ややあって、リカルドは腕の牢獄から、カレンを解放した。
 ぎこちない動きでカレンがリカルドを見上げると、頭上にリカルドの拳骨が降ってくる。

「痛い!」

 リカルドが加減をしていたらしく、そう痛くはなかったのだが、抗議の意味もこめて、カレンは叫んだ。

「約束破りをした罰だ。リーダーのお前が先走って無茶をしたら、全員無事では済まないって覚えておけ。前の俺のリーダーは、いけすかないヤツだったが、引き際だけは間違えなかった」

 きっぱりと言い切られ、カレンは口をつぐんだ。
 思い起こしてみれば、確かに今日の迷宮内での己の行動は、褒められたものではなかった。仲間達にどれだけの負担と迷惑をかけたことだろう。

 彼らは優しい。だからこそ、その優しさに甘えて我がままを通してはいけないのだ。
 厳しく自らを律していないと、信頼などというものは、たやすく壊れてしまう。
 そして、壊した絆を元通りにするには、壊した時の倍以上の時間が必要になるのだ。

 申し訳なさと後悔がほろ苦く胸に広がり、カレンは素直に詫びた。

「ごめんなさい」

 しかし、それらの感情と同じくらいの強さで、理由もわからぬまま女王を、そしてエルフの忍者を求めてしまう。

「あの月の人の言葉をきいたら、じっとしていられなくて」

 ためらうように伏せられた泉の瞳に戸惑いの色を見つけて、リカルドは身をかがめた。

「お前がじっとしてないのは、いつものことだろ」

「ねえ、どうしてかな」

 不安に突き動かされるようにカレンは腕を持ち上げ、己の額を抱えた。ぎゅっと力のこめられた指の間から、銀の髪が雨のように零れる。

「前にも言ったように、わたしは街を渡り歩くただのスリで・・・、その日その日を生きるだけに懸命だったんだ。なのに、どうしてこんなに女王に会いたいんだろう。どうして、あのエルフの声を知っているの? 彼らをおもうと、心がざわめいて苦しい・・・!」

「それは・・・」

 リカルドは、カレンの必死な様子に、思わずグレースから聞いた話を伝えてやりたくなった。

 だが、カレンの記憶と、グレースの話には相違がある。
 妾腹とはいえ、貴族の令嬢がスリになるとは考え難いのだ。
 女王をおもう心、クルガンを求める心は、グレースの話どおり、カレンがクイーンガードであったからと考えたほうが納得がいくのだが。

 どちらが本当のカレンなのか。

 リカルドは、ドゥーハンの雑踏の中で初めてカレンと出会ったときの事を思い出した。あざやかな手並みで、財布をかすめとっていった彼女。

 細い身体をしているくせに、たくましく、したたかに生きている彼女。
 呆れるほどに巧みに戦うくせに、その強さに戸惑いをみせる彼女。

 皮肉たっぷりに笑い、愛らしく微笑み、鋭く怒り、奔放に感情の変化を見せる。
 そのくせ、時に瞳を凍りつかせ、寂しげに唇を震わせ、悲しい涙を零す。

 それが、リカルドの知っているカレンだった。カレブとしてみてきた、彼女の全てだった。

 それゆえに、リカルドの導き出せる答えは、ひとつだった。

 カレンは、クイーンガードではない。
 そう、今は、まだ。

 グレースの話が真実だとするのなら、その答えに行き着けるべき道を、カレンと二人で探せばよいのだ。

「それを知るために、お前は迷宮に入るんだろう?」

 リカルドの手が、固くこわばったカレンの手に一瞬ふれた。
 こめられた力をとくように、そのままなでる。カレンの手が額から離れ、銀の髪がやわらかく舞った。

「何度も言うが、それなら、俺はそれにつきあうさ。お前が転ばないように、な」

「・・・なんで、そんなに優しいのさ。この、御人好し」

 カレンはそう言いながらも、自らリカルドを抱き締めた。戦士の厚い胸に身体を寄せる。

 ぬくもりが、心地よかった。
 リカルドの優しさに、疲弊していた精神が、ゆっくりと癒されていく。

 カレンは、自分が残酷な事をしているという事に気づいていなかった。そして、それをカレンが知る事も、また、残酷な事であった。


 

