銀色の髪が、雪風に舞った。
 結局あの後、染める時間がなくてそのまま宿を出る事になったのだ。
 色硝子も入れていない。
 あれだけおおっぴらにばれてしまったのなら、これ以上誤魔化すのは無意味に思えたから。

「畜生、最大の失敗だ・・・」

 低くカレブは呟いて、好奇の目を向けるサラを睨み付けた。

「いいか、ひとつでも質問してみろ。その良く回る舌をひっこぬいてやる」

 その迫力に、さすがのサラも青ざめて、こくこくと頷いた。
 おびえたように、リカルドの背に隠れる。

 フンッとカレブは鼻を鳴らすと、足音高く歩いていった。

 迷宮前では、昨日と同じようにグレッグとキャスタが待っていた。

「悪い、遅れたな」

 リカルドが詫びの言葉を呟いたが、二人ともそれは耳に入らなかったようだ。

「カレブ、か?」

 目を丸くしてグレッグが尋ねる。

「ああ、そうだ。けど、あんた忍者なんだろ? だったら、姿かたちで人をとらえるんじゃない。気配で感じ取れよ」

 うんざりしてカレブは言った。
 後、何回この手の質問をされるのだろう。

「これは一本とられた」

 ふ、とグレッグは笑う。

「あんたの依頼は、昨日のあれで終わったんじゃなかったのか」

 余計な事を尋ねられる前に、逆にカレブはグレッグに聞いた。

「君は、今日一階の最深部まで行くのだろう? なら、礼をかねて付き合おうと思ってな」

「礼なんて、金だけでいいよ」

 カレブはそっけなく言い捨てた。
 あまりにらしい言葉に、グレッグは苦笑する。

「それに、正直言うと、魔物と戦ってみたいのだ。今の自分の強さを確認したい」

「恩着せがましい事を言わずに、最初からそう言うんだね。好きにするといいさ」

 カレブはグレッグから視線を外すと、キャスタに近づいた。

「キャスタ」

 ぽかんと口をだらしなく開けて、自分を見つめるオークに呼びかける。

「おんなじだ」

「は?」

「カレブ、剣士様とおんなじだど」

「ああ、目の色? それはもういいよ。それより、キャスタ。あの剣士、どこに居る」

「様をつけるだど!」

 イライラしてカレブはキャスタの頭をなぐった。
 涙目でキャスタはカレブを見上げる。

「ひ、ひどいだよー」

 泉のような瞳が、ギラリと危険に閃いた。
 キャスタは、あわわわと後ずさると、質問に答える。

「け、剣士様は今日、迷宮にいるだ」

「迷宮?」

 涎を飛ばしながら、キャスタは頷く。

「下層の様子を見に行くって。そんで、そんで、その後、オダと待ち合わせをしてるだ。あんだ達の事、報告しなきゃなんないから」

「ふん、丁度良い」

 小さくカレブは呟いた。

「ぼくが直接会ってやる。待ち合わせ場所は?」

「一階の広間だど」

「なら、最深部だな」

 話を聞いていたリカルドが口をはさんだ。

「どういった心境の変化だ? あの人に会いたいだなんて」

 スッとカレブは目を細めると、迷宮に向かって歩き出した。

「あんたには、関係ない」

「おお、怖」

 リカルドは、大げさに肩をすくめる。

「けど・・・」

「怒った方が綺麗、だか?」

 リカルドは、キャスタに片目を瞑って見せた。

「そう。よく覚えてるじゃねえか」

 カラカラと笑うリカルドを見て、サラは目を輝かせた。

「やっぱり、そういうシュミなんだわ〜」

「・・・何が」

 不思議そうに尋ねるグレッグに、サラは得意げに話し始めた。

「あのねー」

 しかし。

「リカルド、グレッグ、サラ、さっさと来い!!」

 カレブの怒鳴り声が、会話を中断させた。
 リカルドとグレッグは苦笑して、迷宮へと向かう。サラは、残念そうに二人に続いた。


 

 

「待って、待ってよ、カレブ君。少し、早いよ・・・」

 ハァハァと息を整えながら、サラが訴えた。

「も、もう、ダメ。少し、休憩しようよ・・・」

 サラは壁にもたれると、ずるずると座り込んだ。

 彼女が根をあげるのも、ムリはなかった。気がせいているカレブは、かなりのハイペースで突き進んでいたからだ。戦闘にも積極的に参加して、短時間で勝負を決める。体力のあるリカルドやグレッグはともかく、サラにはきつい探索行だった。

