ピクシーは、半透明の薄い羽を日よけの傘のようにふうわりと頭上にかざし、機械室へと戻ってきた。

 自分を待っているはずの「ニンゲン」達に声をかけようとしたが、彼らが一様に奇妙な表情を浮かべ、沈黙している事に気がつく。

 指輪を渡した銀髪のハーフエルフの少女の傍まで飛び、ピクシーは彼女の顔をのぞきこんだ。

「ドウシタノ?」

「いや・・・」

 銀髪のハーフエルフの少女、つまりカレブは露骨に言葉を濁した。
 ぎゅっと指輪を握り締め、ピクシーの視線から指輪を隠す。
 その行動は、まるで指輪を返したくないと主張しているかのようだった。

「・・・カエシテ?」

 ピクシーは、きつく閉じたカレブの手にそっと触れる。
 カレブは、一瞬ためらったが、かすかに汗を滲ませた手をゆっくりと開いた。

「持ち主に、カエシテあげたいの」

 これはあげるから、とピクシーはカレブに羽を差し出した。

「・・・持ち主を、知っている」

 自分のものとは思えないようなザラついた声が、答えていた。

「ホントウ!?」

 驚いたのか、ピクシーの身体を縁取る燐光が、パッと一瞬明るさを増す。
 カレブは頷き、指輪に視線を落とした。

 ピクシーはしばらく逡巡していたが、ややあってカレブの手から離れた。

「それじゃあ、アナタがカエシテあげて」

 カレブは無言で頷くと、指輪をガルシアからもらった小箱にしまった。
 細工を動かして鍵をかけ、大切に保管する。

 その動きを目で追いながら、リカルドは思考をめぐらせていた。

 女王の秘めた恋。
 冗談だとすればできが悪く、真実だとすれば重過ぎた。

 下手をすれば、女王の私生活に踏み込んだ咎で罰せられるかもしれない。
 最悪の場合、口を封じられる可能性すらある。

「ガード長なら、やりかねない」

 ボソリと呟き、その考えにゾクリと身が震えた。

 リカルドが迷宮に潜り始めて間もない頃、女王や兵士の不在を狙って、王室管理室を荒らした冒険者達がいた。金目のものはないかという、即物的で短慮な行動だった。迷宮に点在する宝の箱をあさるのと、同じ感覚だったのかもしれない。

 王室管理室には迷宮に関する書類や幾つかの魔法具があったが、そのいずれも女王とガード長が退席する時には一緒に持ち帰られる。

 部屋の主がいなくなれば、残るのはなくなってもよい走り書きや、使い終わったガラクタだけだ。

 結局、冒険者達は益する事無く、部屋を後にする事となったのだが、翌日、彼らは兵士によって捕らえられ、ガード長に処刑された。

 ガード長は冒険者達を一人ずつ、炎の魔法で焼いたという。

 全員まとめて焼き払われるのなら、痛みや苦しみ、恐怖はその一度で済むだろう。
 だが、順番にとなれば、その恐怖ははかりしれない。
 初めの処刑者以外は、仲間が焼かれる恐怖、次は己だと言う恐怖をじっくりと味わう事になるのだ。

