奥へと向かって歩き出したカレブの腕を、リカルドが掴んだ。

「待て、どこへ行く気だ」

 カレブは、振り返らずに答える。

「八層だ」

 予想通りの答えに、リカルドはああっ、と嘆いた。

「ムリだ。この先は、強い敵がわんさといる。消耗しきった身体じゃ進めないぜ」

「そうよ。今日は、もう帰って休まないと。カレブ君も、疲れたでしょう? わたしも、クタクタ。もう、動けない」

 カレブは、リカルドの腕を振り払うと、吐き捨てた。

「誰も、あんた達について来いとは言っていない。ここから先は、ぼく一人で行く」

「はあ!?」

 少しでも、この迷宮を探索した者なら絶対言わないであろうその台詞に、リカルドは呆れ返った。

「おいおい、本気か、お前は」

「本気さ。それに、ここは一階の最深部だろ。ここで、あんた達との依頼は終了のハズだ」

 にいっとリカルドは笑う。

「確かに、グレッグの依頼は終了したが。俺のはまだだぜ」

 カレブは、はじかれたように振り返る。

「な、なんだとっ!?」

「忘れたのかぁ? 「依頼が達成出来そうにない時は解除してもいい」ってだけで、別に終了ってわけじゃないんだぜ」

「な、なななな、な」

「第一、信頼なんてものがたった三日やそこらで築けるわけがないだろ。と、いう事で。俺の依頼は続行中だ。依頼を受けたお前は、俺と一緒にいなきゃならない」

 ・・・・・・本当は、受けた依頼は破棄する事が出来るのだが、この際それは黙っておく。

「じゃ、じゃあ、黙ってついて来いよっ。ぼくは、行くんだからな!」

 やけくそ気味にカレブは叫んだ。

「駄目だ。これは、迷宮探索の先輩として、言わせてもらうぜ。今日は戻る。焦る気持ちはわかるけど、死んだら元も子もないだろうが」

 カレブは、唇をかみ締めた。

「で、でも・・・!」

 トッ、とカレブの首筋に手刀が打ち込まれた。

「・・・! グレ・・・」

 皆まで言葉を言う事が出来ず、カレブは意識を失う。
 気配を消し、背後から手刀を放ったグレッグが、崩れ落ちる身体を抱きとめた。

「・・・やるね、グレッグ」

「正攻法は無理らしいからな」

 リカルドとグレッグは、顔を見合わせニヤリと笑った。

「さて、では戻るか。・・・カレブはどうする。私が背負おうか?」

「いんや。いい。俺が背負う。あんたは戦ってくれ」

 言いながら、リカルドはカレブを受け取った。
 どっこいしょと背中に背負う。

 サラは、それを興味深げに見つめた。
 カレブが女性だという事は、残念ながら、リカルドはそういうシュミではないという事だ。
 だが、これはこれで、面白いではないか。

「・・・ロマンスだわ」

 わくわくと、サラは呟いた。

 リカルドは、カレブを背負ったまま、倒れたキャスタに近づいた。
 頭に大きなコブが出来ている。

 リカルドは、つま先でなるべくそっとキャスタをつついた。

「おい、キャスタ。俺達、帰るぜ」

 キャスタは、一度大きく、う〜〜〜〜〜〜ん、とうなると、伸びをして起き上がった。

「ふあああああああ、よく寝ただ・・・」

 幸せそうにそう言って、キャスタはハタと気がついた。

「あ、あで。剣士様は?」

 つぶらな瞳に見つめられ、リカルドは言葉につまった。
 なんと言えばいいのだろう。リカルド自身、ぼんやりとしか状況を掴みきれていないのだ。

「・・・消えちまった」

 しかたなく、見たままを伝える。

「消えた!?」

 キャスタは、目をぱちくりさせると、キョロキョロと辺りを見渡した。

「オ、オダを置いて、剣士様、どこへ行っただ!?」

 みるみるキャスタの目が潤んでいく。

「しばしの別れだ。再び会える」

 グレッグが優しくそう言った。

「剣士殿は、刹那の眠りにつかれるそうだ。時が来れば目覚められよう」

 はあ、とキャスタはため息をつく。

「そっかぁ・・・、剣士様、眠ってしまっただか・・・。ずうっと、ずうっと戦ってただものなあ。そろそろお休みの時間だったんだべ・・・」

「お前、どうするんだ」

 やけに人間臭いオークの事が気にかかって、リカルドは尋ねた。

「・・・一緒に、来るか」

 水浴びもして綺麗な事だし、何とか宿の親父や冒険者達を説得できないかと、リカルドは知恵を絞った。しかし、キャスタは首を振る。

「無理だべ。だって、だって、オダはオークだから」

 悲しそうにキャスタは言った。
 魔物と人は、やはり、本当に相容れる事はないのだ、と。

 無性に、リカルドは悔しくなった。

「くそっ、なんだかな。お前、いい奴なのにな」

 にいっとキャスタは笑った。

「おめえもいい奴だど。オダの事は心配するな。剣士様ともう一度会うまで、オダはオダでがんばるだ」

 サラがキャスタの手を握る。

「イジワルな人間に、やられないように気をつけてね」

 キャスタは大きく頷くと、迷宮の奥へと走っていった。
 だいぶ離れてから、立ち止まり、振り返る。

「また、会おうなー! カレブによろしくだべ」

 リカルド達が手を振るとキャスタも手を振り返し、そして、今度こそ本当に立ち去って行った。

 残されたリカルド達は頷きあうと、その場を後にし街を目指した。


 