「これくらいで参ってたら、修行にならないだろ。無料の救護院を開く為に、頑張るんじゃなかったのか?」

 涼しい顔でカレブは言う。
 サラとは対照的に汗一つかいていない。

「・・・僧侶の修行に、こんなの必要ないもの」

 恨みがましく、サラは言った。

「だったら、うまく魔法を使って手助けしてみろよ」

「わたし、攻撃の魔法、嫌いなのよね。こう、なんだかすごく、痛そうじゃない?」

 怒鳴りつけようとするカレブの口を塞いで、リカルドが助け舟を出した。

「まあ、サラの魔法はいざって時に取っておいたほうがいいよ。今のところは、ムリに攻撃魔法を使わなくてもなんとかなる。・・・カレブが、参加してくれてるしな」

 サラは、喜んでリカルドの腕に抱きついた。

「ね、そうよね? 僧侶は癒しの魔法こそ、使うべきなんだわ!」

 カレブは、リカルドの手を振り払うと叫んだ。

「だったら、黙ってついて来い!」

「カレブ君、怖い・・・」

 サラは、ぎゅっとリカルドに身体を密着させる。

「ああ、まったく腹のたつ女だなっ! しなしなするんじゃ・・・」

 シッとグレッグが唇に指を当てた。
 静かにしろ、というジェスチャーだ。

 魔物が近づいているのか、とカレブは神経を集中させた。しかし、そのような気配はない。

「なんだよ、グレッグ」

「聞こえないか?」

 言われて、カレブは耳を澄ました。
 小さな、ごく小さなうめき声が聞こえた。

「どこだ」

 カレブは四方に視線を走らせる。
 その目が、少し先の古びた扉に止まった。

「あそこか」

「なに、なに、どうしたの?」

 サラは、グレッグとカレブをかわるがわる見る。

「うめき声がする」

 え、とサラはリカルドから離れた。

「人なの?」

「ああ、たぶん」

 グレッグが頷くや否や、サラは扉の方へと飛んでいった。

「助けなきゃ!」

 どうやら、僧侶の血が騒いだらしい。

「おい、待てよ」

 リカルドが慌てて後を追い、グレッグも続いた。
 あまりに素早い行動で、カレブは一瞬呆気に取られた。
 ハッと我に返り、叫ぶ。

「やっかい事に首をつっこむな!」

 しかし、扉の向こうに駆け込んだ三人にその声は届かない。
 カレブはイライラと銀の髪をかきむしった。

「ああああああ、もう!」

 床を蹴り飛ばし、三人に続く。
 キャスタもおっかなびっくりついて行った。

 カレブが扉を開けると、サラ達が一人の男を取り囲んでいた。男は青ざめた顔で膝をつき、玉のような汗を浮かべながら荒い呼吸を繰り返している。

 サラは男の身体を仔細に調べていたが、やがて振り向いて呟いた。

「どうしよう、毒だわ・・・」

 見れば、男の右手には小さな傷があった。傷口から少しずつ紫に変色し始めている。毒が回ろうとしているのだ。

「トラップにでも引っかかったか」

 チッとリカルドがいまいましそうに舌打ちする。

「たた、たいへんだど〜!!」

 オタオタとキャスタが無意味に走り回った。
 はあ、とカレブはため息をつく。
 かかわってしまった以上、見捨てれば夢見が悪いだろう。それに、そんな事をすれば、きっとこの三人、いや四人がうるさい。

