「コソ泥」というカレブの答えが気に入ったのか、女は高らかに笑った。

「なかなか、面白い事をいう子だ。そのコソ泥がこんな所で何をしてるんだい。迷子にでもおなりかい?」

 フン、とカレブは鼻を鳴らす。メガデスの魔法を会得している魔術師を前に、一歩も引く気配を見せない。

「ぼくは、そこの剣士に用がある」

「ぼく? これはこれは」

 クスクスとヴァーゴは笑った。

「生憎だったね。剣士様は今取り込み中。わたしと逢引の真っ最中さ」

「優先権はぼくにある」

 カレブは一歩前に出た。

「その剣士とは約束があるんだ。だから、あんたは後回しだ」

 ホホ、と女は笑った。

「物を知らないお子様に教えてあげよう。わたしは、爆炎のヴァーゴ。この迷宮でわたしに逆らえるヤツはいないんだよ。一番強いのは、わたし。一番美しいのは、わたし、全てにおいて優先されるのは、このわたし!!」

 女、ヴァーゴは、己の台詞に酔ったかのようにうっとりとした。

「御託はいいよ。どいて」

 ピキンと音を立てて、その場の空気が凍りついた。

 恐れ知らずのカレブの言葉に、キャスタがあわわと口を震わせる。
 様子を見守っていたコボルド達の耳が寝そべり、尻尾がだらしなく垂れ下がった。

「・・・わたしは、耳が遠くなったのかね。どいて、と聞こえたんだが」

「遠くない。そう言ったのさ」

 わなわなとヴァーゴの唇が震える。

「どかない、と言うのなら力づくでも通るよ」

「カレブ!!」

 そこに、リカルド達が駆けつけてきた。
 一触即発の二人を見て、リカルドは天を仰ぐ。

「なんてこった。ヴァーゴに喧嘩を売ったのか?」

 ギラリ、とヴァーゴはリカルドに鋭い視線を投げかけた。

「リカルド。この子はあんたの連れかい?」

 リカルドは、ため息をついて頷く。

「ああ、そうだ」

「教育が、なってないようだねえ・・・」

「気に障ったんなら謝るよ。だから、ここはひとつ、穏便に・・・」

 ダンッとカレブとヴァーゴが足を踏み鳴らした。

「ここまで来て、穏便に済むか!」

「甘ったれた事、言ってんじゃないよっ!!」

 がくっとリカルドはうなだれる。

「ふ、二人とも、こわいぃ〜・・・」

 サラは、涙ぐみながらグレッグの後ろに隠れた。

 くくっと剣士が笑う。
 小さな、しかしはっきりとした笑声に驚いて、ヴァーゴは振り返った。

「笑ったのかい、剣士様。あんたが」

「なかなか面白い見世物だ。しかし、このままでは埒があかんな」

「剣士様・・・?」

 ヴァーゴにしがみついたままのキャスタが、怪訝そうに剣士を見た。

「勝者と話をしよう」

 ヴァーゴの目が輝いた。

「それは・・・、さっきの質問に答えるって事だろうね?」

「そうだ。ただし、お前が勝てばの話だ」

 面白そうにヴァーゴは笑う。

「最強の攻撃魔法を使えるわたしが、負けるわけがないだろう?」

 剣士は芝居じみた動作で肩をすくめた。

「爆炎のヴァーゴともあろうものが、雛鳥を相手に大人げない事だ。・・・どうやらそこのリカルドとお前は旧知のようだが、それなら実力の程も知っているだろう? 奴らはお前が全力でぶつかるような相手か?」

