ごく普通の日本人の少女が、王子さまの花嫁候補として、魔法使いと共に不可思議な都の駅に降り立った頃、肝心の王子は城を留守にして荒野の只中に居た。
薄紫の空にぽっかりと浮かぶ太陽ならぬ、卵二つの目玉焼きがさんさんとまぶしい光をはなち、馬に乗った王子の影を荒野に暗く落とす。
王子は、キッと鋭い瞳で前方を見据えていた。これから花嫁を迎えるというのに、いささか物騒な表情だ。
「あっと、えっと、その、で、殿下。静かですね」
「どもるな、馬鹿者。静かなのは今の内だけだ」
左後方に控えていた兵士と思しき若者の一人を一喝して、王子はやれやれと首をふった。その仕草にあわせて、たくわえらえた立派な口ひげがサワリと揺れる。
口ひげ。なんと王子という呼称にふさわしくない代物だろうか。世の乙女が認めたくないであろう現実がそこにはあった。王子の口元では漆黒の髭が乾いた風に、ある種風格さえたたえながらそよいでいる。だが、しかし、王子に口ひげが生えていたからといって別に何も不思議はない。なにせ、異界の日本より花嫁を迎えるこのアーネスト王子は、今年齢四十二。分厚い筋肉におおわれた立派な体躯にしかめつらしい顔つきをした壮年の男なのだから。
アーネストは大きな身体を、白銀の鎖帷子に窮屈そうにしまいこんでいた。
金の髪の歳若い王子であれば似合いそうな装いだ。アーネストのようなゴツイおじさんは、もっと重厚な甲冑を着込んだ方がよほど見目がよくなるだろう。
「……殿下、似合いませんね、ソレ」
先ほどの兵士もそう思ったらしく不敬きわまりない言葉を発するが、アーネストはそれを無視した。正確には耳に届いていなかったのかもしれない。
「来るぞ」
アーネストが短く注意を促した。かすかに荒野が揺れていた。揺れが大きくなると共に前方に土煙が巻き起こり、白馬の群れが現れた。
白馬達のひづめのとどろきにあわせ、大地が踊る。
「緊張してきましたよー。王子妃殿下が騎乗される白馬を捕らえる伝統の儀式なんて、私、初めてですからね!」
ぶるっと身体を震わせる兵士に、アーネストは口を歪めると笑った。
「私もだよ」
アーネスト達は、花嫁を迎えるにあたり、姫君が騎乗する白馬を捕らえに来たのだ。花嫁への初めての贈り物となる白馬を王子自ら捕らえる事が、この国の慣わしだった。
アーネストはあらかじめ白馬達の動向をさぐり、彼らが水を飲むために泉へと移動する時を狙う事に決めていた。目玉焼きが高く上った日中、喉の渇いた白馬達はいささか注意力が散漫になるからだ。
「行くぞ!」
アーネストが号令を上げると、軽口を叩いていた兵士を初め、ほかの数名の兵士も自らの愛馬に鞭を入れた。そろいの葦毛の馬たちが、白馬の群れめがけて疾走する。
アーネスト達の接近に気づいた白馬達は、驚きのいななきをあげると、スピードをあげ、アーネスト達を引き離そうとした。
しかし、その中の一頭、純白の身体に銀のきらめきを宿した白馬が、頭をめぐらせアーネスト達に向かって突進してきた。
「来ました殿下、群れのリーダーです!」
「わかっている、望むところよ」
アーネストの言葉に応えるように、白馬の背からふわりと銀色の羽が広がった。
美しい羽が力強く空を切り、白馬は空へと駆け上がる。
「おお」
兵士達は、白馬の群れのリーダーが天馬だという事を元から認識していたが、それでも感嘆のざわめきがまきおこった。それほどに、天馬の姿は気高く、また神々しかった。
天馬の青い瞳が一瞬赤く揺らめいたかと思うと、巨大な火の玉が空中にユラリと現れた。翼の一打ちと共に、火球がアーネスト向かって飛来する。
「笑止!」
アーネストは不敵な笑みを浮かべると、腰間の剣を瞬時に抜き放ち、せまり来る火球めがけて斬り上げた。
「ふうんッ!」
王子らしくない猛々しいかけ声と共に剣が走り、火球は真っ二つに千切れ飛ぶ。
兵士達は援護することさえ忘れ、顔を引きつらせて拍手をした。
「やー、あいかわらず、しょ、いや、殿下は化け物だなあ」
「だなあ、火を斬るなんて規格外だよなあ」
「化け物というか、異形というか、異能というか……」
随分と酷い感想を述べる兵士達をよそに、天馬とアーネストの戦いは続いた。
天馬は初め、火球を切り捨てたアーネストに驚愕したようだったが、気を取り直し、雷を招いた。
空気を引き裂き、青白い稲妻がアーネストに死の裁きを与えようとする。
しかし、アーネストは、またも兵士達の言葉を証明するようなことをしてみせた。
「でやぁ!」
稲妻を剣の側面で受け止め、跳ね返したのだ。手のひらからわずかばかり煙が上がっているところを見ると、多少は感電したのかもしれないが。
アーネストに跳ね返された稲妻は、そのあたりに転がっていた岩を見事に粉砕した。
天馬の目に、おびえの色が走る。どうやら、相手がタダモノではないと悟ったようだ。
天馬は、竜巻を呼び、水流を招いたが、そのどれもが、アーネストの剣によって防がれた。あまりに一度に自然の助けを求めて疲労したせいか、天馬の高度が徐々に下がり始めた。
アーネストは、その瞬間を逃がさなかった。剣をしまい、小さな布袋を取り出すと馬の背に立ち上がり、空中へと向かって華麗に跳躍する。鎖帷子が目玉焼きの輝きに反射し、きらめきを王子に添えた。
「そなたを傷つけはせぬ。眠れ、美しき天馬よ」
アーネストは、息を止めると、布袋の中身を振りまいた。薄桃色の粉がきらきらと輝きながら、天馬を包み込む。
アーネストは空中で器用に一回転して地面に着地すると、天馬を仰ぎ見た。
天馬はしきりに瞬きしたり、頭を振ったりしていたが、フラフラと地面に舞い降りると、とうとう耐え切れなくなったのか、どうと倒れた。アーネストの振りまいた眠り粉によって、一時の眠りに落ちたのだ。
天馬へと近づくアーネストに、軽口を叩いていた兵士がうやうやしく小瓶をさしだした。小瓶の中にはとろりとした赤い液体が入っている。どうやら、血のようだ。
アーネストは、小瓶の蓋を開け人差し指を浸すと、天馬の額に血で王子の紋を描いた。血はまばゆい光を放つと、すっと天馬の額にしみこみ、消えた。
天馬の身体がびくりと震え、次の瞬間、天馬は目覚めた。青い瞳に理解の色をしめし、アーネストに膝をおる。
アーネストは、その優しい眼差しが気に入った。
「よい贈り物になりそうだ。姫君が喜んでくださればよいのだが」
天馬の背をなでてやりながら、アーネストは都の方角を振り返った。そこには、異界の姫君が到着しているはずだった。