第二幕 婚 約 | |||||
ミゲルは、自室でクリスティンの訪問を待っていた。 国は一つ。息子は二人……。 すでに配下の騎士達は、アシュレイ派とクリスティン派に別れ、対立の様相を見せている。 アシュレイに絶対的な――、全ての者が納得する剣の才能があれば、事態はまた違ったかもしれない。なんと言ってもアシュレイは第一子なのだから。 例え、それが辛い別れになったとしても。 控えめなノックの音が、ミゲルの思考を中断させた。 「スティンです」 「入りなさい」 静かに扉が開き、クリスティンがおずおずと部屋に入ってくる。 「今日も、夕食を一緒にとれなかったな。お前達に寂しい思いをさせて、すまないと思っている……」 クリスティンは、けげんそうに父を見た。 「父上、あの……」 「スティン」 ミゲルはまっすぐにクリスティンを見た。 「お前に以前からある話が来ている。どうしたものかとずっと思案していたが、今日決めた。これは、ガリオン領主としての命であり、否は受け付けぬ」 クリスティンの琥珀の瞳に、不安が宿る。 ジジっとランプの油の燃える音が、はりつめた空気に響いた。 「――クリスティン=クスバード。そなたに、シェリダン領タイニィーア=ベライユール嬢との婚約を命ず」 「父上!?」 予想だにしなかった父の言葉に、クリスティンは思わず椅子から立ち上がった。 「シェリダンは知っていよう。私の遠縁にあたるフェルナンドが治める国だ。明日、シェリダンへ使者を出す。準備の期間に一月。その後、そなたはシェリダンに移り、そこで暮らす事となる」 「父上!!」 「スティン! 言ったはずだぞ。否は言わせぬ」 クリスティンは、がくりとうなだれた。 「ち、父上は、僕の事が嫌いなんだ! だから、だから僕を追い出そうと……!!」 ミゲルは黙って立ち上がると、クリスティンを抱きしめた。その力の強さにクリスティンは戸惑う。 「私はお前の事を愛している。愛しているからこそなのだ」 「――父上?」 「聞け、スティン。お前は、稀なる剣の才を持っている。だが、その全てを生かしきれていない。それは、自らのために剣を振るっているからだ」 ミゲルは床にひざをつき、クリスティンと目線を合わせた。 「君主たるもの、自らのためではなく、それ以外の者のために生きなければならない。その為には、時には己の心を殺すことも必要だ。剣ひとつにしても、自らのために振るってはならない。……お前は、いつも何の為に剣を振るっている?」 「剣を振るのが好きだから……、強くなって、みんなにほめてもらいたいから……」 ミゲルは静かに首をふる。 「そこに、アシュレイとお前の差がある。アシュレイは、良き君主となるため、剣を振るう。それは、何故か? 良き君主は、民に幸せをもたらすからだ。だがお前は、常に自分の事を考える。それでは君主になどなれはしない。いくら、その才を秘めていたとしてもだ」 クリスティンはそっと目を伏せるが、ミゲルは言葉を続けた。 「私の血を引くお前達は、生まれながらにして、君主となる資格を持っている。だが、他者の為に己を殺せぬお前を、君主とする事は出来ない。私は、お前をあの狂王トレボーのようにしたくはないのだ」 「狂王トレボー? あの、魔よけを持つ?」 「そうだ。己の欲望を糧にしてリルガミンの君主の地位につき、各地に戦乱をもたらす憎むべき破壊者」 ミゲルの言葉は義憤に満ちていた。 「あの男を君主などと、私は認めない。あの男がもたらすものは、滅びと悲しみだけだ。スティン、ちょうど今のお前のようにな」 息絶えた猫のエラや、怪我をさせた練習相手を思い出し、クリスティンは身を震わせる。 「い、いやです。僕は、もうあんな思いをするのは!」 ミゲルは口元をほころばせると、クリスティンの肩に手を置いた。 「そう思う事が出来るのなら、お前は変われる。タイニィーア嬢との婚約が、そのきっかけになればいいのだが……」 「――どうしても、行かなければならないですか?」 「私達は、お前を愛するあまり、お前を奔放に育てすぎた。また、悲しい事にお前をこのガリオンの領主にしようと、良からぬ画策をする者まで現れ始めている。新しき地で、自分以外の大切な誰かが出来る事を私は望む」 「飲むといい。美味い茶だぞ。少し舌に刺激があり、深いうまみがある」 蜂蜜をたらしたそれは、少し濁っていたが、えも言われぬ芳香を放っていた。 「おいしいです、父上」 「ジンジャーティと言うものらしい。気に入ったか?」 クリスティンは、素直にうなずいて、めずらしい紅茶を口にする。 「シェリダンはこの紅茶を好む国。私が、取り寄せたのだ」 父がどんな思いでこの茶を取り寄せ、どんな思いで息子に飲ませたのか……、その全ては、まだクリスティンにはわからない。ただ、父の優しさを感じて、涙があふれた。 |
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