【ライバルはお月様】

 わたしは、いつになく闘志を高めていた。握り締めた手には、知らず力がこもる。
 きっと、今、わたしは可愛くない顔をしているに違いない。眉はつりあがって、口はきゅっとひき結ばれているはずだ。

 でも、しょうがないじゃない?

 わたしは、これから戦いにおもむくんだから。

 もっとも、戦いっていっても漫画でよくある世界を救うだとか、大切な試合や試験にのぞむだとかじゃない。

 わたしは、その、今日、彼とデートをするのだ!

 え? 何が戦いかって? 戦いなのよ! 負けられないのよ! あいつが、いつも邪魔するのよ!

 けれど、今日こそ引き下がらない。絶対に負けないんだって、死んだおばあちゃんに誓ったわ。

 わたしは、高ぶった心を落ち着けるため、深呼吸をしてから服装の最終チェックをした。白いサブリナパンツに、白のTシャツ。ピンクと白のギンガムチェックのジャケット。うん、大丈夫。小柄なわたしによく似合う。きっと、彼は喜んでくれるはずだ。あの人は、わたしがお洒落をすると、すごく嬉しそうだから。

 彼は、とびきり美形ってわけじゃないけれど、心のあったかい優しい人だ。隣にいるとしみじみと幸せな気分になれる。

 けれど、そう思ってるのはわたしだけじゃなくて――。

 思い返すと、手が震えた。籐のバスケットがカタカタと音をたてる。

 いけない。せっかく作ったローストビーフのサンドイッチが崩れちゃう。デザートのりんごのゼリーは大丈夫かしら。

 慌ててバスケットを開けていると、後ろから、大好きな彼の声がした。

「奈々」

 ふりむくと、水色のパーカーとジーンズ姿の彼が手をふっていた。少し明るい茶色の髪にまぶしい陽光が反射している。

「たっくん!」

 名前を呼んで駆け寄ると、彼よりも早くわたしを出迎えるヤツがいた。

 ウワン! と大きな鳴き声。

 つっと視線を落とすと、ブランド物の胴輪をつけたクリーム色のロングコートチワワが歯をむいてエラソーに吠えていた。

「こ、こんにちは、ルナ」

 わたしは、つとめて冷静な笑顔をうかべて、ルナの頭を撫でようとした。
 ところが、ルナのヤツはいやそうに離れて、たっくんに擦り寄る。

「こら、ルナ。ちゃんと挨拶しないとダメだろうー?」

 たっくんはさわやかにそう言うと、ルナを抱き上げ、頬ずりした。

 ……。ま、負けないわ。CMでにわかに人気者になったチワワになんか、負けないわ!? あんたなんて、いまやプードルにとって変わられそうになってるじゃない!?

 けれど、そんなわたしの気持ちも知らずに、たっくんとルナはじゃれあっている。

 いつものパターンだけれど、本当に悲しくなってくる。

 ルナはたっくんの愛犬で、今年三歳になるメスだ。
 たっくんをボスだと思っていて、いつも彼にべったりしている。

 いつだって、ルナがわたしとたっくんの間をじゃまするのだ。

 たっくんの家に遊びに行った時は、うるさいくらいにわたしに吠えるし、たっくんとわたしの間に座るし、すぐにたっくんにかまえっていう。

 わたしは、三度目でたっくんの部屋デートをあきらめた。

 映画を見に行っても、遊園地に行っても、たっくんは、ルナの散歩があるからっていそいそと帰ってしまう。女のわたしより早い門限って、どういうことよ!?

