涙をぬぐったカレブは、行かなくてはいけない所があった事を思い出した。
 道行く人を適当に捕まえて、目的の場所への行き方を聞く。

 目的の場所は、酒場から少々離れた裏通りにあった。
 木製の小屋で、今にも崩れ落ちそうだ。

 扉には、炭で黒々と「小間物屋」と書いてあった。

 カレブが扉を開けると、ギィギィと嫌な音がする。
 店内は薄暗く、かび臭かった。

 奥に店番らしい老婆が一人、小さな椅子に腰掛けている。

 客は、若い娘が一人。
 長い金色の髪をゆるくふたつに縛っている。
 それは、彼女が動くたびに、サラサラと優しく揺れた。

 ふとした瞬間、その金色の髪からとがった耳が見えた。

 エルフだ。

 最も美しく、最も賢く、最も神に近い生物、エルフ。
 大昔は、その多くが森の奥深くに住んでいたが、最近ではこうやって、街でも姿を見る事が出来る。

 カレブの身体にも、半分エルフの血が流れている。
 自分でも、信じられなかったが。

 何か彼女に心惹かれる物を感じながら、カレブは陳列された商品を物色した。

「・・・あれ」

 端からもう一度、よく見る。
 しかし、そこにカレブの探す商品はなかった。

 小間物屋は、道行く人にきいたところこの一軒のみで、ここに目的の品がなければ、諦めるより他はない。

 カレブは青ざめた。

「やばい、な。あれがないと・・・」

 聖都は、廃墟と化したとはいえ大きな街だ。ここなら、心配しなくてもあるだろうと、タカをくくっていた。もう、一回分しか残っていないのに。

「あなた、大丈夫?」

 優しい声が、カレブの耳を打った。
 隣を見ると、エルフの娘が心配そうに自分を見つめていた。
 ふわりと、森の香りが漂う。

「大丈夫。・・・少し、困っただけだから」

 カレブは、言葉少なに答えた。

「困ったって?」

 首をかしげ、微笑を浮かべて娘は言った。

「探してた物が、ないようだから」

「何を探していたの?」

「髪粉」

 素直に答える自分が不思議だった。
 娘の優しい表情のせいかもしれない。
 もしくは、心が少し弱くなっていたせいか・・・

「あら、あなたのこの髪、染めているのね?」

「あ、ああ。うん、そう、なんだ」

「そうね、エルフの血が混じっているのなら、もう少し、明るい色になるはずだものね」

 娘は振り向くと、店番の老婆に尋ねた。

「おばあさん、この店に髪粉はないのかしら。できれば、茶色の」

 カレブは、期待して老婆を見た。
 陳列されていなくても、もしかしたら仕舞われているかもしれない。

 しかし、老婆は首を振った。

「ないね。このご時世、髪を染めようだなんて呑気な人は、いないからね」

 はあ、とカレブはため息をつく。

「あなた、髪粉がないと、困る?」

「・・・うん、困る」

 最後の一包みを使ったら、ここを出て行かねばならないだろう。


 ああ、いい稼ぎ場所だったのに。


 そう思った瞬間、カレブは首をふった。

 剣士に目をつけられたり、迷宮にもぐる事になったり、散々な目にあった。
 なにがいい稼ぎ場所だ。もうこんな苦労はしたくない。
 髪粉がなくなったら、街を出よう。


 そうだ。せいせいする。
 街を、出るんだ・・・・・・


「それじゃ、少し、時間がかかるけれど、わたしが何とかしてあげましょうか?」

「え?」

 エルフの女性独特の、青緑色の瞳が優しい光を浮かべていた。

「知り合いに、調合を頼んでみるわ。材料を集めるのに、少し時間がかかるけれど」

 かまわない? と彼女は言った。

「助かるけど。でも、どうして?」

「そんな悲しそうな顔をしている子を、放ってはおけないわ」


 悲しそう?

