迷宮の闇の中で、生者と死者が向き合っていた。

 恨めしそうにこちらに手を伸ばし、少しでも現世に近づこうとするゾンビ達を見ながら、ミシェルはこみ上げてくる皮肉な笑みを、こらえる事ができないでいた。

「なにがうらやましいの? わたし達と、あなた達。なにもかわりはしないと言うのに」

 無意識に言葉がもれた。
 それは、黒猫のように不吉にその場を駆け抜けていく。

「ぜんっぜん、違うわよ。大違いよーーー!」

 隣にいたサラがききとがめ、大きな声をあげた。
 しかし、ミシェルは答えもせず、手にした杖を振り上げる。

 こめられた魔力によって杖の先端が朱金に輝き、空中に不可思議な文字を織り上げていく。
 その複雑さから、サラはミシェルが大きな魔術を行使しようとしているのがわかった。

「ちょ、ちょっと?」

 サラは戸惑った。
 ミシェルの唇から笑みが消えている。代わりに浮かんでいるのは、イライラとした耐えがたい怒り。

 どこか悠然としたこのエルフの娘が、怒りにかられて魔法を使おうとしているのだ。
 サラは驚きを隠せず、また同時に安心もした。

 ミシェルとて、完璧ではないのだと。

「ミシェルさん」

 ひたと死神をにらみつけていたカレブが、ミシェルの名を呼んだ。

「こいつ、手ごわい。あなたの魔法で倒してもらわなければならないかもしれない。高等魔術を使う魔力は、残しておいて」

 スッ、と魔力の波動が消えた。かかげていた杖がおろされる。

「わかったわ」

 そう答えたミシェルは、もういつもの顔に戻っていた。

「では、どう戦いましょうか?」

「ソンビはまかせる。これの相手は、ぼくが」

 ミシェルが頷くと同時に、リカルドとグレッグがゾンビの群れに斬りこんで行った。
 同時に走る二剣が、ゾンビ達を切り裂いていく。だが、色濃く渦巻く死の風によって、ゾンビ達に二度目の死をあたえる事はたやすくはなかった。

 サラは二人の傍へと駆け寄り、いつでも治療と援護を行えるように身構える。隙があれば、ディスペルの祈りによって、大地に還してしまうつもりだ。ミシェルはクレタの小さな炎を飛ばしながら、ゾンビをカレブの方へ近づけないようにした。

 カレブは素早く大きな動きで死神を引きつけ、一対一の戦いへ持ち込んでいく。

 カレブは、相手の間合いで戦ってやるつもりは、微塵もなかった。
 振り下ろされる血刃を器用によけ、徐々に相手の懐へとにじり寄っていく。短剣の間合いへもちこめば、大剣を扱う死神と有利に戦えるはず。

 カレブの短剣が、流星のごとく走った。
 死神の剣を受け流し、はじき、握る手に傷を負わせ、ゆっくりと、だが確実に勝利へ向かって歩み寄っていく。

 もとより、自分ひとりで勝てるとは思っていなかった。くやしいが、最後は仲間達の力を借りる事になるだろう。だが、それまでに、徹底的に相手を追い詰めておく必要がある。

 体力をけずりとり、疲弊させ、そこにとどめをさすのだ。

 死神は声ひとつあげず、黙々とカレブに向かって剣をふるう。
 その一太刀、一太刀が必殺の剣だった。重々しい轟音をあげて迫る死の刃は、カレブの身体に冷たい汗をにじませた。

 恐怖はない。ただ、心にピィンとはりつめた何かがあった。それが、カレブの手を、脚をつき動かせる。

 カレブの攻撃は、型にはまっていなかった。
 剣を振るうと同時に蹴りをはなち、手投げナイフをなげて攻撃を止め、曲芸めいた動きを見せる。

 死神はそれに翻弄されたようだった。
 とまどったように、甘い一撃が放たれる。

 もらった、と思った。

 カレブはその攻撃をたやすくよけると、一直線に懐に飛び込んだ。
 体重をかけて、短剣を死神の胴に打ち込む。

 重い手ごたえが返ってきた。かなりの痛手を与えたはずだ。
 
会心の笑みを浮かべ、カレブは顔をあげた。

 黒い頭巾の奥で青い炎が揺れていた。


 ・・・笑み?


