チャリン、チャリン。


 ”カレブ君! 今日の探索、大変だったね。魔物がたくさんで、疲れちゃった。あ、それからね・・・”


 チャリン、チャリン。


 ”君はまた、おせっかいだと言うかもしれないが、きちんと休んでおく事も必要だぞ”


 チャリン、チャリン。


 お喋りな僧侶の声はしない。
 無口な忍者の、不器用なねぎらいの言葉も聞こえてこない。

 チャリン、チャリン。

 代わりに耳に届くのは、己が手にする金貨が触れ合う音。

 チャリン、チャリン。
 チャリン、チャリン。
 チャリ・・・・・・。

 カレブは、金貨を弄ぶのをやめた。

 途端に、辺りは静かになった。
 カタカタと、かすかに鎧戸が揺れる音がするだけだ。


 サラが「死神」と名づけた黒い影との戦いの後、カレブ達は迷宮から帰還した。
 転移の薬がなかったため、傷ついた身体を引きずっての帰還となった。
 おかげで随分と時間がかかった。唯一の救いは、その間に吹雪がやんだ事だろう。
 もし、吹雪がやんでいなければ、カレブ達は未だ迷宮に閉じ込められていたはずだ。
 そして、それは高ぶった精神には耐えがたい時間を強要しただろう。

 第二層への階段を護るスペンサーから、吹雪がやんだようだと聞いた時は、心底ホッとしたものだ。アラベラ達が無事に帰還したとの報告もそこで受けた。

 だが、達成感はなかった。

 王室管理室で女王から感謝の言葉をかけられても、クイーンガード長レドゥアから褒賞をもらっても、虚しさだけが心を吹き抜けていく。

 ラディックが無言で握手を求めてきたが、それを握り返したかどうかも、覚えていない。


「三万ゴールド、か」

 カレブは呟き、机の上の金貨の山を見つめた。
 レドゥアから手渡された褒賞金だ。

 大金だった。
 物価の上がったドゥーハンでも、しばらくは生活に困らないほどの。

「これを持ってこの街を出れば、もうこんな思いはしなくていいのかな」

 思わず零れ出た声が、随分と弱々しい事に気づき、カレブは自嘲した。

「逃げて、どうなるっていうんだ」

 逃げ出せば、心は一瞬楽になるかもしれない。
 だが結局は、今以上に苦い後悔の念に捕らわれるだけだ。
 待っているのは、心を切り裂く重苦しい日々。
 きっと死者の声が、耳にこびりついて眠れない。

「逃げられない・・・、逃げちゃいけない・・・」

 うつろに呟き、カレブは拳を握り締めた。

「わたしのせいで、二人は、死んだのだから」

 口にした事で、サラとグレッグがいなくなったという現実が、重く肩にのしかかる。
 力をこめすぎた拳が、白くなっていた。

 カレブは、心の中で、後悔の言葉を叫び続ける。

 もっと、冷たくすればよかった。
 もっと、嫌われればよかった。

 そうすれば、二人はついてこなかった。
 こんな風に、死ぬ事はなかったのだ。

 どうして、気を許してしまったのか。
 どうして、同行を許してしまったのか。

 ひとりで生きていこう。
 そう誓ったのではなかったのか。

 遠慮がちなノックの音がして、カレブは我に返った。
 のろのろと振り返ると、声がした。

「俺だ。入って、いいか?」

 それは、お人よしの戦士の声だった。
 だが、カレブは、答えなかった。

 心を、凍らせねばならない。
 誰も、近づかないように。
 誰も、求めないように。
 悲劇を、繰り返さないように。

 カレブは無言で、リカルドを拒絶した。

「開けるまで、動かない」

 だが、リカルドも負けてはいない。
 そう言ったきり押し黙り、扉の前に立っているようだ。
 言葉どおり、動かず待つつもりなのだろう。

 カレブは、無視した。
 もう、人とは馴れ合わないと決めたのだ。

 おもむろに椅子から立ち上がり、荷物の整理を始める。
 特に、する必要もなかったのだが。
 元から荷物が少なかったせいもあり、それはやけにあっさりと終わってしまった。

