カザは、眉間に皺を刻んだまま、ほっそりとした若木の枝のような腕をかざした。

 リカルドは、鋭い視線で歳若いエルフを見つめている。カレブに敵意を抱いているらしいカザが、おかしな真似をしないように監視しているのだ。

 グレースは、残り少ない癒しの魔法を詠唱し続け、カレブの命をつなぎとめる事に全力を傾けていた。

「カザ、始めて」

 グレースの向かいでカレブの手を握っていたミシェルが、カザを促す。

 カザは、ため息をひとつついて諦めると、目を閉じ、神経を集中させた。

 カザの手に、光が宿る。
 張り詰めた、清浄な輝き。怜悧な刃に走る銀光にも似た冷たさ。
 グレースの手に宿る、あたたかな癒しの光とは、あまりにも対照的だ。

 青白いその輝きは、カザの整った顔立ちをくっきりと照らし出した。
 薄い唇がかすかに動き、詩のようなささやきがこぼれていく。それに導かれるように、青白い光から、キンと小さな星が飛んだ。

 星は細い光の尾を引いて、カレブの額へと落ち、明滅する。

「うぅん・・・」

 カレブが、苦しそうなうめき声を上げた。ハッとしたリカルドが身を乗り出すが、ミシェルが大丈夫だと、頷いてみせる。

 リカルドは、無言で唇をかみ締めた。なにも出来ない自分がもどかしく、腹立たしかった。

 何故あの時、あんなにもたやすく地面に叩きつけられてしまったのか。この少女を守ってやろうと思っていたのではないのか。

 あんな危険なエルフに、へらへらと笑って礼を言っていた自分を思い出すと、吐き気がする。

 苛立ちまぎれに、壁をなぐってやりたかったが、カザの神経集中を邪魔するわけにもいかず、それもかなわなかった。

 リカルドは猛る心を無理やりしずめると、唯一自分に許された行動をとる。
 頭をたれ、祈るのだ。己の祈りは、魔法の奇跡を導かない。だが、この気持ちだけは天へ届けと思いをこめる。この哀しい魂を、死の国へ連れ去らないでくれ、と。

 カザの口からこぼれるささやきも、祈り、そして詠唱へと変じていった。
 祈りと詠唱によって、星が次々に飛び、カレブの両手と両足に輝きを添える。

 青白い小さな星は、カレブの身体のぐるりをとり囲んだ。

 カザが右手を振り上げると、星は強い光を放つ。光は、カレブを包んでいた紅の靄を切り裂き、追いやった。

「”出て来い”」

 古代エルフ語で、カザは低く呟く。己を生み出した主に従うように、光は、カレブの身体の中心を照らした。その輝きに燻し出されるかのように、醜く身もだえしながら黒い影が姿を現す。

 カザは閉じていた目を開くと、野イチゴ色の瞳で黒い影を睨みつけた。

 カザの細い指が青白い光を操り、黒い影を縛り上げる。宙に吊り上げられた黒い影は、呪詛のうめきをほとばしらせた。

 聞くに堪えないその声に、リカルド達が眉をしかめる。体中を千の蜘蛛が走りぬけるような感覚に、強い悪寒を覚えた。だが、カザはかまわず、詠唱を念へと昇華させる。

「”去れ”」

 カザの念に、黒い影は震えた。しかし、未だ獲物に未練があるのか、カレブに向かって黒い腕を差し伸べる。

「”去れ”」

 再びカザは念じた。風もないのに、カザの法衣の袖が音をたてて揺れ、古木の髪が舞い踊った。

 影は抵抗する。もう少しで手に入るところだった魂を、諦めるつもりはないらしい。
 冬の泉の如く凍えた銀の魂は、なかなかに魅力的らしかった。

「”では、言葉を変えよう”」

 野イチゴ色の瞳が、ゆるやかな笑みを浮かべた。

 影は、エルフの力に抗う事が叶ったのかと嬉しそうに身をくねらせたが、次の刹那にそれは間違いだと思い知らされた。

「”滅せよ!”」

 力強い念と共に、星の輝きは収束した。捕らわれていた影は光の糸の刃に引きちぎられる。オォォ・・・ンと苦悶の悲鳴を上げて、影は霧散した。

 カザは無造作に手を一振りして星を放つと、宙に漂っていた黒い影を一掃した。焼け焦げるようなにおいを残して、影は跡形もなく消滅する。

 光が収まり、カザの法衣と髪がふわりと重力を取り戻した。

「カレブ」

 リカルドが、カレブに駆け寄り、顔をのぞきこむ。
 少女の顔に浮き出ていた死の影は、消えていた。まだ顔色は青白いが、今にも消え入りそうだった息づかいは随分と楽なものに変わったようだ。胸も規則正しく上下している。

