「ちくしょう、痛え」

 リカルドはブツブツと文句を言いながら、焼けた手を近くの雪につっこんだ。

「馬鹿。雑菌が入るぞ」

 それを見たカレブが、あわててリカルドの腕をひっぱる。

「まったく、戦士のくせにうかつなんだから」

 リカルドの手をじっと見て、カレブは少し安心した。
 思っていたより酷くない。一つ二つ水泡が出来てはいるが、一番初級の回復魔法で綺麗に治るだろう。

「グレースに治してもらうといい」

 きっと彼女の事だ。ご丁寧に、自分の知る最高の癒しの魔法を使うのは、想像に難くなかった。

「夜まで痛い思いしろっていうわけだな」

 幾分非難の色を含んだリカルドの声に、カレブは唇をゆがめる。

「まさか素手で掴むなんて思わなかったんだよ」

「はいはい。どうせ俺は篭手も持っていない貧乏戦士ですよ」

「拗ねないでよ」

 おどけたリカルドの仕草にカレブは笑った。
 それを見て、リカルドは内心口笛を吹いた。

 いい笑顔だな、と思う。
 この笑顔を見られるのなら、火傷の一つや二つ、どうということはない。

「お前も癒しの魔法を覚えろよ。あれだけ見事に雷を扱うんだから、きっと簡単に覚えられるだろ」

 ふと、カレブの顔から笑みが消えた。
 代わりに浮かんだのは、戸惑いの表情。

 気を悪くした、という訳ではなさそうだ。

「カレブ・・・?」

 カレブは、ちらりと上目遣いにリカルドを見る。

「・・・似たような事を、誰かに言われたような気がする」

 おぼろな記憶から、誰かの言葉が浮かび上がってくる。
 思いやる気持ちを隠した、不器用でぶっきらぼうな言葉。

 ”癒しの魔法の一つくらい覚えておけ。俺の手を煩わせるな。お前は・・・なのだから”

「わたしは、・・・なのだから・・・?」

 繊細な少女の瞳で見つめられ、リカルドはギクリとした。
 カレブを、とても遠く感じて。

 手を伸ばして捕まえようとした瞬間、誰かに肩を叩かれた。

「もし」

 上品そうな声に振り向くと、そこに立っていたのは、えんじ色の法衣をまとった女僧侶だった。法衣の肩に縫い取られた紋章は、彼女がドゥーハンの僧兵である事を示している。

「アラベラ」

 カレブが女僧侶の名を呼んだ。
 アラベラは控えめに微笑むと、一行に軽く会釈する。

「その節はお世話になりました」

「どうしてここに?」

 カレブが不思議そうに尋ねる。
 僧侶である彼女は、てっきり迷宮に配備されるものと思っていたのだ。

「市民への援助を。今はその命をラディックと共に受けております」

 アラベラはそう言うと振り返った。
 彼女の視線の先では、王宮騎士ラディックが、市民達に薬や衣服を手渡していた。
 ラディックの隣では、街の者とおぼしき娘が、保存食品を配っている。