 ハッとカレブは息をのんだ。
 ふと、よみがえる光景。それは、既視感。

「しまっ・・・!」

 しまった、とカレブが叫ぶより早く、剣を握っていない死神の左手がひるがえった。
 ずっと使われていなかったそれは、ティールの印を結んでいた。
 冷たい声が雷を呼び、青金の稲妻が一直線にかけぬける。

 それは、ゾンビ達にくぎ付けになっていたリカルド達を、残酷に灼いた。

「ぐぅっ!」

「がっ」

「ひぁっ!」

 男女の悲鳴が響き渡った。

 予想外の魔法攻撃を、彼らはかわせなかったのだ。

 それは、まさしくカレブが爆炎のヴァーゴ戦においてやってみせた戦法だった。
 つまり。

 再び死神の左手が振り上げられる。
 結ばれた印はティール。

 死神はあの時のカレブと同じように、二度魔法を詠唱していたのだ。

 カレブは降り注ぐ雷に備え、身体をかたくした。

 だが、シュッと空をさいて飛来した石くれが、魔法の開放の邪魔をした。
 石くれは、鈍い音と共に死神の左手を直撃し、結ばれていた印を崩す。
 術者の制御を離れた魔力は、雷と化す事はなく、ただ、ふわりと風を舞い起こすにとどまった。

「・・・よかった」

 まだ、身体をしびれさせたままサラが呟いた。
 とっさに、傍にあった石をつかんで投げたのだが、思いのほかうまくいった。

「神様、ご加護を感謝します」

 もう一度同じ状態で同じ事をやれと言われても、きっと出来ないだろう。
 仲間を助けたい。その一心が神に届いたのだとサラは思った。

 だが、カレブの危機はまだ去ってはいなかった。

 魔法が力を失ったと悟るや、死神は両手で剣を握り、カレブに斬りかかったのだ。
 かわせるタイミングではなかった。受け止めるべき短剣は、死神の胴深くにうまっており、とっさには抜けない。

 カレブは舌打ちして飛び退る。だが、一躍では攻撃範囲の外に出る事はかなわなかった。
 カレブは手投げナイフを抜き放ち、死神の剣を受け止めた。

 ボキィンッ!!

 鈍い音と共に、手投げナイフは折れ飛んだ。

 皮鎧をやすやすと斬り裂き、死神の剣はとうとうカレブの身体を傷つける。

「・・・ッ!!」

 カレブは唇をかみ締めて、上げそうになった悲鳴を押し殺した。
 鋭い痛みが全身を駆け巡る。

 左肩がザックリと割れていた。
 血が冗談のようにドクドクと流れ出している。

 風の精霊の守りを織り込んだ雷のマントを羽織っていたミシェルは、ティールの魔法をほぼ退けていた。一瞬で惨状を見て取り、叫ぶ。

「忍者さん、あの子を敵から引き離して! 戦士さん、ゾンビを倒します。ガードを!」

 体力のある二人は、ティールの魔法を受けながらも、何とか行動出来た。
 ミシェルの声に突き動かされるように、走る。

 リカルドは、背後のカレブを気にしながらも、ミシェルにゾンビを近づけさせまいと、鬼神の形相で剣を振るった。これほど必死になった事は、この迷宮に潜るようになって始めてかもしれない。

「くそっ! 倒れろぉっ!! お前ら、もう死んでるんだ!!」

 リカルドの剣が、ゾンビの腕を、脚を斬りとばす。
 その気迫を感じ取ったのか、ゾンビ達は一瞬攻撃の手を緩めた。
 その隙に、ミシェルのザクルドの魔法が完成した。

 白金の氷雪が、瞬きする間にゾンビ達を凍りつかせた。
 花びらのように氷柱を広げ、次の瞬間には木っ端微塵に弾け飛ぶ。
 こうなっては、吹きすさぶ死の風も、破片と化したゾンビ達を蘇らせる事は出来なかった。

「カレブー!」

 リカルドは息つく暇もなく、身を翻した。

 死神は、カレブにとどめをささんと、剣を振り上げていた。
 全速力で駆けつけたグレッグが、横手から攻撃をかける。

 グレッグのダガーが、雷の閃きをもって振るわれた。
 死神は振り上げていた剣を、防御にあてる。

 剣の幅広い側面が、グレッグのダガーを止めていた。
 だが、退けなかった。
 なんとか一撃を加えて隙を生じさせ、カレブを助けなければならない。

 ハーフエルフの少女は、痛みに顔をゆがめ、震えていた。
 目から戦う意思は消えていないが、立ち上がるにはもう数瞬の時が必要だろう。
 グレッグは、その時を作らなければならなかった。

