ややあって、リカルドは腕の牢獄から、カレンを解放した。 ぎこちない動きでカレンがリカルドを見上げると、頭上にリカルドの拳骨が降ってくる。 「痛い!」 リカルドが加減をしていたらしく、そう痛くはなかったのだが、抗議の意味もこめて、カレンは叫んだ。 「約束破りをした罰だ。リーダーのお前が先走って無茶をしたら、全員無事では済まないって覚えておけ。前の俺のリーダーは、いけすかないヤツだったが、引き際だけは間違えなかった」 きっぱりと言い切られ、カレンは口をつぐんだ。 彼らは優しい。だからこそ、その優しさに甘えて我がままを通してはいけないのだ。 申し訳なさと後悔がほろ苦く胸に広がり、カレンは素直に詫びた。 「ごめんなさい」 しかし、それらの感情と同じくらいの強さで、理由もわからぬまま女王を、そしてエルフの忍者を求めてしまう。 「あの月の人の言葉をきいたら、じっとしていられなくて」 ためらうように伏せられた泉の瞳に戸惑いの色を見つけて、リカルドは身をかがめた。 「お前がじっとしてないのは、いつものことだろ」 「ねえ、どうしてかな」 不安に突き動かされるようにカレンは腕を持ち上げ、己の額を抱えた。ぎゅっと力のこめられた指の間から、銀の髪が雨のように零れる。 「前にも言ったように、わたしは街を渡り歩くただのスリで・・・、その日その日を生きるだけに懸命だったんだ。なのに、どうしてこんなに女王に会いたいんだろう。どうして、あのエルフの声を知っているの? 彼らをおもうと、心がざわめいて苦しい・・・!」 「それは・・・」 リカルドは、カレンの必死な様子に、思わずグレースから聞いた話を伝えてやりたくなった。 だが、カレンの記憶と、グレースの話には相違がある。 どちらが本当のカレンなのか。 リカルドは、ドゥーハンの雑踏の中で初めてカレンと出会ったときの事を思い出した。あざやかな手並みで、財布をかすめとっていった彼女。 細い身体をしているくせに、たくましく、したたかに生きている彼女。 皮肉たっぷりに笑い、愛らしく微笑み、鋭く怒り、奔放に感情の変化を見せる。 それが、リカルドの知っているカレンだった。カレブとしてみてきた、彼女の全てだった。 それゆえに、リカルドの導き出せる答えは、ひとつだった。 カレンは、クイーンガードではない。 グレースの話が真実だとするのなら、その答えに行き着けるべき道を、カレンと二人で探せばよいのだ。 「それを知るために、お前は迷宮に入るんだろう?」 リカルドの手が、固くこわばったカレンの手に一瞬ふれた。 「何度も言うが、それなら、俺はそれにつきあうさ。お前が転ばないように、な」 「・・・なんで、そんなに優しいのさ。この、御人好し」 カレンはそう言いながらも、自らリカルドを抱き締めた。戦士の厚い胸に身体を寄せる。 ぬくもりが、心地よかった。 カレンは、自分が残酷な事をしているという事に気づいていなかった。そして、それをカレンが知る事も、また、残酷な事であった。 |
その日の晩と、翌日、カレンはゆっくりと休養をとった。 苦い、とか、不味い、とかそういったものを超越した、味覚が破壊されるような味だった。口直しのマルメロ酒の飴がまったく役にたたなかったほどだ。 鼻をつまんで無理やり胃に流し込んだが、あれを飲むくらいなら二度と無茶はするものか、と思う。 煎じた人物はそれを見越した賢者か、もしくは、自分を激しく嫌悪しているかのどちらかだろう。 素直な感想を口にすると、ほがらかにミシェルは笑った。 「まあ、当たっているわ」 「ええ!?」 どちらが当たっているのか、そこが重要である。 「この薬草茶を煎じた人はね、時に賢者と呼んでもいいほど悟り済ましていて、けれど時に迷子のように心弱くて、そして時に、火を吹く山のように激しているわ」 カレンはゆっくりと瞬きを繰り返すと頬を掻いた。 「とんだ賢者様だ」 「そしてね」 空になった薬草茶の椀を下げながらミシェルが続ける。 「あなたの事が大嫌いなの」 「ええええ!?」 カレンは・・・、老いたエルフの賢者を想像した。 彼はきっと、森の古木のようにしわがれていて、いかめしい顔つきをしているはずだ。 ぞくっと身体が震えた。 カレンは慌てて頭を振ると、空想の賢者を追い払う。 そんな知り合いはいない。断じていないはずだ。だがしかし、そうと言い切れない自分の記憶がうらめしかった。 「ねえ、ミシェルさん」 なさけない声でカレンはミシェルに訴える。 