高い金を払っただけの事はあって、一番安いシチュウとレモネードは美味しかった。
 特にレモネードは貴重なハチミツが使われていて、とても好みの味だった。
 毎回注文してしまいそうで、怖い。


 あんなのを毎回頼んだら、破産だ。

 カレブは己を戒めた。

 見上げると、灰色の空から雪が舞い降りてくる。
 たくさん。無数に。

「これが、全部金貨なら苦労しなくていいだろうな」

 差し出した手にふわりと落ちた雪は、呆気なく溶けて、消えた。

「ふふ、手にした途端、消える金貨なら、無い方がまし、か」

 手にした途端、消える幸せなら、夢見ない方がましなのと、同じように。

「ま、きちんと働けって事だよね」


 カレブは夢想をやめて、仕事にうちこんだ。
 ・・・成果は上々だった。
 これで、今夜の宿と、明日の食事代に困る事はないだろう。


「あの戦士のおかげかな」

 人の良さそうな戦士の顔を思い出して、カレブは笑った。

 あり金をすられたというのに、戦士はまったく気づかなかった。
 それどころか、わざとぶつかったカレブに、「大丈夫か?」とまで言ったのだ。

「あんな様子で、このご時世を生きていけるのかしら」

 本人が聞いたら、余計なお世話だと怒鳴り出すような事を、カレブは思った。

 ひきあげようか、それとももう少し働くか・・・

 思案しながら道を見回していたカレブの目に、ふと一人の剣士の姿が飛び込んできた。
 怪我をしているのか、どこか具合が悪いのか、よろよろと歩く白髪の剣士・・・・・・
 ただ、発している気配が只者ではない。


 ・・・・・・かかわっちゃだめだ。


 直感的に、カレブはそう思った。

 くるりときびすを返そうとしたその途端。

「・・・・・・少年」

 よく通る声が、カレブの足を止めた。
 振り向くと、白髪の剣士がカレブを見つめていた。

 カレブは辺りを見回し、「少年」が自分だという事を確認すると、顔を引きつらせる。

「ぼ、ぼく、ですか?」

 白髪の剣士は、無言で頷く。

「何か、御用でしょうか・・・」

 しぶしぶカレブはそう言った。
 奇妙な苦手意識が、カレブの言動を卑屈にさせる。

「手を、貸してもらいたい」

 だが、剣士はそんなカレブにかまう事無く、静かにそう言放った。

「手を・・・?」

 何か、もっと、とんでもない事を言われると思っていたカレブは、思わず剣士を見つめる。

 そして、ああ、と思った。

 ぼくは、この人の瞳が、苦手なんだ。
 凍えた冬の泉のような、冷たい、青い瞳が。

「私は、見てのとおりの傷ついた身体だ。歩くのが、少し辛い。酒場まで、手を貸してもらいたい」

 カレブは迷った。

 剣士の頼みは、特に難しくも何ともなかったが、カレブの本能は未だに「危険」を発していたからだ。

 よろり、と剣士が一歩カレブに近づく。

 カレブは、小さくため息をついた。

 危なくなったら、自慢の俊足で逃げればいい、そう思ったからだ。
 剣士のこの様子では、カレブの素早さにはついてこれないだろう。

「わかりました。じゃあ、つかまって」

 剣士に肩を貸して、カレブは歩き始める。

 剣士が行きたいと言ったのは、カレブが食事をした「月夜亭」だった。
 入り口まで彼を支えて歩き、扉を開ける。

「それじゃ、ぼくは、これで」

 立ち去ろうとしたカレブの腕を、剣士がつかんだ。

「待て」

 ぎくりとして、カレブは身体を強張らせる。

「な、なんです!」

「・・・・・・若く、健康な身体だな。これなら、いくらでも働けるだろう。何故、盗みなどを働く?」

 冴えざえとした青い瞳が、射抜くようにカレブを見ていた。
 いやな、色だった。胸が悪くなる、色・・・・・・

 高鳴る心臓をなだめながら、カレブは笑みを浮かべる。

「おっしゃる事が、よくわかりません」

 フ、と剣士も笑った。

「なかなかの胆力だ。私に見つめられて、笑えるとは」

 笑みを顔にはりつけたまま、カレブは答えた。

「証拠もないのに、決め付けられるのは迷惑です」

「そうか」

 追求されるかと思ったが、意外にも剣士はそう言って手を放した。
 カレブは、少し拍子抜けする。
 だが、その安堵は、次の台詞で吹き飛んだ。

「寒さで、脳の血管がつまって、記憶障害を起こしているらしいな」

 笑みが、消えていた。

 思わずカレブは息をのむ。

 これ以上は危険だ、と心の声がした。

「笑えない冗談ですね。では、ぼくはこれで」

 くるりと背をむけると、一気に走り出す。
 いや、走り出そうとした。

 とたんに、ゾクリと背筋を走る悪寒。
 風を切る、小さな音。

「・・・え?」

 真っ赤な何かが、足元の雪を染めた。

 誰かの悲鳴が聞こえる。

「な、なん・・・だよ・・・」

 カレブは、自分の胸から生える剣の切っ先を、呆然として見つめた。

「お前は二つ、罪を犯した」

 剣士が、背後からカレブに語りかける。

「一つは、街中で盗みを働いた事」

 目の前が、歪んでいく。
 息が、苦しい。

「一つは、この私に嘘をついた事」

 ひどく、胸が痛かった。
 信じられない痛みが、脳を焼いていく。

「禁を犯した者は、裁かれなければいけない」

 こんな所で、死んでしまうのだろうか。
 あの閃光さえ、生き延びたというのに。

 嫌だ。
 こんな風には、死ねない。

 こんな、あっさりと死ぬわけにはいかない。

 だって、ぼくの命は。

「身をもって、自らが犯した罪を知るがいい」

 ドゥーハンを包む雪の如く、冷たい声が響いた。

 だが、その声すらも、カレブにはもうあまり届いてはいなかった。

 意識が途切れる寸前に脳裏をよぎったのは。

 何故か、一面の青空だった。