扉を開いた途端、熱波が一行を襲った。

「下がれっ!」

 リカルドが盾をかかげ、先頭に踊り出る。直感的に、第三層に巣食うガスドラゴンのブレス攻撃だと踏んだのだ。先制攻撃でパーティ全員が毒ガスの息にのまれたら、全滅しかねない。それならいっそ、一番体力のある自分が盾に、そう思ったのだ。

 だが、予想した痛みがリカルドを包み込む事はなかった。

「え・・・?」

 恐るおそる盾から顔をのぞかせると、風にはためく薄汚れたローブが見えた。
 ぼろきれ同然のそれを身にまとった小柄な老人の前で、大きく空気がわななき、毒ガスのブレスが逆巻いている。まるで、見えない壁に押しとどめられているかのようだ。その向こうに、咆哮をあげる一頭のガスドラゴンの姿が確認できた。

「やるか、カレブ」

 短剣の柄に手をやったカレブに、小声でリカルドが囁いた。
 しかし、カレブが頷くよりも早く、老人の手が振り下ろされた。
 空中にとどまっていた毒ガスの息が、勢いよく霧散する。

「雛鳥どもはそこで見ておるがよいわ」

 どうやらこちらの侵入に気づいていたらしい老人は、言うが早いが矢継ぎ早に詠唱を始めた。

 短い詠唱はクレタの魔法だった。連続して放たれたクレタの火球はガスドラゴンの足元に炸裂し、突進を阻んだ。

 ひるむガスドラゴンに向かって、老人は冷静にとどめの魔法を詠唱する。
 いや、それは詠唱ではなく、祈りだった。つまり、導かれるのは僧侶魔法ということになる。

 神の息吹たるアモークの魔法が、老人の手のひらから解き放たれた。

 神の息吹は真空の刃となって、ガスドラゴンの胸に真一文字の傷を刻み込む。
 おぞましい色の血がふきあがり、どうとガスドラゴンは石床に倒れた。

 たいして俊敏そうにも見えない老人の、流麗な魔法はこびに、カレブ達はあっけにとられた。これでは確かに「雛鳥」と言われてもいたしかたない。

 老人はしっかりとした足取りで倒れたガスドラゴンに近寄ると、おもむろに胸の傷に腕を差し入れた。

「うっ」

 グレースが口元をおさえ、顔をそむける。

 老人が腕を引きぬくと、その手には湯気をあげる竜の心臓があった。
 その強靭な生命力から癒しの力を導くといわれ、回復の魔法石の材料ともなる素材だ。

 魔法を使うものが求めても不思議ではない一品であったが、老人の行動はなにやら言い知れない不吉さを潜ませている。

 老人は鋭い瞳で心臓を見つめていたが、やがて満足そうに頷いた。どうやら、お眼鏡にかなったらしい。

「やんごとなきお方の口に入るもの。一級品でなければなぁ」

 言葉とは裏腹にその口調は皮肉げであった。
 老人は顔を上げると、圧倒されたままのカレブ達を見て口元をゆがめた。

「まだおったのか。この部屋は見ての通りの行き止まりだぞ」

 節くれだった老人の手が、奥の壁を示した。
 確かに、ガスドラゴンの死骸の向こうには無表情な石壁が広がるばかりで、先へと続く通路や扉は見当たらなかった。

 どうやら、この部屋へと足を踏み入れたのは失敗だったらしい。

「どうも」

 カレブは、言葉少なに頭を下げた。

「む?」

 カレブの姿を見た老人の顔に、一瞬、純粋な驚きの色が走った。

「そなた、冒険者、か・・・?」

「違う。・・・いや、そうじゃないのかな。この迷宮に挑む者を冒険者と呼ぶのなら、確かにわたしは冒険者なのかもしれない」

 老人は、すっと目を細めたかと思うと、くつくつと笑い始めた。

「ふむ、面白い。我が不肖の弟子はこの事を知っておるのか? いやいや、食えぬあやつの事、知らぬわけがない、か」

 その呟きはぼそぼそとしていて、カレブ達の耳に明瞭に届く事はなかった。
 ただ、老人の不審な様子に、顔を見合わせるばかりだ。

 老人はひとしきり笑うと、竜の心臓を魔法で氷づけにし、大切そうに袋に入れた。

「下層への階段をさがしているのなら、来た道をもどって外周をぐるりと歩くがいい」