 攻めあぐねるグレッグの目に、死神の身体にうまったままのカレブの短剣がうつった。

「・・・やるか」

 ニヤリとグレッグは笑った。

「死は、恐れない」

 グレッグは、死神の攻撃と同時にその懐めがけて飛び込んだ。
 剣が首筋を切り裂くが、気にせず突き進む。

 流れ出る血もそのままに、グレッグは短剣に手をかけた。
 力をこめ、一挙にそれを突き上げる。

 ブチブチと鈍い音をたてて、短剣は死神を切り裂いた。

 はじめて、死神の身体が揺らいだ。よろめき、数歩後ずさる。

 グレッグはその隙に、カレブを安全圏まで連れ出した。

「痛むか」

「・・・平気さ」

 顔を青ざめさせながらも、カレブはうそぶいた。
 サラが駆け寄ってくる。

「カレブを」

 やって来たサラに、グレッグはそう言った。

「でも、グレッグも血が!」

 叫ぶサラに、グレッグは笑った。

「後で、頼む」

 ダガーを手に、グレッグは再び走った。
 今度は、サラがカレブを回復させる時間を作るのだ。

 サラは、カレブの傷口に手を当てると、癒しの魔法の詠唱を始めた。
 温かな光がカレブの肩を包む。

「大丈夫? 大丈夫? カレブ君」

 泣きそうな声で名前を呼ぶサラに、カレブは笑った。
 優しい笑みだった。

「泣くな、馬鹿。この程度で死にはしない」

 優しい笑みと、優しくない台詞にサラは嬉しくなった。

「もう一度、フィールをかけるわ。そうすれば、左腕、動かせると思う」

 カレブは頷いて目を閉じた。

「ありがとう」

 そっけなく、礼の言葉を言う。

 サラの頬が赤くなった。
 信頼と、友情が心に満ちる。

 わたしでも、誰かの役に立てるんだ。

 充足感が、ゆっくりと広がったその時、なにかが床にたたきつけられる音がした。
 思わず振り返ると、グレッグが死神によって床にたたき伏せられていた。

 死神はそのまま、こちらに滑ってくる。

 攻撃の目標は、間違いようもなくカレブだった。

「カレブー!」

 ゾンビを倒し終わったリカルドが駆けて来るが、あの距離では間に合わない。
 ミシェルも、大きな魔法を放ち、すぐには次の攻撃に移れないでいた。

 サラは、それらの様子を随分と冷静に見ていた。

 淡紅色の唇が、祈りの言葉を呟く。

「神様、非力なサラに力をください!」

 サラは、カレブの前に身体を投げ出し、己自身を盾とした。
 どうしてそんな事をしようと思ったのか。

 尋ねられても、こうとしか答えられなかっただろう。


 ”なんとなくよ。カレブ君を守らなくちゃと思ったの”


 死神の剣がサラを貫いた。

 あまりの衝撃に、悲鳴をあげる事すらままならない。
 若草色の瞳を見開き、サラは唇を震わせた。

 サラの身体が、闇色の霧に包まれた。
 数百もの死者の顔が、霧の上を滑っていく。

 サラの身体から流れる血全てを、その闇色の霧は吸い取った。

「あれは・・・!」

 ミシェルが息をのむ。
 そして、悲しげに瞳をふせた。

「・・・さようなら。きっと、解放してあげるから、今は、お眠りなさい」

 サラは、貫かれた剣から、何かが流れ込むのを感じていた。
 その何かに翻弄されながら、サラはおぼろに過去を見た。

 優しい両親。
 幸福だった少女時代。
 僧侶になろうと決意した日。
 辛かった修行の時。
 夢がかないかけた一瞬。

 そして。


 ”今日は、静かね。鳥のさえずり一つ聞こえないわ”

 ”そうね、母様。それに、風も無いわ。妙に不思議な・・・”


 チカリ、と何かが光った。
 眩しいと思う暇さえなかった。
 意識は、白光の中に消えていった。


「ああ・・・」

 透明な声が、こぼれた。

 全てを悟った者だけが出せる声だった。

「そうか、わたしは・・・」


 カレブは、呆然としてサラを見ていた。


 どうして、サラが?
 あの剣に貫かれるのは、わたしのはずだったのに。

 死すべきは、罪深いわたしだったのに・・・!


