サラは、まったく役にたっていなかった。
 徒党を組むコボルドに苦戦するリカルド達を助けようと、渡された手投げナイフを投げてはみたのだが、それはヘロヘロとあらぬ方向へと飛んでいった。

 攻撃をとめるどころではない。リカルド達に当たらなくて幸いだったと、思わず神に感謝したくなったほどだ。

「・・・わたし、なにもしない方がいいかもしれない。そ、そうよ。ヘタに動いて、リカルド達に迷惑をかけるよりは・・・」

 呟きながらも、サラは落ち着かない。
 チラチラとカレブが戦う姿を盗み見る。

 彼も、自分と同じで冒険者ではなかったはずだ。
 確か、スリをして各地を渡り歩く普通の少年・・・スリが普通かどうかはこの際置いておいて・・・と聞いている。ほんの二日前まで、剣も握った事がなかった、と。

 それなのに、彼はあの恐ろしそうな女魔術師と平然と渡り合っていた。
 この差は一体なんなのだろう。

「カ、カレブ君は、きっとセンスがいいのよ、うん。きっと、そう・・・」

 不器用なサラは、僧侶になるまでも散々修行で苦労してきた。僧侶と認められたのも、閃光が落ちる少し前の事だ。あなたは、センスがない。何度そう修行仲間に言われてきた事か。

 ・・・思い出したら腹が立った。自分でそう思っていても、他人に面と向かって言われたら腹が立つものだ。

 それにこのまま何もしないでいると、終わった後に酷くカレブに叱られるかもしれない。

「それは、イヤだわ。だって、カレブ君怖いんだもの」

 やってみよう。
 サラは、ギュッと両手を握り締めた。

 淡紅色の唇が、魔法の言葉を紡ぐ。
 細い指が、祈りの詩を宙に描く。

 それは、サラが嫌っていた攻撃の魔法だった。慣れない手投げナイフよりは勝算が高いと踏んだのだ。

 詠唱を終えたサラは、コボルドの中でも一番動きの鈍そうな奴に狙いを定め、バレッツの魔法を解き放った。命を逆流させる魔力弾が勢いよく飛んでいく。

「当たって!」

 まさしく祈るような気持ちで、サラは叫んだ。

 ビシィッと鋭い音をたてて、コボルドの片耳が裂けた。
 ギャウン! と甲高い悲鳴をあげて、魔法を受けたコボルドは仰け反る。

「当たった! きゃあ、わたしでも、やれば出来るんだわあ!」

 サラは歓声をあげて飛び上がった。

「馬鹿、サラ! 余計な事を・・・!」

 リカルドが、叫ぶ。

 え? とサラは我に返った。

 耳を裂かれたコボルドが、牙をむき出してうなり声を上げている。
 他のコボルド達も同じように敵意をみなぎらせ、サラに近づこうとしていた。

「や、やだやだやだ。嘘ッ」

 コボルド達は、一斉にサラに飛び掛った。

 ヴァーゴが、クスクスと粘着質な忍び笑いをもらす。

「おやおや。あんたが手間取っているうちに、お仲間が大変な事になりそうだよ。かわいそうに。あのお嬢ちゃん、一生消えない傷がつくかもねえ」

 カレブは、伏せていた顔を上げた。
 そこに浮かぶ笑みを見て、ヴァーゴは眉間に皺を寄せる。

「何が可笑しいんだい?」

「あいつらの実力なんて、あんなものだ。まあ、時間稼ぎにはなった」

 カレブはずっと使わなかった左手を、後ろに突き出した。
 バチッという鋭い音と共に、青金の稲妻がコボルド達に踊りかかった。
 カレブがヴァーゴに攻撃を仕掛けながら、ひそやかに詠唱していたティールの魔法が解き放たれたのだ。

 完全なフェイントだった。

 予期していなかった魔法攻撃を、コボルド達はかわせなかった。
 稲妻は一直線に駆け抜け、コボルド達の頭を貫く。

 コボルド達は、耳や眼窩から白煙を上げ、倒れた。
 舌がダラリとだらしなく口からはみ出る。

 コボルド達は、残らず脳を灼きつくされ、即死していた。
 恐ろしいまでに研ぎ澄まされた一撃だった。
 とても、背を向けたまま放った魔法とは思えない。

 サラが腰を抜かし、リカルドとグレッグが息をのむ。
 そして、ヴァーゴの目が見開かれた。

「コソ泥が、ここまで魔法を操るとは、思わなかったよ!」

 ヴァーゴは楽しそうに笑った。

「まさか、リカルド達がおとりだったとはね」

 くすくすとカレブも笑う。

「良い手だったろ?」

「けどね、コボルド達を倒しても、このわたしはまだ無傷だ。どうするんだい、コソ泥さん」

 ますますカレブの笑みが深くなる。
 しかし、その冬の泉の瞳は、一片の笑みも刻んではいなかった。

「実はさ、あれもフェイントなんだ」

 カレブは、再び手を突き出した。
 後方ではなく、前方、つまりヴァーゴに向かって。
 細い指先で踊るのは、青金の雷。

「なっ!」

 真の驚愕の声が、ヴァーゴの口から漏れた。

 カレブは、魔法を二度詠唱していたのだ。
 一撃目はコボルド達に放たれ、二撃目は解放の時を待っていた。

 カレブの口が、解放の言葉を紡ぐ。ティール、と。

 雷は凶暴に牙をむき、ヴァーゴの身体を駆け抜けた。

「ぐあっ!!」

 下品な悲鳴をあげ、ヴァーゴはのけぞる。

「リカルド、グレッグ!!」

 カレブは、呆然として事の成り行きを見守っていた二人に叫んだ。

「同時に二剣を叩き込めっ!!」

 その声に我に返った二人が、それぞれの武器を構えて、ヴァーゴめがけて突き進んだ。
 ヒュッ! と空を切る音が二度響き、リカルドの長剣とグレッグのダガーが同時にヴァーゴを狙う。

