「薬草を煎じてくれる?」

 祭壇にむかってひざまづくエルフの男に、ミシェルはそう声をかけた。

 閑散とした部屋に、しつらえられた粗末な祭壇。
 ヒビの入った女神像は、頭部が消失している。なんとか形をとどめている胴体部も、今にも崩れ落ちそうだ。しかしそれらが、ひざまづくエルフの信仰を砕く事はないらしい。

 いくつも灯された蝋燭の炎が、淡い光を躍らせている。それに照らし出されたミシェルとエルフの男の影が、ユラユラとゆれた。

 たっぷりと数呼吸の間を置いて、やっとエルフの男は立ち上がった。
 長めにのばしたやわらかそうなくせ毛が、さらさらと音をたてる。
 古木の茶に、太陽の金色の光がはじけたような、不思議な色合いの髪だ。

「薬草。どんなだい?」

 切れ長の目を細めて男はきいた。

 ミシェルはいくつかの薬草の名前をあげる。
 男は、細い眉をぴくりと神経質そうに寄せた。

「・・・それは、俗に言う”二日酔い”に効く薬草じゃないのか?」

「ええ、そうよ」

 おっとりとした微笑みを絶やす事無くミシェルは言う。
 ミシェルの青緑色の瞳と、男の野イチゴ色の瞳が真正面からぶつかりあった。

 やがて、根負けしたのか、男がツイと視線を反らせた。

「わかった。煎じよう」

 やれやれと首を振りながら、しかし男は皮肉に笑った。

「それにしても・・・二日酔い、か」

 のんきな事だ、と男は続ける。

 ミシェルは、それが誰のための薬かは言わなかった。言えば、彼がどのような反応をするかは、わかりきっていたから。

 ふと、男は顔をあげ、ミシェルに問うた。

「それは、この間の髪粉の主にあげるのかな?」

 ミシェルはすっと指を持ち上げると、唇に当てた。

「内緒」

「相変わらずの秘密主義者だ」

 やっと男の顔に、純粋な笑みが浮かぶ。
 そうすると、途端に男を包んでいた硬質な雰囲気が消えうせ、優しいあたたかさのような物が滲んだ。

「かなわないな」

 ふふっとミシェルは笑う。

「よろしくね、カザ」

 カザは、笑みを唇の端に残したまま頷いた。

「こうして、君と話していると、まるで故郷の森にいるようだよ」

「それは、夢だわ。カザ」

 野イチゴ色の瞳が細くなった。
 見つめているのは幻か、過去なのか。あるいは、その両方か・・・

「君達は、本当によく似ている。優しいけれど豪胆で、繊細だけれど大胆で・・・」

 カザの声に混じる懐かしそうな響きに頷きながら、ミシェルもしばし幻を追った。
 それは、美しく、幸せで、そして悲しい幻だった。

「でもね、ひとつ違うところがあるのよ」

「・・・それは?」

 興味にかられて、カザは尋ねた。
 すました表情で、ミシェルは答える。

「わたしは、彼女と違って嘘をつく事が上手なの」

 突然、プッとカザが吹きだした。
 楽しい思い出に出逢えたようだ。

「確かに、そうだ。彼女は嘘をつくのが下手だった」

 二人は顔を見合わせると、お互いの瞳にここにはいない女性を見出した。
 名残惜しそうに、カザが目を閉じた。

「・・・やめよう。過去には、戻れない」

「そうね」

 しばしの間交わっていた二人の道は、再び離れた。

 ミシェルは、二人が今は同じ道を歩めない事を知っていた。
 だから、カザを思いとどまらせようとはしなかった。

 かわりに、いつもの笑みを浮かべて言う。

「それじゃ、カザ。お願いね」

「ああ」

 ミシェルはそのまま部屋を出た。

 一人になったカザは、女神像を見つめる。
 そして、苦しく愛おしげに呟いた。

「・・・ソフィア」

 優しい応えは返ってこない。くるわけがないのだ。

 カザは苦笑すると、愛しい人の面影を残す娘の頼みをきく為に、奥の部屋へと姿を消した。


 

