異世界ロマンティックラブコメディ







LOVE12 父君の嘆き

 ハヤシライスが芳しく香る日曜正午。一家団らんのひとときを突如乱したのは、アイドル歌手の明るい歌声だった。春風に舞う桜をモチーフにしたこの曲は、異世界の姫君こと王子さまの花嫁候補ゆかりの”元”彼氏瑞貴専用の着信メロディだ。

 携帯電話の液晶画面に浮かんだありえない三文字に気をとられていたゆかりだったが、父がむっすりと不機嫌になったことに気がついた。一人娘を可愛がる世の父の例にもれず、一ノ瀬氏も娘の彼氏をあまり快く思っていないのである。

「ゆかり、ごはん時だよ。後にしなさい」

「う、うん……」

 しかし歌はやまない。高らかに鳴り響いてゆかりを呼び続ける。

「先に食べてて。急用かもしれないから出てくるわ」

 ゆかりは後ろ手に携帯電話を隠すように持つとダイニングを脱出した。
 取り残された一ノ瀬氏は、すっかり機嫌をそこねてスプーンを握り締める。

「けしからん。まったくもってけしからん」

「今からそんな具合だと、ゆかりちゃんがお嫁に行くなんて言い出したらどうなるんでしょうねえ」

 婦人の言葉に、一ノ瀬氏はまるで嫌なものでも見たかのように身体を震わせた。

「考えたくもない!」

 目の前をチラつく、真っ白なドレスやらベールやらの幻影を追い払い、大声で叫ぶ。

「嫁だなんて、まだまだ、まーだまだ先のことだ!」

 だが、しかし。
 よそわれたハヤシライスをかきこむ一ノ瀬氏のあずかり知らぬところで、敵は忍び寄っていたのである。

 自室にひっこんだゆかりは、未だ鳴り続ける携帯電話をひとにらみして通話ボタンを押した。

「もしもーし、もしもしー、もーしもーし」

 途端、この二日間ですっかり耳に馴染んだ常若の都の金欠魔法使いの声が聞こえてきた。

 オウジ着信などとあったので、てっきりアーネスト王子からの電話だと思っていたゆかりは、ホッと緊張をといた。安心すると同時に腹がたってくる。

「ギ、ギィっ。勝手に登録したわね!」

「ああ、つながった。無事に戻られましたね」

「もう、バカバカ! どうして、よりにもよってこの曲使うのよ! 瑞貴くんからだと思ったじゃないの!」

 受話器の向こうからはっはっは、という笑い声が聞こえる。

「いやだなあ、ゆかりさん。瑞貴くんから電話がかかってくるはずないじゃありませんか」

 ギィの言葉は正しい。
 どこの世界に、ふったばかりの相手に電話をかける物好きがいるのか。
 だが、いたく乙女心を傷つけられたゆかりは、わっと泣き崩れた。

「ギィのばかっ。大嫌い!」

「うわあ、ゆかりさん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 ゆかりはたっぷり五分間、息継ぎもせずにごめんなさいを繰り返すギィの謝罪を聞き流した。
 さすがに、ギィの声がひび割れ始めたので、涙をぬぐって用件を聞く。

「……それで、用事はなあに」

「ええとですね、週末にゆかりさんをお迎えにあがるんですけれど、動きやすい格好で駅までいらしてくださいね」

「どうして?」

 よくぞ聞いてくれました、とばかりにギィが手を打ち合わせる音がする。

「昨日の宴は少々堅苦しかったでしょう? 」

 堅苦しかったというよりも、酔っ払ってあっけなく終了したというのが正しい。
 昨夜の失敗を思い出し、ゆかりは顔を赤くした。むう、と口をとがらせるゆかりとは対照的に、ギィはウキウキと楽しそうだ。

「そこで、今度はもう少し気楽に王子さまと親しんでいただこうと思いまして。みんなで親睦ピクニックに参りましょう!」

 なるほど、確かにピクニックに行くのなら動きやすい格好が望ましいだろう。

「常若の野は美しいですよ。永遠の春の国ゆえにとりどりの花が咲き誇っています。可愛い小鳥や動物も遊びに来ますしね。皆で散策するのはとても楽しいと思いますよ」

「……その小鳥って四本足だったりする?」

「え、どうしてご存知なんです」

「絶対行かなーーい!」

「冗談ですよう」

 のんきな笑い声に腹をたて、ゆかりは衝動的に携帯電話の電源に指を伸ばした。気配を感じたのだろうか、いささか慌ててギィが言葉を続ける。

「切ろうったってそうはいきませんよ! 我が家の――」

「パンのために、でしょう? もう、わかったわよ。行きます、ちゃんと行くから」

「えっ、本当ですか?」

 ゆかりが承知したのが意外だったのか、ギィは驚きの声をあげた。

「なあに。不服なの?」

「いえいえ、とんでもない! もう少しゴネられるかと思って、説得の言葉を用意していただけです」

「なによう、それ。まるでわたしがワガママみたいじゃないの」

「そ、そういう訳ではっ。ゆかりさんは、とっても愛らしい、良い方ですよぅ」

 必死に訴えるギィの姿が目に浮かぶようで、ゆかりは口元を緩めた。

「うまいこと言っちゃって。でも、うん。ピクニック、楽しみにしてる」

「はい、私もとても楽しみです」

 午前十時に駅で待ち合わせをする事にして、ゆかりは電話を切った。
 ふー、とため息をついてベッドに身を投げ出す。

「何を着ていこうかしら。動きやすいって事は、やっぱりジーンズよね。でも、パンツスタイルは失礼にならないのかな。モイラ達はどんな格好なんだろう。……前もって相談できたらいいのになあ」

 頭の中を駆け巡るのは、瑞貴との思い出ではなく、週末の約束。

「ピクニックってことは、やっぱりお弁当とか作った方がいいのよね。おにぎり? サンドイッチ? うーんこれは悩みどころだわ。でも、量はたくさん用意しなきゃ」

 ふふ、とゆかりは笑う。

「きっとギィはお腹をすかせてるでしょうからね。歩きながらつまめるように、クッキーも焼こうかな」

 不思議と、そんな事を考えるのは楽しかった。

「ゆかりちゃーん、電話終わったのー?」

 階下からの呼び声に、ゆかりは身体を起こした。

「はーい、今行きます!」

 ダイニングへ戻ると、一ノ瀬氏はもう食後のお茶を飲んでいた。すっかり時間を過ごしてしまったようだ。

「お父さん、ごめんなさい」

 ゆかりは一生懸命謝ったが、一ノ瀬氏はすねたままだ。

「瑞貴君も、もう少し時間を考えてだなあ」

「またそんな事を言って。はい、ゆかりちゃん」

 婦人が笑ってゆかりにハヤシライスの皿を渡す。

「ありがとう、お母さん」

 さっそくハヤシライスをぱくつきながら、ゆかりは一ノ瀬夫人におねだりした。

「お母さん、あのね、お弁当向きのお料理のレシピ、教えてくれる?」

「いいけど、急にどうしたの」

 ゆかりは、ちらりと一ノ瀬氏を見た。
 ぱっと一ノ瀬氏の顔が明るくなる。
 もしかしたら、娘は父の為に弁当を作ってくれるつもりなのだろうか。

「週末にピクニックに行く約束なの」

「あら、瑞貴君と? いいわよ」

 とたんに母娘はきゃっきゃと料理談義に花を咲かせた。

「母さん、お茶!」

 すっかり取り残された一ノ瀬氏は、仏頂面でティーカップを突き出すのだった。


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