 

 その日の晩と、翌日、カレンはゆっくりと休養をとった。
 仲間達がかわるがわる部屋に来て、気を紛らわせてくれたのがありがたかった。
 ミシェルの知り合いのエルフが煎じたという薬草茶には、正直辟易したが。

 苦い、とか、不味い、とかそういったものを超越した、味覚が破壊されるような味だった。口直しのマルメロ酒の飴がまったく役にたたなかったほどだ。

 鼻をつまんで無理やり胃に流し込んだが、あれを飲むくらいなら二度と無茶はするものか、と思う。

 煎じた人物はそれを見越した賢者か、もしくは、自分を激しく嫌悪しているかのどちらかだろう。

 素直な感想を口にすると、ほがらかにミシェルは笑った。

「まあ、当たっているわ」

「ええ!?」

 どちらが当たっているのか、そこが重要である。

「この薬草茶を煎じた人はね、時に賢者と呼んでもいいほど悟り済ましていて、けれど時に迷子のように心弱くて、そして時に、火を吹く山のように激しているわ」

 カレンはゆっくりと瞬きを繰り返すと頬を掻いた。

「とんだ賢者様だ」

「そしてね」

 空になった薬草茶の椀を下げながらミシェルが続ける。
 まだ続くのか、とカレンは半ば感心した。

「あなたの事が大嫌いなの」

「ええええ!?」

 カレンは・・・、老いたエルフの賢者を想像した。

 彼はきっと、森の古木のようにしわがれていて、いかめしい顔つきをしているはずだ。
 その賢者が、泣いたり怒ったりしながら自分への恨み言を呟きつつ、薬草を煎じている・・・・・・。

 ぞくっと身体が震えた。

 カレンは慌てて頭を振ると、空想の賢者を追い払う。

 そんな知り合いはいない。断じていないはずだ。だがしかし、そうと言い切れない自分の記憶がうらめしかった。

「ねえ、ミシェルさん」

 なさけない声でカレンはミシェルに訴える。

「お茶、毒じゃないよね・・・」

「安心して。きちんと増血作用のある薬よ」

 半信半疑で頷きながら、カレンは自分を嫌っていると言う賢者の事を、あれこれ想像せずにはいられなかった。

 カレンの頭の中で、賢者はどんどん恐ろしい姿になっていったが、翌日、迷宮前でミシェルと共にカレンを待っていた現実の賢者は、空想の賢者とは、似ても似つかぬ姿をしていた。

