ポタポタと溶け落ちた雪が、ラディックの足元に小さな水溜りを作る。

 宿の娘が恐るおそる布を差し出した。
 細い手が震えている。まさかこんなぼろ宿に、王宮騎士がやって来るとは思っていなかったのだろう。

 ラディックは小さく頷いて布を受け取ると、濡れた髪を手早く拭いた。

「ありがとう」

 ラディックは娘に布を返すと、カッと踵を鳴らす。

「クイーンガード長のお言葉を伝える!」

 直立不動の姿勢をとり、口を開いた。

「昨日、迷宮にて爆炎のヴァーゴを倒せし冒険者よ。疾く王室管理室に参上されたし」

「なに!?」

 リカルドは驚いて、ラディックを凝視した。
 クイーンガード長直々の呼び出しとは、一体何事だろう。

「た、確かにあいつは昨日、ヴァーゴとやりあって勝ちをおさめたが・・・」

 リカルドは、ラディックにカレブを指し示す。

「迷宮に潜り始めてまだ日も浅い。クイーンガード長に呼び出しを受けるような奴じゃ、ないはずだ」

 ラディックは唇に薄く笑みを浮かべた。

「伝えるべき言葉は伝えた。それが、全て」

「しかし!」

 なおもリカルドは食い下がる。

「この吹雪の中、どうやって迷宮へ行けと言うんだ!」

「私は来たぞ、迷宮から」

 はっ、とリカルドは息を飲んだ。

 そう、この王宮騎士は吹雪の中をやって来たのだ。
 つまり、迷宮へ戻る事も出来るはずなのである。

 リカルドが沈黙したのを見て、ラディックは満足げに頷いた。

「迷宮までの案内は私がする。急ぎ仕度を整えよ」

 リカルド達はカレブを見た。
 銀の髪のハーフエルフは、面白そうに笑っていた。

 カレブは、愉快でしょうがなかったのだ。
 待ち望んでいたものが、予期せず向こうから転がり込んできたのだから。

「いいよ」

 カレブは気軽に頷く。

「だけど」

「だけど?」

 カレブは立ち上がった。

「着替えが乾くまで待ってくれ」

 ひらりと愛らしくスカートが揺れた。
 ラディックはなんとも言えない顔で、ゆっくりと頷いた。いや、頷くしかなかった。


 

 

 カレブは一人で部屋へ戻り、残った三人が仕方なくラディックの相手をした。
 ラディックは宿の娘が出してくれた茶を飲みながら、暖炉で冷えた身体を温めていた。

 こちらの質問にも、なかなか答えない。
 元から寡黙な青年だが、今日は殊更に口が重い。
 任務に忠実な王宮騎士としての精神が、ラディックの口に錠をかけているのだろう。

 リカルドは、ため息をつくと質問するのをやめた。


 考えろ。
 出てこない答えを待つんじゃなく、自分で考えるんだ。


 冷静にリカルドは分析を始めた。

 今までこれほど明確に、王室が冒険者に協力を求めた事はなかった。
 あくまで冒険者は冒険者。迷宮の調査を進める兵達の露払い程度にしか思われていなかったはずだ。冒険者であるリカルドにとっては腹立たしい事だが、それでバランスが取れているのも事実であった。

 冒険者達が生きるために魔物を狩り、その隙をぬって兵士達が探索、調査を重ねる。
 少なくなった兵士の数を減らさない、巧妙な策だ。

 あの閃光によって、ドゥーハンの兵達はその数を三分の一にまで減らしていた。
 女王最強の兵と謡われるクイーンガードでさえ、数を半減させている。
 女王の手に残された駒は少ない。

 女王は残った兵の三分の一を辺境の調査へ。
 三分の一を聖都の守備へ。
 三分の一を迷宮探索へと当てていたはずだ。

 どれも、割り当てられるギリギリの数。
 余剰人員はない。
 女王はこれ以上兵を失うわけにはいかないのだ。

 ちらりとリカルドはラディックを見る。

 そう言えば、この間、ラディックは一階にいなかった。
 迷宮で最も護らなければならないのは、地上への脱出口と王室管理室。
 なのに、その要となる扉を護るラディックが不在であった。

 彼はどこへ行っていたのだ?

 休暇? そんなはずはない。兵達はそれこそ不眠不休で働いている。真面目なこの騎士が休暇など取るはずはないし、第一許可が出ないだろう。

 守備への配置換え? ならば、彼はいま伝令としてここにはいないはずだ。

 ・・・・・・こう考えられはしないだろうか。
 護りの騎士を裂いてまで、あたらなければならない何事かが迷宮で起きた。
 そして、それでも人員が足りずに冒険者に協力をあおがなければならない。

 クイーンガード長は、思案する。
 適任者はいないか、と。

「それで、俺達、か」

 小さくリカルドは呟いた。
 ヴァーゴを倒した事が、実力を測る一つの目安となったのだろう。
 どこでクイーンガード長がその情報を握ったかは、わからないが。

 サラが、不思議そうにリカルドを見る。

「ぼんやりしてたと思ったら、急にぶつぶつ言い出して・・・、リカルドったら変な人ねえ」

「言うにことかいて、変な人かよ」

 リカルドは苦笑した。

 いずれにせよ、少ない材料で判断できるのはここまでだ。
 未だはっきりとした答えは出てこないが、気を引き締めるいいきっかけにはなった。
 重々心して、事態に当たらねばならないだろう。

 この呑気なお嬢さんと、不安定なハーフエルフの少女を守るために。

 カッと靴音がして、リカルドは振り返る。
 そこには、きりりと武装したカレブが立っていた。

 ワンピースは脱ぎ、動きやすい服を身につけている。
 皮鎧を着込み、腰には短剣と手投げナイフ。
 すっかりと迷宮にいく準備を整えていた。

 綺麗だ、と思った。
 なのに、口はつまらない言葉しか漏らさない。

「服、もう乾いたのか」

「乾いたから、着てるんだろ。それより、なんだあんた達。ここでずっとだべっていたのか。仕度はどうした」

 いけない、とサラが口元を押さえる。

 カレブは眉をつりあげた。

「ぐずぐずするなら、置いていくぞ」

 青い瞳がラディックを見つめる。

「案内を頼むよ、王宮騎士さん。ぼくは、もう、こんなところに閉じ込められるのはまっぴらだ」

「心得た」

 スッとラディックが立ち上がる。

「だが、道は険しいぞ。心しろ」

「望むところさ」

 今にも出立しそうな二人を見て、慌ててリカルド達は用意を整えに行った。

 やれやれとカレブはため息をつく。

 吹雪は、まだ、やまない。
 嘆きの精霊の絶叫を思わせる風が、ビョウビョウと激しく吹きすさんでいた。
 まるで、カレブ達の未来を暗示するかのように。