 

 カレブは、ふわふわと闇の中を漂っていた。
 一定のリズムで身体が揺れる。
 気だるくて、眠くて、闇に身体が溶けていってしまいそうだった。

「・・・る?」

 ふいに、優しい声がした。
 耳元がくすぐったい。

 何と言っているのかが無性に知りたくなって、カレブは耳をそばだてた。

「聞こえる?」

 微かに漂う、森の香り。

「うん、聞こえるよ」

 カレブは声に答えた。

「ああ、届くようになったのね。きっと、あなたが、あの人に接したからだわ」

 声に、嬉しそうな響きが混じる。

「ずっと、呼びかけていたの。でも、届かなかった・・・。あなたは、無茶をするきらいがあるから、心配で」

「ご、ごめんなさい」

 考えるよりも早く、謝罪の言葉が口をついて出た。

「いいの、いいのよ。まだ、あなたの目に、わたしの姿は映らないみたいだけど、今は、これで充分」

 何故だか、胸が痛くなる。

「あの・・・」

「今は、自分の事を考えなさい。陛下はわたしがお守りするから。だから、あなたは、自分の事を思い出して」

「陛下・・・?」

「思い出して、あなた自身の事を。待っているから。わたしも、陛下も、あの人も。そして、皆で、長を・・・」

 プツンと声は途切れた。
 優しい森の香りを残して。

「ねえ、待って。ねえ、行かないで! お願い、行かないで・・・」

 カレブは、懇願する。
 しかし、声が答える事はなかった。


 

 

「・・・で。・・・いかないで・・・」

 耳元で小さな声が聞こえて、リカルドは足を止めた。
 カレブが、目を覚ましたのかと思ったのだ。

「まだ、寝てるみたい」

 カレブの顔を覗き込んだサラが言う。
 リカルドは頷くと、カレブを背負いなおした。

「さて、目を覚ますとやかましいから、今のうちにとっとと戻っちまうか。少し、急ぐぜ」

 リカルドは再び歩き出す。
 そして、グレッグとサラに問い掛けた。

「なあ、あんた達はこれからどうするつもりだ?」

「え?」

 きょとんとして、サラは聞き返す。

「どうするって、何が?」

「いやさ、俺はこいつにつきあうつもりだけど、グレッグはもう依頼は終わったし、サラだって目的があるんだろう?」

 ちっちっちとサラは指を振った。

「あら、わたしの目的は修行だもの。一緒に行ったって別に構わないわ」

 グレッグも頷く。

「そうだな、特に別れる理由もない。それに・・・」

「うん、それにね」

「ああ、そうだよなあ」

 リカルド達は顔を見合わせ、そして、同時に口を開いた。

「放っておくわけにはいくまいよ」

「放っておけないじゃない?」

「放っておけないんだよな」

 言葉尻はそれぞれ違うが、言っている事は皆同じだ。
 珍しく、声を上げてグレッグが笑う。

「怒ってばかりで、素直ではないが、何故か、憎めない」

「うんうん、なんだか、カワイイのよね、カレブ君」

 サラがすかさず相槌を打った。
 同意するかと思われたリカルドだが、いつになく真剣な眼差しで二人とは少し違う意見を述べた。

「・・・・・・それもある。けどな、それ以上に不安定で見ていられない。誰かが傍にいてやらなきゃ、きっといつか壊れちまう」

 カレブは、細い木の枝のようだ。しなやかで、強い。大抵の強風にはそのしなやかさで耐えられるだろう。だが、極限まで反らせれば、ポキリと折れる。元が細い木の枝ゆえに。

 リカルドは、カレブが今まさしくその極限の状態にあるような気がしてならなかった。

「ま、俺がどこまでこいつを支えてやれるかわからないけどさ。やってみようと思うんだ。どのみち、なにか当てのある探索じゃない。金を稼いで村に送金できれば、それでいいんだからな」

「ふぅん、意外と考えている人なのね。ただの助平じゃなかったんだ」

 感心したようにそう言うサラに、リカルドの口元がひきつる。

「サラ・・・、あんた、俺をなんだと・・・」

「ええと、お人好しで、助平で、ちょっとたよりない元農夫の戦士」

 じっとりとリカルドはサラを睨んだ。

「悪かったな、元農夫で」

「まあ、とにかく」

 グレッグが二人の間に割ってはいる。

「我らは変わらず共に行く、そういう事だな」

「うん」

「ああ、そうさ。コイツは嫌がるかも知れないけどな!」

 機嫌を直したリカルドが笑う。
 と、その時。

 ふわりと優しい森の香りが一行を包んだ。



 ”ありがとう”



 音楽的な響きの声が、それぞれの耳を打つ。

「え?」

 驚いて、三人はキョロキョロと辺りを見回した。
 しかし、そこに人の気配はない。

「今のは・・・?」

 不思議そうにサラが呟く。
 なんだか切ないような、温かいような、そんな想いが心を満たしていた。

「優しい、声ね。なんだったのかしら」

 リカルドも、グレッグも答えられなかった。
 ただ、神妙な面持ちで宙を見つめるばかりだ。

 不思議な声に気を取られていた三人は気がつかなかった。
 カレブの閉じたまぶたから、一しずくの涙が転がり落ちた事に。