 ガード長はそのパーティのリーダーを、最後に処刑した。
 パーティのたずなをうまく取る事が出来なかったリーダーは、恐怖と後悔と絶望に身を焦がす事となったのだ。

 責任に重きをおいた、厳格な処断だった。

 冒険者達はその事件とガード長の恐ろしさを肝に刻んだ。
 以来、冒険者達の間では、ガード長を怒らせてはならない、という不問律が出来上がっている。

 「女王の指輪」は、その不問律にふれる危険な代物だった。

 リカルドは、処刑された冒険者達の二の舞をふむつもりはなかった。

「カレブ」

 呼びかけ、カレブに指輪を渡す危険性を説く。
 カレブは目を細め、リカルドの話を聞いていたが首を横に振り、反対の意を示した。

「カレブ!」

 リカルドは、いらだたしげにカレブの名を呼ぶ。

「知らなければ、無視できた」

 カレブは、まっすぐにリカルドを見つめた。

「だが、わたし達はもうこれが女王の指輪だと知ってしまった。ここで遺棄して、後でバレル方がまずい」

「・・・む」

 確かに、そう言われれば反論できない。
 なんともややこしい問題に首をつっこんでしまったものだ。

「うまく立ち回るしかないか」

 はあ、とリカルドはため息をついた。

「・・・たぶん、大丈夫。リカルドが心配しているような事にはならない」

 どこかぼんやりとした表情でカレブは答えた。

「どうして」

 いぶかしげに、リカルドは顔をしかめる。
 現実的なカレブの答えらしくなかったからだ。

「わからない。でも、そんな気がする」

「・・・気がね」

 リカルドの不安も、カレブの核心も、この場では推論以上には発展しない。
 肩をすくめ、リカルドは会話を打ち切った。

「・・・贈り主は・・・、知って欲しかったのかしら・・・」

 誰にとはなしに、グレースが言う。

「秘めていたいのなら、常用文字を使ったりはしない。誰かに気づいてほしいからこそ、誰にでもわかる文字を使ったのだわ」

 クスリとミシェルが笑う。

「あなたなら、そうする? 白百合の姫」

 グレースは目を丸くすると、ミシェルに叫んだ。

「わたしは・・・!」

 わたしは。

 その続きが出てこない。

 全てを見透かすような青緑の瞳がグレースを見つめていた。

 唇は微笑んでいるが、目は笑っていない。

「わたし、は・・・」

 自分だけが知っている秘め事。
 重大で、罪深い秘め事。

 わたしは、この秘め事を、誰かに知ってもらいたいのだろうか。

 言葉に詰まってしまったグレースに、再びミシェルは微笑んだ。

「ごめんなさいね。わたし、意地悪らしいの」

「ミシェルさん・・・」

 くっとカレブが笑う。

「否定できないなあ」

 リカルドも苦笑した。

 グレースはホッと全身の緊張を解いた。
 嫌な汗が、じっとりと手のひらに滲んでいた。

「それじゃ、オネガイね」

 退屈そうに会話を聞いていたピクシーが、カレブ達の間を飛び回った。

「ああ」

 うなずくカレブの髪に、ピクシーは手にしていた羽をさす。
 それは丁度髪飾りのように、カレブの髪の上で独特の輝きを放った。

 これで、どうやら依頼を遂行できそうだ。

 カレブが髪に手をやり、羽を抜き取った瞬間、ピクシーが悲鳴をあげた。
 まさに、耳をつんざくかのような絶叫だった。

「なにご・・・」

 短いその台詞を言い切る暇もなく ピクシーは、解き放たれた矢のように扉を目指して飛んだ。

 あっという間に見えなくなるかと思われたが、小さなその身体は部屋の中央付近に達した途端、真っ二つに切断された。

 まるで、鋭利な刃物に自ら飛び込んだかのように。

「なっ」

 上がった驚きの声はいったい誰のものであったのか。

 先ほどまで愛らしく喋っていたピクシーは、、一瞬にしてその命の灯火を吹き消された。

 左半身がまず床に落ち、やや遅れて右半身も床に落ちる。

 機械室の中央の空間が大きく歪んだ。

 ゾクリと全身の毛が逆立つ。

 全員が武器を握り締めていた。
 攻撃、威嚇、防御、牽制、それぞれの意思を込めて。

 陽炎のように揺らいでいた空間が、ぱっくりと二つに裂ける。
 血の紅が視界を一瞬支配し、次に黒い靄が滲み出す。

「死、神・・・」

 リカルドが、凍える舌を動かした。

 四人は昨夜、命を賭けて警告した戦士の事を思い出していた。
 彼は言っていたではないか。

 黒い影が、魂を刈りにくる、と。

 広がった空間の向こうは、まさに異界だった。

 無限の闇と狂気の灯火が踊り狂っている。
 そこから、グレッグやサラにとりついていたのと同じ黒い影が、無数に飛び出してきた。

「逃げましょう。あれに捕らわれてはいけない」

 ミシェルの声が鋭く飛ぶ。
 彼女の声は、毛の先ほども震えてはいなかった。

 カレブは頷き、駆け出そうとした。
 リカルドも走り出す気配を見せる。

 だが、グレースはその場を動けなかった。
 恐怖に支配されたわけではない。

 彼女は闇の中に、さがしもとめていたものを見つけてしまったのだ。

 新緑の瞳が、異界に釘付けになっていた。

「ジーン!」

 胸が痛くなるような切ない声で、グレースは叫ぶ。

「ああ、ジーン!!」

 異界の只中に、一人の人間の男が立っていた。

 癖のあるこげ茶の髪と、紋章の縫い取りがある暗赤色のマントが、嘆きの歌をのせた風に舞っている。

 こちらに背を向けているせいで、顔はわからない。
 ただ、彼の前にはオーガやオークと言った魔物がひれ伏していた。

 男は、グレースの必死の呼びかけに振り向きもしない。

「ジーン!!」

 グレースは三度叫んで、異界に身を躍らせようとした。

「馬鹿!」

「グレース!」

 ぎょっとしたカレブとリカルドがグレースの腕をつかむ。
 その間にも、黒い影達はこちらとの距離をつめつつあった。

 腕を振り払おうとするグレースを押さえながら、カレブは舌打ちした。

「リカルド、転移の薬を使って!」

 リカルドは頷くと、素早くウェストポーチから転移の薬を取り出した。
 口で封をあけ、中身を振りまく。

「いやっ、放して! ジーン、ジーン!!」

 重力が消えうせる感覚を自覚しながらも、グレースは叫んだ。
 自らの愛にかけ、必死に呼びかけた。

 辺りから色彩が消えうせる。
 転移が始まったのだ。

 祈りにも似た想いで、グレースは叫ぶ。
 ただ一つの愛しい名を。

「ユージィーーンッ!!」

 しかし、白百合の叫びが男に届くことはなかった。