グレッグが一行の歩みを押しとどめた。
 素早く四方へ視線をやりながら、呟く。

「少し様子を探ってこよう。私やリカルドが知っている二層だと思わないほうが良さそうだからな」

 カレブはスッと視線を上げ、グレッグを見た。

「そんなに、違う?」

「ああ。こんなに静かなここは初めてだ」

 トントンと剣の鞘で肩を叩きながら、リカルドが頷いた。

「薄気味悪いぜ。いつもなら、ネズミどもが駆けずり回っているのに」

「ネ、ネズミ!?」

 ブルッとサラが身体を震わせる。

「やめて! 大嫌い!」

「魔物に比べたら、可愛いもんだろ」

 自分で自分を抱きしめながら、ブルブル震えるサラに、冷たくカレブは言った。
 ミシェルは小首を傾げて、クスリと笑う。

「目がくりっとしてて、愛らしいと思うのだけれど」

「あーら、お優しいことっ」

 キッとサラはミシェルを睨みつけた。

「でもね、あなただって、わたしと同じ目にあったら、考えが変わるわよ」

「同じ目?」

 どんなにひどい目にあったのだろうか。
 まじまじとミシェルはサラを見つめた。

「苺水、美味しいわよね?」

 カレブは目を細める。
 それとネズミが、一体どういう関係があると言うのだ。

「苺水・・・?」

「エルフは加工品は好まない?」

 不思議そうな顔をしたミシェルに、サラは意地悪く言った。

「春に作る素敵な飲み物よ。苺と檸檬と砂糖を陶器の入れ物にいれておくの。数日待てば完成するわ。水で薄めて冷やして飲むの。とても綺麗な色で大好き」

 思い出したのか、サラは目をキラキラさせた。

「あれは、わたしが十二の春だったわ。母様は毎年一番に、わたしに出来たてをくださるの。その年のは特別美味しくて、わたしはおかわりをおねだりしたわ。母様はニコニコわらって、おかわりを入れてくださった。でも、そこで悲劇は起こったの!」

 サラは両手を組み合わせて叫ぶ。

「母様が苺水をかき混ぜて、悲鳴を上げた。わたしは何事かって、とんでいったわ。ひょいって苺水の入れ物を覗き込むと、大きなネズミの死骸がプカプカ浮かんでて・・・、そう、わたしはネズミの死骸が入った苺水を飲んでいたのよっ」

 サラは足を踏み鳴らした。

「こんな目にあって、まだネズミが好きなんて言えるわけないでしょうっ!」

「まあ」

 ミシェルはとりあえず、当り障りのない返事をしておいた。
 それが、また、サラの気に障る。

「他人事だと思って、冷たい女ねっ」

 ぷりぷりとサラは怒りながら、カレブを振り返った。

「ねっ、カレブ君。カレブ君ならこの悲劇、わかってくれるよね!」

 カレブはというと、頭痛がし始めたのか、眉間をもみほぐしながら壁にもたれている。
 むうっとサラは頬をふくらませると、リカルドに詰め寄った。

「リカルド、リカルドはどう思う!?」

 サラの迫力にタジタジとなりながら、リカルドは答える。

「あ、ああ。わかる、それは辛い。嫌いになっても仕方ない」

 サラはにこーっと微笑んだ。

「ね、そうよね。グレッグ、あなたもそう思うでしょう?」

 サラはもう一人、味方してくれそうな男のほうを見る。

「あら・・・?」

 しかし、そこにグレッグの姿はなかった。

「忍者さんなら、あなたが喋っている間に、偵察に行ったわよ?」

 相変わらずの笑みを浮かべて、ミシェルが言う。

「ひ、ひどいわ、グレッグ! 人の話を最後まで聞かないなんて」

「賢い判断だ」

 カレブは、ぽつりと呟いた。


 

 

 迷宮第二層は、全体が牢獄になっていた。
 ドゥーハン兵曰く、王城の地下牢の一部がそっくりそのまま移動しているとの事。
 閃光による時空の歪みが、思わぬ場所と場所をつなげているらしい。

 罪人の万一の脱獄にそなえてか、その構造は複雑で、様々な仕掛けがほどこされている。
 全四層構造の牢獄を、冒険者達はそれぞれ「第一回廊」「第二回廊」などと呼んでいた。

 グレッグは気配を消し、その「第一回廊」をすべるように走っていた。
 耳に聞こえるのは、重く静かに吹く風の音と、鉄製の扉がきしむギシギシという微かな音だけだ。


 魔物は、いないか・・・


 グレッグは眉を寄せる。

 いつもなら、早々にこの階層を根城にしている盗賊団や、オーク達に遭遇しているだろう。
 また、比較的迷宮上層のため、何組もの冒険者達とすれちがっていてもおかしくはない。
 大半の者が吹雪によって到達できないという事を割り引いても、あのミシェルのように、吹雪の前から迷宮に入っている者達がいるはずだ。

 だが、今、彼らの姿はなかった。
 生者の気配がしない。

 ぐるりと「第一回廊」を偵察し、グレッグは「第二回廊」へと降りた。

「ここも・・・」

 小さく呟いた声が意外と大きく響いた。
 グレッグは口を閉じ、神経を張り巡らせるが、敵からの襲撃はなかった。
 通路の端により、大きな吹き抜けを覗き込む。

 コウッと大きく風が吹き、グレッグは思わずよろめいた。
 一瞬、黒い影に包まれたような錯覚に捕らわれたのだ。

「ふ、弱気な」

 グレッグは己を叱咤する。

 と、その耳にガチャーン! と扉の開く音が飛び込んできた。

 吹き抜けの向こうの通路の扉が開き、複数の人影が飛び出してくる。

「ドゥーハン兵か?」

 グレッグは腰のダガーに手をやり、目を凝らした。

 気合のこもった声と共に、剣戟の音が響き渡る。
 おどろいた事に、その勇ましい声は女性の物だった。

 不死者の群れの間にひるがえる蜂蜜色の髪。

「多勢に無勢だ」

 グレッグは素早く戦況を分析すると、階段をかけのぼる。
 見捨てたわけではない。自分だけでは助ける事が出来ないと判断したのだ。

「カレブ!」

 グレッグは、大きな声で仲間達を呼ぶ。

 壁にもたれ、目を閉じていたカレブは、むくりと身体をおこした。
 サラの相手をしていたリカルドも、ピクリと反応する。

「行くぞ」

 カレブはためらいもなく走り出した。
 サラはきょとんとしたまま、リカルドに手をとられて引きずられていく。
 ミシェルは杖を軽く握り、ふわりと踊るように床を蹴った。

 駆けつけたカレブは、グレッグに説明されるまでもなく、状況を見て取った。

「ドゥーハンの兵士かもしれない。アラベラの事がきけるかな」

「そうじゃなくてもほうっておけるかよ」

 リカルドは顔をゆがめると、女性の元へと急いだ。
 不死者の群れに囲まれた女性は、まだなんとか持ちこたえているが、それもそう長く続くとは思えない。

「今の戦力なら、問題なく倒せる。やるか、カレブ」

 グレッグは、カレブの判断を仰いだ。

 ふう、とカレブはため息をつく。

「やるもくそも、あの馬鹿戦士は行っちゃっただろ」

「では」

 カレブは短剣を抜きながら、不敵な笑みを浮かべた。

「蹴散らす!」

「承知!」

 その答えを待っていたかのように、グレッグは走り出した。

 シンと静まり返っていた迷宮第二層は、にわかに戦闘の気配に彩られた。