ギルドを出ると、寺院の方向から薄い煙が立ち昇っているのが見えた。
 白い雪の間に、うっすらと漂うミルク色の煙。

 死者を鎮める香の煙かな、とカレブは思った。

 だが、東の地から侍や忍者と共にわたってきた香のあの独特の香りは、しなかった。
 かわりに、なにやら食欲を刺激する匂いが流れてくる。

「いい匂い」

 鼻を動かして匂いを嗅いでいると、クスリとミシェルに笑われてしまった。

「お行儀が悪かった?」

「コボルドみたい」

 唇を尖らせるカレブに、ミシェルは細い指で煙の方を指し示してみせる。
 カレブが何気なく目をやると、ドゥーハンの市民達がぞろぞろそちらの方へと向かっていた。

「なんだろう」

 彼らは一様に急ぎ足で、心なしか嬉しそうだった。
 いつもうつむきがちなドゥーハンの市民にしては珍しい。

「ははあ、炊き出しかな」

 背伸びをして道の向こうをうかがいながら、リカルドが言った。
 隣に並んで、カレブも道の向こうを見る。

「炊き出し。寺院がやってるの?」

「今までにも何度かあったぜ。寺院がやる場合と、王室がやる場合があってな。今日はこの人数から考えると、王室の方かな。一般市民専用でね。冒険者が並ぶと、どやされる」

「じゃあ、わたし達は関係ないね」

 歩き出そうとするカレブの襟首を、リカルドがヒョイとつかむ。

「行った方が無駄足ふまなくて、いいかもな」

「どうして。わたし、わざわざ怒られる趣味はないんだけど」

 ごもっともだとリカルドは頷くが、しかし襟首をつかんだ手を放す様子はない。

「依頼。終わらせたいだろう?」

「え? ああ、そりゃあ、まあ」

 炊き出しと、依頼の完了。結びつかない会話に、カレブは小首をかしげた。
 だが、ミシェルは楽しそうにクスッと笑う。

「なるほど、そういう事なのね?」

「ああ、たぶんそういう事だ」

 顔を見合わせて苦笑する二人に、カレブは釈然とこない。

「何、なに、なんなの」

 かわるがわる二人の顔をみるが、二人は笑ったまま答えなかった。
 リカルドがカレブの右手を、ミシェルがカレブの左手をとり歩き出す。

 二人に引きずられるようにしてたどり着いた寺院前の広場は、寺院には似つかわしくない活気に包まれていた。

 湯気のたつ椀を手にした人々は、背をかがめるようにして中身をかきこみながら、たわいもない会話を楽しんでいる。子供の姿もちらほらとあり、彼らは楽しそうに雪ダマを作っていた。

「さあさあ、遠慮なく食えよ! 女王陛下からのたまわりモンだぞ! 新鮮な野菜がタップリだ!」

 大声で叫びながら炊き出しの配膳をしているのは、なんと月夜亭のマスターだった。
 急ごしらえのかまどの上にすえつけた大鍋を、器用にグルグルかきまぜている。
 皆その声と匂いにつられるように、長い列へと並んでいた。
 いつしか笑顔がこぼれ、その笑顔が伝染していく。

「・・・蘇るみたいだ」

 その活気に、呆然とカレブが呟いた。
 まるで、そんな事はありえないのに、と言いたげに。

「そうさ、蘇るのさ」

 リカルドの明るい声が、カレブのそのやや影を帯びた声を吹き飛ばした。

「冬には枯れる植物も、種を残し、春には芽吹く。子孫を増やし、緑を広げる。俺達だって同じだ。今は、地獄みたいに思えても、少しずつ前に向かっていけば、必ず蘇られる。取り戻すんだ。閃光前のあの日々を」

