迷宮の石を持ってこい。
 それは、なんとも奇妙な依頼だった。
 拾ってきたその石を核に、依頼主は魔法石を製造するというのだ。

「人間って随分と変わったことを考えるのね」

 コロコロと楽しそうにミシェルが笑う。

 カレブはというと、歩きながらゴシゴシと袖口で唇をこすっていた。
 そんな彼女の後ろで、グレースがリカルドを仰ぎ見る。

「あの、リカルド。わたし知らなかったのですが、魔法石とは魔法の触媒なくして出来るものなのでしょうか」

 こっそり尋ねたつもりだったのだろうが、良く通る愛らしい声は、仲間達全員に聞こえてしまう。

「出来るわけないでしょう?」

 笑顔のまま、ミシェルがばっさりと否定した。

「そ、そうですよね」

 すみません、とグレースは口をもぐもぐさせる。
 この場合グレースがあやまる必要はまったくもってないのだが、ミシェルの笑顔に気おされてしまったらしい。

「謝る必要などなくってよ」

 元より悪気のないミシェルは、うつむいてしまったグレースにほがらかに声をかけた。

「でも、だったら無理だと教えて差し上げるほうがよかったのではないのかしら・・・」

「その必要はない」

 すさまじく不機嫌な声が、グレースのもっともな提案を却下した。

「石を押し付けて報酬をぶんどってやる。そして、自分の浅はかさを思い知ればいいんだ」

 淡々と言葉を連ねるカレブは、はたから見ていてかなり恐ろしい。目に見えない殺気がふつふつと湧き立っているようで、リカルドは背筋をゾクリとさせた。

「なにが、報酬はお姉さんがいいよ、だッ!」

 カレブはブワッと足元の雪を蹴り飛ばすと、鼻息も荒く迷宮へと踏み込んだ。
 ミシェルが楽しそうにそれに続き、グレースは遅れないように歩く速度を速めた。
 リカルドは剣の柄に手をやりながら、きっと不幸な目に会うだろう迷宮の魔物達に鎮魂の祈りをささげる。

「ま、あんな目にあったんだ、しょうがないよなぁ」

 朝食の席で起こった騒動を思い返しながら、リカルドは吹き出したくなるのを必死でこらえた。


 