 仕方なく、カレブは手投げナイフを磨く事にした。
 一本は戦いで失ってしまったが、まだ、四本ある。
 全部を磨き上げるには、時間がかかるだろう。暇をつぶすには、丁度いい。

 磨き始め、ふとそれがグレッグが買ってくれたものだと思い出した。

「・・・形見になってしまったな」

 カレブは、頭をふって感傷を追い払うと、黙々と手投げナイフを磨いた。
 単調な作業に、段々と没頭する。四本目を磨き終わった頃には、随分と時間が過ぎていた。

 手投げナイフを鞘に戻していると、コトリと扉の向こうで音がした。
 小さな靴音。

「あいつ、まだ・・・」

 カレブは顔をしかめた。
 そういえば、リカルドは一晩中でも扉の前に座っていられる男だった。

 怒鳴りつけて、追い払おう。

 カレブはそう思って扉を開けた。

「話はない! さっさと・・・!」

 大きな手が扉を掴む。

 カレブはムッとして、扉をしめようとした。
 しかし、扉は動かない。リカルドが力をこめているのだ。

 リカルドは、わずかに開いていた扉を大きく開けると、素早く身体を部屋の中に滑り込ませた。

「出て行け!」

「イヤだね」

 涼しい顔でリカルドは答える。
 そして、片手に持っていたカップをカレブに押し付けた。

「まあ、飲めよ」

「うるさい!」

「冷めて不味くなったのは、お前のせいだからな」

 リカルドが手を引かないので、カレブは仕方なくカップを受け取った。

「飲んだら、出ていけ」

「・・・・・・」

 リカルドは黙って、カレブが一息にカップの中身を飲み干すのを見ていた。
 レモンの酸味が喉を刺激し、カレブは咳き込む。

 カップの中身は、冷めてはいたが、間違いなく月夜亭の特製レモネードだった

「慌てるからだ、馬鹿」

 カレブは、ジロリとリカルドを睨みつけると、カップをつき返した。

「出て行け」

 身も蓋もない様子に、リカルドは肩をすくめる。

「どうせ、自分のせいだとか思ってるんだろ?」

 カレブはびくんと身体を震わせた。
 心を見透かされたようで腹が立つ。

 そして、リカルドは思いもかけない事を言った。

「自惚れてるんじゃねえよ」

 それは、この優しい戦士らしくない言葉だった。
 てっきり、あれやこれやなぐさめるつもりだろうと思っていたカレブは、驚いて目を見開いた。

「自分のせいで、二人が死んだと思ってるなら、大きな間違いだ」

 カレブは、黙ってリカルドを凝視する。
 よって、会話は続けられる事となった。

「二人に失礼だ」

 静かな表情でリカルドは続ける。

「二人とも、自分の意思で行動した。自分の心に従った。その結果があれだったんだ。だからお前がそんな顔をする必要はない」

「随分と割り切ったものだな!」

 カレブは叫んだ。
 凍らせたはずの心が、熱く憤っている。

「そんな風には思えない! 二人は、わたしを助けて死んだんだ! わたしが、ヘマを踏んだからっ・・・! わたしは、また、失ったんだ!! 自分の力を過信して・・・」

 叫びながら、自分が何を言っているのかわからなくなる。
 ただがむしゃらに、苦しい気持ちだけを吐き出していた。

 瞳にはっていた薄氷がとけ、泉の水が揺らめきながら落ちた。
 つまり、涙が。

「勘違いするなよ?」

 リカルドは、一歩カレブに近づく。

「死者を悼むな、とは言っていない。それは、人として自然な感情だ。だがな、心を傷つけて動けなくなるのは、愚かな行為だ。死者の想いを踏みにじる行為だ。あいつら、なんて言っていた?」

 サラとグレッグが遺した言葉。


 ”負けないでね。きっと、未来は・・・”

 ”カレブ。ここで、人生をつかんでくれ。君と出会えて、よかった”