   リカルドはらしくもなく、緊張していた。
 二、三度部屋のまわりをぐるりと回り、思案するように顎をなで、そしてようやっと扉をたたいた。

「・・・はい」

 やや警戒の色を含んだ女の声が、返ってきた。
 カレブ、ではない。

 カレブの声も耳に心地よいが、この声はもっと聞く相手に女だという事を意識させる、やわらかさと美しさを秘めていた。

 第一、ここはリカルド達が宿泊している宿ではない。やや街外れ寄りに建てられた、もう一軒の宿だ。冒険者達は、迷宮や月夜亭から遠いこの宿をあまり利用しない。

「リカルド、なんだけど・・・」

 今更丁寧な言葉づかいになるのもおかしいような気がして、なんだか随分とはぎれの悪い返答をしてしまった。

 そして、言ってから気がついた。
 自分が彼女に名乗っていなかった事に。


 まずい、これじゃ不審者だ・・・


 慌てて説明しようとした瞬間、勢いよく扉が開いた。
 乳白色の長衣と上着を着た娘が顔を出す。

「リカルド様、ご無事でしたか」

 娘はそう言うと、心底安堵したような表情を浮かべた。

「リカルド様!?」

 リカルドは思わずひっくり返りそうになった。
 二十三年生きてきたが、「リカルド様」などと呼ばれたのは初めてだ。

「あー、待ってくれ・・・。本来、様といわなきゃいけないのは、俺の方なんだ・・・」

「ですが」

 娘は短すぎる蜂蜜色の前髪を揺らして、反論しようとする。

「それに、何よりくすぐったい! 頼む、リカルドと呼んでくれ」

 言いながらバリバリと身体をかきむしるリカルドを見て、娘、グレースは頷いた。
 見ようによっては、笑みととれなくはないものを唇に浮かべて頷く。

「わかりました」

 リカルドはホッと胸をなでおろした。

「わたし、心配していたのです。もしかして、恩人の方々を窮地に陥れてしまったのではないかと」

 新緑の瞳を伏せながら、グレースはそう言った。
 迷宮から帰り、役人の話を聞いてから、ずっと気にかかっていたのだ。

「心配? お姫様が?」

 意外そうにそう言ったリカルドを、グレースはキッと見つめる。

「グレースです」

「あ、ああ、すまない」

 まるでつまらない痴話げんかのようで、リカルドはなんだかおかしくなった。
 グレースもそれに気がついたのか、恥ずかしそうにうつむいた。

「ど、どうぞ。お入りください」

 入ってよいものかリカルドは一瞬悩んだが、廊下で立ち話を続けるのもどうかと思い、言葉に甘える事にする。

 部屋に入ると、グレースはリカルドに椅子をすすめた。
 そして、自分は寝台に腰を下ろす。

 その仕草の一つひとつが優雅で、やはり彼女は姫君なのだとリカルドは思った。

「それにしても、いいのかい? 知らない男を部屋に入れて」

 グレースは不思議そうにリカルドを見た。

「リカルド様・・・、いえ、リカルドはわたしの恩人です。知らない方ではありませんわ」

「いや、まあ、そうだけど」

 どう言えばわかってもらえるのか。
 世間知らずな姫君を前にして、リカルドは悩んだ。

 だが、悩むよりもさっさと用件を済ませてしまった方が早い事に気がついて、苦笑する。

「俺が言った事、覚えているかな」

 グレースは頷いた。
 恩人達の安否も気がかりだったが、リカルドの言った言葉も心の片隅にひっかかっていたのだ。

「シラスの民の献上物」

 二人は同時に同じ言葉を言った。
 リカルドは微笑み、グレースは少し困ったような表情になる。

 リカルドはそれを見て、笑みを消した。

「わがままだとは思う。家を捨てたって言うあんたを当惑させるかな、とも思った。でも、やっぱり・・・」

 グレースは、リカルドにみなまで言わせなかった。

「気になさらないで」

「献上いたします」

 リカルドはそう言うと、手のひら大の小さなタペストリーをうやうやしく差し出した。

 
本来神殿や王城の壁を飾る事が目的のタペストリーは、もっと大きな物が一般的だ。
 たくさんの色糸を使ったタペストリーは絢爛豪華で、見る者の目を楽しませ、芸術の世界へと引きずり込む力を持っている。