 老人はそう言い残すと、軽い散歩は終わりだとばかりに転移の魔法を詠唱し、あっという間に姿を消した。

「迷宮には、おかしな連中が多いが」

 それにしても変わったじいさんだったな、とリカルドは肩をすくめた。

「あの人こそ、冒険者だったのかな」

 くすりとカレブは笑う。
 心に忍び寄りそうになった不安を、そうやって振り払ったのだ。

「竜の心臓は、生命の塊。貪欲なる生への渇望。案外、不死を求めてさすらう錬金術師かもしれないね」

「まあ、詩人になれてよ」

 ミシェルに頬をつつかれて、やっとカレブは本物の笑みを浮かべた。

「行こう。階段を探さなきゃ」

 老人の言葉どおり、来た道を戻り、外周にそって歩くと、やがて下り階段が見つかった。
 どうやら、中央付近にある通路と部屋は、踏み入れた者をぐるぐると迷わせるためのものだったらしい。誰もがまず、あの辺りを捜索するだろう。

「ありがたい助言でしたね」

 しみじみと呟くグレースに頷きながら、カレブは階段を下った。

 やっとたどり着いた四層は、非常に薄暗く、また足元には、薄い靄が立ち込めていた。

 闇の向こうに立ち並ぶ墓標の群れはなかなかに不気味で、訪れる者の勇気を打ち砕く。
 ましてや、この墓場には不死者と魔物が徘徊しているのだ。

 王宮の兵士達が施した不死者鎮めの香がかすかに漂ってくるのが、唯一の救いだった。
 はかなく、たよりない救いであったが。

「しかし・・・」

 並ぶ墓を見回しながら、リカルドは深刻なため息をついた。

「この中からたった一つの墓を探すのは、なかなかコトだぜ」

「闇雲に探すのは得策とはいえないわね。囚人を葬った兵士達が、記録を残していればいいんだけれど・・・」

 ミシェルも思案気に細い指を噛む。

 確かに、存在するかどうかもわからない墓をこの中から探すのは、砂浜に埋もれた宝石を見つけ出すのと同じくらいに難解だと言えよう。

 ふと、グレースが何か思いついたような表情を浮かべた。

「これは、賭けなのですが・・・」

 仲間達に問われる前に、グレースは自らすすんで話し出した。
 少し前までの彼女なら、促されるか、発言の許可をとるまでは、決して自ら語る事はしなかったはずだ。どうやら、三層での出来事が、彼女のわだかまりを軽くしたらしい。

 カレブ達を同行者ではなく、仲間だと認め始めているようだった。

「墓守の小屋を探してみませんか? これが聖都の墓地だというのなら、墓守の小屋が必ずあるはずです。墓守の小屋には、墓地の書類があるはずですから、兵士達が記録を残しているかもしれない」

「なるほど! 墓よりは小屋の方が探しやすいのは道理だな」

 大きく頷くリカルドに、グレースは微笑む。

「ただ、この状態の墓守の小屋に、墓守がいるとは思えません。それゆえに、記録が残っている保証もありません。随分と分の悪い賭けですが・・・」

「乗った」

 カレブの瞳に勝気な光が走る。

「賭けは、嫌いじゃない」

 ヒュッとリカルドが口笛を吹いた。

「大胆だな。でも、俺もそういうのは、嫌いじゃない。方針は大胆に、行動は繊細にと行こうじゃないか」

 意見がまとまったところで、一行は辺りを見回し、小屋とおぼしき幾つかの影にめぼしをつけた。手近な物から順に調べていくことにする。

 だが、その道程は困難を極めた。

 もともと聖都の墓地は地上と地下の二層構造なのだが、地下へと引きずり込まれた時の衝撃か、地上墓地の足場の耐久が弱まっており、たびたび通路が崩れ落ちるのだ。

 瓦礫と共に地下墓地へと叩き落され、四人はひどい打ち身に顔をしかめることとなった。

 幸い、この失敗を教訓としたカレブが、注意しながら先頭を歩いたため、二度同じ痛みを味わう事はなかったが、すぐ近くに見える場所へたどりつくにも、ぐるりと遠回りをしなければならない。