 無意識の底で、カレブはそう思った。
 だが、口は違う言葉を発していた。

「馬鹿っ!! 弱いくせにっ、弱いくせに、どうしてっ!!」

「カレブ君だって、弱いよ」

 透明な声が答える。

「サラ・・・」

「カレブ君」

 その顔は見えないはずなのに、何故かカレブは、サラが微笑んでいると感じた。

「負けないでね。きっと、未来は・・・」

 闇色の霧が消えうせる。そして、サラも。

 何も残らなかった。
 身にまとっていた服さえも。

 再び死神が剣を持ち上げる。

 カレブは動けない。

「馬鹿野郎っ!!」

 やっと駆けつけたリカルドが、死神に向かって斬りつけた。

「死にたいのかっ!」

 カレブの瞳に光が戻る。

 そう、まだ戦いが終わったわけではないのだ。

 カレブは立ち上がった。
 右手が、手投げナイフを握り締める。

「リカルド、引きつけてくれ!」

 起き上がったグレッグが叫んだ。

「オウ!」

 リカルドは素早く長剣を振るった。
 残った力の全てをこめ、死神の注意を自分に向けさせる。

 死神がリカルドに向かって攻撃する瞬間に、グレッグは跳躍した。
 ダガーが鈍い光を放つ。

 丁度のその反対方向から、同じような輝きが走った。

 カレブだった。

 グレッグの攻撃に、己の攻撃を合せたのだ。

「あんたの攻撃のタイミングは、わかってる」

 わずかにカレブの唇が持ち上がった。
 今のカレブに出来る、せいいっぱいの笑い顔だった。

「そうか」

 グレッグも、同じような笑みを浮かべた。

 だが、一瞬で二人の笑みは消えた。
 忍者としての、盗賊としての顔が戻ってくる。

 リカルドの頭上で、二つの刃が死神を傷つけた。

「離れて!」

 ミシェルが叫ぶ。

 三人は、すぐさまその場を飛びのいた。

 ドォンッ! と迷宮を揺るがし、一直線に青金の輝きが天から降り注いだ。
 ティールの数倍の太さの雷が、死神の脳天に突き刺さる。
 最大の雷の魔法、ジャティルだった。

 轟音がやむと、嘘のような静けさが迷宮に満ちた。

 死神は細かに身体を痙攣させている。

 パサリと頭巾が脱げ落ちた。

 全員が息をのむ。

 現れたのは、銀色の髪と、凍てついた冬の泉の瞳を持つ少女の顔。
 死神は、カレブと同じ顔をしていた。
 いや、同じではない。カレブから全ての表情を殺ぎ落とした顔をしていた。

 すっと死神の腕が持ち上げられる。

 そこから、無数の黒い影が現れ、迷宮へと散っていった。
 影が通り過ぎる瞬間、何ともいえない悪寒がする。

 だが、それで終わりだった。

 死神は、ゆっくりと、その姿を薄れさせていった。
 泡沫の、夢幻のごとく。

 カレブは、呆然と、ただ呆然としていた。

「カレブ」

 呼びかけられて顔をあげ、カレブは胸が痛くなった。

「グレッグ・・・、あんた、血が・・・」

 グレッグの首から流れる血が、止まっていなかった。
 闇色の衣装の半分以上が、血の紅に汚れている。

「人は迷う」

 グレッグの声もまた、透明な声だった。

「だが、その迷いのはてに答えがあるだろう」

 グレッグは迷宮を見回した。

「人生は迷宮。生者はそれを行く旅人。この迷宮は・・・、人生の縮図なのかもしれないな」

 グレッグは微笑を浮かべる。
 笑顔で、別れたかったのだ。己の人生に悔いはなかったと伝えたかった。

「カレブ。ここで、人生をつかんでくれ。君と出会えて、よかった」

 グレッグの身体もまた、闇色の霧に包まれた。
 お喋りな僧侶がそうだったように、グレッグの血も、霧に吸い取られる。

 カレブは、瞬きさえしなかった。
 じっと、グレッグを見つめていた。

 霧が消える。
 無口な忍者と共に。

「こんなふうに・・・」

 ややあって、小さな声が響いた。

「こんなふうに、わたし、女僧侶と忍者を失った事がある・・・」

「カレブ・・・?」

 リカルドが、ゆるゆると頭をあげる。

 カレブの瞳から、涙が零れ落ちていた。

「こんな、ふうに・・・」

 痛々しいその様子に、リカルドは思わずカレブを抱きしめた。
 やがて、押し殺した泣き声が、リカルドの腕の中から聞こえ出した。