 リカルドは心底安堵し、全身から力を抜いた。ゆるゆると振り向いて、カザに礼を言う。

「助かった。カザ?」

 カザは、礼を言われた事が意外だったのか、軽く野イチゴ色の瞳を見開くと、とまどったように首をふった。礼はいらない、という意思表示らしい。

「それじゃ、ミシェル」

 カザは用はすんだとばかりに、部屋を出て行こうとした。
 これ以上、横たわる少女と同じ空間にいる事は耐えられない。

「カザ」

 そんなカザを、ミシェルが呼び止める。ミシェルの声に、カザは逆らえない。何故なら、ミシェルの声は、愛しい人の声を思い出させるから。かつて、耳にしていた甘いささやきを思い出さずにはいられないから。

 ありえないとわかっていながら、淡い期待を抱いて振り向いてしまう自分を、カザは知っていた。

 飢えに似た渇望を瞳の奥に潜ませ、カザは振り返る。

 愛しい人はそこにはいない。幻だけが、浮かんでは消え。思い出だけが、きらめいては色づき。彼女の本当の姿を薄れさせていく。

 それを繋ぎとめたくて、心は再び思い出をたどる。彼女の姿を、しっかりと心にやきつけるために。


 

 

 緑の木陰に、白い影が躍った。
 風をはらんで優雅に踊るそれは、極上のハリスレースだった。

 ドゥーハンの西国ハリスは、教皇が絶対的な力をもつ宗教国家だが、同時に多くの職人達が集う都としても知られていた。

 元々は、数々の教会の建立や装飾、宗教儀式に必要な香や蝋燭の製造の為に、職人が養成され、保護されるところから始まったのだが、技術は技術を呼び、製紙、裁縫、彫金といった様々な技を持った職人達が、ハリスで互いの腕を磨いている。

 中でも、布地の品質の良さと、服飾の技術は大陸一と称されており、細い糸で仕上げられる手織りの美しいレースは、女性達の憧れの一品であった。

 そのハリスレースを手に、エルフの娘が森を駆ける。
 薔薇が浮き出るように編まれたそれは、間違いなくハリスレースの中でも一級品であろう。

「待って」

 カザは小走りに娘を追っていた。
 しかし、カザの制止が聞こえないかのように、彼女は小鹿のように元気に走っていってしまう。久しぶりに会ったというのに、すこしもじっとしていてくれない。

「ねえ、待って」

「いや」

 駆けながら、娘は振り向いて微笑んだ。一瞬、その笑顔に見とれた隙に、また距離を離される。

 幾分やっきになって、カザは娘を追った。
 森の奥の、りんごの樹の所で娘はやっと足をとめ、カザも娘に追いつく事ができた。

 樹にもたれ、息を整える彼女に近づき、その紅唇をふさぐ。

 ぐっと近づいた娘の青緑の瞳が、優しい笑みを浮かべた。細い指が頬に当てられ、ゆっくりと顔を離される。

「随分とわたしの弟は、おませさんになったのね」

 少しくらい恥らったり、驚いてくれてもいいのに、とカザはむくれた。

「もう、弟じゃない」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、今度はすこし乱暴に唇を重ねる。
 娘は、逃げなかった。目をとじ、カザの背に腕を回して抱き締める。

