日没ごろは平和といえた常若の都も、夜半過ぎからやたらと賑やかになった。
異界からやって来たアーネスト王子の花嫁候補達を歓迎する宴が開かれ、その宴の最中に、花嫁候補の一人が卒倒する事件が起こったのだ。
自分とよく似た男に彼氏をとられ、金欠魔法使いに招かれて日本からやってきた不幸な花嫁候補は、慣れない酒を飲んだところで筋骨たくましいアーネスト王子の姿を目撃し、笑いながら気を失った。
宴の主役の一人が卒倒したのだ。一時、宴の開かれた広間は召使や医者が走り回り騒然となったが、花嫁候補が金欠魔法使いのギィに丁重に運ばれて、なんとか事態は収拾の方向に向かった。
残り二人の花嫁候補、ナンとモイラをもてなすためにも、集まった人々を落胆させないためにも、宴は続行され、楽しげなざわめきが戻ってくる。
ギィは、しばらく倒れた花嫁候補のゆかりに付き添っていたが、卒倒が睡眠に切り替わったのを確認して、ゆかりにあてがわれた部屋を後にした。そのまま宴の席にもどり、せっせとゆかりのフォローをする。連れてきた異界の姫君が酒に酔っ払って笑い転げる人だと思われたら困るからだ。
背後から肩を叩かれ、ギィはふりかえった。なるべくなら見たくなかった人を砂色の瞳に映して、ギィは軽く凍りつく。
まるでクッションでもつめこんだような腹をした魔法使いと、冷たい輝きを宿した眼鏡をかけた、中年女魔法使いだ。
「これは、おそろいで。ラザ様、ジェラ様」
ギィは自分より位の高い二人に、丁寧に一礼した。かわされる三つの視線は、様々な思惑がからみあっていた。だが、それも無理からぬ事だろう。ギィとラザ、それにジェラは現在対立する立場にある。それぞれがそれぞれに王子の花嫁候補を擁立しているのだ。
モイラが勝てばラザが、ナンが勝てばジェラが、ゆかりが勝てばギィが、自身の望みをかなえる事となる。
「そなたの連れてきたあの姫は大丈夫なのか」
ラザの言葉は、ゆかりを案じているようだが、人差し指で己の頭をコツコツとたたく仕草のせいで、意味合いが正反対になっていた。
ギィは眩暈を感じたが、ひとまず笑顔で答える。
「ええ、単なる旅疲れです」
「白々しい」
にこりともせずに、女魔法使いジェラが吐き捨てた。思わず姿勢を正したくなるような威圧感がその声には秘められている。ギィも背筋をのばして、ジェラと向き合った。反論しようと口を開くが、ジェラはそれを視線で止めた。
「あなたの戯言は聞きたくありません」
身も蓋もないとはこの事だ。むなしく口を開閉させるギィをいちべつして、ジェラは腕を組む。
「先が見えたような気もしますが、約束は約束。いかような結果になろうとも、守っていただきますよ」
勝負はこれから、とギィは言おうとしたが、ジェラの鋭い視線が再び突き刺さる。
「戯言は結構と言いましたでしょ」
ジェラは軽やかに身を翻すと、一人歩き出す。
ラザはなにやら感動した表情でジェラを見ていたが、はっと我に返ると数歩遅れてジェラに続いた。
ギィは、頭痛をおこし始めた額をもみほぐして気を沈め、なにやら面白おかしくゆかりの話をする一団へと向かった。これ以上、ラザとジェラを優位にしないためにも、ゆかり自身のためにも、好ましくない噂の芽は刈りとっておかねばなるまい。
そうやってまめまめしく働いていたギィだが、そろそろ宴も終了というころには姿が見えなくなっていた。アーネスト王子やラザとジェラの姿もなく、ナンとモイラも召使に伴われて広間を引き上げていく。
ギィは飲み物と軽いつまみを手に、アーネスト王子の自室へとやって来ていた。
テーブルを挟み、向かい合って座った二人は意味深な笑みを浮かべると、まずは飲み物に手を伸ばし、宴席で渇いた喉を湿らせた。
「大義、お疲れ様でした」
臣下が王子の労を労う。
「疲れたと言えば疲れたが、自ら望んだことだからな」
臣下は男らしい眉を大げさにひそめると、発言したばかりの言葉に訂正を入れた。
「まあ、無茶な作戦を考えられたのは殿下です。そこそこは疲れていただきませんと」
信頼する臣下の皮肉に、王子は軽やかな笑い声を響かせた。
「なんだ、もう与えられた役目に飽いたのか。いささか頼りのないことではないか」
