人の香りがする部屋だった。 カレブが、部屋の様子を見て取る間、僧服の娘はリカルドにしなだれかかったままだった。 リカルドは優しい言葉をかけて、何とか娘を泣き止ませようとしていた。 しかし、娘はなかなか泣き止みそうにない。 気分が悪かった事もあり、カレブの我慢はあっさり限界に達した。 ビィン! 壁に突き刺さった手投げナイフが、鈍い音を立てて震える。 顔をのけぞらせた娘は、口をパクパクさせてカレブを見た。 「な、な、な」 カレブは意地悪く笑った。 「泣き止むには、驚くのが一番だ」 言葉どおり、娘は泣きやんでいた。 「なにすんのよーっ!!」 娘は怒りのあまり、顔を真っ赤にして肩を震わせていた。 リカルドは、額を片手で押さえて天を仰いだ。 「人が気分悪いのに、ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ、うるさいからだよ」 涼しい顔でカレブは答える。 「え、気分が悪いの?」 娘はピタリと怒りをおさめると、カレブの腕を取った。 「放せ!」 「静かにしなさい!」 手を振り解こうとするカレブを一喝すると、娘は目を閉じ、何事かを呟き始めた。 柔らかな白光が身体の中に吸い込まれるようにして消えると、気分が悪いのが幾分ましになった・・・ような気がした。 「いかが?」 娘は、若草色の瞳をほころばせた。 「・・・ありがと」 「ありがとう」とは、感謝の気持ちを人に伝え、人間関係を円滑に進める大切な言葉だ。 カレブが言った「ありがと」は、まさしくそれだった。 「可愛くない」 ぶっすりと、娘は呟く。 「神様、未熟なわたくしをお許しください! 人を癒した後に感謝を求めるなんて、大間違いでした。まだまだ、まーだまだ、修行が足りないのですね」 ・・・・・・なかなかいい根性をしているな、とカレブは思った。 見た目は柳の枝のようにほっそりとしていて、可愛らしい顔をしているが、かなり「いい」性格の持ち主らしい。 これ以上一人芝居を続けられても困るので、カレブは現実的な質問を投げかける事にした。 「あんたは、こんな所に一人でなにをしてたの?」 ハッと娘は我に返り、カレブ達を見つめた。 「あ、ああ、わたし、すごく、困っていたの」 「・・・・・・泣くんじゃないぞ」 カレブは、先に釘をさす。 「わたしは、修行中の僧侶のサラ。サラ=マクダフよ。無料の救護院を開くのが夢なの」 それじゃ食べていけない、と言おうとした途端、リカルドにわき腹をつつかれた。 「本当はね、救護院に勤める予定があったのよ。でも、あの閃光で救護院自体が無くなってしまって・・・。わたし、行く所がなくなっちゃったの。そりゃあ、最初は途方にくれたわ。これから、どうすればいいんだろうって。すごく、たくさん考えた。自分が何をすべきなのか。どうやって生きていくべきなのか・・・」 サラはちろりと唇を舐めると、話を続けた。 「悩んで、悩んで。そして、ある日決心したの。自分の手で、救護院をつくろうって。だってあの恐ろしい惨劇を生き残れたのも、何か人の役にたつことをしなさいっていう、神様のお導きだと思うから・・・」 カレブは大きく頷いた。 リカルドが目を丸くする。 こいつも、少しは人情深いところがあるんだな、と思ったが、次の瞬間それは間違いだったと知る。 「いやあ、長い自己紹介をありがとう。それはいいから、ぼくの質問に答えろ。いいか、よくきけよ? あ・ん・た・は! こんな所に一人でなにをしてたんだ!」 なんの事はない、カレブはうんざりして適当に頷いただけだったのだ。 カレブの冷たい発言にめげる事もなく、サラは続ける。 「うん、今から話すから黙って聞いていてよ。あのね、救護院を開くには、僧侶の腕を磨かなきゃいけないの。