「・・・ジャイアントトードが唸ってる・・・」

 青白い顔で、カレブは呟いた。
 ベッドに身体を起こしたカレブを見て、ミシェルがくすくす笑う。

「随分と強いお酒を飲んだのね」

「・・・そうみたい。くそう、リカルドの言う事なんかきくんじゃなかった」

 言いながらも、激しい頭痛がしてカレブは顔をしかめる。
 結局、冒険者流の弔いとやらは夜明け近くまで続き、カレブはさんざん強い酒を飲むはめになったのだ。

 おかげですっかり二日酔いだ。
 リカルドはと言うと、さすが葡萄酒の産地出身の事だけはあり、ケロリとしていた。
 それがまた、腹がたつ。

「なんとかして、あいつに思い知らせてやらなくちゃ」

 たっぷりと恨みのこもった声で、カレブは小さく呟いた。

「なにか言った?」

 背を向けていたミシェルが振り返る。

「ううん、なんにも」

 カレブはあわてて微笑んだ。
 ミシェルはカレブに木の椀をわたす。

「飲んで。知り合いに煎じてもらった薬草よ。気分が良くなるわ」

 どろりとした見た目とは裏腹に、それからはさわやかな香りがした。

「ありがとう」

 カレブは、椀の中身を一息で飲み干すと、ふう、とため息をついた。

「あまり怒らないであげて。その薬草も戦士さんに頼まれたのよ。エルフなら、薬草にくわしいだろう、って」

 どうやら、聞こえていたらしい。
 カレブは気まずそうな表情を浮かべた。

「彼、あなたのために、一生懸命だわ。少しは認めてあげたらどうかしら」

 ミシェルは、カレブの瞳をのぞきこんだ。

「ああ、認めてはいるのね。素直になれないだけで」

「・・・結構、意地悪だな」

 カレブは唇を尖らせた。
 心の奥を覗かれたようなのに、悪い気はしない。

 確かに、ミシェルの言うようにカレブはリカルドを認め始めていた。
 戦士としては、まだ一流ではないかもしれない。だが、その人間性は、黄金の輝きを秘めているのではないだろうか、と。