 ヴァーゴはちらりとリカルドを見る。
 剣士は、言葉を続けた。

「この者達相手に高等魔術を使ったとなれば、いい物笑いの種になるだろう」

 フフンとヴァーゴは笑った。

「何事にも全力でぶつかるのが王者ってものだが、あんたがそこまで言うならいいよ。こいつらにハンデをくれてやる。使う魔法は、初等にとどめようじゃないか」

 自信に満ちた瞳は、それでも自分の勝ちは動かないと言いたげだ。

「それを言い訳にしないでよね」

 カレブは冷たく言い放った。

「負けた時の、さ」

 ヴァーゴに蹴られ、キャスタがよろよろと剣士の所まで後退する。
 変わってリカルド達がカレブの傍へとやって来た。

 元気を取り戻したコボルド達も武器を構える。

「サラ」

 カレブは、残った手投げナイフを全てサラに手渡した。

「ぼくは接近戦をやる。これはあんたが使え。どうせ、ロクな魔法が使えないんだから、機を見て敵の動きを止めろ」

 サラは、初めて手にする命を奪う道具に顔を青ざめさせた。

「いいな、落ち着いてやるんだぞ。言っとくけど、嫌がったり、怖がったりしてるヒマはないからな。あんたがしくじれば、誰かが死ぬんだ」

 びくっとサラは震える。
 リカルドは苦笑すると、サラの肩に手を置いた。

「今のを訳すとだ、まあ、肩の力を抜いて油断はするなって事だ」

「う、うん」

「リカルド、グレッグ。あんた達はまず、あの犬どもをやれ。その間、ぼくがあの変な女の動きを止める。犬どもを片付けたら、一気に攻めに転じるぞ」

「了解」

「心得た」

 カレブの指示に、二人は言葉少なに答える。
 巻き込まれた感は否めないが、二人ともカレブ一人で戦わせるつもりは毛頭なかった。

 コボルド達になにやら命令を下していたヴァーゴが振り返る。

「さてと、それじゃあ始めようかね・・・?」

 カレブは口の端に笑みを浮かべて、それに答えた。

 剣が煌き、杖が振り上げられた。


 ふわりとカレブの銀色の髪がなびく。
 カレブは、短剣を引き抜いて、ヴァーゴに打ちかかっていった。

 カレブの素早い攻撃を、ヴァーゴは手にした盾と杖で難なく防ぐ。

「軽いね! これで攻撃のつもりかい!?」

 カレブは、答えない。
 右手に握り締めた短剣で、休む暇なくヴァーゴに斬りかかる。

 確かに、攻撃自体は軽く、威力はない。
 だが、素早いそれを防ぐにはなかなかに神経集中を必要とさせた。
 素早い上に、剣筋が読みにくいのだ。
 カレブの剣は、暗がりからふわりと飛び出す蛾のように、つかみ所がなく唐突だった。

「・・・うっとうしいね」

 しばらく打ち合い、ヴァーゴは呟いた。
 油断がならぬ、と思ったのだ。
 絶え間ない攻防のせいで、魔法を詠唱する時間がない。

 これは、意外と長引くかもしれない。ヴァーゴはそう思った。

 だが、まだまだカレブにも甘いところはある。片手ではなく、両手で短剣を使えば、もっと攻撃の威力は上がるのだ。実戦経験の少なさが、こういったところに現れる。

「まあ、いいさ。ゆっくり遊んであげるよ。銀の髪のかわいい子」

 ニッとヴァーゴの唇が笑みを刻んだ。
 ・・・彼女は、気づいていない。顔をふせ、必死に攻撃をしかけるカレブが、会心の笑みを浮かべている事に。カレブの空いた左手が、ヴァーゴの死角で不可思議な印を結んでいる事に・・・・・・


「げぇっ!?」

 一丸となって剣を突き出し、突進してくるコボルド達に、リカルドは悲鳴をあげた。
 まともに食らったら、瀕死に追い込まれてしまう。
 だが、避けるわけにはいかなかった。自分達の後ろには、サラがいる。

「ちっくしょ、グレッグ、ガードだ! サラを守る!」

「承知」

 リカルドは盾を構え、グレッグはダガーを防御の姿勢に構えた。
 コボルド達はもう目の前だ。

「持ちこたえてくれよ、俺の盾!」

 リカルドは、盾を激しくコボルドに打ち付けた。防御をまったく無視して突き進んでいたコボルドは、大きくよろめいて倒れる。それにつまずき、後続のコボルドが体勢を崩した。

 グレッグも、二匹のコボルドの攻撃を、ダガーで受け止める。

「よっし、崩した!」

 コボルド達の一斉攻撃を何とか受け止めたリカルドは、反撃に移った。
 さっきのような奇妙な真似さえされなければ、互角に渡り合える。

 早く倒して、カレブの援護に当たらなければならなかった。高等魔術を使わないとは言ったが、いつあの自分勝手な魔術師が、気を変えるとも限らない。メガデスの魔法を唱えられたら全滅は免れないのだ。それだけは、なんとしても防がねばならなかった。

「死にたくないやつは、とっとと失せろ。ヴァーゴについてても、良い事はないぜっ」

 リカルドの剣がうなりをあげた。


 カレブ達の戦いを見守りながら、キャスタが剣士に尋ねる。
 その声には、わずかに非難めいたものがこめられていた。

「け、剣士様、どうしで、こんなごと・・・」

「見極めるため」

 ぽつりと剣士は答える。

「あの者が、真に我が半身であるかどうかを」

「オ、オダ・・・、とても、カレブがそうとは思えないだ・・・」

 キャスタは、この三日、カレブを見てきた。
 あの者が、己の役目を引き継ぐ者との剣士の言葉を受けて。

 しかし、カレブは、主人とは遠くかけ離れている。
 似ているのは、その瞳だけだ。

 キャスタは素直に思った事を剣士に告げた。

 ふ、と剣士は笑った。
 優しい笑みだった。

「そうだな。確かにあの者は私と遠く離れている。だが、遠いゆえに近いのだ。今、私とあの者はそれぞれ線の両端に立っている。その間は果てなく遠い。だが、それが輪になった時、その二点は重なり合うだろう。となれば、最も遠かったはずの場所が、最も近くなる」

 しょぼんとキャスタは肩を落とす。

「むずかしくて、オダ、よくわかんないだよ」

 剣士は瞳を細めた。

「いずれ、わかる。時が、満ちれば」

 続く言葉を、剣士は心の中で呟いた。

 ”そして、その時はもう一つの点も・・・・・・”