祝 話   時 重(ときがさね)

「ミー、ト!」

 夕食を済ませ、ギルガメッシュの酒場から出たラーラは、白い息をたなびかせ背後からミトの腕にぎゅっと抱きついた。

「な、なあに? ラーラ」

 驚いて立ち止まったミトの耳元にラーラは囁く。

「あのね、新作のデザートを食べに、銀の車輪亭に行かない?」

「でざーと?」

「そう、甘いもの」

 甘いもの。

 それは、中々魅力的な誘惑だった。

 年頃の娘らしくミトも甘いものは嫌いではない。いや、どちらかというと、かなり好きな方だ。
幼いころは、甘味など口にした事はなかったが、レンがいろいろと気にかけてくれるようになってからは食する機会も増えた。レンが選んでくれたコンペイトウなどはミトの好物だ。

 でも、とミトは思った。

 ――今、夜の食事をしたところだし、眠る前に甘いものを食べるのはいけないことだって兄上様が……。

 ラーラの誘惑は続く。

「宿の女の子がもう食べたそうなんだけど、すごく美味しかったんですって! このあいだの、古木の詩亭のプディングよりも!」

 うっ、とミトはラーラを見た。

 ラーラが連れて行ってくれた、古木の詩亭ご自慢のプディングは、ぷるんとした食感と、たっぷりと使われたかえで蜜のこくのある甘さがあいまって、なんともいえない美味なデザートだった。それよりも美味しいなんて、想像がつかない。

 ラーラは、ミトの色よい返事を微笑みながら待っている。

 ミトはもじもじとサキに話し掛けた。

「あの、義姉上様」

 微笑ましくミトの様子を見守っていたサキは、クスクスと笑いながら頷いた。
ミトはこれまでこうして友達とはめを外す事などなかった。生真面目な性格だし、なにより人生を楽しむという考えがなかったからだ。

「いいわよ。いってらっしゃい」

 許可してみたが、夜も更けた今、娘二人だけで行かせる訳にはいかないな、とサキは腕を組みながら考えた。

 なにせ、リルガミンの街には血の気の多い冒険者が多いのだ。

 サキは隣のカナンにちらりと目をやる。

「えーと。それじゃ、カナン、お目付けをお願いできる?」

 しかし、カナンは困ったように眉を寄せ、表情を曇らせた。

「すみません、この後、予定が入っていまして」

「……逢引?」

 サキの発言に、カナンは目を見開いた。

「まさか!」

 首をぶんぶんとふって、力いっぱい否定する。

 二人のやりとりにクッとノーグが苦笑した。迷宮では忍者として恐るべき怜悧さを誇るサキの、色恋方面における恐るべき鈍感さに呆れたのだ。

 あんたの義妹にベタ惚れのこの男に限ってデートはないだろう、と。

 案の定、カナンは少し怒ったように答える。

「高司教からの呼び出しですよ。新年の祝祭の儀式に関しての最終確認です」

 確かに新年はすぐそこだ。ここのところ、迷宮探索が終わった後もカナンが忙しそうだったのは、こういう理由だったらしい。

「そう、それじゃしょうがないわね」

「僕が行こうか?」

 わたしが行って邪魔をするのもなんだし、と思案するサキに、クリスティンが声をかけた。

「食後のお茶、飲みたかったんだ」

 カナンほど頼りにならないが、用心棒の代わりにはなるだろうと、サキはひどい事を考えた。

「じゃあ、お願いしようかな」

「けってーい!」

 話がややこしくなるまえにと、ラーラはクリスティンの手を取った。
 もう一方の手でミトの腕を掴み、さっさと歩き出す。

 ラーラの素早い行動にあっけにとられ、サキは三人を見送った。

 早く帰ってくるのよ! という叫びが届いていたかどうか……。

 静観していたノーグが、三人が消えた方向に歩き出す。

「あら、ノーグも行くの?」

 振り向いて、ノーグはニヤリと笑った。

「人の弱みを握っておく事は大事なんだ。特に、ラーラの」

「……好きにして」

 サキは、やっかいな従兄を持ったエルフの少女の不幸に軽く肩をすくめると、宿へと向かった。

 歩きながら呟く。

「レン。わたし、よくこのパーティをまとめあげていると思わない?」

 レンでなくとも、思わず頷いてあげたくなる台詞だった。

 一人残ったカナンは、内心かなり悔しい思いをしながら、カント寺院へと戻った――。

 