   カレブ達が宿の食堂で、薄いパンと茶のささやかな朝食をとっていると、グゥゥゥゥ、と奇妙な音が鳴り響いた。

 ぎょっとしてカレブが顔をあげると、そこには癖の強い赤毛をもつれさせた一人の娘が立っていた。もの欲しそうに指をくわえて、じっとこちらのテーブルを見つめている。

「ヘルガじゃねえか」

 ゴクンとパンを飲み下して、リカルドが言った。

「お知り合い?」

 不審そうに娘を睨むカレブに代わって、ミシェルが聞いた。

「ああ。依頼主さ」

「依頼主」

 やっとカレブは表情をゆるめた。
 金を払ってくれる相手なら、睨む必要などない。

「何か用?」

 機嫌を損ねて依頼を破棄されたら困るので、出来るだけ丁寧にカレブはきいた。

「依頼・・・。アタシの依頼、どうなったのかしら」

 グウゥゥゥゥ。

 言葉の最後にまた奇妙な音がかぶる。

「今日これから行ってくる。夜にはわたせると思うぜ」

「夜・・・」

 リカルドの返答に、ヘルガは絶望的な表情を浮かべた。

 グウゥゥゥゥ。

「あの、もしかして空腹でいらっしゃるの?」

 遠慮がちにグレースが尋ねる。
 彼女は、昨夜からカレブ達が宿泊している宿に移ってきていたのだ。

 ガバッとヘルガは顔をあげ、一息で叫んだ。

「そうすいているのとっても!!」

「ど、どうぞ」

 グレースはとっさに自分のパンを差し出した。

 元より朝からあまり食べるほうではなかったし、聞いてしまった以上、自分がなんとかするのが当然だと思ったからだ。

 生唾を飲み込んで、ヘルガはグレースが差し出したパンを見つめた。

「い、いいの?」

 両手をぎゅっと組み合わせて、ヘルガはあわれっぽい声を出した。
 グレースは穏やかな笑みを浮かべて頷きながら、パンをヘルガに渡す。

「まだ、手はつけていないの。ですから、召し上がって」

「ありがとう!!」

 野良犬もかくやと思われる素早さで、ヘルガはパンをひったくった。
 そのまま口にほうりこみ、モグモグと咀嚼する。

 グレースは呆然としてヘルガを見つめた。このように食事をする娘は見た事がない。

「あー、グレース。言っておくが、あんな食べ方するやつは、そうザラにはいないからな」

 リカルドはグレースが勘違いしないように説明した。

「は、はい」

 ほっと安心したところからみると、やはり勘違いしかけたらしい。

 パンを口いっぱいにほおばったヘルガは無造作にリカルドのカップを掴むと、紅茶を流し込んだ。

「あ、それ俺の・・・!」

 しかし、ヘルガはリカルドの抗議などどこ吹く風だ。
 着ているボロのローブの上から腹をなでると、満足そうに微笑んだ。

「ごちそうさま! 元気になったわぁ」

 さっさと食事をすませたカレブは、再び胡散臭そうな目でヘルガを見ている。

「あんた、食うに困るほど金がないわけじゃないだろうな」

「失礼ね! これでもアタシは、大金持ちよ!」

 ヘルガは鳩のように胸をそらした。

「・・・本当に?」

 どこまでもカレブは疑わしそうだ。もっとも、先ほどのヘルガの奇行を見て、信用しろというのが無理な相談なのだが。

「あふれる知性。みなぎる美貌。ありあまる教養。これだけ天に二物も三物も与えられているようなアタシが大金持ちじゃなかったら、誰が大金持ちだっていうの?」

 どこから見てもヘルガよりミシェルの方が賢そうだし、百人いればまず間違いなく九十五人以上がヘルガよりグレースの方が美人だというだろう。そして、下手をすればヘルガよりリカルドの方が教養があるかもしれない。さらに付け加えるならば。ヘルガよりカレブの方が金回りはよさそうに見えた。

 純然たる事実が目の前にそろっているというのに、ここまで自信満々に言われると、かえってカレブは感心してしまう。

「依頼の報酬だって、ほら、ちゃんとここに」

 ヘルガはそう言うと、不器用そうな手つきで、金貨がつまっていると思われる布袋を取り出した。

 重みでわずかに垂れ下がるそれを見て、カレブは安堵する。どうやら支払能力はあるらしい。

「これが全財産だけどね」

「・・・・・・待て」

 思わず静止の言葉をかけてしまい、カレブは後悔した。
 ヘルガが口を閉じたので、しかたなく続きを口にする。

「それを払ったら、一文無しになるってわかっているのか?」

 ヘルガはきゅっと唇を持ち上げた。浮かんだのは嘲りの笑みだ。

「ね、これがボンジンとテンサイの差よ!」

「・・・ミシェルさん、お願いだからそんな気の毒そうな目でこっちを見ないで」

「あら、ごめんなさい」

 そんなカレブとミシェルを気にした様子もなく、ヘルガは荒々しくリカルドを指差した。

「何のためにアタシがこのオマヌケ戦士に依頼を頼んだと思っているのかしら」

「・・・ミシェルさん、頼むからそんな哀れみの目で俺を見ないでくれ」

 リカルドがげっそりとした声をだすが、ミシェルは今度は謝らず、いつもの笑みを浮かべるだけだった。

「リカルドはオマヌケではありません」

 精一杯のグレースのフォローがいっそ哀しい。

 他の宿泊客は、このテーブルの周りに流れる奇妙な空気に固唾をのんでいる。
 うっかり巻き込まれるのをさけているのだ。

「あんた達に石をとってきてもらって、それを元に魔法石を作るの。初めは景気づけに迷宮の石を使うけど、うまくいったら、その辺の石を使うわ。魔法石が製造できるようになったら、安く売りさばいちゃう。ヴィガー商店の魔法石合成はなにせ時間がかかるから、短気な冒険者にはうけがよくないわ。魔法石を安くパパッと買えたら、きっとはやるわよー。それに材料は石だから原価はタダ同然でしょう? ぼろもうけよ、ぼろもうけ!」

