部から吹くこの風は、不死者がもたらす死の国の風。かき抱かれて、堕ちるなよ」

「女王陛下の御名の許、見事使命を果たしましょう。・・・・・・行くぞ、リカルド、グレッグ、サラ」

 カレブは、レドゥアと女王の間を通り、奥の扉を開けると王室管理室を後にした。
 困惑顔の仲間達が続く。

 それを見送り、気配が遠ざかるのを待ってから、レドゥアは笑った。
 声をあげ、さも愉快そうに。

 女王が、ひたとレドゥアを見つめる。

「どうしたのです、クイーンガード長」

 レドゥアはそっと手を伸ばすと、指で女王の頬をなでた。

「教えたはず。二人の時は、レドゥアと呼べ、と」

「では、レドゥア。どうしたのです。何を、笑っているのですか」

 慈しむように女王をなでながら、しかし、レドゥアは目の前の女王を見てはいなかった。

「心にも無い事をさえずる小鳥が愉快だったのだ。相変わらず直情的で、そして、勘が良い・・・」

「小鳥? 鳥など、いはしない」

 女王の答えに、クッとレドゥアは苦笑した。

「・・・そうだな」

 レドゥアは、カレブが立ち去った方向を見つめる。

「朗報を、期待する。かつての同胞よ」

 レドゥアの暗い笑声は、カレブの耳に届く事はなかった。


 

 

 王室管理室を出たカレブは、どんどん突き進んだ。
 昨日、毒に犯された男を助けた付近まできて、やっと立ち止まる。

 そして、バンっと壁をなぐった。

 リカルドが、そっとカレブの肩に手を置く。

「もう、行儀が良いのは終わりか?」

「別に」

 いつもの冷たい瞳で、カレブは答えた。

「行儀よくしてたわけじゃない。芝居につきあっていただけだ」

「芝居だって?」

 キッとカレブはリカルドをにらみつける。

「あれが芝居じゃなかったら、何だって言うんだ」

 拳を握り締めながら、カレブは言葉を続けた。

「あれは、芝居だ。出来の悪い。吐き気がするほど、出来の悪い芝居さ!」

「カレブ君も、女王様の態度がショックだったのね」

 頷きながら、サラはカレブの手を取った。

「優しい女王様だと思っていたのに、わたしもがっかり」

 そう言って微笑んで、サラはハッと息をのんだ。
 カレブがなんだか泣きそうな顔をしていたからだ。

「・・・・・・カレブ君?」

 カレブは唇をかみ締めると、サラとリカルドの手をどけた。

「とにかく、これで進める。ぼくは、先に進みたいんだ」

「共に行こう」

 グレッグが笑った。

「だが、ゆめゆめ油断はするな。クイーンガード長の言うとおり、迷宮の奥から死の国の風が吹く・・・・・・」

「わかってるさ」

 呟き、カレブは何故かその風が、とても身近な物であるような・・・・、そんな感覚に囚われた。