「サラ、治してやれ。修行に丁度いいだろ」

 しかし、喜んで頷くかと思われたサラは、泣きそうな顔をしてカレブを見た。

「・・・解毒なんて高度な魔法、わたし、まだ、使えない・・・」

「あんた本当に僧侶かっ! 解毒くらい、彼女なら簡単に・・・!」

 カレブは振り上げた右手をおろし、口をつぐんだ。

 一瞬、自分は何を言いかけたのだろう。
 サラは気づかなかったのか、気にしなかったのか、めそめそと泣き事を言った。

「だって、修行中なんですもの〜・・・」

「この、役立たず!」

 そうこう言っている間にも、男の具合は悪化していく。

「いっそ殺して、寺院にぶち込んだ方が早いかもな」

 物騒な台詞をはくカレブに、リカルドは叫んだ。

「人でなしか、お前はっ!」

「ふん、冗談だ。寺院には行きたくないから、そんな事はしないね」

「やめる理由は、そっちかよ・・・」

 ガッと男が、カレブの足首を掴んだ。

「た、頼む、助けてくれ・・・、礼は、する・・・!」

 男は、必死に生にすがり付こうとしていた。濁った目が訴えている。死にたくない、と。
 カレブの目が細くなった。

「リカルド、水袋を貸せ」

 わけがわからぬまま、リカルドは水袋をカレブに差し出した。
 一体何をするつもりなのだろう。

 カレブは鞘から抜いた短剣に、水をかけ清める。

「グレッグ、炎の魔法は使えたな?」

「ああ」

 カレブは、短剣をグレッグの前にかざした。

「これに、かけろ。消毒する」

「心得た」

 グレッグは、炎の魔法の詠唱を始めた。

「サラ」

「は、はい!」

 びくりとサラは顔を上げる。

「服の裾、適当に裂いてあの人の手首を縛って。毒が回るのを止めるんだ」

 サラは大急ぎで長衣の裾をたくし上げると、ビリビリと細長く裂き、男の手首をきつく縛った。

「出来たよ、カレブ君」

 カレブは無言で頷くと、炎の魔法の衝撃に堪える為、短剣を持つ手に力をこめた。
 かざされたグレッグの手が、一瞬、紅に染まる。

「クレタ」

 解放の言葉と共に放たれた灼熱の玉は、狙いたがわずカレブの差し出した短剣を直撃した。
 ジリリとカレブの前髪が微かに焼け焦げる。

 カレブは、短剣をひとふりして熱を払うと男の前にしゃがみこんだ。

「痛むぞ、我慢しろ」

 カレブは短剣を男の傷口に差し込んだ。そして、広げる。

「ぐわっ!」

 痛みに暴れ出しそうになる男の肩を、リカルドとグレッグが押さえつけた。
 カレブは広げた傷に己の口を当てると、血を吸い出す。
 飲み込まず、毒の混じったそれを床に吐き捨てた。

 数度それを繰り返し、カレブはやっと男を解放する。
 そして、水袋に残っていた水で口をゆすぎ、サラに指示した。

「傷、治して。それぐらいは出来るだろう」

 呆気にとられていたサラは、ハッとして頷くと、癒しの魔法を詠唱し始めた。

「カレブ、大丈夫か、毒は・・・」

 リカルドは、心配そうにカレブに声をかける。
 カレブは、種類もわからないのに、毒が混じった血を口にふくんだのだ。カレブも毒に冒されたのではないかと不安になる。

「そんなに吸収性の強い毒じゃないみたいだから大丈夫だ。もしそんなだったら、悠長に喋っている間に、もっと毒が回ってる」

「とっさにしては、上出来だ」

 グレッグはカレブの行動力に、しきりに感心していた。

「あとは、こいつを連れて街に戻らないとね。一人じゃ、帰れそうにない」

 くそっとカレブは小さく愚痴る。
 今日の探索はここで終了になりそうだ。あと少しで、最深部だと言うのに・・・

 魔法を唱え終わったサラが、ああっ! と叫んだ。

 何事かと、三人の視線が集中する。
 サラは、取り繕うような笑みを浮かべ、カレブを見た。

「カ、カレブ君、怒らない?」

 サラは、ごそごそとウェストポーチから小さな薬瓶を取り出した。七色にきらめく不思議な液体が詰まっている。

「・・・? 何だ、それ」

 カレブはいぶかしげに呟いたが、リカルドとグレッグは「あーあ」という顔をしてサラを見ていた。

「あ、あの、ほら。昨日みたいに一人で放り出されたら、大変じゃない? だから、あんな目に会う前に、準備をと思って。あ、でも、何もあなた達が、わたしを見捨てた昨日の戦士達と同じってわけじゃ・・・」

 ダン! とカレブは壁を殴った。

「用件を述べよ」

「え、えっとね? これ、「転移の薬」って言って・・・、あらかじめ、印をつけた場所に転移の魔法で運んでくれるの。つまり、一瞬で街に戻れ・・・」

 ごにょごにょとサラは言い淀んだ。
 ゆっくりと、カレブの顔にいやあな笑みが浮かんだからだ。

「ああっ、ごめん、ごめんなさいっ! 解毒ってことばっかり頭にあって、この薬の事忘れていたのっ!!」

 ようするに、初めからこの薬を使っていれば、今の苦労はしなくてもよかったのだ。男を街へ帰してやれば、それで事は済んだのだから。カレブ達は、無駄に神経と魔力を消費した事になる。

「サラ」

 にこにことカレブはサラの名を呼んだ。

「いいかい?」

 言い聞かせるような優しい言葉づかい。
 許してくれるのかと、ほっとサラは気を抜きかけた。

 しかし、次の瞬間カレブは憤怒の表情で叫んだ。

「あんまりぼやぼやしてると、ジャイアントトードの餌にしてやるからなっ!!」

 巨大な緑色の蛙に食われる己を想像し、サラは泣いた。

「ご、ごめんなさいーっ!!」

 助けられた男は、礼を言うべきか、言わざるべきか、真剣に悩んでいた・・・・・・