異世界ロマンティックラブコメディ







LOVE10 姫君の帰還

 緑と白を基調にした木造の駅舎で、異世界の姫君こと王子さまの花嫁候補ゆかりは、金欠魔法使いのギィと一緒に荷物が届くのを待っていた。

 鉢植えや絵画などを配置しながらも広々としたホームは、汽車を待つ人々の心地よいざわめきに包まれている。
  楽しそうにお喋りする者、売り子から菓子や飲み物を買う者、ホームを間違えたのか慌てて走る者。とりどりに時間をすごす彼らだったが、ひとつ共通することがあった。

 彼らは、ベンチにちょこんと腰掛けるゆかりとギィを見つけると、一様に初めはおや? という表情を浮かべ、次に面白そうな、しかし好意的な笑みを浮かべ、最後には親しみをこめた会釈をするのだった。付け加えるのであれば、目の利く者は、ゆかりの髪にかざられた虹色の花を見つけ、より笑みを深める。

 ゆかりは、ベンチの上で居心地が悪そうにモゾモゾすると、隣のギィに話しかけた。

「ねえねえ、ギィ。わたし、なんだか見られてる?」

 会釈を通り越して深々と頭を下げる老夫婦に笑顔で手を振りながら、ギィは頷いた。

「ゆかりさんが、お綺麗だからですよ」

「茶化さないでよ」

 ごまかされたと悟ったゆかりは、唇をとがらせた。十八の娘がやるにしては少々子供っぽい仕草だが、どことなく幼さの残るゆかりに、それはたいそう似合っていた。
  実はその表情が見たかったギィは満足そうに頷くと、真実を口に上らせた。

「ゆかりさんが、異世界の姫君で王子さまの花嫁候補だからですよ」

 それなら理由がわかる、とゆかりは頷いた。なぜならば注目をあびているのはゆかり本人ではなく、「王子」の「花嫁候補」という立場のほうだからだ。ゆかりは、自身がとりたてて特筆すべきところのない人間だという事を知っていた。

「でも、待って」

 己の思考に納得しかけたゆかりは、しかし首をひねった。

「どうして、わたしが花嫁候補だってわかるの?」

「そりゃあ、私と一緒にいるからです」

「ええ?」

 ギィは得意げにコホンと咳払いをした。

「姫君を迎えに行く魔法使いとして、大占い師様の水晶でババーンと宣伝されましたから」

 嘘八百をギィは平然と口にした。ギィと共にいるゆかりが花嫁候補だと認識される事に間違いはないが、人々がギィに気づくのは自国の王子がボロローブに身を包み、魔法使いのフリをしているからに他ならない。

 世継ぎの君の人騒がせな作戦は、国中の人間を巻き込んでいるのである。

 国民達が文句も言わずそれにのってくれるのは、ギィの人気の高さもあったが、その国民性が深く関係していた。常若の都の民は、概して大らかで細かい事にはこだわらず、楽しいことが大好きなのだ。また、非常におせっかいでもある。敬愛する王子の恋に協力しようと、皆やる気に満ちあふれていた。それはもう、必要以上に。

 水晶で宣伝ってなんだろうと、眉を寄せて一生懸命考えるゆかりに、ギィは言った。

「テレビのようなモノだと思ってください」

 なんとなく事態が飲み込めて――つまりすっかり騙されて――ゆかりは頷いた。

 二人の会話が終わると同時に、改札口の辺りが騒がしくなった。

「しょ、じゃない。王子さま!」

「な、なんとご立派なお姿」

「お察しいたします、王子さま!」

「しょう、えー、あー。そう、常若の将来に栄光あれ!」

 危うい台詞が飛び交い、人垣が割れる。
 姿を現したのは、濃灰色の絹服をまとった口ひげ筋肉だるま、アーネスト王子その人だった。

 ギィが立ち上がったので、ゆかりもそれに習う。

 上流階級とやらの礼儀にはとんと無縁だが、さすがに「王子」と呼ばれる人を前にして座ったままでは具合が悪いだろうことは察しがついた。

 アーネストはゆかりとギィに気がつくと、刺繍の入った豪奢なマントを翻しながら、大またで歩み寄ってきた。

「ゆかり殿」

 深みのある声で名を呼ばれ、ゆかりは緊張した。王子の声を聞くのは、考えてみればこれが初めてだ。彼の花嫁候補として連れてこられたのに、おかしいな、と思う。思い返せば、王子よりも隣にいる魔法使いに親しみを感じるようになっていた。共にいる時間が圧倒的に違うからだ。なんだか悪いことをしているような気がして、ゆかりは身をちぢこませた。朝方、この王子をふってやろうなどと思っていた事は、緊張に押しやられててどこかに消えてしまっている。

