序 幕 邪 剣
「また、剣の練習相手に酷い傷を負わせたそうだな」

 ガリオン領主、ミゲル=クスバードの厳しい声が、美しく整えられた中庭に響いた。
 庭師が丹精して育てたオダマキの花が、ミゲルの声色に驚いたようにサワと揺れる。

「相手が弱いからです。怪我したくないなら、一生懸命稽古して強くなればいいんだ」

 ミゲルの視線を受け止めて、悪びれもそずそう言い放ったのは、彼の幼い次男だった。
 琥珀色の瞳が輝き、子供らしい頬はプッとふくれている。

「スティン……」

 ミゲルは次男の愛称を呼ぶと、ため息をつきながら首を振った。
 手にしていた木剣を握り締め、クリスティンは叫ぶ。

「どうして父上は、僕をほめて下さらないんですか? 毎日ちゃんと稽古して、こんなに強くなったのに!」

 クリスティンは目に涙をため、訴え続けた。

「剣の先生は、ちゃ、ちゃんとほめてくれる! でも、父上と母上だけは絶対に僕をほめてくれないんだ!」

 ミゲルは、クリスティンの叫びを黙って聞いていたが、それに答える事なく背を向けた。

「父上、どこに?」

「お前が怪我をさせた子供の見舞いへ行く」

 父の言葉に、クリスティンはカッとなった。手の中の木剣が、ミシリと嫌な音をたてる。

「僕が悪いんじゃない! なのに、どうして領主である父上が、部下の子供に謝るのですか!」

 ミゲルは歩みを止めると、振り返った。
 ミゲルの顔を見たクリスティンは戸惑い、息を飲む。
 尊敬する父の顔に浮かぶのは、深い哀しみの色……。

「――息子よ。その考えは、とても危険だ」

 ミゲルは低くそう言い残すと、中庭を後にした。
 石造りの回廊を歩きながら、眉間の皺を深くする。

 ガリオンに剛剣ありと称えられた己の血を、クリスティンは存分に引いているらしい。
 だが、その太刀筋は荒々しく、練習相手に怪我をさせた回数は、片手ではとうてい足りなかった。
 ただ薙ぎ払い、打ち倒すだけの邪剣であると、ミゲルは思う。
 剣は、使い手の心を映し出す鏡。
 人を傷つけるばかりの邪剣は、他者を省みないクリスティンの心の現われといえた。
 それは、民草を治める君主となるべき者がふるってよい剣ではない。
 その点、長男のアシュレイは、才能ではクリスティンに劣るものの、君主の剣という物をよく理解している。

「巧くはいかないものだな」

 ミゲルの苦々しい呟きは、回廊の冷えた空気に溶け、消えていった。