 リカルドは、己を見上げるカレブの瞳を薄紫の瞳で見つめかえした。

「そのためにはこうやって、一人ずつができる事をすればいい」

「ん・・・」

 勇気付けられて、カレブは微笑んだ。
 リカルドがこういう事を言うと、なんだか本当に思えてくるから不思議だ。

「そうだね。そうかもね。ね、ミシェルさん」

 元気にふりむくと、どこか笑みをこわばらせたミシェルと視線がぶつかって、カレブは戸惑った。こんなに怖い顔をしたミシェルを見るのは初めてかもしれない。

「悪夢を行くのに、希望の夢を見る事も必要なのかもしれないわね」

 ミシェルらしからぬ、毒を帯びた言葉だと思った。
 だが、カレブがミシェルの心に触れようと唇を開く前に、甲高い叫び声が辺りに響き渡った。

「ちょっと、ちょっと、アタシだけ肉が少ないってのはどういう事!? チョー、信じられない!」

 うんざりして、カレブは振り返った。
 ミシェルの笑顔が緩む。

「あら、やっぱり彼女だわ」

 カレブの視線の先でピョンピョン飛び跳ねているのは、迷宮から石をとって来いとカレブ達に依頼した魔術師ヘルガだった。

 冒険者ではない彼女は、炊き出しの列に並んでいたようだ。

「な、こっちに来て正解だっただろ」

「あまり嬉しくないのは何故なんだ」

 近づきたくはなかったが、依頼を終了させるためにはそうもいかない。
 カレブはしぶしぶヘルガの傍へとよると、彼女の薄い背中を叩いた。

 大きな声で文句を言い続けていたヘルガが、ピタリと口を閉ざす。そして、勢いよく振り返った。

「あら、未来のマイダーリン」

「誰がだっ、誰がっっ」

 くらくらしながらカレブは否定する。
 だが、ここで彼女のペースに巻き込まれていては話が終わらない。
 蹴り飛ばしたいのを我慢して、胸ポケットからガルシアにもらった鉱石を取り出した。

「ほら、依頼の石だ」

「わお! ありがとうー!」

 喜んで腕を振り回すヘルガに、カレブは片手を突き出した。

「依頼完了の報酬」

「ちょっと待ちなさいよ。せっかちクンは損するわよ。ヘルガ魔法石店誕生の瞬間を見ていきなさいよ」

 ヘルガは鼻歌まじりに鉱石を地面に置くと、魔法の詠唱を始めた。

 気がつけば、いつのまにやら辺りを野次馬に囲まれている。最初に大声を出したのが失敗だったらしい。みんな何事かと様子をうかがっているようだ。

 この人ごみを抜けるのは一手間かかりそうだった。

 第一、報酬をもらわなければ何のために苦労したのかわからないではないか。カレブはため息をひとつついて諦めると、腕組みをし、ヘルガが魔法を唱えるさまを見物する。

 ヘルガはただの石から魔法石を製造すると言っていた。
 触媒なしで、魔法の源を生み出そうというのだから、ヘルガが唱えるのはさぞかし複雑で高度な魔法なのだろうと思っていたのだが。

「おい、ちょっと待て」

「クレターー!!」

 勢いよく彼女が放ったのは、魔術師魔法の初歩の初歩。火球を生み出すクレタの魔法だった。

 ヘルガのクレタは狙いたがわず地面の鉱石を直撃する。

「クレタ、クレタ、クレタ、もういっかいクレタ!!」

 呆然とするカレブを尻目に、ヘルガは狂ったようにクレタの魔法を連発した。
 幾度も火球を受けて、鉱石は落日のように真っ赤に燃え上がる。

 それを見て、ヘルガは大喜びした。

「やったわ。クレタの魔法石の完成よ。チョー、ウレシー!」

「マジかよ」

 リカルドはうたぐり深く真っ赤になった鉱石を見つめる。
 カレブはというと、そんなリカルドの隣で無表情に事がおさまるのを待っていた。
 もうヘルガを止めようとか、無謀を諭そうとかいう気力はなくなってしまったらしい。
 好きにしろ。冷たい冬の泉の瞳がそう物語っていた。