「二人は・・・」

 カレブは、声をつまらせた。
 それ以上続ける事が出来なかった。

「死者は何も出来ない。だったら、残った者はせめてその想いを継いでやる。それが、生きてる者の義務なんじゃないのか」

 リカルドは、さらに一歩近づく。

「傷つくよりは、二人の気持ちを汲んでやれ。過去を知るんだろう? だったら、しっかり食事して、体調を整えるんだ。俺は、いくらでもつきあってやる」

「リ、リカルドが偉そうに・・・」

 手を伸ばせば触れられる位置までやってきたリカルドを、カレブは涙の浮いた目でにらみつけた。

 プッとリカルドは笑う。

「子供みたいな事を言うなあ。ああ、まだ子供か」

 よしよしと頭を撫でられ、カレブは激昂した。

「ば、馬鹿にするなあああっ!」

 シュッと放たれたカレブの拳をリカルドはわざとらしい動作でかわした。

「どうせ、俺の事も巻き込めないとか思って、遠ざけるつもりだっただろう」

 そうはいくか、とリカルドは笑った。

「俺は、俺の意思でお前についていくんだ。迷惑だなんて思ってないから安心しな」

 フンとカレブは鼻をならす。
 ようやく、いつもの調子が出てきたようだ。

「自惚れるな。お前の心配なんかしてやるか」

「だいぶ元気になったじゃないか」

 ハハハ、とリカルドは笑う。
 なんだか策略にはめられたようで、カレブは釈然としない。

 リカルドは机に歩み寄ると、山積みになっていた金貨を、ザッと皮袋に入れた。

「この金さ。あいつらの鎮魂に使ってやらないか?」

 振り返ったリカルドは、随分神妙な顔をしていた。

「鎮魂・・・?」

 ああ、とリカルドは頷く。

「・・・いいよ」

 ミシェルは、褒賞には興味がないと言っていた。
 使っても、おそらく問題ないだろう。

 墓でもたてるのかな、とカレブは思った。

「冒険者流の鎮魂だ」

 ニッとリカルドは笑った。


 

  「親父!」

 リカルドは威勢良く、カウンター向こうの酒場の主人に声をかけた。
 そして、カウンターに皮袋をひっくりかえす。

 チャリチャリと小気味のよい音をたてて、金貨がばら撒かれた。

「三万ゴールドある。これで、ここにいる連中に、飲み物と食い物を振舞ってくれ!」

 黙ってついてきたカレブは、目を見張った。
 そんな彼女をよそに、あちこちで歓声があがる。

「豪儀だな、ヘッポコ戦士!」

「明日はお天道様が顔を出すんじゃないか」

 リカルドは野次を言った連中に、顔を向けた。

「今野次った奴にはおごってやらん」

 どっと笑いが巻き起こった。

「よーし、三万ゴールド分だな。おい、お前達、しっかり運べよ!」

「はい!」

 金貨に目を細めながら、主人が叫び、給仕娘達が楽しそうにうなずいた。

 酔っ払いたちのヘタな歌が始まり、とたんに、月夜亭は大騒ぎに包まれる。
 リカルドとカレブは手をとられ、テーブルにつかされた。
 酒や料理が、次々に運ばれてくる。

「な、な、なんなんだ、これは!」

 あたりの騒音に負けないように、カレブは声を張り上げた。
 叫ぶ間に酒の杯を握らされ、肉を突き刺した串を渡される。

「これのどこが鎮魂なんだ!」

 リカルドは、杯を干しながら答えた。

「暗い迷宮で死んだ者は、せめて明るく送ってやる。それが、冒険者の流儀だ。ほら、お前もとっとと食べないと、全部連中にもっていかれちまうぜ」

「・・・呆れた」

 呆然とつぶやき、カレブは渡された酒を飲む。
 随分きつい酒で、とたんにカッと頬が熱くなった。
 クラクラしながら、リカルドを見ると、その目にかすかに光る物があった。

「・・・リカルド」

 傷ついていないはずがなかったのだ。この優しい戦士が。
 胸が、痛くなる。

 リカルドの一瞬の涙に気づいたのは、カレブだけだった。
 リカルドは、戦士達にもみくちゃにされて、笑いながら酒を飲んでいる。
 強い男だ、と思った。

「わたしの負けかな・・・」

 強張っていた心が、ほどけていく。
 カレブは、再び涙を零した。
 それは、己を責める苦い涙ではなく、死者への離別の涙だった。

「ありがとう、グレッグ、サラ」

 囁いた感謝の言葉は、酒場の喧騒にまぎれていった。