 カザも娘の細い背を抱いた。
 今まで離れていた時間をうめるように。

 やがて、どちらからともなく唇を離し、くすくすと笑いあった。

「背が、伸びたわね、カザ」

「ああ。だって、この間君が帰ってきてから、もう二年だもの。背だって伸びるさ」

 そうね、と娘は微笑んだ。彼女の微笑みは、いつだって胸が痛くなるほどに美しい。
 なぜなら、それがかけがえのないものだと、カザが自覚しているからだ。

 カザにとって、彼女の微笑みとつりあうものなど、何ひとつない。唯一にして絶対の尊いものだ。

「王宮の暮らしはどう?」

 きらりと娘の瞳が輝いた。森の木陰から覗いた青空に、陽光がはじけたかのように。

「とても充実していてよ。王宮は、わたしのもうひとつの故郷ですものね」

「そう。怒りんぼの忍者や、厳しい長もいつものとおりかい?」

「ええ。いつものとおりよ」

「手紙にあった、新しいお仲間も?」

「ええ、彼女も」

 一瞬、カザの顔に不安そうな表情が浮かんだ。

「私は、彼らとうまくやっていけるかな。そのう、私は、クイーンガード向きの性格じゃないから」

「まあ、カザ」

 娘の笑い声が、弾けた。
 軽やかで聞きごこちのいいその声は、空の高みへと消えていく。

「わたしと将来を誓うからといって、あなたがクイーンガードになるわけじゃないのよ?」

 細い指先で鼻をつつかれ、カザは頬を赤くした。

「それは、わかっているけど。でも、王宮にあがって、君と暮らすようになれば、自然彼らとも付き合う事になるじゃないか」

「次の冬が来ればね」

 娘はそう言うと、手にしていたレースを金の髪にまとわせた。
 レースは、どうやら花嫁のベールだったようだ。

 白い繊細なレースに縁取られた彼女の顔は神々しくて、カザは野イチゴ色の瞳を細めた。

「綺麗だ」

 賞賛の言葉を口にするのに、良心の呵責はなかった。むしろ、もっといい言葉がでてこないのかというもどかしさすら感じる。

「ありがとう」

 口づけした時には照れなかった彼女が恥らった。ほんのりと紅のさした頬が愛らしい。

 それを隠すかのように、彼女はベールを持ち上げる。

「陛下がハリスから取り寄せてくださったの。少し早いけど、お祝いだとおっしゃって」

「よく似合う。金の髪に白い薔薇が咲いて、とても綺麗だ。さすが、陛下は君の事がよくわかっていらっしゃるんだね」

「あなたに、一番に見せたかったのよ」

「・・・嬉しい」

 ベールごと彼女をひきよせ、腕の中に閉じ込める。
 腕の中で彼女は身じろぎし、悪戯な表情を浮かべると、でもね、とカザを見上げた。

「クルゥとカレンに先に見られてしまったの」

「ん・・・」

 露骨に残念そうな光が瞳に宿ったのを見て、彼女は慌てた。

「ごめんなさい、ごめんね? カザ。でも、その時、素敵な事がおこったのよ」

 その騒動を思い出したのか、娘はカザの胸にもたれて笑った。

「とても、いい傾向だと思うの」

「なに?」

「機嫌をなおしてくれる?」

 ・・・・・・勝てない。
 こんなふうに甘えて、お願いされて。どうして否といえようか。

「直す。教えて」

 馬鹿みたいだと自分でも思うが、仕方ない。愛する人の前では、時にどうしようもなく愚かになってしまうものだ。

「カレンがね、勘違いしたのよ。このベールが、わたしとクルゥの式のためのものだって」

 眩暈がした。

「はあ!? き、君とクルゥ!?」

「そうなの。カレンは、前からわたしとクルゥが愛し合っていると思っていたみたいで・・・」

「冗談はやめてくれ」

 とんでもない事を考える女だと、会った事もないカレンという少女に腹がたった。

「クルゥが必死に釈明してね。あんな彼を見るのも初めてだった」

 はあ、とカザはため息をついた。

「なんだか大変そうだな。本当にうまくやっていけるのか・・・」

「コツを教えてあげる」

 それは助かる、とカザは頷いた。

「クルゥはね、実はとても照れ屋さんなの。怒り出したら、精一杯褒めてあげると、顔を真っ赤にして口元を覆うから、それ以上怒らなくなるわ」

 疾風とうたわれる忍者も、彼女の前では形無しだ。カザは少し、疾風のクルガンに同情した。

「長の前では、真摯である事よ。言い訳や嘘を長はよしとしないわ。これって当たり前のことだけれど、難しいって知っていた? 人は、弱いから。それゆえに、言葉で己を護ってしまう」

「・・・そうだね」

 彼女の言葉にハッと胸を突かれて、カザは表情を改めた。
 クイーンガードの長は、崇高な魂の持ち主らしい。

「忘れずに、覚えておくよ。真摯であれ、と」

「カレンは・・・」

 彼女は問題の少女の名前を口に上らせた。
 一番新しくクイーンガードになった、ハーフエルフの少女だ。

「距離をはかって」

「距離を?」

「離れすぎても、駄目。近すぎても、駄目。適度な距離をたもって、そしてその心に触れてちょうだい。そうしないと、もろい氷は砕けてしまう。氷は砕いてはいけないの。優しい陽だまりで溶かさなければならないの」

