第三幕 姫 君 | |||||
シェリダンに吹く風は、ガリオンに吹く風とはどこか違う。 シェリダンに来て早や三日。 もう、食事に茹でた大海老が出されても驚く事はないだろう。 「こちらが姫様のお部屋です」 侍女の声で、クリスティンは我に返った。思考がすっかり食事に飛んでいた。微かに頬を赤くして、クリスティンは手にしていた楓の枝を後ろ手に隠す。 「ご安心なさいませ、何も恥ずかしいことなどございませんわ」 三日目の今日にして、やっと婚約者の姫と会う時間が設けられたのだ。 侍女に促され、クリスティンは部屋へと歩を進める。磨きこまれた窓から、まぶしい陽光がさしこみ、思わずクリスティンは、目を細めた。 侍女が快活な声で、クリスティンを姫君に紹介する。 「姫様、こちらがご婚約者のクリスティン様でいらっしゃいますよ」 「……こんにちは」 小さな小さな声がした。 寝台の上に身体を起こしていた少女は、滑らかな栗色の髪に、白いリボンを編みこんだお下げを足らしていた。ほっそりとした華奢な身体が、淡い緑のネグリジェに包まれている。 「こんにちは」 クリスティンは、短く挨拶を返した。 「さぁ、ではわたくしは、お飲み物とお菓子の用意をしてまいりましょう。ごゆっくりお話しなさいませ」 一礼して部屋を出て行く侍女を見送って、クリスティンは、ぐるりと部屋を見回した。 決して華美ではないが、趣味の良い上品な家具がならんでいる。装飾品などは少なく、代わって本がたくさんあった。 レースと刺繍にあふれたゴテゴテとした部屋を想像していただけに、クリスティンは意外な思いを禁じえなかった。 「わたし、タイニィーア」 恥ずかしそうに、少女は自分の名を告げた。 「タイニィーア……ニア、だね。僕は、クリスティン」 「クリス?」 タイニィーアが小首をかしげると、その仕草にあわせてお下げの先が揺れる。 「みんなは、僕の事をスティンって呼ぶよ。だから、ニアもそう呼ぶといい」 タイニィーアは、口の中で小さく「スティン」と呟くとにっこりと笑った。そうすると、幼い顔立ちがもっとあどけなくなる。 「ねぇ、スティン。わたし、あなたの花嫁になるの?」 まっすぐな質問に、クリスティンは少し困った。 「うん、たぶんね。大きくなったら、そうなるんだと思う。これから、僕はこの国で暮らすんだよ」 「わたし、花嫁になれるのかしら……」 「君の父上と、僕の父上が決めたから、絶対だと思う。でも、どうして?」 タイニィーアは、ためらいがちに口ごもったが、やがて意を決したように顔をあげた。 「わたしのこと、何も聞いていない?」 タイニィーアはそう言うと、かけられていた布団をそっとめくった。 寝台の上には、タイニィーアの足が投げ出されている。しかし、それは驚くほど細かった。 「わたしね、うんと小さいころ、高いお熱を出したんですって。その時から、足が動かないの」 「動かないって……、それじゃあ歩くことも?」 タイニィーアはこくりとうなずく。 「みんな、最初は優しくしてくれる。でも、そのうち退屈になって、去っていってしまうわ。わたしは、いつも取り残されるの。だから、きっとスティンも……」 タイニィーアの言葉は、わずかばかり、クリスティンを怒らせた。 「僕は、そんな事しないよ!」 「ほんとう?」 すがるような目をするタイニィーアに、クリスティンは大きくうなずいてみせる。 「約束するよ、ニアを一人ぼっちにはしない」 クリスティンは、楓の枝を持参していた事を思い出した。婚約者の姫の為に、わざわざ魔術師に冷気の魔法で保存してもらい、ガリオンから運んで来たのだ。 「これを君にあげる。僕の国にたくさんある楓の樹の枝だよ。シェリダンにはあまり楓の樹はないって聞いていたから、持ってきたんだ」 クリスティンは、赤く色づいた楓の枝を差し出すと、タイニィーアの手に握らせた。 「きれい。こんなに赤い葉っぱって、見た事ないわ。スティン、ありがとう」 無邪気に喜ぶタイニィーアを見て、クリスティンはある事を思いついた。 「ねえニア、外の空気を吸いたくない?」 「でも……」 「大丈夫!」 クリスティンは、サッとタイニィーアを寝台から抱き上げた。驚いた彼女はバランスを崩しそうになり、慌ててクリスティンにしがみつく。 「僕が、ニアの足になるよ。さ、行こう!」 「ど、どこに?」 「僕の部屋にね、大きなバルコニーがあるんだ。そこから、街と海が見えるよ」 タイニィーアの大きな瞳が期待に輝く。 「見たいわ!」 「うん、行こう!」 クリスティンは、タイニィーアを連れて、あてがわれた自室へと戻った。 「うわぁ……、ねぇ、ねぇスティン! 鳥が飛んでいるわ。それに、船も見える」 タイニィーアを抱いたまま、クリスティンも物珍しげに海に視線を投げかけた。 その後二人は、いろんな事を話した。ガリオンの事、シェリダンの事、それぞれの家族の事、そして自分自身の事を。楽しい時間は、かんかんに怒った侍女に見つけられるまで続いた。 クリスティンとタイニィーアは散々に叱られたが、お互い顔を見合わせて、くすくすと笑う。 タイニィーアは、侍女に聞こえないよう、そっとクリスティンに囁いた。 「スティン、ありがとう。とても、楽しかったわ」 侍女が、タイニィーアを抱き上げる。 「さぁ、姫様、お部屋に戻りましょう。またお熱が出てしまいますよ」 「えぇ。スティン、また明日ね」 「うん、また明日」 クリスティンは、タイニィーアと侍女を見送った。 |
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