祝 話   血族

「ふーん」

 鋭い瞳が辺りをさっと見回した。それに怯えたかのように葉を落とした木々が枝を揺らす。木陰の向こうには、石造りの美しい寺院がひっそりとたたずんでいた。

 ふ、とこげ茶の瞳に笑みが浮かぶ。すると、他者を威圧するような鋭さは一瞬で消えうせ、親しみやすい、悪戯好きの子供のような表情が広がった。事実、寺院を見据える彼は、少年と呼んで差し支えない歳若さだった。

「似合わないぜ、姉者」

 遠慮のない台詞を口に上らせると、少年は軽い足取りで寺院へと向かった。

 寺院の主は花好きなのか、それとも常に美しくしつらえておくべきという主義なのか。
 木立を抜け、寺院の入り口へと続く小道や前庭には、シクラメンやエリカといった冬の花々がよく計算された彩りで植えられている。

 そういったものが決して嫌いではない少年は思わず足を止め、花々が風に揺れるさまを楽しんだ。香りが少ないのが残念だな、と思う。

 その点、少年の故郷の冬の花は、香(コウ)にその名を冠するほど素晴らしい芳香を放つ物がある。知らず、得意な気分になり、少年は鼻の穴をふくらませた。

 と、寺院の扉が重い音と共に開き、中からエルフの女が一人、姿を現した。小さなかごとハサミを手にしている。どうやら花を切りに来たらしい。

 ビョウ、と吹いた寒風が、女の長い金髪を空へとさらっていった。

「うー、さむーい……!」

 わかりきった事を呟いていた女だったが、少年に気づくとはっと息を飲んだ。少年の風貌や身なりはこの辺りではみかけないものだったからだ。

 少年は誰何(すいか)の声を上げられるより早く、女の傍へと駆け寄り、言った。

「マシロのサキは居るか」

 

 

