残響-ざんきょう-

 透き通った空気が、冬の朝を織り上げていく。雲間から差し込むしんとした光は、確かに陽光であるのに、ぬくもりよりもむしろ冷たさを感じさせた。
 今冬一番の冷え込みを記録したこの日、勉は日咲子との約束を果たした。

『最後まで、手をつないでいようね』

 頷いて、指切りをしたのはもう遠い昔のことだ。

 白く美しかった妻の手は、しわがれて節が高くなっていた。程よく伸ばされ淡い色に染められていた爪も、短く切りそろえられて久しい。

 何度もつないだ手をもう一度、ぎゅっと握り締める。

 風邪をこじらせ入院し、肺炎を併発した時から、この結末の予感はあった。二人であれこれ語りあった未来の形より、少しばかり早く訪れた別れの時――。

 最後の時間は意外な速さで駆け抜け、勉が妻の死をゆっくりと飲み込むことが出来たのは、こぢんまりとした葬儀が終わる段になってからだった。

 参列者を見送り頭を下げていると、神妙な面持ちをした甥がそっと隣に立つ。

「おじさん、力を落とさないでくださいよ」

 甥の心配はもっともだろう。

 勉と日咲子は二人きりの家族だった。子供はおらず、友人も少なく、互いが互いの夫で妻で、恋人で、親友で、その全てであったから。

「大丈夫だよ」

 やわらかな声で勉は答える。

「おじさん……」

 眉を寄せる甥に、勉は首を振った。喪服には似つかわしくない笑みが、皺深い顔に浮かんでいる。

「確かに悲しい。でも、本当に大丈夫だ。自分でも不思議だけどね、酷く打ちのめされてはいないんだよ」

 物問いたげな甥にもう一度笑みを向け、勉は空を仰いだ。またたく光が優しい。とても、優しい。

 そのにび色のスクリーンに、まだ時が平成だったころから始まった、五十年あまりに及ぶ日咲子との日々を描く。

 胸躍るような喜びも、耐えがたい苦難もそこにはあった。なのに、心から湧き上がってくる映像は、なにげなく、つまらない、ふとした日常の数々だった――。

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