 だが、口は心とは逆の言葉をもらす。

「だけど、あいつ、今だってわたしをおいて、どこかに行ってるんだ。わたしを、こんな目にあわせたくせに」

「あら。傍にいて欲しかったの?」

 思ってもみなかった言葉を言われて、カレブは顔を赤くした。

「馬鹿なっ。それは、違う、絶対に違うぞ! なんだって、あいつにっ・・・!」

 叫んだせいで、頭がくらくらした。

 ううっと頭を押さえるカレブを見て、ミシェルはほがらかに笑う。

「もう少し、時間が必要かしらね」

 何故だか急に、泣きじゃくりながらリカルドに抱きついた自分が思い出されて、カレブは顔をさらに、さらに赤くした。

「うわああ! 消えろっ!! 幻ッ。二度としないぞ、あんな事。わたしは、あいつが、大嫌いなんだっ」

 その時、ノックの音がした。
 カレブは、わめくのをやめ、ハッとする。

「寝てらっしゃいな」

 ミシェルは起きだそうとするカレブをとめると、扉に近づいた。

「どなたかしら?」

 扉を開けずに尋ねる。

「あー、俺だ。すまないんだが両手が塞がっていてね。扉を開けてもらいたいんだが」

 声の主はリカルドらしい。
 ミシェルは、カレブの方をふりかえった。

 カレブは口をゆがめて笑っている。

「生憎、”俺”なんて知り合いはいないね」

「・・・だそうよ?」

 ミシェルはそのままをリカルドに伝えた。
 生じる一瞬の沈黙。

「・・・ミ、ミシェルさんまでそんな事言うのか」

「部屋の主はご立腹みたい。名前をおっしゃってくださいな」

 唇に人差し指を当てたミシェルは、本当に楽しそうだ。
 扉の向こうで面食らっているだろうリカルドを想像して、カレブは吹きだした。

「あ、あいたたた。くそっ。でも、ぷっ、はははは。い、入れてやって、ミシェルさん」

 ミシェルは軽やかに扉を開けた。

 むっつりとしたリカルドが入ってくる。
 手には昨日と同じく、ブリキのカップを二つ持っていた。飲み口から、白いものが溢れている。

「なに、それ?」

 見慣れぬ物体に、カレブは思わず不思議そうに尋ねていた。

「あら、雪」

 ミシェルが呟く。

「雪? わざわざ部屋に持ち込むなよ。吹雪の中を歩いて、散々堪能しただろう?」

 とうとう頭がいかれたのか、などとカレブは酷いことを考えた。
 ミシェルが愛らしい鼻をクンクンと動かす。

「甘い香り」

 リカルドはやっとふくれ面をひっこめると、ミシェルにブリキのカップと木の匙を差し出した。

 受け取ったミシェルが、クルリとカップの中身をかき回すと、とたんに雪は淡い紅に染まった。ふわりと広がるのは、野イチゴの香りだろうか。

 ミシェルは臆した様子もなく、匙を口へと持っていった。

「美味しい」

 雪を飲み込んだミシェルは、満足そうにそう言った。

「随分と変わったお料理ね」

「酒場の親父が隠してた野イチゴの砂糖漬けの樽を開けさせたんだ。口当たりがいいから、二日酔いのカレブでも食べられるかなって」

 リカルドは、カレブにもカップを差し出す。
 頭痛で食事どころではなかったカレブだったが、ひやりとしたブリキのカップの感触は気持ちよかった。

 サクサクと美味しそうに雪を食むミシェルに後押しされて、カレブは雪を口に含んだ。
 雪はスッと口の中でとけ、野イチゴのシロップと混ざり合う。

「ほんとだ。美味しい」

「これなら、重くないだろ? 全部食っちまえ」

「うん、ありがとう」

 嬉しくなったカレブは、ついうっかりとそう言ってしまった。
 しまった、と思った時には既に遅く、リカルドが意外そうな顔をしている。

「え?」

 リカルドはまじまじとカレブを見下ろした。

 先ほどのミシェルの言葉が、カレブの頭の中をぐるぐるとかけめぐった。
 ちらりとミシェルを見ると、彼女は小首をかしげて微笑んでいる。

 その目は、「素直になってみたら?」と言っていた。

「・・・って言ったんだ」

 ぼそぼそと歯切れ悪く、カレブは呟く。

「なぁに?」

 笑顔のままでミシェルがうながした。どうしても、言わせるつもりらしい。
 カレブは目を閉じて一度大きく深呼吸した。

「ありがとうって言ったんだ」

「素敵」

 リカルドが何か言うよりも早く、パチパチとミシェルが拍手した。

 思ったより、簡単に言えた。
 カレブは自分の胸に手を当てる。

「あ、ああ、いや、そうか」

 リカルドはなんとも不器用に答えると、それでも嬉しそうに笑った。
 その笑顔が、とても印象深くてカレブは強張っていた表情を緩めた。


 素直になるのも、悪くないかもしれない。
 急には無理だけれど、こんな風に少しずつなら・・・


 心が、軽かった。
 空の高みを羽ばたいたかのように。

 カレブは、自然な笑みを浮かべて、もう一度言った。

「ありがとう、リカルド。これ、美味しい」

 リカルドは鼻の下をゴシゴシとこすると、照れくさそうに頷いた。

「ゆっくり食べてると、溶けるぜ」

「うん」

 しばし、カレブはミシェルと共に匙を動かし、雪を胃におさめる事に没頭した。
 やがてカップが空になると、おもむろにリカルドが口を開いた。