「よく、わからないな」

「会えば、わかるわ。彼女は可愛いから、きっとあなたは、もうひとり妹が増えたような気がしてよ」

「楽しみにしておく」

「そして、陛下には、ありのままの自分で接してほしいの。偽らざる姿を陛下に預けてほしい。わたし達は、家族だわ。クイーンガードは兵だけれども、それ以上に陛下のお心を護るのが勤め。だから、わたし達、みんな家族なのよ。陛下と、長と、クルゥと、カレンと、わたし」

 そして、あなたも。

 そう言って、彼女は背伸びをして口づけた。
 カザは、幸福で、胸が痛かった。その痛みに胸を震わせ、未来の新たな幸せを思った。決して、くることのなかった未来を。


 

 

 カザの口元に、寂しい笑みが浮かんだ。透明な悲しみは、また新たな傷を彼の心に刻みつけた。

 ミシェルはカザに駆け寄って、彼を抱き締める。

「ありがとう」

「いや、いいんだ、ミシェル」

 カザは、そっとミシェルを抱き締め返し、ミシェルに幻をかさねる愚を犯す前に、彼女から離れた。

「もう、行くよ」

「行かないで」

 カザは、義妹になるはずだった幼馴染の娘を、まじまじと見つめた。

「このパーティに入ってほしい」

「ミシェルさん!?」

 リカルドが驚きの叫びをあげるが、カザの驚きは、リカルドのそれを上回った。

「君は本気で言っている? 私に、あの娘と共に過ごせ、と?」

 ミシェルは頷く。
 カザは、声を上げて笑った。

「私に狂えと君は言うのか。最期の望みすら叶えるな、と」

「違うわ。あなたの望みの為よ」

 カザの顔から表情が消えた。幽鬼のような姿になって、ミシェルに背をむける。

「君の言う借りとやらもはや返した。これ以上協力する気はない」

「では、カザ、お願い」

 カザの肩が揺れる。逆らえない。この声には逆らえない。跪いて手を差し伸べてしまう。違うとわかっているのに、それでも魂が求めてやまない!

「わたしのために、行動を共にして」

「きみの、ため・・・?」

 凍り付いてうまくまわらない舌が、のろのろと言葉を爪弾いた。

「ごらんの通り、わたし達には癒しの魔法を専門にする人がいないわ。白百合の姫は癒しを導けるけれども、それでも彼女は剣の使い手で。癒しと攻撃を同時にこなす事は難しい。だから、このまま進むと・・・」

 ほう、とミシェルはためていた息をこぼした。

「わたしは消滅して、かの神の元へ行く事になる」

 カザははじかれたように振り向いた。

「・・・させない。君を行かせない」

「だったら、お願い」

 卑怯なことをしている自覚はあった。自分の魂を盾に、彼を屈服させようとしている。彼の心の傷口に、甘さを伴う毒をぬりこんでいる。だが、ミシェルはそれをためらいはしなかった。今は傷つき、涙をこぼすことになっても、このまま別れて滅ぶよりはマシなはずだ。

 だから、しっかりとカザの目を見て、彼の心に言葉の楔を打ち込む。

「これは、姉さんの望みでもあるから」

 カザの顔が大きく歪んだ。

 姉の存在は、彼の全て。この言葉に彼は逆らえない。だが、自分以外の他の誰かが同じ意味あいの台詞を言ったとしても、カザの怒りを買うだけだろう。

 言うなれば、これはミシェルだけが使える魔法の言葉なのだ。

「君は・・・・!」

 カザは強くミシェルの肩を掴んだ。
 ぷくりと血の玉が、かみしめた唇からもりあがる。

 白い顎に紅の線を走らせて、カザは足早に部屋から出て行った。

 ミシェルは、カザのつかんだ肩に手をあてて、目を伏せる。

「ミシェル」

 心配そうにグレースがミシェルを呼んだ。

 振り向いたミシェルは、瞬きをひとつしてから、いつもの笑みを浮かべる。

「癒しの魔法なら、わたしが努力しますから」

 しかし、グレースの言葉に、ミシェルは首をふった。

「いいえ、大丈夫よ、白百合の姫」

 答えて、そのまま、そっとカザが出ていった扉を見つめる。

「彼は、きっと来てくれる」

 それだけの魔法を、ミシェルは、使ったのだ。