「さすがは、オティーリエ女王。行き届いた政策だわ」

 ミシェルが呟くと、アラベラは嬉しそうに微笑んだ。

「はい。陛下のご命令を受け、ガード長がなさっていた研究が実を結んだのです。詳しいことは存じませんが、結界をはった場所での、食糧供給に成功したと聞いています」

「それで、この炊き出しか」

 リカルドは納得がいった、と頷いた。
 配られている料理には、最近見かけなくなった野菜や肉がたっぷりと入っていたのだ。

「月夜亭にも食料は届けられています。冒険者の皆さんも口にする機会があるでしょう」

「それは、楽しみだね」

 しかし、カレブの表情は微妙だった。
 この間会った女王の様子と、今回の政策がうまく結びつかないのだ。
 本当にこれは、女王の命令なのだろうか。

「どうしたの?」

 耳元でミシェルに囁かれ、カレブはあわてて首を振った。

「なんでもない」

 言葉を濁したが、ミシェルの青緑の瞳は、まっすぐとカレブの目を見据えている。
 ごまかせそうになくて、カレブは苦笑した。

 アラベラに聞こえないように、カレブは声をひそめる。

「”あの”女王が、こんな政策をするとは、思えなくて」

「そうね・・・」

 ミシェルは唇に指を当てると首をかしげた。

「あなたの疑問はわからなくはないけれど・・・、わたしはとても”オティーリエ女王らしい”政策だと思うわ」

「うん・・・」

 心に渦巻くこの違和感がなんなのか、カレブ自身うまく表現する事が出来ないのだ。

「会って確かめるといいんじゃないかしら。指輪、渡すのでしょう?」

「・・・そうだった」

 カレブはやっと頷いた。
 確信がもてなければ、確かめればいいのだ。
 そのための手段は己の手にある。

 顔を上げると、アラベラがリカルドの火傷を癒していた。
 どうやら、先ほどの騒ぎを見ていたらしく、わざわざこの為に声をかけてくれたようだ。

 アラベラはフィールの魔法をかけ終わると、リカルドの傷の具合を確かめた。
 水泡も赤味も、綺麗に消えている。もう一度フィールの魔法をかける必要はなさそうだ。

「ありがとう」

 リカルドが礼を言うより早く、カレブがそう言った。
 アラベラはニコリと微笑むと一礼し、ラディックの所へ戻っていく。

 なんとなくアラベラを目で追っていたリカルドが、「おや」という表情を浮かべた。

「リサさんだ」

「リサ?」

 聞き覚えのない名前に、カレブは首をかしげた。

「言ってなかったっけ。ピクシーの羽の依頼主さ」

 そう言ってリカルドが指し示したのは、ラディックの隣で配給を続ける街娘だった。

「あれ、彼女は・・・」

 カレブはそのリサという娘に見覚えがあった。
 たしか、宿屋の受付の仕事をしている娘だ。

「ハッカ茶を出してくれた人だ。へえ、そうか。彼女が」

 カレブはキラリと輝くピクシーの羽を取り出すと、リサの元へ走った。

「リサさん」

 急に声をかけられ彼女は驚いたようだが、声をかけたのがカレブだと知ると、配給の手を止めて笑みを浮かべた。

「こんにちは、カレブさん」

「依頼、あんただったんだね」

「え?」

 カレブは、手にしていたピクシーの羽を差し出した。
 リサがアッという声を上げる。

 何事かと振り返ったラディックを見て、リサは頬を赤らめた。

「あ、あの、すみません。少し、席を外します」

「わかった。手伝いご苦労」

 相変わらず生真面目なラディックにカレブは苦笑する。
 リサは抱えていた配給物資を箱へと戻すと、カレブの手を取り、少し離れた場所へと移動した。リカルドとミシェルも二人に続く。

「ごめんなさい」

 訳がわからないという顔をしたカレブに、リサはまず謝った。

「あそこでは、受け取りにくくて」

 目を伏せ、頬を染めるその様子は、なんとも恥ずかしそうだった。
 釈然としないカレブを見て、女心のわからないヤツ、とリカルドが呆れる。

「お、お前に言われたくないぞ」

 カレブは口を尖らせた。
 リカルドに言われていては、女としての立場がないではないか。

 ひとまずカレブは、リサにピクシーの羽を手渡す。
 リサはそれを大切そうに受け取ると、そっと胸に抱き締めた。

「・・・せっかくとってきていただいたのに、無駄になってしまいそう」

 リサは切なそうにそう言うと、視線をカレブから外した。
 その瞳は、ひたとラディックに注がれている。

 ラディックは雪に転んだ子供を助け起こしており、その隣ではアラベラが子供の泥を払ってやっていた。

 二人はそれぞれに子供をあやしながら、なんとか泣き止ませる事に成功したようだ。
 アラベラが子供の擦り傷に薬をつけ、ラディックはその間ずっと子供の頭をなでていた。
 清潔な布を傷口にまきつけ、アラベラがポンポンと背を叩くと、子供はにっこりと笑い、二人に手をふって駆けて行った。