「お茶、毒じゃないよね・・・」 「安心して。きちんと増血作用のある薬よ」 半信半疑で頷きながら、カレンは自分を嫌っていると言う賢者の事を、あれこれ想像せずにはいられなかった。 カレンの頭の中で、賢者はどんどん恐ろしい姿になっていったが、翌日、迷宮前でミシェルと共にカレンを待っていた現実の賢者は、空想の賢者とは、似ても似つかぬ姿をしていた。 くせのある長めの髪こそ古木のような色あいをしていたが、整った顔には皺一つなく、目や鼻が理想的な位置に収まっている。 随分と歳若いエルフのようだ。 少し憂いをおびた繊細な表情が印象的だった。 カレンは、盛大に白い息を吐き出して安堵すると、幼稚な空想をした己を笑った。 「よかった。あなた、もっと怖い人かと思ってた」 だが、賢者はカレンの言葉に、にこりともせず立ち上がった。 「始めに、言っておく」 舞い散る雪さえ凍てつき、砕け散るような冷たい声が宣言した。 「同行するからと言って、お前に協力するわけではない。私は、大切なものをこれ以上禍つ神に渡さぬために行くんだ」 あからさまな敵意に、カレンは、背の高い賢者をおずおずと見上げた。 「お手柔らかに頼むぜ、カザ」 賢者の名を呼んだリカルドが、さりげなくカレンをかばうように前に出る。 「不和は迷宮の探索や、戦闘に影響を及ぼす」 「心配するな。それほど無能でもない」 少しばかり和らいだカザの表情をみて、カレンは悟った。カザのあの敵意は、己にのみ向けられているのだということを。 「雪の中でぐずぐずして、姫君を震えさせるわけにはいかない。行くぞ」 カザはグレースに目礼すると、司教のローブをひるがえして歩き出した。 「愛想がなくてごめんなさいね。彼、あれでも随分と譲歩しているのよ」 やんわりと幼馴染をかばうミシェルに、うん、とカレンは頷いた。 「それにしても、わたしって、つくづくエルフの男に好かれない性質なのね」 「まあ」 カレンの茶化した言葉にグレースは笑ったが、リカルドは真顔で答えた。 「好かれなくていい」 そして、そのまま照れたように歩き出す。 「ほら、カザが行っちまうぜ」 娘達三人は頷きあうと、男達に遅れないように小走りで迷宮へ向かった。 新たにパーティに入ったカザは、三層までなにもしなかった。 このまま何もしないつもりだろうか、とカレンが思い始めた頃、やっとカザは動いた。 カレン達が通り抜けた途端、背後の墓土が突如揺れ動き、地中に身をひそめていたゾンビ達が飛び出してきたのだ。 鈍い殺気を感じてカレンが身をひるがえした時には、ゾンビ達はすでに攻撃の体勢にはいっていた。 「ミシェルさん!」 ゾンビ達の最前に身をさらす事となったのは、最後尾を歩いていたミシェルだった。 ゾンビ達は、意外な素早さでミシェルに襲い掛かる。 ミシェルはためらいなく背後に飛び、なんとか鋭い爪の一撃をかわした。 ミシェルは、次々に繰り出される爪を、杖でなんとか受け止める。 「くっ」 カレンは、ミシェルへの攻撃を防ぐべく、腰の投げナイフに手を伸ばした。 地面を這うように駆け抜けたそれは、カザの詠唱したストレインの魔法だった。 敵の動きを封じるストレインの魔法は、術者のイメージによって鎖や縄といった姿を取る。カザのストレインは、棘を持つ茨の形をしていた。 一見優美な緑銀の茨は、鈍い音を立ててゾンビ達を縛り上げた。 「なんて激しいストレイン・・・」 同じ魔法を使用できるグレースが、その威力に息を飲んだ。 腐った果実を床に叩きつけるような湿った音を響かせながら、ゾンビ達が地面に転がった。中には、腕や足が引きちぎられたものもいる。 「汚らわしい手でミシェルに触れるな」 眼光鋭くカザはゾンビ達をにらみつけると、右手にストレインの輝きを宿したまま、魔法の詠唱を始めた。 「そんな! 二つの魔法を同時に!?」 「御覧あれ、王家の血を引く姫君」 グレースの驚愕をうけながら、カザはこともなげに二つ目の魔法も具現化させた。 「禍つ神の贄にならぬよう、完全に消滅させてやる!」 朱金の花がカザの左手で踊った。 爆発音を響かせながら、炎はストレインの茨ごとゾンビ達を焼き払う。 熱風にあおられたカザの髪が重力を取り戻すと、ゾンビ達は灰すら残さず消失していた。 「・・・・・・強い」 カレンは呆然と呟きながら、カザの魔法がいつか己にむけられるのかもしれない、と思った。 振り返ったカザと視線が合う。 ザクレタの熱を残したような野イチゴ色の瞳は、その考えを肯定しているかのようだった。 |