カレブは散々ごねたが、結局街へ戻る事になった。
 魔法を使えない僧侶と、体調の悪い盗賊を守って、これ以上先に進む実力はまだない、とリカルドが言ったからだ。

 安全の保証は出来ない、それでも行くか、と言われてカレブは折れた。
 迷宮で死ぬつもりはなかったからだ。

「明日だ・・・、明日には、終わらせる」

 カレブはぶつぶつ呟きながら、迷宮を後にした。


 

 

 街へと戻って来ると、吐き気は随分と収まった。
 お腹がすいた、とサラが言い、酒場に行く事になったが、自分もなにか食べようかと思えるほどに。

 吐き気がするのは、きっと迷宮の空気が合わないせいだ。
 合ってたまるか、と思う。

 ぼくは、冒険者じゃない。ただの、コソ泥なんだから。

 昨日よりも戦う回数が多かったせいか、幾分身体が重かった。一人で静かに食事をしたかったが、サラとリカルドが許してはくれなかった。強引に手を取られ、同じテーブルに着かされる。

 反論するものめんどうになり、カレブは黙ってメニューを開いた。
 体調の事を考えて、ごく軽いものを注文する事にする。

 サラはメニューを真剣な表情で見つめながら、リカルドに尋ねた。

「どれが美味しいの?」

「うーんと、そうだなあ。コレとか、コレとか。コレも美味い」

「へえ。迷うなあ。あなたは、どれにするの?」

「俺はコレ」

 サラはにこっと笑う。

「じゃあ、わたしもそれにしようっと」

 バンッとカレブはテーブルを叩いた。
 剣呑な瞳で言い放つ。

「うっとうしいから、やめろ」

「なにが?」

 サラはきょとんとして、カレブを見た。

「ぼくの前でいちゃいちゃするな。ぼくが見てなきゃ、好きなだけやっていい」

 サラは手を叩いて喜んだ。

「妬いてるんだ、カレブ君!」

 ガッとグレッグがカレブの腕を掴む。

「酒場だ。やめておくがよかろう」

 カレブはグレッグを睨みつけると、短剣の柄から手を放した。
 気配を感じたリカルドが青ざめる。

「お、お前、今、なにしようとした?」

「あんたが考えてる事だよ」

 サラは状況がつかめずに変わるがわる三人を見る。
 そしてクスリと笑うと言った。

「心配しなくても、わたし、カレブ君の事も好きよ?」

 カレブはげっそりとしてサラを見た。

「・・・バカか、あんたは」

「バカじゃ僧侶にはなれないわ」

 サラはころころと楽しそうに笑うと、給仕娘を呼んだ。
 リカルド達がそれぞれ注文し、カレブも自分の分を頼む。

 料理が来る間、サラは喋り続け、他の者の話も聞きたがった。
 リカルドが、サラにせがまれ、自分の事を話し出す。

「俺は、西のほうにある小さな村の出身だ。なんとも呑気な村でな。村人全員が親戚みたいだった。特産品は葡萄とタペストリー。うんと昔に王室に献上した事もあるらしい。男達は葡萄畑の世話と酒造り。女達は家畜の世話とタペストリー作りが主な仕事だ」

 ほう、とグレッグが呟いた。

「葡萄とタペストリー・・・、シラス村か?」

 リカルドは嬉しそうに笑う。

「知ってるのか。そう、シラスだ」

「あら、シラスって今、大きな仕事を抱えていなかった? 白百合の姫への献上物」

「そうだ・・・、ああ、サラは北方出身だったな。それで、知ってるのか」

 カレブは、自分だけ会話に入れなくてイライラしていた。
 その表情に気づいたのか、リカルドがこちらを見て話し出す。

「北方の地を治めるユージン=ギュスターム卿が、花嫁を娶る事になった。お相手は白百合の美姫と称されるグレース=ザリエル嬢。俺たちの村は、その姫に贈るタペストリーを制作していた。・・・・・・何事もなければ、もう仕上がっていただろうな」

 はっとサラは息をのんだ。

「あ、ああ、そうか・・・、閃光で」

「ホント、あの閃光は酷かったよな。今、命があるのが不思議なくらいだ」

 リカルドは中空をぼんやりと見つめた。薄紫の瞳に映るのは、閃光によって変わり果てた故郷、シラス。

「いろんな物が奪われた。大地の恵みも消えうせた。耕しても、耕しても、死んだ土は蘇らない。だから、俺は戦士になった。鍬を持つ手に剣を握って。ここなら、稼げる。村に、金を送ってやれる」

 カレブは唇をかみ締めると、プイと横を向いた。
 聞きたくない、話だった。

 リカルドは、しまったなという顔をした。
 カレブを傷つけたかもしれない。
 話題を変えようとしたとき、丁度料理が来た。

 サラが歓声をあげる。

「待ちわびたわ! お腹、ぺこぺこ」

 サラとリカルドの前に、素焼きの壷が置かれる。薄紙でフタがしてあった。

「なに、それ?」

 興味を引かれたのか、カレブが尋ねる。
 機嫌が直ったか、とリカルドは安堵して答えた。

「鳥のつぼ焼き。美味いぞ、次、食ってみろ」

「・・・気が、向いたらね」

 そっけなくカレブは言い放つ。
 やれやれとリカルドはため息をついた。

 グレッグが注文したのは、昨日カレブが口にした一番安いシチュウだった。
 だが、今日はチーズがのっている。主人の機嫌がいいらしい。

 カレブは、自分の前に置かれたカップに、添えられていたシナモンスティックをつっこむとグルグルかきまぜた。一口、口に含むとオレンジティーの香りと、シナモンの香りが優しく広がる。

