チャリン、チャリン。
チャリン、チャリン。 代わりに耳に届くのは、己が手にする金貨が触れ合う音。 チャリン、チャリン。 カレブは、金貨を弄ぶのをやめた。 途端に、辺りは静かになった。
第二層への階段を護るスペンサーから、吹雪がやんだようだと聞いた時は、心底ホッとしたものだ。アラベラ達が無事に帰還したとの報告もそこで受けた。 だが、達成感はなかった。 王室管理室で女王から感謝の言葉をかけられても、クイーンガード長レドゥアから褒賞をもらっても、虚しさだけが心を吹き抜けていく。 ラディックが無言で握手を求めてきたが、それを握り返したかどうかも、覚えていない。
カレブは呟き、机の上の金貨の山を見つめた。 大金だった。 「これを持ってこの街を出れば、もうこんな思いはしなくていいのかな」 思わず零れ出た声が、随分と弱々しい事に気づき、カレブは自嘲した。 「逃げて、どうなるっていうんだ」 逃げ出せば、心は一瞬楽になるかもしれない。 「逃げられない・・・、逃げちゃいけない・・・」 うつろに呟き、カレブは拳を握り締めた。 「わたしのせいで、二人は、死んだのだから」 口にした事で、サラとグレッグがいなくなったという現実が、重く肩にのしかかる。 カレブは、心の中で、後悔の言葉を叫び続ける。 もっと、冷たくすればよかった。 そうすれば、二人はついてこなかった。 どうして、気を許してしまったのか。 ひとりで生きていこう。 遠慮がちなノックの音がして、カレブは我に返った。 「俺だ。入って、いいか?」 それは、お人よしの戦士の声だった。 心を、凍らせねばならない。 カレブは無言で、リカルドを拒絶した。 「開けるまで、動かない」 だが、リカルドも負けてはいない。 カレブは、無視した。 おもむろに椅子から立ち上がり、荷物の整理を始める。 仕方なく、カレブは手投げナイフを磨く事にした。 磨き始め、ふとそれがグレッグが買ってくれたものだと思い出した。 「・・・形見になってしまったな」 カレブは、頭をふって感傷を追い払うと、黙々と手投げナイフを磨いた。 手投げナイフを鞘に戻していると、コトリと扉の向こうで音がした。 「あいつ、まだ・・・」 カレブは顔をしかめた。 怒鳴りつけて、追い払おう。 カレブはそう思って扉を開けた。 「話はない! さっさと・・・!」 大きな手が扉を掴む。 カレブはムッとして、扉をしめようとした。 リカルドは、わずかに開いていた扉を大きく開けると、素早く身体を部屋の中に滑り込ませた。 「出て行け!」 「イヤだね」 涼しい顔でリカルドは答える。 「まあ、飲めよ」 「うるさい!」 「冷めて不味くなったのは、お前のせいだからな」 リカルドが手を引かないので、カレブは仕方なくカップを受け取った。 「飲んだら、出ていけ」 「・・・・・・」 リカルドは黙って、カレブが一息にカップの中身を飲み干すのを見ていた。 カップの中身は、冷めてはいたが、間違いなく月夜亭の特製レモネードだった 「慌てるからだ、馬鹿」 カレブは、ジロリとリカルドを睨みつけると、カップをつき返した。 「出て行け」 身も蓋もない様子に、リカルドは肩をすくめる。 「どうせ、自分のせいだとか思ってるんだろ?」 カレブはびくんと身体を震わせた。 そして、リカルドは思いもかけない事を言った。 「自惚れてるんじゃねえよ」 それは、この優しい戦士らしくない言葉だった。 「自分のせいで、二人が死んだと思ってるなら、大きな間違いだ」 カレブは、黙ってリカルドを凝視する。 「二人に失礼だ」 静かな表情でリカルドは続ける。 「二人とも、自分の意思で行動した。自分の心に従った。その結果があれだったんだ。だからお前がそんな顔をする必要はない」 「随分と割り切ったものだな!」 カレブは叫んだ。 「そんな風には思えない! 