 鼻息荒くヘルガはまくしたてる。

「こんなチョースバラシイ事考えつくのは、このヘルガ=シュミットをおいて他にはいないわっ」

 カレブの頬がピクリとひきつった。

「あいつは何語を喋ってるんだ・・・」

「現代エルフ語でも、古代エルフ語でもないわ」

「ちょっとちょっと、なに呆れてるのよ」

 ヘルガはぐいっとカレブに顔を近づける。

「あんたの全てにだ」

 ためらいもなくカレブは吐き捨てた。

「・・・あら?」

 ヘルガの声色が変わる。

「・・・なんだよ」

 ヘルガは、カレブをじいっと見つめると、頬を薔薇色に染めた。
 頬に手を当て叫ぶ。

「チョーカッコイー!」

 どうやら今まで喋る事に必死で、まともにカレブを見ていなかったらしい。
 やたらと目に星を浮かべてヘルガは黄色い歓声をあげた。

「依頼を出して、恋とお金を一度にゲットが夢だったわ! でも、受けたのがあのオマヌケ戦士だったから、恋の方はあきらめたの」

「おいコラ。手前、今何を・・・」

 だがリカルドの言葉は再び無視される。

「でも、こんなオマケがあっただなんて。さすがアタシ! 驚きの幸運の持ち主! そうよね、渋い戦士もいいけど、カッコイー盗賊の男の子も捨てがたいわよね。報酬はお姉さんがいいよ、なーんちゃって!」

 カレブはもはや言葉もない。いつ憤死してもおかしくない状況だ。
 グレースとミシェルの二人だけが、おとなしく茶を飲んでいる。

「ね、言ってみてくれない?」

「断る」

「照れなくていいのよー?」

 ヘルガは笑みを浮かべながらウィンクした。軽く握った両手は顎に当てている。どうやらこれが、ヘルガの必殺ポーズらしい。

「照れてないっ」

 ヘルガはくすくすと笑うと、すっとカレブに顔を近づけた。
 ヘルガの薄い唇が、一瞬カレブのそれに重なる。

「!!??」

 カレブは椅子を倒してとびすさった。

「きゃ。ファーストキスだわーー!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねるヘルガを尻目に、カレブは真白になった。

「えーと、依頼者さん」

 カップを持ち上げてミシェルが言う。

「気づいているかもしれないけれど、あの子は女よ」

 今度はヘルガが真白になる番だった。

「チョー信じられない! ファーストキスが女の子だなんて! こんなかっこいいのに、もったいないわ。ねえねえ!」

 ヘルガはカレブの肩をつかむと、がくがくと揺すった。

「男の子にならない?」

「なるかあああああああ!!」

 カレブは本気の回し蹴りをヘルガにお見舞いする。
 だが、ヘルガはそれをなんとかかわした。
 シュンと肩を落としてカレブを見る。

「残念・・・・」

 カレブは自分のカップになみなみと茶をそそぐと、ガラガラとうがいをしてそれを床に吐き捨てた。

「リカルド、グレース、ミシェルさん! 行くよっ! こんな馬鹿な依頼、さっさと終わらせてやるっ!」

 カレブは癇癪を起こして宿を飛び出した。

 その背中にヘルガが声をかける。

「ねえ、ただの石じゃダメよー。石を採掘してるドワーフのオヤジがいるから、そいつからもらってきてねー。チョーヨロシクッ!」


 

   未だ怒り収まらぬカレブは、迷宮に入ったとたん出くわしたコボルド達を一睨みで退散させた。

 キャンキャン鳴きながら逃げ惑うコボルドの姿が、またカレブの心を刺激する。

「逃げるな、軟弱者!」

 しかし、コボルド達も命がおしいらしく、全速力で闇の向こうへ消えていった。

「ふん、まあいい。コボルドじゃ倒しがいないからな」

「それじゃ、こちら側から回りましょうか?」

 ミシェルが右手のがわの壁にある扉を指差した。

「あの先は一層の深部への近道だから、それなりの敵と戦えるわよ」

 ミシェルに頷きながら、カレブはリカルドの方を見る。

「で、あの馬鹿女の言っていたドワーフはどこにいるんだ」

 リカルドは顎をなでながら答えた。

「たぶんガルシア親父の事だろうな。やっこさん、王室管理室のちょいと先にこもって、鉱石なんかを掘り出しているんだ」

「ならばこちらから回ったほうが近いですし、丁度いいですね」

 グレースが迷宮第一層の地図を広げながら言った。
 それは冒険者ギルドで配っている地図ではなく、彼女自身が作ったものらしい。
 繊細な線や書き込まれた詳細な目印などが彼女の性格を表していた。

「そう言えばこのあたりに、ランプやつるはしが置いてある場所がありました」

 グレースの示す場所を見てリカルドが頷く。

「そうそう、ここだ。ガルシア親父だっていつもいるわけじゃないし、うまく会えるといいんだがな」

「いようがいまいが関係ない」

 ふっとカレブは笑った。

「その時は適当な石をつかませるだけだ」

「それは契約違反では・・・」

 グレースは心配そうだが、カレブの笑みはますます冷たくなる。

「チョースバラシイ石とでも言えば大喜びするだろうさ」

 そうかもしれない。

 なんとなく納得してしまうグレースだった。