 大賑わいの銀の車輪亭で、ラーラ達はなんとか四人がけのテーブルを確保できた。
 ラーラはノーグがついてきたのが、非常に気に入らない。

 デザート二つと、ロイヤルミルクティー、珈琲を注文し、ぶつぶつと文句を並べたてる。
 しかし、ちゃんとノーグの好きな珈琲を頼むあたりが、ラーラの可愛らしいところだ。

 ノーグはニヤニヤと笑うと、ラーラの頭に軽く手をのせた。

「まあ、そう怒るなよ。今回は俺がおごってやるからさ」

「え? ほんと!?」

 思わずクリスティンが吹き出すほど、ラーラは態度をひるがえした。

 よく拗ねるが、すぐに機嫌を直したタイニィーアの顔が脳裏を過ぎり、女の子ってみんなこうなんだなあ、とひとり頷く。

 ミトは、保護者が一人もいない慣れない場所で、少し落ち着かなかった。

 その様子に気づいたラーラが微笑む。

「サキさん達も一緒の方がよかった?」

「え? ええ。あ、でも」

 ミトはうつむいた。

「わたしの勝手で、義姉上様達を連れまわすわけには」

 コツンと頭を叩かれ、ミトは驚いて顔を上げる。

 ラーラとクリスティンが、ノーグをぎょっとして見つめていた。

 どうやら、ミトはノーグに叩かれたらしい。

「お前、デザート食いにきたんだろ? だったらもうちょっと楽しそうにしろ」

 何するのよ! と怒鳴ろうとしていたラーラは、隣のミトを見て口をつぐんだ。

 ミトは叩かれた頭に手を当てて、何故だかとても嬉しそうだった。

 ミトは今までこんな風に、誰かに叩かれた事などなかったから。
憎しみをこめて殴られた事はあれど、自分の行いを諌めるために、叩かれた事はなかったのだ。

「はい、ノーグさん」

 ミトは、ノーグにぺこりと頭を下げた。

 おりよく注文の品が運ばれてくる。

 ミトは、皿の上で揺れるプディングに似たその白いデザートを見つめて、首をかしげた。

「ブラマンジェっていうのよ」

 あまり西方のお菓子に明るくないミトに、ラーラが説明する。

「ぶらまんじぇ?」

 少しミトの発音がおかしくて、ラーラとクリスティンが笑う。

「ブラマンジェ、だよ」

 ゆっくりとクリスティンが発音してみせた。

「ブラマンジェ」

「そうそう。白い食べ物って意味なの」

 ラーラが手を叩いて頷く。
これが、東方の言葉なら立場は逆転するのだが、今回はラーラとクリスティンが教える番だ。

「アーモンドのエッセンスで風味をつけた牛乳と、とうもろこしの粉と、お砂糖と……。この間のプディングと似てるけれど、これには卵がはいっていないの。そのかわりね、栗のクリームがはいっているのよ。栗のブラマンジェなの」

 ああ、とミトは頷いた。
 栗ならわかる。一度だけ、レンとサキが栗を拾いに連れて行ってくれた事があった。

 ラーラにせかされ、白いデザートに恐る恐るスプーンを入れる。

 口にふくみ、ミトは美しい蒼い目を見開いた。

「美味しい」

 ブラマンジェは口の中でふうわりと溶けた。まるで桜の花が散るようにはかない風情を残して消えていく。やわらかな甘さと共に、アーモンドの香りがふっと鼻に抜け、滑らかな栗の風味が幾重にも広がっていった。

