ピクシーは、半透明の薄い羽を日よけの傘のようにふうわりと頭上にかざし、機械室へと戻ってきた。 自分を待っているはずの「ニンゲン」達に声をかけようとしたが、彼らが一様に奇妙な表情を浮かべ、沈黙している事に気がつく。 指輪を渡した銀髪のハーフエルフの少女の傍まで飛び、ピクシーは彼女の顔をのぞきこんだ。 「ドウシタノ?」 「いや・・・」 銀髪のハーフエルフの少女、つまりカレブは露骨に言葉を濁した。 「・・・カエシテ?」 ピクシーは、きつく閉じたカレブの手にそっと触れる。 「持ち主に、カエシテあげたいの」 これはあげるから、とピクシーはカレブに羽を差し出した。 「・・・持ち主を、知っている」 自分のものとは思えないようなザラついた声が、答えていた。 「ホントウ!?」 驚いたのか、ピクシーの身体を縁取る燐光が、パッと一瞬明るさを増す。 ピクシーはしばらく逡巡していたが、ややあってカレブの手から離れた。 「それじゃあ、アナタがカエシテあげて」 カレブは無言で頷くと、指輪をガルシアからもらった小箱にしまった。 その動きを目で追いながら、リカルドは思考をめぐらせていた。 女王の秘めた恋。 下手をすれば、女王の私生活に踏み込んだ咎で罰せられるかもしれない。 「ガード長なら、やりかねない」 ボソリと呟き、その考えにゾクリと身が震えた。 リカルドが迷宮に潜り始めて間もない頃、女王や兵士の不在を狙って、王室管理室を荒らした冒険者達がいた。金目のものはないかという、即物的で短慮な行動だった。迷宮に点在する宝の箱をあさるのと、同じ感覚だったのかもしれない。 王室管理室には迷宮に関する書類や幾つかの魔法具があったが、そのいずれも女王とガード長が退席する時には一緒に持ち帰られる。 部屋の主がいなくなれば、残るのはなくなってもよい走り書きや、使い終わったガラクタだけだ。 結局、冒険者達は益する事無く、部屋を後にする事となったのだが、翌日、彼らは兵士によって捕らえられ、ガード長に処刑された。 ガード長は冒険者達を一人ずつ、炎の魔法で焼いたという。 全員まとめて焼き払われるのなら、痛みや苦しみ、恐怖はその一度で済むだろう。 ガード長はそのパーティのリーダーを、最後に処刑した。 責任に重きをおいた、厳格な処断だった。 冒険者達はその事件とガード長の恐ろしさを肝に刻んだ。 「女王の指輪」は、その不問律にふれる危険な代物だった。 リカルドは、処刑された冒険者達の二の舞をふむつもりはなかった。 「カレブ」 呼びかけ、カレブに指輪を渡す危険性を説く。 「カレブ!」 リカルドは、いらだたしげにカレブの名を呼ぶ。 「知らなければ、無視できた」 カレブは、まっすぐにリカルドを見つめた。 「だが、わたし達はもうこれが女王の指輪だと知ってしまった。ここで遺棄して、後でバレル方がまずい」 「・・・む」 確かに、そう言われれば反論できない。 「うまく立ち回るしかないか」 はあ、とリカルドはため息をついた。 「・・・たぶん、大丈夫。リカルドが心配しているような事にはならない」 どこかぼんやりとした表情でカレブは答えた。 「どうして」 いぶかしげに、リカルドは顔をしかめる。 「わからない。でも、そんな気がする」 「・・・気がね」 リカルドの不安も、カレブの核心も、この場では推論以上には発展しない。 「・・・贈り主は・・・、知って欲しかったのかしら・・・」 誰にとはなしに、グレースが言う。 「秘めていたいのなら、常用文字を使ったりはしない。誰かに気づいてほしいからこそ、誰にでもわかる文字を使ったのだわ」 クスリとミシェルが笑う。 「あなたなら、そうする? 白百合の姫」 グレースは目を丸くすると、ミシェルに叫んだ。 「わたしは・・・!」 わたしは。 その続きが出てこない。 全てを見透かすような青緑の瞳がグレースを見つめていた。 唇は微笑んでいるが、目は笑っていない。 「わたし、は・・・」 自分だけが知っている秘め事。 わたしは、この秘め事を、誰かに知ってもらいたいのだろうか。 言葉に詰まってしまったグレースに、再びミシェルは微笑んだ。 「ごめんなさいね。わたし、意地悪らしいの」 「ミシェルさん・・・」 くっとカレブが笑う。 「否定できないなあ」 リカルドも苦笑した。 グレースはホッと全身の緊張を解いた。 「それじゃ、オネガイね」 退屈そうに会話を聞いていたピクシーが、カレブ達の間を飛び回った。 「ああ」 うなずくカレブの髪に、ピクシーは手にしていた羽をさす。 これで、どうやら依頼を遂行できそうだ。 カレブが髪に手をやり、羽を抜き取った瞬間、ピクシーが悲鳴をあげた。 「なにご・・・」 短いその台詞を言い切る暇もなく ピクシーは、解き放たれた矢のように扉を目指して飛んだ。 まるで、鋭利な刃物に自ら飛び込んだかのように。 「なっ」 上がった驚きの声はいったい誰のものであったのか。 先ほどまで愛らしく喋っていたピクシーは、、一瞬にしてその命の灯火を吹き消された。 左半身がまず床に落ち、やや遅れて右半身も床に落ちる。 機械室の中央の空間が大きく歪んだ。 ゾクリと全身の毛が逆立つ。 全員が武器を握り締めていた。 陽炎のように揺らいでいた空間が、ぱっくりと二つに裂ける。 「死、神・・・」 リカルドが、凍える舌を動かした。 四人は昨夜、命を賭けて警告した戦士の事を思い出していた。 黒い影が、魂を刈りにくる、と。 広がった空間の向こうは、まさに異界だった。 無限の闇と狂気の灯火が踊り狂っている。 「逃げましょう。あれに捕らわれてはいけない」 ミシェルの声が鋭く飛ぶ。 カレブは頷き、駆け出そうとした。 だが、グレースはその場を動けなかった。 彼女は闇の中に、さがしもとめていたものを見つけてしまったのだ。 新緑の瞳が、異界に釘付けになっていた。 「ジーン!」 胸が痛くなるような切ない声で、グレースは叫ぶ。 「ああ、ジーン!!」 異界の只中に、一人の人間の男が立っていた。 癖のあるこげ茶の髪と、紋章の縫い取りがある暗赤色のマントが、嘆きの歌をのせた風に舞っている。 こちらに背を向けているせいで、顔はわからない。 男は、グレースの必死の呼びかけに振り向きもしない。 「ジーン!!」 グレースは三度叫んで、異界に身を躍らせようとした。 「馬鹿!」 「グレース!」 ぎょっとしたカレブとリカルドがグレースの腕をつかむ。 腕を振り払おうとするグレースを押さえながら、カレブは舌打ちした。 「リカルド、転移の薬を使って!」 リカルドは頷くと、素早くウェストポーチから転移の薬を取り出した。 「いやっ、放して! ジーン、ジーン!!」 重力が消えうせる感覚を自覚しながらも、グレースは叫んだ。 辺りから色彩が消えうせる。 祈りにも似た想いで、グレースは叫ぶ。 「ユージィーーンッ!!」 しかし、白百合の叫びが男に届くことはなかった。 |