目を覚ましたカレブは、ゆっくりと身体を起こした。
 そまつな部屋が、視界に飛び込む。

「・・・・・・戻ってきたのか」

 呟いて、宿のごわごわした毛布をそっと撫でた。
 ため息を、一つ。

「悔しいけれど正解、かな。頭に血がのぼっていたから」

 視線をめぐらせると、机の上に身につけていた武器やら防具やらが置かれていた。
 慌てて胸元に手をやれば、ボタンが幾つか外され、シャツが緩められている。

「・・・リカルドじゃないだろうな」

 言った途端、ゾクッと寒気がした。
 恐ろしい想像を頭を振るって追い払う。

 素早くボタンを留めながら、カレブは立ち上がった。

 鎧戸がガタガタと激しく揺れている。
 朝より、風は強まっているようだ。

 カレブは、時間を知るために、外へ出ようとした。
 しかし、扉が何かに当たり、半分だけしか開かない。

 開いた隙間にリカルドの背中が見えた。
 振り向いたリカルドが、ニッと笑う。

「起きたか」

「何やってるんだよ・・・」

 既視感に捕らわれ、カレブは口元をゆがめた。
 この男は、今朝もこんな事をしていたはずだ。

 リカルドが立ち上がったので、カレブは扉を開けた。

「カギ、かけられないからさ。不埒な奴が侵入しないようにと思って」

 リカルドの言葉にカレブはため息をついた。

「馬鹿か、あんたは。主人に言って、マスターキーを借りればいいだろ」

「そうか、その手があったか」

 呑気にリカルドは笑う。

 これからまだもうしばらく、この男と付き合わねばならない・・・・・・。大変だろうな、と容易に想像がつき、カレブはズキズキと頭を痛めた。

「装備、外したのは・・・」

「ああ、それは、サラ。俺がやる訳にはいかないだろ」

 慌ててリカルドが言う。
 さすがに、もう助平とは言われたくないらしい。

「そう。命拾いしたね、リカルド」

 カレブの青い瞳が一瞬煌いて、リカルドは冷や汗を流した。

「今、何時くらいだろう」

「もう、だいぶ夜も更けた。迷宮から帰ってきて、かれこれ五時間だ」

「そんなに」

 随分眠っていたものだと、カレブは目を細めた。

「腹、すいてねえか? サラ達はもう済ませたんだけど」

「ん・・・、あんまり、食欲ない」

「そうなのか? また、気分が悪い?」

 リカルドの手が額に向かって伸びてきて、カレブはビクリと身を引いた。
 リカルドは苦笑して、手を下ろす。

「そんな警戒するな。熱があるかな、と思っただけだから」

「熱は・・・、ないよ」

 顔をそむけたまま、カレブは答えた。

「ここは、冷えるから。ひとまず、ロビーの暖炉のところまでいくか」

 リカルドは、カレブの返事を待たずに身を翻した。
 一人で歩き出したリカルドに、カレブは仕方なく続く。

 ロビーに人気はなかった。
 カウンターの向こうで、従業員の娘が帳簿の整理をしているだけだ。

 娘は二人に気がつくと、にこりと微笑んだ。

「冷えますね。どうぞ、暖炉のそばに。薪は充分用意してありますから、この吹雪でも心配はいりませんよ」

「吹雪?」

 カレブがリカルドに尋ねる。

「ああ。三時間ほど前からかな。帰ってきた後でよかったぜ。巻き込まれていたら、遭難するところだった」

 リカルドは、カレブを暖炉の前の椅子に座らせ、自分もその向かいの椅子に腰をおろした。

「そんなに、ひどいのか」

「ああ。こうやってな」

 言って、リカルドは両手を差し出した。

「かざした自分の手が見えない。このまま吹雪がやまなかったら、明日はここから動けないだろうな」

「なっ・・・」

 カレブは絶句する。
 早く迷宮に行きたいのに。一刻でも、一瞬でも早く自分の事を知りたいのに。

「だから、グレッグも今日はこっちに来てる。連絡、取り合えなくなるからな」

「・・・そう」

 答えながらも、カレブは上の空だ。
 リカルドは苦笑した。

「焦るな。天候には勝てねえよ。それに、迷宮は逃げやしないさ」

「どうぞ」

 湯気の立つカップが、カレブの前に差し出された。
 顔をあげると、宿の娘が微笑んでいた。

「ハッカ茶です。温まりますよ」

「ありがとう」

 カレブは礼を言って、カップを受け取った。
 一口、口に含むと、ふわりと身体が温かくなる。

 娘は、リカルドにもカップを渡すとカウンターに戻り、『御用の方は鳴らしてください』とかかれた札をたて、呼び鈴をその傍に置くと、奥へとひっこんだ。

 その場には、完全にリカルドとカレブだけになる。

 ハッカ茶と、暖炉の炎で身体を温めながら、カレブはポツリと呟いた。

「明日には、吹雪、やむかな」

「・・・わかんねえ。ただ、今まで三日以上吹雪が続いた事はないから。長くて、三日じゃないかな」

「三日」

 カレブは、唇をかみ締めた。
 三日もこんな気持ちを抱えて、じっとしていなければならないなんて。

「一人で、飛び出したりするなよ」

 険しい顔をするカレブに、リカルドは釘をさす。
 フフッとカレブは笑った。どこか、諦めたようなそんな笑みだった。

「そんな事はしないよ。そこまで、馬鹿じゃない」

「そっか、なら、いいけど」

 ズズっ、とリカルドは茶をすする。

「そう言えばさあ」

「うん?」

「お前と怒鳴らずに話をするのって、初めてかもなあ」

 バチッと薪が爆ぜる音が響いた。
 しばらく、沈黙が流れ、カレブが頷く。

「そうかもね」

 ユラユラと揺れる赤い炎を見て、カレブは続けた。

「不思議。心が弱っているからかな。それとも、このお茶のせいかしら。なんだか、怒鳴る気にならないの」

 カレブの口から自然と零れた女らしい言葉づかいに、リカルドは目を丸くした。
 カレブは気づいていないようだ。

「・・・・・・今日は、いろんな事があったわね」

 本当に、朝から大騒ぎの一日だった。

「だな」

 相槌を打って、リカルドは笑みを零す。

 とんだ騒ぎから始まった一日は、それにふさわしくない緩やかな終わりを迎えようとしていた。