二人は、わたしを助けて死んだんだ! わたしが、ヘマを踏んだからっ・・・! わたしは、また、失ったんだ!! 自分の力を過信して・・・」 叫びながら、自分が何を言っているのかわからなくなる。 瞳にはっていた薄氷がとけ、泉の水が揺らめきながら落ちた。 「勘違いするなよ?」 リカルドは、一歩カレブに近づく。 「死者を悼むな、とは言っていない。それは、人として自然な感情だ。だがな、心を傷つけて動けなくなるのは、愚かな行為だ。死者の想いを踏みにじる行為だ。あいつら、なんて言っていた?」 サラとグレッグが遺した言葉。
”カレブ。ここで、人生をつかんでくれ。君と出会えて、よかった”
カレブは、声をつまらせた。 「死者は何も出来ない。だったら、残った者はせめてその想いを継いでやる。それが、生きてる者の義務なんじゃないのか」 リカルドは、さらに一歩近づく。 「傷つくよりは、二人の気持ちを汲んでやれ。過去を知るんだろう? だったら、しっかり食事して、体調を整えるんだ。俺は、いくらでもつきあってやる」 「リ、リカルドが偉そうに・・・」 手を伸ばせば触れられる位置までやってきたリカルドを、カレブは涙の浮いた目でにらみつけた。 「子供みたいな事を言うなあ。ああ、まだ子供か」 よしよしと頭を撫でられ、カレブは激昂した。 「ば、馬鹿にするなあああっ!」 シュッと放たれたカレブの拳をリカルドはわざとらしい動作でかわした。 「どうせ、俺の事も巻き込めないとか思って、遠ざけるつもりだっただろう」 そうはいくか、とリカルドは笑った。 「俺は、俺の意思でお前についていくんだ。迷惑だなんて思ってないから安心しな」 フンとカレブは鼻をならす。 「自惚れるな。お前の心配なんかしてやるか」 「だいぶ元気になったじゃないか」 ハハハ、とリカルドは笑う。 リカルドは机に歩み寄ると、山積みになっていた金貨を、ザッと皮袋に入れた。 「この金さ。あいつらの鎮魂に使ってやらないか?」 振り返ったリカルドは、随分神妙な顔をしていた。 「鎮魂・・・?」 ああ、とリカルドは頷く。 「・・・いいよ」 ミシェルは、褒賞には興味がないと言っていた。 墓でもたてるのかな、とカレブは思った。 「冒険者流の鎮魂だ」 ニッとリカルドは笑った。 |
「親父!」
リカルドは威勢良く、カウンター向こうの酒場の主人に声をかけた。 チャリチャリと小気味のよい音をたてて、金貨がばら撒かれた。 「三万ゴールドある。これで、ここにいる連中に、飲み物と食い物を振舞ってくれ!」 黙ってついてきたカレブは、目を見張った。 「豪儀だな、ヘッポコ戦士!」 「明日はお天道様が顔を出すんじゃないか」 リカルドは野次を言った連中に、顔を向けた。 「今野次った奴にはおごってやらん」 どっと笑いが巻き起こった。 「よーし、三万ゴールド分だな。おい、お前達、しっかり運べよ!」 「はい!」 金貨に目を細めながら、主人が叫び、給仕娘達が楽しそうにうなずいた。 酔っ払いたちのヘタな歌が始まり、とたんに、月夜亭は大騒ぎに包まれる。 「な、な、なんなんだ、これは!」 あたりの騒音に負けないように、カレブは声を張り上げた。 「これのどこが鎮魂なんだ!」 リカルドは、杯を干しながら答えた。 「暗い迷宮で死んだ者は、せめて明るく送ってやる。それが、冒険者の流儀だ。ほら、お前もとっとと食べないと、全部連中にもっていかれちまうぜ」 「・・・呆れた」 呆然とつぶやき、カレブは渡された酒を飲む。 「・・・リカルド」 傷ついていないはずがなかったのだ。この優しい戦士が。 リカルドの一瞬の涙に気づいたのは、カレブだけだった。 「わたしの負けかな・・・」 強張っていた心が、ほどけていく。 「ありがとう、グレッグ、サラ」 囁いた感謝の言葉は、酒場の喧騒にまぎれていった。 |