「明日からの事、話していいか」

「ああ」

 カレブは表情を改めた。
 ミシェルの笑みも淡くなる。青緑色の瞳には真剣そうな光が踊った。

「カレブの目的は、第八層。俺は、金を稼ぐのと、こいつにつきあって依頼を完遂させる事が目的だ。ミシェルさん、まだ聞いていなかったけど、あんたは」

 そう言えば、まだミシェルの目的を聞いてはいなかった。
 一緒に行こうという申し出を受け、行動を共にしていただけだ。

 迷宮から帰った後もこうやって付き合ってくれるという事は、今後も行動を共にするという事だろうと、漠然とカレブは受け止めていた。

 ミシェルは口元に人差し指を当てると、にっこりと笑って答えた。

「秘密よ」

 あんぐりとリカルドは口をあける。

「いや、秘密って・・・」

「秘密なの。でも、一緒に行きたいと思っているわ。魔術師の力が必要ではなくて?」

「必要だ、とても」

 リカルドは頷いた。
 グレッグとサラを失った今、ミシェルにまで抜けられると正直先へと進めなくなる。

「では、そういう事よ」

 リカルドはちらりとカレブを見た。
 視線に気がついたカレブが頷く。

「その答えで充分だ。よろしく、ミシェルさん」

「ええ」

 リカルドは肩をすくめた。
 カレブは、どうやらミシェルには警戒心が薄くなるようだ。

 まあいいか、とリカルドは思った。
 自分がしっかりして、カレブを支えればいいだけの話だ。

「よし、それじゃ次へといこう。進行の予定なんだが、この状態で三層に進むのは問題があると思う」

 カレブは拳を握り締めた。
 心には、今も早く進みたいという欲望が渦巻いている。
 だが、リカルドの言う事が正しいという事も理解できた。

 グレッグとサラが欠けた状態での戦闘方法を模索しなければならない。

「そう、だね。進むのは、無理だろう」

 短くカレブは答えた。
 リカルドは腕を組んで、壁に背をあずける。

「そこでだ。浅い階層の依頼をこなしていこうと思うんだ。資金もかせげるし、様子もみられる。一石二鳥だ」

「三万ゴールドは、派手に使ったし?」

「そういう事だ」

 ちゃかしたカレブの言葉に、リカルドは頷いた。

「いいよ。そうしよう。食いっぱぐれるのはごめんだし、あの薄暗いところで死ぬのもごめんだからね」

 ニヤリとカレブは不敵な笑みを浮かべた。
 薬が効いてきたのか、頭痛はひっこんだらしい。

「頭がいいわ、戦士さん」

 ミシェルも賛同の意をしめすが、その言葉にリカルドは少々ひっかかった。

「・・・ミシェルさん、それ、褒めてるのか」

「ええ、もちろんよ」

 愛らしい笑顔に何か別のものを感じながらも、リカルドは話をすすめる事にする。

「実は、いくつか依頼を受けてきた。主に一層と二層の依頼だ」

「・・・それで、帰りが遅かったのか」

 カレブは納得がいったとばかりに、リカルドを見た。

「まあな」

 機嫌がよくなってきたぞ、と内心リカルドは安堵した。
 これから、大切な事を言わなければならないのだ。
 徹底的に、カレブの機嫌をよくしておく必要がある。

「上出来だ。明日、朝一番で動ける。ミシェルさんもそれでいいかな」

「平気よ。迷宮の入り口で待ち合わせましょう」

「うん。それじゃ、今日はもう休もうかな。体調を整えたい」

「あと、もう一つ」

 話を終わらせようとしていたカレブを、リカルドは大きな声で止めた。

「まだあるのか?」

「ああ」

 カレブとミシェルはもう一度話をする体勢に戻った。

 リカルドは唇を湿らせると、ゆっくりと話し始めた。

「俺達は、優秀な前衛と癒しの魔法の使い手を、失った。このまま迷宮の深い所へ行くのは難しい。そこで、パーティに入ってもらう人をさがしてきた」

「え・・・」

 カレブがリカルドを見る。

「その人は、剣と癒しの魔法が使える。なかなかの実力者だ。勝手に決めて悪いとは思ったけど・・・」

 カレブは、複雑な顔をしていた。
 傷ついたような、己を責めるような、そんな表情だ。

「・・・二人がいなくなったばかりなのに」

 そんなカレブの肩に、ミシェルが優しく手を置いた。

「感傷では、解決しない問題もあるわ」

 カレブはミシェルを振り返った。しばらく彼女を見つめ、やがて頷く。

「・・・そうだね」

 ミシェルはにっこりと微笑んだ。

「剣と癒しの魔法という事は、その人は騎士かしら」

「そう、騎士だ」

「騎士」

 一瞬、ラディックの顔が頭を過ぎった。
 騎士がみんな、あんなに頭の固い連中だというのなら、うまくやっていく自信はない。

「一度、会ってる」

「え?」

「グレース=ザリエル。白百合の美姫だ」

 カレブの脳裏に美しい娘の姿が思い出された。
 そして、その娘を見つめるリカルドの眼差しも。

 ひっこんでいたはずの怒りが、一瞬で爆発するのを、確かにカレブは自覚した。

「こ、この、助平戦士!」

 気がついたら立ち上がり、リカルドの腹に拳をめりこませていた。
 まだ脚がふらついていたのに、しっかり捻りがきいているから不思議だ。

「み、みぞおち、は、ない、だろぉぉぉ・・・」

 リカルドは、情けない声をあげ、床に沈んだ。