 用心しながらの探索行は、四人の精神をすり減らした。また、徘徊する不死者の群れとも幾度も遭遇し、激しい戦闘を重ねなければならなかった。

「こいつは・・・、きつい」

 額の汗をぬぐいながら、リカルドが言った。

「悔しいが、今の俺達にはちょいと荷が重い階層だぜ。ロレンツォさんの依頼は今日中にかたをつけるとしても、しばらくはこの辺りで戦って力をつけないと、次へと進むのは難しいな」

「そうかもしれない」

 乱れた息を整えながら、カレブが素直に頷いた。

「グレースには、歯がゆい思いをさせそうだけど」

「いえ」

 静かにグレースは首をふった。蜂蜜色の髪が、さらりと優雅に揺れる。

「未熟なまま進んでも、ジーンに会う事はできませんから」

 仮に焦って進んで出会えたとしても、そんななりふりかまわない自分の言葉は、きっとユージンには届かないだろう。

 毅然として、凛として、対等の立場で出会わなければ、ユージンの気高い魂に触れることは出来ない。

「あなたは確かに白百合だわ。姫君」

 賞賛の言葉を口にするミシェルに、グレースは宮廷風の一礼で応えた。彼女らしい照れ隠しだった。

 それからさらに時間を費やして、とうとう一行は墓守の小屋を見つけた。
 小屋を占拠していたロッティングコープス達を追い払い、なにかしらの記録はないかと書類を探す。

「これ・・・」

 部屋の片隅の今にも脚がとれそうな机の上に、カレブが一枚の羊皮紙を見つけた。
 羊皮紙には古びたインクで墓地の簡単な地図が記されていた。地図の一部には新しいインクで付け足された部分があった。

 その横に、人の名前と数字が書かれている。

 オード。825。
 エルマー。931。
 ゲーリー。655。
 ギルマン。972。
 ロディ。895。
 フレッド。714。

「ギルマン・・・、9、72・・・?」

 ギルマンの名前に駆け寄ってきた仲間達が、次々に後ろから羊皮紙をのぞき見る。

「この数字はなにかしら。埋葬されている区画かな」

 呟くカレブに、ミシェルが答えた。

「おそらく、鑑識番号ね」

「じゃあ、これは・・・」

「囚人達の埋葬をしめすものと考えるのが、妥当だと思えるわ」

 グレースが素早く、地図を書き写した。

 羊皮紙は、手近にあった棚にひとまず仕舞うことにする。仕舞わないよりマシといった程度だが、あんな場所に放り出しておくよりはいいだろう。

 ふと、カレブは気になった。

「この書類・・・」

「置いていくのが心配なのか? けど、そんなに気にしなくていいと思うぜ。王宮の兵士達は優秀さ。同じ物が王室でも管理されているだろうよ。これはここに置いておいて、気軽に使うのが目的なのさ」

 視線を戸棚からリカルドに移し、カレブは首をふった。

「うん、それは気にしてない。ただ、わたし達が来た時、この書類、机の上においてあったでしょう?」

「ああ」

「まるで、誰かが見て、そのまま置かれていたかのように」

「先客がいるってのか」

「可能性は、高いかもしれない」

 書類を見ていた人物が埋葬品を狙う盗賊なら、注意をした方がいいだろう。

 カレブ達はその可能性を頭において、地図をたよりに先へと進んだ。
 罪人達を葬る墓は、少し離れた寂しい場所にあるようだ。

「あ!」

 短い叫び声を上げて、グレースが墓地の一角を指し示す。それは、目的の場所の
辺りだった。

 幾つかの淡いオレンジ色の光が、時折ゆらゆらと不規則に揺れている。
 魔物、というわけではなさそうだ。ランプの明かりのように見える。

「・・・静かに近づこう」

 カレブ達は息を押し殺し、足音を潜め、ゆっくりと光に近づいた。
 物陰からそっと様子をうかがうと、冒険者と思しき四人がランプを片手に墓を覗き込んでいる。

「まさか」

 カレブの隣で、リカルドの喉がなった。
 カレブが何事かと問う暇もなく、リカルドは物陰から飛び出した。

「リューン、リューンだろ! こんな所でなにしてるんだ」

 リカルドの叫びに、冒険者達が振り向く。

 その中の一人、戦士とおぼしき若者は、驚くほどリカルドとよく似ていた。
 同職、同程度の実力の持ち主なら装備品が似るのは当然だが、背格好といい、顔立ちといい、兄弟のようにそっくりだ。