 ロクなデートが出来ないわたしは、妥協案を出した。

 ルナと一緒のピクニックだ。これなら、たっくんも時間を気にせずのんびり出来るハズ。それに、目的はそれだけじゃない。ルナと遊べばたっくんの好感度もあがるし、ルナとも仲良くなれるかもしれないじゃない? 長いつきあいにしたいもの。たっくんの可愛がっているルナと仲良くなるのは、彼女としての必須条件だ。

「じゃあ、行こう」

 そんなわたしの内心も知らずに、たっくんはご機嫌だ。
 ルナと一緒に、先に立って歩き出す。

 ルナはとても嬉しそうだった。しっぽをぴんと立てて、チョコマカチョコマカ歩いていく。時々、たっくんをふりかえりながら、大きな目をキラキラさせて歩いていく。

 こうやって見るとルナはすごく可愛いのだけど、彼女はわたしがたっくんに近づくことを許さない。

 公園についたわたし達は、さっそくシートを広げてくつろいだ。
 たっくんの隣に座って冷たい紅茶をいれていると、ルナがぐぐっと間に割って入る。あくまで、彼の隣は自分の場所だと主張したいらしい。

「たっくん、紅茶」

 わたしは、負けじと笑顔でたっくんに紅茶を渡した。

「ありがとう」

 たっくんは、美味しそうに紅茶を飲んでくれる。ふふふ、こういうのはチワワにはムリよね! 勝利の目でルナを見ると、なんと、ルナはたっくんにもたれてウトウトしている。

 ちょっと待って!? なに、その美味しいポジション!
 許せない、許せないわー!

「奈々、どうしたの?」

 わたしが一人でもだえていると、たっくんが不思議そうな顔をした。
 いけない。変なヤツだと思われたかしら。

「な、なんでもない。お弁当にしよ!」

 わたしは、昨日からしこんでおいたローストビーフで作ったサンドイッチを取りだした。

「はい、たっくん」

 わたしが、たっくんの口元にサンドイッチを持っていったとたん、ルナがぱちりと目を開けて、そのサンドイッチに飛びついた。

「こら、ルナ!」

 たっくんは、そういいながらも目が笑っている。
 なんてこと、なんてこと!? せっかくの手作りローストビーフがああああ!

 ルナは、フンっと鼻をならして、サンドイッチを食べてしまった。

「ルナあああああ!」

 わたしが、怒りの声を上げたその瞬間。

 ぴくりとルナが耳をそばだてた。

 歯をむき出しにして、うなりはじめる。

 なによ、やる気!? 負けないわよ!?

 けれど、ルナはわたしを見ていなかった。
 彼女の目は、わたしの背後を見すえていた。

 振り向くと、大きな犬がこちらを睨んでいる。
 嫌な予感がした。予感というよりも、最早確信に近い。

 大きな犬は、一声鳴くと、こちらに向かってまっしぐらに駆けてきた。

「やっぱりい!?」

 犬はわたしを踏みつけて、サンドイッチにとびかかる。

「奈々!」

 犬は、わたしを踏みつけたまま、たっくんに吠え掛かった。

 なんて無礼な犬なの!?

 その時だ。

 小さなルナが、犬にむかって跳躍した。
 とても綺麗なジャンプだ。

 ルナはそのまま、勇敢な戦乙女のように犬の鼻にかじりついた。

 キャインと情けない悲鳴を上げて、大きな犬は逃げ出した。
 ルナはその後ろ姿に向かって吠え立てる。

「ルナ、ルナ、もういいから」

 犬の姿が見えなくなって、やっとルナは吠えるのをやめた。

「ルナは強いね。さすがは僕のお月様だ」

 それは、たっくんがルナを褒めるときの口癖。
 ルナは得意げに遠吠えをあげると、たっくんの膝に頭をすりつけ、それから倒れたままのわたしに近寄った。

 小さな舌が、わたしの手をなめる。

「ル、ルナ」

 わたしは、少し感動した。

 小さなルナが、たっくんと、それからわたしを、守ってくれたのだ!

「ルナ、ありがとう……」

 ルナは、きゅーんと可愛い声を出す。こんなルナははじめてだ。
 わたし達、もしかしたら、うまくやれるのかも……。

 わたしは気をとりなおして起き上がると、無事だったゼリーを取り出した。

 スプーンですくって、たっくんの口元へ。

「はい、たっくん、あーん」

 ところが。

 黄金色の美味しそうなゼリーは、またもやルナの口へと消えた。

 ルナは得意げに尻尾をふって、たっくんにベタベタ甘えている。

「……」

 たっくんは、あーあ、と苦笑いを浮かべていた。

「る、ルナーーー!!」

 わたしと、ルナの戦いは、まだまだ続きそうだ。

END

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