 ほっと息を吐き出して、カレブは表情をゆるめた。
 なんだか、やっと人心地ついたような感じだ。

 白くて薄いパンをちぎって、口に運ぶ。

 しばらく、それぞれ食事に専念した。
 ややあって、フォークを振りながらサラが尋ねる。

「カレブ君は、今までどうしていたの? どこの出身?」

 幸せな人なんだな、とカレブは思った。
 幸せに暮らしていたから、無邪気にこんな質問が出来る。

 いつもなら、嫌味の一つでも言ってやるところだったが、お茶で気分が落ち着いているのかカレブは静かに答えた。

「別に・・・、どうって事ない。気がついたときには、親が居なくて。各地を転々として、過ごした。・・・そう言えば、あんまり楽しい思い出ってないな。まあ、閃光前の事ってよく覚えていないけど」

「覚えていない?」

 リカルドが鸚鵡返しに尋ねる。

「うん、よくはね。ところどころ、真っ白だ。まあ、忘れるくらいだから、どうでもいい思い出なんだろ」

「そんな事ないっ!」

 バンッ、とサラがテーブルを叩いた。

 グレッグが跳ね上がった皿を押さえる。

「そんな事ないよ。どうでもいい思い出なんて、無駄な思い出なんて、一つもないんだから。どんな悲しい事だって、どんな辛い事だって、血となり、肉となる。思い出してごらんなさいよ」

「必要ない」

 カレブは、少し険しい顔をした。

「思い出なんてなくたって、生きていける。生きていければ、それでいい」

 サラは、若草色の瞳で、じっとカレブを見た。
 真剣で、どこか憂いを帯びた表情だった。

「・・・悲しい人だね、カレブ君」

 カレブは、笑おうとした。
 しかし、笑えなかった。
 小さなうめき声が、口から零れる。

「思い出って、人生そのものだよ。思い出がないって、人生がないっていうのと同じだよ。真っ白な記憶の向こうに、君の人生があるはずだよ?」

 ガタン、とカレブは椅子を蹴って立ち上がった。

「不愉快だ、帰る。あんた達は残って好きにするといい。明日、迷宮前で待ってる。そして、終わらせてやる。そうすれば、二度と、顔をみなくて済む」

 器用に人ごみを掻き分けて、足早に立ち去るカレブを見ながら、サラはリカルドに尋ねた。

「・・・わたし、いけない事を言ったのかしら?」

「いけなくはないけど」

 リカルドは苦笑した。

「ただ、カレブには、耳の痛い話だったみたいだな」

「カレブは、記憶喪失なのだろうか?」

 誰に聞くでもなく、グレッグは呟いた。

「わかんねえ。本当に記憶をなくしているのか、自分で封印しているだけなのか。ただ、わかるのは・・・。あいつが、必死に生きようとしている事だけ。あいつ、ひどく生きる事にこだわってる。猫が毛を逆立てるみたいに気を張り詰めて、ピリピリしながら、生きてる」

「あやまった方がいい?」

 サラは、少ししょんぼりとしてリカルドを見た。
 リカルドは、ポンポンとサラの肩をたたいた。

「そっとしといてやれ」

「・・・うん、そうする。神様、罪深いサラをお許しください。わたしは、不当に人を傷つけました」

 リカルドは、サラの祈りを聞きながら、そっとカレブが立ち去った方に視線を投げやった。


 

 

 酒場を飛び出したカレブは、胸をぎゅっと掴むと叫んだ。

「静まれ・・・、静まれ、心臓!」

 だが、カレブの鼓動は早鐘のように打つ。

「なんで、悲しいんだ? なんで、こんな、寂しい気持ちになる? 過去なんて、いらない。生きていければ、それで。ぼくは、生きなくちゃいけないから」

 ポロポロと涙がこぼれた。

「なんで・・・、涙が出るんだよっ!」

 思い出がないのは、人生がないのと同じ。

 サラの声が、心に木霊する。

「・・・思い出と同じように、いらない人生なんだ、きっと」

 口に出して呟くと、なんともいえない苦い思いが心に満ちた。
 いたたまれなくなって、カレブは己を抱きしめる。

 ほてった頬に雪が舞い降り、消えた。

「六花・・・」

 呟くと、また涙が溢れた。

「誰が、教えてくれたんだったっけ。これも、思い出せない。嫌いなヤツだったのかな」

 カレブは手を差し伸べ、宙の雪をつかむ。

「・・・・・・忘れたい、ヤツだったのかな・・・・・・」

 カレブの呟きは、冷たい空気に溶けていった。