「ねえ、マイダーリン。魔法石を拾ってくれない?」

「・・・・・・」

 カレブは、リカルドにむかって、くいっと顎で鉱石をしめしてみせた。

「俺が拾うのか」

 リカルドはぶつぶつ言いながらも、赤い鉱石に近づく。
 この赤い輝きが、クレタの魔法を呼び起こす魔法の息吹だというのなら大したものなのだが・・・

「あちちちちちちち!!」

 リカルドは、わかりやすい悲鳴をあげると鉱石を放り投げた。

「あああっ、なにすんのよオマヌケ戦士! ちゃんと拾いなさいよねっ」

「バッカヤロー! こんなの持てるか! 手前でもってみやがれっ!!」

 焼けた右手を見せながら、リカルドは叫んだ。
 だが、ヘルガはフフンと鼻で笑うと、リカルドが放り投げた鉱石に近づいた。

「魔法に縁がない戦士には扱えない高貴なシロモノだったかしら。やっぱりここはあたしが・・・、キャーーーー!」

 鉱石を掴んだヘルガもまた、わかりやすい悲鳴を上げる。

「チョーアッツーーイ! なにこれええええ!!」

 しかし、ヘルガはリカルドのように鉱石を放り投げる事が出来なかった。
 音もなく近づいたカレブが、鉱石を持つヘルガの手を握り締めたからだ。

 ジュウ。とこれまたわかりやすい音がする。

「アツイ、アツイ、アツーイ! どうしてーーー!?」

 混乱するヘルガに、ミシェルが優しい声色ながらも冷徹に宣告した。

「だって、それは、ただの焼け爛れた石ですもの」

 ヘルガは涙目でミシェルを見つめる。

「そ、そんな」

「これに懲りたら、二度とこんなハタ迷惑な事、考えない事だな」

 カレブがヘルガの耳元で囁いた。絶対零度の冷ややかさを帯びた迫力のある声だった。
 痛みと怖さに、さすがのヘルガもコクコクと頷く。

「で、でも、魔法石作れなかったから、報酬は」

「甘い」

 ニヤリと笑ったカレブの手には、いつのまにやら金貨のつまった皮袋があった。
 ここのところ迷宮に潜るばかりだったが、スリの腕前は鈍ってはいなかったらしい。

「あああっ!?」

 完全に虚を突かれたヘルガは、口をぱくぱくさせた。
 慌てて腰に手をやるが、手は虚しく空を切るばかりだ。

「チョー、ショックーーー! 一文無しだわアアアア」

 やっとカレブに手を解放されたヘルガは、ヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
 打ちひしがれる彼女に追い討ちをかけるように、ガハハハという品のない大笑いが響いた。
 見れば、月夜亭のマスターが、膝をたたいて笑い転げている。
 この一騒動が、いたくお気に召したようだ。つられるように、野次馬達も笑い出す。

 ヘルガはいたたまれなくなったのか、地面につっぷして泣きじゃくった。

 マスターはひとしきり笑うと、笑みを唇の端にのこしたままヘルガに話しかけた。

「ヘルガ! 文無しになったのなら月夜亭でやっとってやるよ」

「え? 本当?」

 思ってもいなかったマスターの言葉に、ガバっとヘルガは身を起こした。

「お前のおかげで、新メニューを思いついた」

「・・・ヘルガスペシャルとかって名前にしてくれる?」

 この図太さがあれば、どんな時だろうと生き残れるんじゃないだろうかとカレブは思う。

 マスターは上機嫌で頷いた。

「ああいいぜ。ヘルガスペシャルだろうが、ヘルガスーパーだろうが」

 ヘルガは大きく頷いて立ち上がると、マスターに向かって人差し指を突きつけた。

「それじゃ、ヘルガスペシャルビューティホーでチョー、ヨロシクッ!」

 転んでもただでは起きないヘルガに、カレブはアハハと乾いた笑みを浮かべた。
 だが、そのとんでもない名前がつけられた料理が気になるのも、また事実であった。