 リューンは一瞬ポカンとした表情をうかべたが、すぐに気を取り直し、気難しそうに腕を組んだ。

 それは、どこか大物ぶった演技に見えた。はっきり言って、リカルドそっくりの彼がそんな事をしても、似合わないことおびただしい。

 カレブは顔をふせて、こみ上げてくる笑いをかみ殺さなければならなかった。

「うっかりリカルドじゃないか。お前こそなにしてるんだ」

「ぅ、くくく・・・」

 とうとう我慢ができなくなって、カレブは小さな笑声をこぼした。
 ミシェルが脇腹をつつく。

「笑っちゃいけないわ。戦士さんに悪いわよ」

「ミ、ミシェルさんこそ」

 リカルドはそんな二人よりも、リューンという戦士の言葉に苛立ったようだ。

「うっかりだとお? 雑学キングが偉そうに!」

「知識をたくわえて何が悪い!」

 たちまち子供のようなののしりあいが始まった。二人ともここが迷宮の中だという事を、すっかり失念してしまっている。

 騒ぎをききつけて魔物がやってきても困るので、カレブはリカルドを一喝した。

「リカルド!」

「リューン!」

 うわっ、と二人の戦士は首をすくめた。
 そして、それぞれ己の名前を呼んだ少女の方を向く。

「す、すまん。カレブ」

「あんたらしいけどね」

 カレブはやれやれとため息をついた。

「顔見知りみたいだけど、どういう関係?」

「ああ」

 フン、とリカルドは口をゆがめる。

「従弟さ」

「従弟ぉ?」

 カレブは、まじまじとリカルドの従弟だという戦士を見つめた。

 彼は大きな身体を小さくして、一人の少女にしかりつけられている。

 随分と華やかで愛らしい少女だ。
 やわらかな布地で出来た刺繍入りの司教のローブがよく似合っている。

 帽子から零れ出る淡い金髪はくるくると波打ち、少女が動くたびに軽やかに揺れた。
 大きな水色の瞳は、今は怒りのためか少々きつくなっているが、にっこりと微笑めば天使もかくやといったところだろう。

「リューン、わたし、後先考えない人って嫌いよ」

 薔薇のつぼみような唇が、きつい一言をさらりと宣告した。

 リューンは愕然として、少女を見るめる。

「そ、そんな、アン! 悪いのは、あそこのうっかりリカルドだ。あいつが俺を侮辱するから」

 リューンのその言葉に、リカルドはムッとして言い返した。

「最初に言ったのはお前だろうが!」

「俺のは侮辱じゃなくて、事実だ!」

「俺だって事実を言ったまでだ!」

 カレブと、アンと呼ばれた少女は、すうっと息を吸い込んだ。

「リカルド!」

「リューン!」

 再びしかられた二人は、姿勢を正すとバッと頭を下げた。

「すまん、カレブ」

「ごめん、アン」

 ミシェルは我慢できないと言った様子で、グレースに抱きついて肩を震わせていた。涙まで流して、笑っている。

 ぽんぽんとミシェルの肩をたたきながら、グレースが呟いた。

「好みもよく似たお二人なんですね」

 それまで、関係ないといった顔をしていた盗賊とおぼしき赤毛の少年が、ピクリと反応した。

「そこの女ァ!」

 指を突きつけられ、グレースは目を丸くする。
 今までこんな扱いを受けた事はない。

「俺達のアンをそんなちんけな男と同じにするなっ!」

 赤毛の少年の指が、今度はカレブを示した。

 少年の言葉が、ゆっくりとカレブの脳にしみわたる。

「ちんけな、男・・・?」

 冬の泉の瞳が、限りなく冷たくなった。

「わたしは・・・」

 我に返ったリカルドが止める間もなく、カレブは赤毛の少年との間合いをつめた。

「女だぁ!」

 カレブの拳が、きれいに赤毛の少年の鳩尾にうめこまれた。
 少年は、うめき声もあげずに床に伸びる。

「め、めちゃくちゃだ・・・」

 相手のパーティの最後の一人、古びた法衣をまとった中年男が天を仰いで呟いた一言が、見事に状況を言い表していた。