ちらりと部下を見る王子の瞳はどこか意地悪だ。細い指が皿に盛られた木の実を拾い上げ、器用にカラを割る。香ばしい実をかみ下しながら、王子は臣下の反論を待った。
役目に飽きるとか、頼りにならぬとかは、この立派な口ひげを持つ臣下にとって我慢ならない言葉なのだ。案の定彼は拳を握りしめ、熱く語った。
「非才なる身なれど、私が殿下へささげる忠誠にはいささかのかげりもございませぬ。ゆめゆめそのように無体なことをおっしゃいますな。白銀の鎖帷子も、きつい礼服も見事たえてみせましょうぞ!」
予想通りの臣下の反応に、王子は口元をゆがませる。
「いや、からかって悪かった。ただ、お前の王子姿はあまりにこっけいでな。我ながら何故、お前に王子の役目をおしつけたのかと……」
「一番王子らしくないお前が適任だとおっしゃったのはあなたでしょう!」
臣下は太い腕を組んで、そっぽを向いた。王子はげんなりとして杯をあおる。
「口ひげを生やした男が拗ねるな、気色の悪い」
「ま、それはそれとして」
臣下は真面目な顔で王子に問いかけた。
「姫君のご様子はいかがでございますか。なにやら私を見て倒れられたようですが」
「なんだ、気づいていたのか。目ざといやつめ」
「一応、これでも将軍でござりますれば、些細なことにも気をくばっております」
「倒れたのは、酔いも手伝ってだ。まあ、心配はいらない。ちゃんと寝台に寝かせてきたから」
「それはようございました。して殿下よ。国中巻き込んで大嘘ついて御自らお迎えにあがった姫君はお気に召したのでございますか? これで今までの姫君同様気に入らないなどとおっしゃれば、殿下の阿呆な、いえ無茶な作戦につきあってくださっている国王陛下と王妃様がなげかれますぞ」
臣下は、まるで練習でもしていたかのように、長い台詞を一息に言った。
王子は杯を手にしたまま立ち上がると、窓辺に歩み寄り夜空を仰ぐ。
「父上や母上が連れてくる綺麗だけれどお人形のようなつまらぬ女は、もうたくさんだ。はい、殿下。わかりますわ、殿下。殿下のお好きなものが、わたくしも好きですわ。これが会話だと、お前は思うか?」
矢のように飛来した王子の言葉に、臣下は微妙な表情を浮かべた。
「姫君とはそのようなものではございませんかな」
「母上はアレだぞ」
ぐ、と臣下は言葉につまった。王妃の毅然とした立ち姿が脳裏をよぎったからだ。
「その点、ゆかりは違う。あれは、私が虹水晶で見つけた女」
王子は杯を窓枠に置くと、ゆったりとした袖口から、こぶし大の虹色の水晶を取り出した。水晶は淡く色を変化させながら、そのきらめきの中に異界の地を映し出した。それは彼方の世界。王子が水晶をひとなですると、水晶は再び異なる地の映像を結んだ。
虹水晶の中にゆれる異界を眺めるのは、王子の数少ない道楽なのだ。その道楽がこのような事態を招くとは、当の王子も想像だにしていなかったのだが。
「水晶の中の女にこんな気持ちを抱くとは、母上の言うとおり、愚かしいことなのかもしれない。だが、いきいきとした表情を愛らしく思う。私はあれの笑顔を傍近くで見たいと思った。そんな風に思ったのは、ゆかりが初めてだ」
「そのわりに、王子の身分を隠されたりと随分ひねくれた事をなさいますな」
「女は王子という言葉に弱いからな。立場だけをのぞむ女ならいらぬよ。私はゆかりの笑顔に惚れたが、あれの心根はまだわからぬ。ただの男としてあれと恋をしてみたいと思うのは、それほど贅沢か」
「かぎりない贅沢でございましょうとも」
間髪入れずに答えた臣下に、フンと王子は鼻を鳴らした。拍子で長い砂色の髪がさらりと揺れる。
「だが、協力してくれるのだろう? アーネスト将軍」
臣下は、いや王子のふりをしていたアーネスト将軍は、胸に手を当てると少年のような笑顔をうかべ、うやうやしく一礼した。
「はい。王家の血筋をあなたさまで終わらせるわけにはまいりませんからな。ぜひとも花嫁を迎えられるように、不詳このアーネスト、協力させていただきますぞ、ギルゼック殿下」
砂色の髪と瞳を持つ、常若の国の王子、金欠魔法使いギィことギルゼックは、ゆかりの酔っ払った寝顔を思い出して笑いをかみ殺した。
「すまないが、ゆかりには、もう少し騙されていてもらうとしよう」
どうやら、ゆかりの苦悩はまだまだ続きそうである。