初めて出会ったのは、今から五年前。
 十二の誕生日の時だった。

 それまで私的だった誕生日の舞踏会が公式のものとなり、ひどく緊張していた事を覚えている。いつもおろしていた髪を、はじめて結い上げたのもこの時だ。

 何人もの貴族に祝いの言葉を述べられ、ダンスの相手をし、握手を求められ、精魂尽き果ててベランダに抜け出したのは、三日月が青白く輝く夜更けだった。

 火照った頬を、夜風が優しくなでていく感触が心地よい。

 うっとりと目を細めていると、背後から声をかけられた。

「お疲れか」

 振り向くと、癖のあるこげ茶の髪の若者が立っていた。
 広間の喧騒を背に、やんわりと微笑んでいる。

「いいえ。お気遣い、ありがとうございます」

 優雅に腰をかがめてみせると、若者の笑みが深くなった。

 父や祖父と同年代の貴族達に比べ、若者の年齢は格段に若かったが、それでも自分の目には随分大人に見えたものだ。

 無理もない。

 この時、彼の年齢は十八歳。

 十二の子供からすれば、充分に大人で遠い存在と言えた。
 最も多感で成長の早い十代にとって、六つの年齢差は大きな隔たりとなるのだ。

「姫とこうしてまみえるのは、初めてだな」

 心地よい声だ、と思った。
 低い竪琴の音色に似た、耳をくすぐる声だと。

「はい。肖像画を拝見した事はありますが」

 精一杯背伸びして答えた。
 子供だ、と思われないように。

 しかし、その背伸びこそが、より子供らしさを強調してしまう結果になる事には、気づかなかった。

「不思議だな。将来を共に生きる相手なのに」

 若者の台詞に、ひどく胸がくすぐったくなり、あわてて瞳をふせる。

「め、珍しくはありませんわ」

 貴族にとって結婚とは、政治的意味合いが強く、果たさなければならない義務の一つにすぎない。そこに愛情は必要なく、結婚という結果が存在すればいいのだ。

 一度も会わないまま、結婚の式をあげる貴族も多い。

 実際、自分もそうなるのだろうと思っていた。
 なのに。

「珍しくはないかもしれない。だが、好ましいとは思わない」

 こんな風に、言葉をかわすなんて。

 とまどった瞳で見つめてしまったのだろうか。

 若者は苦笑して首をふった。

「すまない。難しかったか」

 なんと答えるべきなのだろう。
 言葉を探していると、ふたたび心地よい声が響いた。

「簡単に言えば、姫の事を知りたいのだ。噂や、肖像画だけではなく」

「わたしの、事を・・・?」

 若者は、静かに頷いた。

「教えてくれないか? 好きな事でも、苦手な事でも、なんでもいい」

「なんでも・・・」

 首をかしげ、考えた。
 本当に子供っぽい仕草だったと思う。

 だが、真剣に考えた。

「・・・気になっている事があるの」

「うん?」

 すっかり、普段の言葉づかいで若者に話しかけていた。
 若者は、優しい眼差しで続きを促す。

「わたしの部屋の窓に、つがいのリスが遊びに来るの。いつも、お菓子をあげるのだけど、それを取ると、すぐに走っていってしまうの。きちんと、食べているのかしら・・・。落としたりしていないかしら」

「礼儀を知らないリスのようだな」

 楽しそうに若者は笑った。

「では、次に姫と会う時には、一緒にそのリスの家を探そう」

「え?」

「気になるのだろう?」

「で、でも」

「子供がいるかもしれないぞ」

 ちらりと若者を見上げる。

「・・・見たい」

 ふわりと髪をなでられた。

「では、約束しよう。白百合の姫。いや、グレース」

「は、はい。ユージン様」

 ふと、髪をなでる手が止まる。

「ジーンと呼べばいい。私に近しい者は、みな、私をそう呼ぶ。陛下にいたっては、ジーン坊や、だが」

「まあ」

 苦味虫をかみつぶしたような顔をした若者を見て、ついクスクスと笑ってしまった。

 再び、若者の表情が優しくなる。

「これで、私達は互いのことを一つずつ知ったわけだ」

「はい。・・・ジ、ジーン・・・」


 

 

 あの時の胸の高鳴り。
 こんなに懐かしく思うなんて。

 差し伸べた手を力なく下ろすと、身体に重力が戻ってきた。
 どうやら、無事に転移が終わったようだ。

 殺風景なギルドの部屋が目に飛び込んでくる。

 鼓動は、気味が悪いほどに静かだった。

 ふうっと、カレブが大きなため息をつく。

「脱出できたか」

「そのようね」

 夢想は消えうせ、急速に現実が心を支配する。

 仲間たちは声をかけてこなかった。
 取り乱す自分を見ているはずなのに。

 安堵よりも、居心地の悪さを覚えた。

「すみ、ません・・・」

 ぼんやりと謝ると、カレブに睨みつけられる。
 弱った心に、その眼光はいささか鋭すぎた。

「死ぬつもりか、馬鹿」

「・・・そんな、つもりは」

 死ぬつもりはなかった。
 ただ、愛しい者の傍に行きたかっただけだ。

 駆け寄って、抱き締めて、引き戻したかった。

「黒い影につかれて、誰かが死ぬのはもう沢山だ」

 鼻をならして、カレブが吐き捨てる。
 ミシェルがクスリと笑って、カレブの額をつついた。

「それは、あなたの思いでしょ? 彼女には、彼女にの思いがあるのだわ」

 カレブはつつかれた額を押さえると、頬を赤らめる。

「・・・だって」

「あなたの行動を他の誰もが縛れないように、彼女の行動をあなたが縛る事も出来ないの」

 カレブはふてくされた表情で、ミシェルを見つめた。

「そういうこった。お前だって、俺の言う事、ちっとも聞きやしないじゃないか」

 リカルドが笑いながら、ぐりぐりとカレブの頭をなでる。
 カレブは、ますますむっつりとした。

 だが、以前のように、リカルドの手を振り払いはしない。

「そうだな。まあ、意見の押し付けってのは良くないが、仲間をまとめる責任感から出たものなら、その言葉には黄金の価値があると、俺は思うぜ」

「・・・フン」

 ぷいとそっぽを向いたカレブを見てリカルドは苦笑すると、次にうつむいたままのグレースを見た。

「グレース。特に問いはしない。ただ、一人で抱えすぎるのはよくない。急ごしらえの仲間だが、話したくなったら、話してくれ」

「はい」

 グレースは頷くと、カレブ達に背を向けた。

「・・・少しだけ、一人にさせて」

 悲しみの残滓を漂わせ、グレースは歩き出した。

 その悲しみを突き破るかのように、カレブが叫ぶ。

「夕食には、来いよ! 月夜亭だからな」

 カレブの不器用な心遣いに、グレースは少し口元をほころばせた。
 笑える自分が、不思議だった。

 剣にふれながら、心の中で婚約者に話し掛ける。


 ジーン。わたし、まだ笑える。
 まだ、がんばれる。
 だから、あなたを、諦めない。


 応えはなかったが、心に少しだけ勇気が打ち寄せたような気がした。
 グレースは、その勇気を剣に変えて、男を包む闇を斬り払う決意を固めた。