「なめるなあっ!」

 ヴァーゴは叫ぶと、杖でグレッグのダガーを、盾でリカルドの長剣を止めた。
 魔術師とは思えない力技だ。

「はんっ、なかなかいい攻撃だったよ、でもまだまだ・・・」

 威勢良く叫んでいたヴァーゴは、ピタリと口を閉じた。
 カレブの短剣が、スッと喉元めがけて突きつけられたのだ。

「まだやるかい? あんたが魔法を詠唱するより、ぼくがこれを突き刺す方が速い。全財産賭けたっていいよ」

 ヴァーゴは、しばらくの間けわしい瞳でカレブを睨みつけていたが、やがて声を上げて笑い始めた。
 口元に手を当て、ホホホと甲高い声を上げる。
 短剣がささりそうなものだが、気にした様子もない。

「あっはははは、気に入ったよ! なかなかどうして。やるじゃないのさ」

 剣士が立ち上がり、一行に近づく。

「勝負はあったな。引くがいい、ヴァーゴ」

 やれやれとヴァーゴは首をふる。

「まさかコソ泥に負けるとは思わなかったよ。あんたのとの約束だから、しかたない。ここは引いてやるよ」

 キャスタがぴょんぴょん飛びはね、叫んだ。

「すごいだど〜!! あのばあこを倒しただ〜!!」

 ヴァーゴは無言で杖を放り投げた。
 杖は、ガスッ! と鈍い音をたてて、キャスタの後頭部を直撃した。
 ばたり、とキャスタは倒れる。

「フン、うるさいんだよ、クソブタが」

 ・・・どうやら、一応負けて悔しいのは悔しいらしい。
 サラは、ほっと胸をなでおろした。
 良かった、一緒に喜ばなくて、と。

 カレブがゆっくりと短剣をおろすと、ヴァーゴは素早くカレブの額に口づけた。

「今度会ったら、また遊んであげるよ、”お嬢ちゃん”」

 ヴァーゴは笑いながら、迷宮の奥へと消えていった。


 残された一行の上に、奇妙な沈黙が降りる。

「・・・・・・お嬢ちゃん?」

 サラが、ぼそりと呟いた。
 カレブは、無言でゴシゴシと額をこすっている。

「ええと、わたしの事じゃないわよねえ?」

 サラは、首をかしげながらグレッグを見るが、彼もサラと同じように、なんともいえない顔をしていた。

「まさか」

 グレッグは、まじまじとカレブを見つめた。
 まさか。いや、しかし。

 十七歳の少年にしては細い手足。よく通る澄んだ声。エルフの血が入っているせいだろうと特に気にとめはしなかったのだが・・・

「まさか、カレブ。君は、女性、なのか」

 半信半疑でそう言ったグレッグに、カレブは頷く。

「気づかないなんて、あんた忍者失格」

 グレッグは天を仰いだ。反論のしようがない。



 

「えええええっ!? カ、カ、カ、カレブ君、お、女の子だったのおおおおっ!?」



 

 パニックに陥ったサラが叫んだ。

「だ、だってそんな事、一言もいわなかったじゃないのおっ!!」

「わざわざ自分の性別を言うヤツがいるか?」

「それに、それに”ぼく”って、”ぼく”って言ってたじゃない〜!!」

「フン。自分の事をなんて言おうが、別にかまわないだろ」

 不機嫌そうに、カレブは鼻をならす。

 ゲラゲラとリカルドが笑った。

「なんだ、グレッグ、サラ。気づいてなかったのか」

 カレブは意外そうにリカルドを見た。
 今の台詞から察するに、リカルドはカレブが女だという事を知っていたらしい。

 まさか、この男が気づいているとは思っていなかった。
 言葉づかいもわざと変えていたし、女らしいそぶりだって見せていなかったのに。

「リカルドは知っていたの?」

 意外だったのはサラも同じだったらしく、リカルドの肩をつかんでガクガクとゆさぶった。

「いつから、知っていた?」

 カレブが尋ねると、リカルドは頭をかいた。

「いつからって、最初からだけど」

「最初から?」

 ああ、とリカルドは頷く。

「ほら、俺、お前に財布をすられただろ?」

 確かに、カレブはリカルドから全財産をすりとった。それが最初の出会いだ。
 しかし、そんな初めから気づかれていたとは。意外だ。意外すぎる。
 この男が、そんなに鋭いとは思えない。

「それで、お前、俺にぶつかってきたじゃないか」

 そして、ばつが悪そうにリカルドは続けた。

「その時に、こう、ササヤカだけど、胸が当たったから・・・」

 説明する手つきがいやらしい。

「ああ、女の子なんだなあ、と」

「こっ、こここ、この・・・」

 顔を真っ赤にしたカレブが叫ぶ。

「この助平!!」

 スパーン! とやけに景気のいい音が迷宮に響いた。