 なんともいえない優しい味がする。
 今、この時にとてもふさわしい優しい味が。

「気に入った?」

 わくわくとラーラがミトの顔をのぞきこむ。
 自分ももちろん食べたかったのだが、何よりミトに味あわせてあげたかったのだ。

「ええ、とても」

 破顔して、ミトは頷く。
 その小さな子供のような笑顔を見て、ああ、引っ張ってきてよかったなあ、とラーラはしみじみ満足した。

 エヘヘーと笑い、ラーラは自分もブラマンジェを口にする。

「うん、美味しい!」

 クリスティンとノーグは、それぞれロイヤルミルクティーと珈琲をゆっくりと飲み、娘達につきあった。

「昔……、時はただ流れていくだけだった」

 クリスティンの持つティーカップの湯気の向こうで、ミトが呟く。

「でも、違うのですね。時は、こうやって積み重ねていくものなのですね」

「うん、そうだね。流れてしまう時よりも、積み重ねていく時のほうがずっといいよね」

 答えて、ミトの積み重ねる時の中に自分がいるのかと思うと、クリスティンなんだか不思議な気持ちになった。
 一月前には知りえなかった人の思い出に織り込まれていく。それは、とても素敵でそして奇妙に恐いような気がした。人と触れ合うというのは、こういう事なのかな、と思う。

 なにやら神妙な面持ちになった二人を、ラーラはきょとんとしてかわるがわる見つめた。
ノーグはただ無言だった。いや、よく見ればその口元に微かに笑みが浮かんでいるのがわかるだろう。

「わたし、きっと今日の事は忘れません」

 ラーラ達にそう言いながら、ミトは心の中で呟いた。

 兄上様、思い出が出来るって素晴らしい事なのですね、と。

 ラーラ達にとっても、この日の事は大切な思い出として胸の中に残るだろう。
 そして、全てが終わった時に懐かしく、切なく思い返す事になるだろう。
 だが、それは、もう少し先のお話。

「ラーラ」

 しばらくお喋りしてラーラ達は銀の車輪亭を後にした。
 支払いを済ませたノーグが、ラーラに声をかける。

「あ、ノーグ、ありがとうね」

 振り返ったラーラに、ノーグは何故だかにんまりと笑ってみせた。

「貸し、ひとつな。三倍にして返してくれよ」

 あんぐりとラーラは口をあける。

「な、なによ、それ」

「いやあ、借りっぱなしだとお前も気分悪いだろう?」

「悪くない、悪くない、悪くない!!」

 長い金髪を弾ませながら、ラーラは激しく首を振った。

「お茶をおごれとはいわねえよ。新しいヴァイオリンの楽譜で手を打ってやる」

「そ、そっちのほうが高いじゃないのお!!」

「嫌ならいいんだぜ。でも、お前は一生俺への借りを背負って生きるんだ」

 クリスティンとミトは、そんなオオゲサな、と思ったが、ラーラは顔を青ざめさせた。
 きっと、ノーグは事あるごとに、あの時の貸しが、あの時の貸しが、と言うだろう。それだけは、絶対に避けねばならなかった。

「わかったわよ、わかったわよ、わかったわよ! ノーグのバカッ!!」

 お決まりの台詞が飛び出し、クリスティンとミトが笑う。

 作戦成功、とノーグは満足げに呟いた。

「もう、もう、絶対ノーグとはお茶しないんだからー!!」

 ラーラの悲痛な叫びは、クリスティン達の笑い声と共に、冷たい冬の夜空に吸い込まれていった。

END

 

 ――後日談。

 ミトが、今度はぜひお二人と行きましょうね、と言って、サキとカナンをものすごく喜ばせたのは、二人の名誉のために、あくまでも秘密である。

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