ドゥーハンの地下迷宮に挑むほとんどの冒険者が、迷宮からの脱出に転移の薬を用いる。 リカルドがグレースに手渡した転移の薬も、ギルド内に印がつけてあった。 靴が床を踏みしめる音に、棚の羊皮紙の束を整理していた白髪の役員が振り返った。 「おや、それはリカルドのヤツの印かと思ったが・・・、綺麗なお嬢さんが現れるとは」 冗談めかした言葉にかすかに頬を赤らめると、グレースはぺこりと頭をさげた。 「ご親切な戦士の方に、転移の薬を譲っていただきました」 「・・・懲りない男だな。あの甘さはちょっとやそっとではなおらんか」 くくっと役員は喉を鳴らして笑う。 「懲りない・・・?」 ふと興味を覚えて、グレースは尋ねる。 「ああ。あんたに薬をやった男はリカルドっていうんだがね、あの迷宮で人の世話ばかり焼いている。この間なんかはその親切が祟って、パーティを追い出されたくらいだ。まあ、今は新しい仲間を見つけたみたいだが」 役員は、冒険者達が迷宮から持ち帰った折れた剣をひとまとめにしながら答えた。 「あそこでは、誰もが自分の事で手一杯だっていうのにな」 やれやれと役員は肩をすくめる。 「リカルド・・・」 グレースは、シラスの民だと言って笑った男の名前を呟いた。 「さて、生憎外は吹雪でね。宿屋に戻る事さえままならないときたもんだ。迷宮から戻ってきた連中は、ここで吹雪がやむのを待っている。あんたも向こうの部屋へいって、休むといい」 「そうさせてもらいます」 グレースは丁寧にそう言うと、仮の休憩所となっている部屋へと向かった。 グレースは軽く会釈をして彼らの前を通り過ぎると、部屋の片隅の壁にもたれかかった。 火の気のない部屋で、寂しさと寒さに身を震わせるグレースの耳に、冒険者達の会話が飛びこんでくる。彼らは一様に、迷宮の様子がおかしい事、不死者が増えた事などを話し合っていた。 ふと、グレースは罪悪感にかられた。 グレースは形のよい眉をよせると、祈りを捧げ始めた。 その祈りは。 グレースが望んだ神に届くことはなかった。 死の影が、濃く、深く、ドゥーハンの地下迷宮に広がる・・・・・・ |
腰を痛めてしまったリカルドをサラとミシェルにまかせ、グレッグはカレブと二人で第三回廊へとやって来ていた。第四回廊へ到達するのに必要な仕掛けを起動するためだ。 最初、グレッグは一人で行くつもりだった。だが、カレブが自分も行くと言いだしたのだ。 「この馬鹿戦士の顔を見ていたくないんだ」 リカルドは何とも言えない表情をしていたが、カレブは振り返りもせずにさっさと歩き出した。彼女を一人で行かせるわけにも行かず、グレッグはミシェルにあとを頼むとカレブを追った。 ふてくされた表情で歩くハーフエルフの少女を見て、グレッグは苦笑する。 「なに笑ってるんだ、忍者だろ? しまりない顔をするな」 どうやら、カレブの機嫌はすこぶる悪いらしかった。 「もう少し、素直になってもよかろう? 心をいつわってばかりだと、君自身も回りの者も、深く傷つく時がくる」 「何が言いたい」 「あやまりたかったのではないのか」 唇の端に小さく浮かべた笑みを消さずにグレッグは言った。 「なっ・・・」 カレブは短くそう言ったきり、押し黙った。 「理不尽な思いをぶつけて傷つけたリカルドを見ていたくなかったから、とびだした・・・」 チラリとグレッグはカレブを見る。 「手を、放せ」 「ああ、すまない」 グレッグはカレブの頭に乗せたままだった手を、すっと引っ込めた。 「十が難しければ一でもいい。やってみてはどうだろうか」 カレブは、それには答えず歩き出した。 「リフトを動かすんだろう。それとも無駄話するためにここに来たのか?」 「・・・行こうか」 それ以上、グレッグはその事について触れなかった。 無言になった二人は足早に通路を歩き、目的の部屋へとたどり着いた。 「よし、戻ろう」 二人は頷きあうと、リカルド達が待ち、リフトが移動した第二回廊へと戻った。 サラの治療をうけ、元気になったリカルドは既にリフトのところまで移動していた。 「ねえねえカレブ君! すごい仕掛けね!!」 「なんでもいちいち感動する女だな」 カレブは呆れながら答えた。 「いいでしょう? 感動しないより、感動したほうが何倍も素敵だわ」 「わかった。わかったから。しばらく黙っていろ」 カレブは適当にサラをあしらうと、リフトをふみしめ監視塔へと乗り込んだ。 監視塔は床のあちこちが痛み、階段が崩れ落ちていた。 サラに抱きつかれ、カレブはうんざりしたが、サラはカレブにしがみついたまま、ぴくりと身体を強張らせた。 「死の国の風のにおい・・・」 サラの小さな囁きが、カレブの耳に飛び込んだ。 「不死者か?」 「なに」 まだ上に残っていたリカルドが表情を険しくして飛び降りてくる。 「第四回廊だな」 グレッグが素早く移動を開始した。 「ドゥーハン兵かも知れない。行くぞ!」 カレブはサラの手を握って最後の段差に身を躍らせた。 剣戟の音がする方へと駆けると、少しばかり開けた空間へ出た。 「ドゥーハン兵だ!」 鎧にきざまれた紋章をよみとったリカルドが叫んだ。 ドゥーハン兵達は、必死の形相でゾンビ達を蹴散らしている。 「ミシェルさん」 カレブは背後の魔術師を振り返った。 短期決着。 あまり戦う力の残っていないドゥーハン兵の身を案じた策だった。 「助かる、本当にありがとう」 カレブは、クルドの魔法を放ったミシェルに微笑んだ。 もう一度微笑もうとしたカレブの手が、びくんと動いた。 また文句を言うつもりかと思ったカレブだったが、そうではなかった。 コウッ、と死の風が吹き抜けたからだ。 カレブは、視線をドゥーハン兵達の方へと戻した。 リカルドとグレッグも、冷や汗を流しながら武器を抜き放っていた。 ゾンビ達が倒れ伏した床に黒い染みが広がっていた。 隣の者の鼓動さえ聞こえそうな沈黙がその場を支配する。 場の緊張が最高潮に達した時、視覚が一瞬血の紅に染まった。 同時に、床の染みから小柄な黒い影が音もなく飛び出す。 「死」を具現化すれば、このような形になるのかもしれない。 「なんだ、こいつは・・・」 忍び寄る恐怖を振り払うかのようにリカルドが声を絞り出した。 「ぼくは・・・」 カレブの口から、無意識に言葉が転がり出る。 「ぼくは、こいつを知っている。こいつは・・・」 頭巾の奥で、青い炎が揺らめいた。 |