「アーネスト殿下がどうしてこちらに?」

 おろおろとギィが大きな王子を見上げた。

「ゆかり殿の荷物をお持ちした」

「殿下が、ですか?」

 ギィは内心舌打ちをした。どこの世界に荷物運びをする王子がいるというのだろう。
 ゆかりが帰ったら、臣下根性の抜けないアーネストに、もう一度王子の心得というものを叩き込まなければならない。

「そう言うな、魔法使い!」

 甲高い声がした。幼い子供のような愛らしい声だ。恐ろしい事に、それはアーネストの方から聞こえた。だが、アーネストが喋っているわけではない。

 アーネストは、ギィにだけわかる謝罪の色を瞳に浮かべて苦笑した。

 大きなアーネストの影から、ひょっこりと小さな毛玉が飛び出した。

 ギィは正真正銘まごうことなき本物の眩暈に襲われて、よろめいた。

 毛玉は例えていうなら、二足歩行のムク犬だった。真っ白なふわふわした毛並みと、ぺたんと垂れた耳がどことなくマルチーズを連想させる。それがきっちりと服を着込んださまは、奇妙でどこか愛らしい。

 ムク犬は手に、ゆかりの鞄を持っていた。

「「姫君」との別れを惜しみたいという「王子」のお気持ち、わかるだろ? 「魔法使い」」

 やけに要所要所を強調しながら、ムク犬が言う。ギィは、ゆかりに気づかれないようにギラリと怖い目でムク犬を睨んだが、ムク犬はどこ吹く風だ。

「それで従者をともなって参上した次第だよ、ギィ」

 アーネストの言葉に、ギィは長息した。

「至りませんで、申し訳ございません、殿下、……ティム殿」

「わかればいいんだ」

 きしししし、と口元に手を当てて王子の従者、ムク犬ティムは笑う。

「すごい、犬が喋ってる」

 いい加減不思議なものに慣れかけていたゆかりだったが、喋るムク犬には仰天した。
 可愛いことは可愛いが、少し怖い。

「犬ではなーい!」

 ゆかりの言葉を聞きとがめたティムが、くわっと叫んだ。

「オレ様はティムティム。えーと、うーんと、そう、王子の従者なのだー!」

「ご、ごめんなさい」

 迫力におされ、ついゆかりは謝った。謝りながら、なんてえらそうな従者なんだろうと、可笑しくなる。

「はいはい、ティム殿、ゆかりさんに鞄をわたしてくださいね」

 ギィはティムから鞄をとりあげると、ゆかりに押し付けた。
 折りよく、汽車がやってくる。ゆかりが昨日乗ってきた虹色の汽車だ。

 アーネストが恭しくゆかりの手をとって、汽車へと導いた。とたんに、ゆかりの顔が真っ赤になる。こんな壊れ物のように扱われたのは初めてだった。

 そっとアーネストの顔を仰ぎ見ると、理知的で落ち着いた表情は、思っていたよりうんと好ましかった。随分と色眼鏡でこの人を見ていたんだな、とゆかりは恥ずかしくなる。

「ゆかり殿、突然お招きして、本当に申し訳なかった。しかし、お会いできたことを嬉しく思う。次の来訪を楽しみにしていますよ」

 アーネストになんと答えてよいかわからず、ゆかりはただ無言で頷いた。

「また、お迎えにあがりますから。次の週末、あの駅へ」

 ギィの言葉に、ゆかりはハッと顔を上げる。どうやら、彼は一緒に来てはくれないようだ。

「ギィ」

「危ないですよ。ゆかりさん、下がって」

 ゆかりがうまい言葉を思いつくより早く、扉が閉まる。
 アーネストが手を振ると、汽車はゆっくりと走り出した。

 汽車が見えなくなるまで見送って、アーネストが口を開いた。

「よろしかったのですか、殿下。ゆかり殿をお送りしなくて」

「そうだ、そうだ、冷たいぞ、ギィ!」

 飛び跳ねるティムの頭に拳骨を一発お見舞いしたギィは、魔法使いとしての仮面をかなぐり捨てるとあでやかに微笑んだ。

「こうやって少し離れた方が、切なく名残惜しくなるものだ」

 なるほど、とアーネストが感心してうなずく。

「さすがは殿下。戦略を心得ていらっしゃることよ」

 ティムの泣き言を背に、ギィはゆかりの去った方角を見つめる。

 立ち去る間際のゆかりの表情。淡い期待がゆっくりと目覚める。それは、花が開くさまにどこか、似ていた。


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