 くせのある長めの髪こそ古木のような色あいをしていたが、整った顔には皺一つなく、目や鼻が理想的な位置に収まっている。

 随分と歳若いエルフのようだ。
 ミシェルよりは年長らしいが、それでもせいぜい、一歳か二歳年上といったところで、二十歳には届いていないだろう。

 少し憂いをおびた繊細な表情が印象的だった。
 空から舞い降りる雪さえも、彼を傷つけないように、そっと脇を滑りぬけていく。

 カレンは、盛大に白い息を吐き出して安堵すると、幼稚な空想をした己を笑った。

「よかった。あなた、もっと怖い人かと思ってた」

 だが、賢者はカレンの言葉に、にこりともせず立ち上がった。
 顔にまとっていた憂いというベールをかなぐり捨てると、瞳の底に鋭い光を潜ませてカレンを睨みつける。

「始めに、言っておく」

 舞い散る雪さえ凍てつき、砕け散るような冷たい声が宣言した。

「同行するからと言って、お前に協力するわけではない。私は、大切なものをこれ以上禍つ神に渡さぬために行くんだ」

 あからさまな敵意に、カレンは、背の高い賢者をおずおずと見上げた。

「お手柔らかに頼むぜ、カザ」

 賢者の名を呼んだリカルドが、さりげなくカレンをかばうように前に出る。

「不和は迷宮の探索や、戦闘に影響を及ぼす」

「心配するな。それほど無能でもない」

 少しばかり和らいだカザの表情をみて、カレンは悟った。カザのあの敵意は、己にのみ向けられているのだということを。

「雪の中でぐずぐずして、姫君を震えさせるわけにはいかない。行くぞ」

 カザはグレースに目礼すると、司教のローブをひるがえして歩き出した。
 苦笑して、ミシェルがそれを見送る。

「愛想がなくてごめんなさいね。彼、あれでも随分と譲歩しているのよ」

 やんわりと幼馴染をかばうミシェルに、うん、とカレンは頷いた。

「それにしても、わたしって、つくづくエルフの男に好かれない性質なのね」

「まあ」

 カレンの茶化した言葉にグレースは笑ったが、リカルドは真顔で答えた。

「好かれなくていい」

 そして、そのまま照れたように歩き出す。

「ほら、カザが行っちまうぜ」

 娘達三人は頷きあうと、男達に遅れないように小走りで迷宮へ向かった。

 新たにパーティに入ったカザは、三層までなにもしなかった。
 黙ってミシェルの隣を歩き、カレン達の戦い振りを見守っていた。

 このまま何もしないつもりだろうか、とカレンが思い始めた頃、やっとカザは動いた。
 四層に入って、最初の敵に奇襲された時だった。

 カレン達が通り抜けた途端、背後の墓土が突如揺れ動き、地中に身をひそめていたゾンビ達が飛び出してきたのだ。

 鈍い殺気を感じてカレンが身をひるがえした時には、ゾンビ達はすでに攻撃の体勢にはいっていた。

「ミシェルさん!」

 ゾンビ達の最前に身をさらす事となったのは、最後尾を歩いていたミシェルだった。

 ゾンビ達は、意外な素早さでミシェルに襲い掛かる。

 ミシェルはためらいなく背後に飛び、なんとか鋭い爪の一撃をかわした。
 しかし、振るわれる爪は一つだけではなかった。

 ミシェルは、次々に繰り出される爪を、杖でなんとか受け止める。

「くっ」

 カレンは、ミシェルへの攻撃を防ぐべく、腰の投げナイフに手を伸ばした。
 だが、カレンがナイフを抜くよりも早く、緑銀の輝きが眼前に広がる。

 地面を這うように駆け抜けたそれは、カザの詠唱したストレインの魔法だった。
 カザはこの短い時間に、魔法をひとつ完成させていたのだ。

 敵の動きを封じるストレインの魔法は、術者のイメージによって鎖や縄といった姿を取る。カザのストレインは、棘を持つ茨の形をしていた。

 一見優美な緑銀の茨は、鈍い音を立ててゾンビ達を縛り上げた。
 ゾンビ達が暴れるたびに、尚一層の力でその自由を奪う。
 あまりの力にゾンビ達の身が引き裂かれ、薄汚い体液が溢れ出した。

「なんて激しいストレイン・・・」

 同じ魔法を使用できるグレースが、その威力に息を飲んだ。
 もし、自分がストレインの魔法を使ったとしても、ここまで完璧にゾンビ達の動きを止める事はできないだろう。

 腐った果実を床に叩きつけるような湿った音を響かせながら、ゾンビ達が地面に転がった。中には、腕や足が引きちぎられたものもいる。

「汚らわしい手でミシェルに触れるな」

 眼光鋭くカザはゾンビ達をにらみつけると、右手にストレインの輝きを宿したまま、魔法の詠唱を始めた。

「そんな! 二つの魔法を同時に!?」

「御覧あれ、王家の血を引く姫君」

 グレースの驚愕をうけながら、カザはこともなげに二つ目の魔法も具現化させた。

「禍つ神の贄にならぬよう、完全に消滅させてやる!」

 朱金の花がカザの左手で踊った。
 徐々に大きくなった朱金の光は、ザクレタの炎となって解放された。

 爆発音を響かせながら、炎はストレインの茨ごとゾンビ達を焼き払う。

 熱風にあおられたカザの髪が重力を取り戻すと、ゾンビ達は灰すら残さず消失していた。

「・・・・・・強い」

 カレンは呆然と呟きながら、カザの魔法がいつか己にむけられるのかもしれない、と思った。

 振り返ったカザと視線が合う。

 ザクレタの熱を残したような野イチゴ色の瞳は、その考えを肯定しているかのようだった。