 せいせいするって思っていたのに。
 なのに、悲しそうだなんて。
 それとも、やっぱり、稼ぎ場所をなくすのが、惜しいのかな。


「出来上がったら、届けてあげる。材料費だけはもらうけれど・・・」

「あ、ありがとう」

「どこに、届ければいいかしら?」

 カレブは、宿泊している宿を告げた。
 娘は、何度か頷く。

「わかったわ。それじゃ、また会いましょうね」

 軽く手を振ると、彼女は店から出て行った。
 微かな森の香りを残して。

「不思議な人」

 ぽつりとカレブは呟く。

 ゴホン、と咳払いの音がした。
 振り向くと、老婆がしかめっ面をしている。

 買い物もしないで長話をされたら、迷惑極まりない。

 カレブは肩をすくめると、身体を洗う為のハーブを詰めた袋を買った。
 ・・・・・例によって、高かった・・・・・・


 

 

 湯浴みをしたいというと、宿の主人は快く浴室の用意をしてくれた。
 浴室、といっても玉じゃりをしきつめた小さな部屋に、大き目のたらいとおけが置いてあるだけだ。

 たらいには湯がはられていて、もうもうとあたたかな湯気をたてていた。

 扉に使用中の札をかけ、鍵をかける。

 小さな椅子に着替えを置いて、カレブは汚れた服を脱いだ。

「・・・っと。これも、外しとかないと」

 カレブは、目に手をやった。

 目じりの端を押さえ引っ張ると、ぽろりとなにかが手のひらに落ちる。
 飴色に輝くそれは、小さな丸い色硝子。

 カレブは、もう片方の目にはめた色硝子も外した。

「ふうっ」

 なくさないよう、服の上に置き、カレブは数度瞬きをした。
 閉じたまぶたを開くと、そこから現れるのは、冬の泉をくみ上げたような青。
 ひどく印象的で、一度見たら記憶に焼き付けられてしまいそうな神秘的な色。

 壁にすえつけられた鏡に顔が映って、カレブは苦笑した。
 だが、すぐに表情は消える。瞳は、とたんに凍りついた。

「ほんと、嫌な色。大嫌いだ・・・」

 カレブは、苦々しく呟くと、ため息をついて鏡から離れた。

 湯に入る前に、身体と髪を洗う。

 細い髪から、どんどん色が抜け落ちていく。髪粉で染めた枯葉のような茶は湯に溶け、かわって生来の色が現れた。

 清水のような、美しい銀色。

 きゅっと髪を絞って水気を払い、カレブはたらいに飛び込んだ。
 暖かかくて、気持ちいい。戦いで緊張した身体と、疲れた心を癒してくれる。

 湯のぬくもりを楽しみながら、カレブは前髪をつまんだ。

「まったく、目立つったら、ありはしないよ。どうせ捨てるなら、母さんももっと地味に産んでくれたらよかったのに。そうすれば、髪粉に色硝子なんて余計な出費をせずに済んだんだ」

 カレブは、記憶にない母親に愚痴をこぼす。

 カレブの髪と瞳は、スリをするには、あまりに目立ちすぎた。
 この乱れた世を生きる為にも、目立つという事はあまりよくない。

 だから、カレブは最も一般的な色合いで、自分の印象を消した。もくろみは見事に成功し、茶色の、どこにでもいるような少年が出来上がった。

 おかげで、スリはたやすく成功し、誰かの目に止まるという事もなかった。
 ・・・・・・ここに来て、あの剣士に捕まるまでは。

 自分と同じ瞳を持つ剣士を思い出して、カレブは唇をかみ締めた。

「何者なんだ、あいつ。どうして、ぼくに興味がある。ぼくの、何を、知っている?」

 呟いて、カレブはハッとした。


 ぼくの事を、知っている・・・?
 あの剣士、ぼくの事を知っているんだろうか。


 今までは、嫌な予感ばかりがして、逃げる事ばかり考えていて、そんな事まで考えが及ばなかった。しかし、ひょっとするとなくした記憶の片隅に、あの剣士は居るのかもしれない。


 思い出を、埋める事が出来る?


 いらない、必要ないと思い続けていたが、いざ、知る事が出来るかもしれないと思うと、それはなかなか魅力的な誘惑だった。


 会わなくちゃ。会って、問いただすんだ。


 決心したら、いてもたってもいられなくなったが、あせる心をカレブは落ち着かせた。
 明日、リカルド達の依頼を終わらせる。そうすれば、嫌でも剣士に会わなければならない。
 蘇生の代金を返済しなければならなかったから。

「街を出るにしても、それだけは、確かめなくちゃ」

 サラの言葉がきっかけかもしれない。
 カレブは、初めて、なくした記憶に触れたいと思った・・・・・・