 それを見送りながら、ラディックとアラベラは顔を見合わせ微笑む。
 なんとも似合いの二人の姿だった。

「あの騎士様に、恋人がいらっしゃるなんて、わたし、知らなかったの」

 呟くリサの声は苦い。
 カレブはどう答えていいものやら、途方にくれた。
 これは、迷宮の魔物との戦いよりもやっかいだ。

「・・・ひとめぼれだった」

 吹雪の中、女王の名を受け宿へとやって来たラディック。
 リサは、その忠誠心と行動力に心を奪われた。
 そして、疲れていただろうに、布を差し出した自分に「ありがとう」と言葉をかけてくれたその優しさに。

「こ、恋人になりたいと思ったわけじゃない。あの方は王宮騎士で、わたしはよるべない街娘。ただ・・・、そう、ただ、少し、夢を見たかったの」

 夢は甘く、切なく、そして儚い。

 カレブは小さく咳払いすると、顔を赤らめ口を開いた。

「あんたの想いを、その羽に乗せるといい」

「え・・・?」

 同じ台詞をもう一度口にするのはためらわれた。
 カレブは、トンとリサの胸を叩く。

「答えは、もうここにあるんじゃないのか? あんたは、答えを出した顔をしている」

「答え・・・。わたしの、想い・・・」

 リサは両手で、ピクシーの羽を握り締めると、そっと目を閉じた。
 カレブ達は、リサの祈りの邪魔をしないように沈黙する。

 祈りの言葉が、リサの唇から小さく零れた。

「あの方々の愛が、いつまでも、消えないように・・・」

 リサは目を開くと、羽から手を放した。
 折りよくふいた風が、祈りのこもったピクシーの羽を、曇天へと運んでいく。

 キラキラと光の破片をふりまきながら、羽はやがて見えなくなった。

 ほうっとリサは息を吐き出し、肩から力を抜いた。

 そして、カレブを見て微笑む。

「ありがとう、わたしの依頼を引き受けてくれて」

 カレブは無言で首を振った。
 今は何も言わないほうがいいだろう。
 沈黙が最良となる時もあるのだ。

「それに、もうひとつありがとうだわ。カレブさんが陛下の命を受けてくれたから、クイーンガード長様は魔法実験に打ち込む事が出来た。そして、新しい命をうけて、騎士様が再び街へとやって来た。少しの間だけど、あの方と一緒にいられて、声が聞けて・・・・・・。わたし、幸せです」

 ふわりとリサは綺麗な微笑を浮かべた。

 そして、己の髪に手を伸ばす。
 リサは髪をまとめていた藍色の石のついた髪飾りを抜き取った。
 風雪にあおられ、ほどけた長い髪がばさりと舞う。

「どうぞ。依頼の報酬です。わたしの持ち物の中で、一番価値のあるものだわ。売ればそこそこの値段になるはず」

 カレブは頷いて受け取る。
 藍色の石は、まるでリサの涙のように淡く光った。

「それじゃ、もう行きますね。騎士様のお手伝いをしなくちゃ」

 リサの顔から切なさは拭い取られていた。
 物事に決着をつけた者だけが浮かべる清々しさがそこにはあった。

「また、夜に。皆さん」

 リサはカレブ達にそう言うと、くるりと身を翻し、ラディックの元へと走っていった。
 恋人としてではない。王宮騎士の手伝いをする、ただの街娘として。

「また夜に、リサさん」

 カレブも小さく、その背に呟く。

 だが、その日を境に、リサがカレブ達の前に姿を現す事はなかった。