 だが、リカルドが差し出したそれは、薄汚れていてお世辞にも綺麗とは言えなかった。とても、姫君に献上するような品とは思えない。

 少ない色数と大きさから、このタペストリーが習作であると知れた。

 受け取ったグレースは、そっと古びた織り目を撫でた。
 色あせた織り糸は、一房の葡萄を描いていた。縁は、葡萄の蔓と葉がぐるりと囲んでいる。

「ボロですまない」

 グレースは無言で首をふった。

「姉が練習で織ったものなんだ」

「お姉様が」

 リカルドは頷く。


 お姉様は、ご無事だったのですか?


 グレースは、心に浮かんだその疑問を口にする事は出来なかった。
 リカルドもそれ以上姉の事には触れず、言葉を続ける。

「ガキの頃に俺がもらって・・・、ずっと持っていたものだ。本当なら、もっと綺麗なタペストリーを献上するはずだった」

 リカルドは、目を細め過去を見た。

「俺達男衆は見せてもらえなかったけど、夏の百合の野に遊ぶ乙女をあしらっていたらしい。名は、清廉」

 順調に織られていたタペストリーは、今はもうない。
 その織り手達と共に。

「百合・・・、清廉・・・」

 ぼんやりとグレースは呟いた。
 精気のないその表情がなんだか痛々しくて、リカルドの胸が痛んだ。

「・・・すまない。よしたほうがよかったかな」

「いいえ」

 すっとグレースは顔を上げた。
 新緑の瞳がまっすぐにリカルドを見つめる。すがすがしい初夏の風が吹き抜けたような気がして、リカルドは瞬きをした。

「なつかしい日々が、帰ってきたような気がしました」

 グレースは、優しい手つきでタペストリーを撫で続ける。

「あたたかな物に包まれて、未来だけを見つめていた日々が」

 リカルドは無言でグレースが話すにまかせた。
 流れる空気の穏やかさに心がゆるんだのか、グレースの重い口が開かれる。

「家を捨て、髪を切り、二つ名を忘れてはみたけれど、やはりわたしの心の奥底には、あのなつかしい日々が息づいている・・・」

 リカルドは微笑んだ。
 わたしたタペストリーで姫君の心が癒されたのなら、これほど嬉しい事はない。

「よかった。村の皆も喜ぶだろうな。・・・シラスの誇りだったんだ。あんたに、タペストリーを献上する事は」

 グレースはタペストリーを胸に押し当て、頭を下げた。

「感謝します、シラスの民よ」

「こっちこそ。受け取ってくれて、ありがとう」

 リカルドは椅子から立ち上がった。
 あまり長居をしても、と思ったのだ。

 ふと、グレースの目に寂しそうな表情が浮かんだ。

「もう、お帰りになりますか」

「ああ。変な噂がたっても困るだろう?」

「変な噂?」

 きょとんとするグレースに、またもやリカルドは苦笑した。
 本当に、白百合のような姫君だ。人の悪意という物に、ひどく疎い。
 大切に、大切に育てられたのだろう。

「久しぶりにお喋りして、なんだか人恋しくなりました。もう少し、お付き合いくださいませんか?」

 ・・・・・・この頼みを断れる男が、何人いるだろう。
 ましてや、頼まれごとを断れない性質のリカルドのことだ。

「あ、ああ」

 気がついたら頷いていた。

 椅子に腰をおろしながら、おいてきたハーフエルフの少女の顔が思い浮かぶ。


 ああ、カレブ怒るだろうなあ。


 そして、そのリカルドの予想は、ひどく正しいものであったのだ。