そこに、この迷宮の話でしょう? 丁度いいって思うじゃない。王国の為にがんばる冒険者の人達や、兵士の皆さんを助けてあげられるって。それで、わざわざ北の街からやって来たんだけど・・・」 スッとカレブの瞳の色が深くなった。 「どうした、また気分が悪いのか?」 カレブは首をふる。 「いい。続けろ、サラ」 サラは心配そうにカレブを見たが、そこに拒絶の色を感じて頷いた。言われたとおりに話を続ける。 「一人で迷宮に入るのは無謀だって言われて、一緒に行ってくれる戦士を雇ったのね。なけなしのお金をはたいて」 「なんだって?」 リカルドが眉を跳ね上げる。 「金を払って? そんな事しなくても、仲間になってくれるやつはたくさんいるだろう? ギルドで紹介してもらうって手もあるはずだ。なあ、グレッグ」 黙って話を聞いていたグレッグも、リカルドの言葉に頷いた。 「え、そうなの!?」 サラは目を丸くする。 「で、その雇ったっていう連中は? 魔物にやられたのか」 リカルドは、最も考えられる事態を述べた。 迷宮にもぐる全ての者が、生きて帰れるわけではなかった。 しかし、サラは首をふった。 「うんざりだっていって、どこかに行っちゃった」 「は?」 リカルドはまじまじとサラを見た。 「あの、わたしって、お喋りかしら?」 深く、カレブは頷く。 「そう、やっぱりそうなのね。あの・・・・・・、ここに来るまで、わたしの夢を語り続けていたら、うるさいって怒られて・・・、それで、うんざりだって、あの人達どこかに行ってしまったの」 ・・・・・・ようするに、お喋りが災いして、彼女はおいてきぼりを食らったらしい。 カレブは笑いころげた。 「そ、そいつらの気持ち、よ、よくわかるよっ!」 サラは、むくれる。 「ひどい! わたし途方にくれていたんだから。でも、あなた達が来てくれて助かったわ! ね、わたしを仲間にしてくださらない?」 カレブは笑いをぴたりとおさめると、サラを見た。 「なんだって?」 「見たところ、あなた達、僧侶がいないようだし。いいでしょう?」 「冗談だろっ! カンベンしてくれ」 グレッグにリカルド。その上お喋りな僧侶まで背負い込むつもりは、カレブにはさらさらなかった。 「僧侶が居れば、確かに助かるよな」 「ああ。私もいくつか魔法は使えるが、やはり専門の者が居た方が心強いだろう」 リカルドとグレッグが頷きあっている。 「勝手に決めるな!」 カレブは慌てて怒鳴った。 「けどさ、カレブ。一階の最深部を目指すなら、僧侶の一人くらい居た方がいいぜ。早く行きたいってんならなおさらな」 リカルドは、言い聞かせるようにそう言った。 「わたし、がんばるわ。足手まといにはならない」 「それに、このまま見捨てるわけにもいくまいよ。僧侶が一人で無事に戻れるとは思えない」 グレッグがぽつりと呟く。 カレブは思い切り見捨てたかったが、キャスタが言った一言でしぶしぶ頷く羽目になった。 「見捨てたりしたら、剣士様に怒られると思うだど? 剣士様、怒るとコワイだ」 はあ、と大きくため息をつく。 「・・・わかったよ。好きにしろ」 きゃあ、とサラは歓声をあげてリカルドに抱きついた。 「よろしくね!」 フンと鼻をならしてカレブは奥の扉へ進む。 「決まったんならさっさと行くよ」 リカルドとグレッグは歩き出したが、サラは動かない。 「サラ、早く」 イライラと振り向くと、サラはなんだかモジモジしていた。 「なに。なんなの」 「あ、あのね?」 「うん」 サラは顔をあげると微笑んだ。 「わたし、さっきあなたにかけた魔法で、魔力を使い切ってしまったの。だから、一度、街に戻りたいなあって思って・・・」 カレブは眉間に皺を寄せた。 「役立たず」 |