第二幕 婚 約

 ミゲルは、自室でクリスティンの訪問を待っていた。
 卓上で燃えるランプの炎が、思考に深く沈むミゲルの顔に、チラチラと踊る陰を投げかける。

 国は一つ。息子は二人……。

 すでに配下の騎士達は、アシュレイ派とクリスティン派に別れ、対立の様相を見せている。
 若い騎士達はクリスティンの才能に惹かれ、老練の騎士達はアシュレイの君主の心に惹かれるのだ。
 今日の事件の根も、ここにあると言える。

 アシュレイに絶対的な――、全ての者が納得する剣の才能があれば、事態はまた違ったかもしれない。なんと言ってもアシュレイは第一子なのだから。
 だが、アシュレイの剣は優秀だが、その粋を出ない。クリスティンの剣の前に霞んで、頼りなくさえ見える。
 二つの身に分かれてしまった君主の「心」と「力」。ミゲルは、それを正しく導かねばならなかった。

 例え、それが辛い別れになったとしても。

 控えめなノックの音が、ミゲルの思考を中断させた。

「スティンです」

「入りなさい」

 静かに扉が開き、クリスティンがおずおずと部屋に入ってくる。
 ミゲルは、クリスティンを椅子に座らせ、自分も向かいの席に着いた。

「今日も、夕食を一緒にとれなかったな。お前達に寂しい思いをさせて、すまないと思っている……」

 クリスティンは、けげんそうに父を見た。
 てっきり厳しい声で、叱られるものと思っていたのだ。

「父上、あの……」

「スティン」

 ミゲルはまっすぐにクリスティンを見た。
 クリスティンは姿勢を正し、座りなおす。

「お前に以前からある話が来ている。どうしたものかとずっと思案していたが、今日決めた。これは、ガリオン領主としての命であり、否は受け付けぬ」

 クリスティンの琥珀の瞳に、不安が宿る。
 いったい父はどのような命を下すつもりなのだろうか。

 ジジっとランプの油の燃える音が、はりつめた空気に響いた。

「――クリスティン=クスバード。そなたに、シェリダン領タイニィーア=ベライユール嬢との婚約を命ず」



そなたに、シェリダン領タイニィーア=ベライユール嬢との婚約を命ず。


「父上!?」

 予想だにしなかった父の言葉に、クリスティンは思わず椅子から立ち上がった。

「シェリダンは知っていよう。私の遠縁にあたるフェルナンドが治める国だ。明日、シェリダンへ使者を出す。準備の期間に一月。その後、そなたはシェリダンに移り、そこで暮らす事となる」

「父上!!」

「スティン! 言ったはずだぞ。否は言わせぬ」

 クリスティンは、がくりとうなだれた。

「ち、父上は、僕の事が嫌いなんだ! だから、だから僕を追い出そうと……!!」

 ミゲルは黙って立ち上がると、クリスティンを抱きしめた。その力の強さにクリスティンは戸惑う。

「私はお前の事を愛している。愛しているからこそなのだ」

「――父上?」

「聞け、スティン。お前は、稀なる剣の才を持っている。だが、その全てを生かしきれていない。それは、自らのために剣を振るっているからだ」

 ミゲルは床にひざをつき、クリスティンと目線を合わせた。

「君主たるもの、自らのためではなく、それ以外の者のために生きなければならない。その為には、時には己の心を殺すことも必要だ。剣ひとつにしても、自らのために振るってはならない。……お前は、いつも何の為に剣を振るっている?」

「剣を振るのが好きだから……、強くなって、みんなにほめてもらいたいから……」

 ミゲルは静かに首をふる。

「そこに、アシュレイとお前の差がある。アシュレイは、良き君主となるため、剣を振るう。それは、何故か? 良き君主は、民に幸せをもたらすからだ。だがお前は、常に自分の事を考える。それでは君主になどなれはしない。いくら、その才を秘めていたとしてもだ」

 クリスティンはそっと目を伏せるが、ミゲルは言葉を続けた。

「私の血を引くお前達は、生まれながらにして、君主となる資格を持っている。だが、他者の為に己を殺せぬお前を、君主とする事は出来ない。私は、お前をあの狂王トレボーのようにしたくはないのだ」

「狂王トレボー? あの、魔よけを持つ?」

「そうだ。己の欲望を糧にしてリルガミンの君主の地位につき、各地に戦乱をもたらす憎むべき破壊者」

 ミゲルの言葉は義憤に満ちていた。

「あの男を君主などと、私は認めない。あの男がもたらすものは、滅びと悲しみだけだ。スティン、ちょうど今のお前のようにな」

 息絶えた猫のエラや、怪我をさせた練習相手を思い出し、クリスティンは身を震わせる。

「い、いやです。僕は、もうあんな思いをするのは!」

 ミゲルは口元をほころばせると、クリスティンの肩に手を置いた。

「そう思う事が出来るのなら、お前は変われる。タイニィーア嬢との婚約が、そのきっかけになればいいのだが……」

「――どうしても、行かなければならないですか?」

「私達は、お前を愛するあまり、お前を奔放に育てすぎた。また、悲しい事にお前をこのガリオンの領主にしようと、良からぬ画策をする者まで現れ始めている。新しき地で、自分以外の大切な誰かが出来る事を私は望む」

 ミゲルは、クリスティンを椅子に座らせると、用意しておいた紅茶を淹れ、クリスティンの前に置いた。

「飲むといい。美味い茶だぞ。少し舌に刺激があり、深いうまみがある」

 蜂蜜をたらしたそれは、少し濁っていたが、えも言われぬ芳香を放っていた。
 クリスティンは、ほんの一口飲むと、ホッと息を吐き出し、微笑んだ。

「おいしいです、父上」

「ジンジャーティと言うものらしい。気に入ったか?」

 クリスティンは、素直にうなずいて、めずらしい紅茶を口にする。
 湯気の向こうに、ミゲルの顔が霞んで見えた。

「シェリダンはこの紅茶を好む国。私が、取り寄せたのだ」

 父がどんな思いでこの茶を取り寄せ、どんな思いで息子に飲ませたのか……、その全ては、まだクリスティンにはわからない。ただ、父の優しさを感じて、涙があふれた。