「サキさあん!」

 自室で娘のミナと共につくろい物をしていたサキは、部屋に駆け込んできたラーラの慌てた様子に、何事かと手を止めた。

 ミナがぴょこんと椅子から飛び降り、ラーラの背をさする。

「おばさま、大丈夫?」

「うん、大丈夫……。って、ミナ、ちがうでしょうー。おばさまじゃないでしょうー。ラーラ、わたしの事はラーラって呼びなさい」

 いけない、とばかりにミナはかわいらしい口元を小さな手でおおった。

 二人のやりとりにクスクスと笑いながらサキが尋ねる。

「それで、随分慌てていたようだけれど、どうしたの?」

「ああ、うん! ええと」

 答えあぐねてラーラは言葉をにごした。

 サキを訪ねて来た少年の正体は、なんとなく推測がつく。少年がまとっていた装束や微かに東の響きが残る発音は、サキとよく似ていたから。

 本来なら、さっさとこの部屋に案内すべきだったのだろう。だが、サキが半ば故郷と絶縁している事を知っているラーラは、それが出来なかった。

 サキの意向を聞いてからと思い、ここで待つようにと少年に言い含め、ひとまず一人でやって来たのだ。

 ぴくり、とサキの眉が動く。
 それを不思議に思うより早く、背後から声がした。

「ふうん、ここか」

 突然耳元で呟かれたラーラは、のけぞりながら叫ぶ。

「ちょ、ちょっとあなた! 表で少し待ってなさいって言ったでしょう! これは不法侵入よ!」

「客人をあんな寒い所で待たせるのがこの寺院の流儀かい? おばさん」

「誰がおばさんよ! わたしはまだ二十五よおおおお!」

 ミナならばともかく。どう見ても十代後半の少年にまでおばさん扱いされ、ラーラは憤慨した。

 ラーラの優しい心遣いを踏みにじった少年はけろりとして、切ない絶叫をききながしている。

 ふう、とサキはひとつため息をついた。
 我にかえったラーラが、慌てて口を閉ざす。

「ラーラ、悪いけれどカナンを呼んで来てくれる? 奥の間で、ノーグ達と祝祭の打ち合わせをしているはずだから。それとお茶を人数分、お願いできるかしら」

「――うん、わかった」

 ラーラは少年をひとにらみすると、身を翻した。

 やっと部屋が静かになると、サキは少年に中に入るように促す。

「久しいわね、ライ?」

「ああ。本当にな」

 後ろ手に扉を閉めながら、少年、サキの末弟ライは頷いた。

「よくここがわかったわね」

「マシロなめんなよ」

 にっと笑ったライに対して、サキの表情は幾分複雑だ。あんな形で故郷を出たのだから、とっくに切り捨てられ、いない者として扱われていると思っていた。

「わかってないな、姉者。あんたは父者のお気に入りなんだぜ。そっとしておくつもりだったみたいだけど、動向くらいは調べさせてたさ」

「――そう」

「で? やっぱり戻らないのか。ここに腰を落ち着けるのか」

 問いかける弟の目は真剣だった。しかし、サキはためらうことなく、頷く。

「ええ、戻らない。ここがわたしの永(なが)の住処よ」

 答えたサキめがけ、ライの右腕が振るわれる。密やかに抜かれた短刀の切っ先が鮮やかな銀光を描いた。

 サキは顔色ひとつかえずそれをよけると、ライの右腕をひねり上げ、短刀を叩き落した。

「いでででででで!」

「なんのつもり、ライ」

 大げさに痛がる弟の腕を、サキはさらにひねり上げる。

「ぎ、ちょ、姉者、本気痛い! ごめんなさい、許して! 俺が悪かった!」

「だめだめ、だめ! ははうえさまをいじめちゃだめ!」

 それまで大人しくしていたミナが、涙を浮かべ、ライの足をぽかぽかと叩く。

「ほら、姉者、ちびっこいのが泣いてるぜ、な、許してくれよ」

「泣かせたのはあんたでしょうか! この馬鹿弟!」

 サキは床に落ちたライの短刀を部屋の隅に蹴り飛ばしてから、やっと手を放した。ミナを抱き上げて落ち着かせながら、柔らかな頬を濡らす涙をぬぐう。

「悪いな、ちびっこ。これはまあ、ちょっとした、姉弟喧嘩ってヤツだ」

 ライもミナの頭を存外優しい手つきで撫でた。

「きょう、だい?」

 大きな翠の瞳をうるませたまま、ミナが首をかしげる。

「ああ。俺はおまえの母上の末の弟だ。つまり、おまえの叔父上様ってわけだな」

「おじうえさま……」

「おう」

 笑うライをサキは睨みつける。

「離れて。この子にさわらないで。マシロは面汚しのわたしを始末するようにあなたに命じたの?」

 ぎょっとして、ライは首を振った。ふてぶてしいところのある少年だが、そのしぐさばかりは歳相応のものだった。

「違うぜ、姉者! 言ったろ、父者は心配してるだけさ。さっきのは俺が試したくて……」

「試す?」

 怖い顔のまま、サキに詰め寄られライはふいと視線を外した。

「だってさ、ずっと憧れててずっと敵わなかった姉者が、忍者引退して子供産んだとか聞いてさ! あげくに異国の寺院に引っ込んじまってさ! もう、マシロの心は忘れちまったのかと思って……!」

「……馬鹿ね」

 サキはミナを下ろすと、ぎこちなくライを抱きしめた。

「馬鹿ね、ライ」

「姉者」

「訪ねてくれて、ありがとう」

「――サキ」

 扉の向こうから、静かな声がする。
 ミナがぱっと顔を上気させ扉に駆け寄った。

「ちちうえさま!」

 サキが扉を開けると、ラーラから預かったのだろう茶の盆を手にしたカナンが、穏やかな顔で立っていた。

「……聞いてたでしょ、カナン」

「さて、なんのことだか」

 クスリと笑ってカナンは部屋に入ると、初めて対面する義弟に右手を差し出した。

「初めまして。カナンです」

「ふうん、あんたが義兄者か」

 カナンの右手を握りながら、ライはちらりとサキを見る。

「姉者、面食いなのは変わらないな」

 サキを赤面させ、なんとか反撃に成功したライは気持ちの良い笑い声を響かせた。

 

 

 ふるまわれた茶を飲み、近況を話し合う内に、すっかりライはカナンに打ち解けたらしい。

 そんなに線が細いのに姉者を嫁にするとはすごいすごいとしきりに騒ぎ、サキのこめかみをひきつらせる。

 ミナも大分慣れたのか、ライに招かれるままその膝の上にちょこんと座っていた。話の合間に頬をくすぐられ、楽しそうにクスクスと笑う。

 サキがそろそろ降りなさいと諭しても、ミナは首をふってライから離れなかった。ライの方もまんざらではないようだ。

 意外な弟の姿に、サキは驚きを禁じえない。こんな日が来るとは思ってもいなかった。

「そうだ、お前に土産があったんだ」

「おみやげ?」

「おう」

 きらきらと目を輝かせて見つめるミナの表情を楽しみながら、ライは懐から塗の櫛を取り出した。螺鈿の藤が美しくあしらわれたそれを見て、ミナがわあ、と歓声を上げる。

「じっとしてな」

 器用にミナの髪に櫛を挿し、ライは満足げに頷く。

「似合うぜ、ミナ。さすがはマシロの姫だ」

「ほんとう?」

「嘘じゃないさ」

 ライの膝の上で身体をひねり、ミナはカナンを仰ぎ見た。

「ちちうえさま、にあう?」

「ええ、とても。良かったですね、ミナ」

 父の声に促す響きを感じて、ミナはライに視線を戻した。嬉しそうに微笑んで、ライの首に抱きつく。

「ありがとうございます、おじうえさま」

「お、おおお、うわあ。これ、やばいな」

 やたらと、やばいやばいと繰り返すライにサキは苦笑する。

「なんで櫛なのよ。嫌ね、血を感じるわ……」

 塗とべっ甲という違いはあれど、昔、こうやって大切な黒髪の少女に櫛を贈った事がある。

 あの時、彼女はミナのように子供らしく喜びはしなかった。胸をつかれるような涙を流したことを、今も強く覚えている。

 そう、あれが、初めての彼女との出会いだったのだ。

 切ないけれど、けっして失くしたくない大切な思い出。

 ミナの明るい笑い声が、過去の光景を優しく眠らせる。

 いつのまにやら隣に立ったカナンの暖かい手が、そっとサキの肩を抱いた。

「よーし、そんなに喜ぶんだったらミナ、次は馬の背に一杯の土産をつんできてやるぞ」

「ほんとう? おじうえさま」

「ああ、まかせておけ! な、姉者、また来ていいだろう?」

「いいわよ、いいけど……」

 目じりを下げながら姪に大甘な約束をする弟を見て、サキはやれやれと首を振る。

「血は争えないって本当ね!」

 

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