カレブ達は、神経を研ぎ澄ませて通路を進んだ。
 一歩進む毎に、死の臭いが強くなる。

 その気配を感じてか、コボルドやジャイアントトードといった魔物は、一切姿を見せなかった。魔物とはいえ、生きる者。敏感に死の臭いを嗅ぎ取って身を潜めたのだろう。

 たった百メートルを進むのに、どれだけの時間を消費したのかわからない。
 昨日、ヴァーゴと戦いを演じた広間までやってきたときには、一行はすっかり精神を消耗していた。サラなどは、今にも倒れそうだ。

 休憩させた方がいい、そう判断したリカルドは、前を行くカレブを止めようとした。
 消耗する一行の中、ただ一人彼女だけは元気だったのだ。

「カレ・・・」

 呼び止めようとし、カレブにぶつかる。

 カレブは、歩を止めていた。
 ギロリと睨みつけられる。

「すまん、不注意だった」

 謝るリカルドの背後から、スッとグレッグが前に出た。

「ふん」

 カレブはニヤリと笑った。

「やっぱり、あんたはわかるか」

「ああ・・・」

 グレッグの手には既に抜き放たれたダガーがあった。
 見れば、カレブも短剣を手にしている。

「敵か!?」

 リカルドは慌てて辺りを見回した。
 だが、そこに魔物の姿はなかった。

「鈍い奴」

 あきれたようにカレブは吐き捨てた。

「それで、戦士だってんだから、笑わせる」

 カサリ。

 軽い音がした。まるで、虫が床を這うような音だ。
 何気なく床に目をやって、リカルドは叫び声をあげそうになった。

 そこには、昨日、カレブが倒したコボルドの死骸が転がっていた。
 いずれは腐り、土へ還って行くはずの屍達。

 だが。

 カサリ。カサリ。カサ、カサカサカサ・・・

 「屍」が動いていた。

 四肢をばたつかせ、床の上でうごめいている。

 サラが高く悲鳴を上げた。
 リカルドは、冷や汗を流しながら腰の剣を引き抜く。

 がくがくと首を揺らしながら、何かに引かれるかのように屍達の上半身が持ち上がった。
 どろりと濁った目に、暗青色の炎がともっている。

「アンデッドコボルド・・・!」

 そう、カレブ達は哀れな不死生物誕生の瞬間を目の当たりにしたのであった。

 床を蹴り、カレブはアンデッドコボルドの脳天に短剣を叩き込んだ。
 それは、肉を裂き、頭蓋骨に当たるが、アンデッドコボルドは倒れなかった。

 カレブはアンデッドコボルドを蹴り、飛び退る。

「ふうん、元より強いってわけか」

「あいつらには、普通の武器は聞かない。魔力がこめられていないと・・・」

 カレブは自分の短剣に目を落とした。
 斬れ味の良い短剣だが、何かしらの魔法がかかっているわけではない。

「魔法は効くが、これから先を考えると温存したいところだ。私も、君も、魔術師のように豊富な魔力があるわけではない」

 確かにこの先不死の魔物が現れるならば、ここで魔法を使うのは得策とはいえないだろう。

「戦士が防御。僧侶が天に還してやるってのが、セオリーだな」

 リカルドはサラを振り返った。

「サラ、頼むぜ」

「う、うん。がんばるから、守ってね!」

 ニヤッとカレブは笑った。

「失敗したら、あんたが不死者になるだけだ」

「カレブー・・・」

 リカルドは苦笑すると、ポンとサラの肩を叩き、防御の体制に入った。

「ツメには気をつけろ! 麻痺の毒が滲んでる!」

 リカルドは叫びながら、剣と盾でアンデッドコボルド達を叩き伏せる。
 グレッグは冷静にアンデッドコボルドの骨を砕き、少しずつ自由を奪っていった。
 カレブの蓮撃は、アンデッドコボルド達に、付け入る隙を与えない。

 三人が奮闘する間、サラは必死に祈りを捧げていた。
 この暗い迷宮に、安らぎと導きの光が満ちるように。
 一度死したるものが、再び眠りにつけるように。

 アンデッドコボルド達の中心に、ポウッと暖かな光が踊った。
 サラの祈りによって舞い降りたそれは、優しくアンデッドコボルド達を包み込む。

 アンデッドコボルド達の身体がビクリと強張り、眼窩にともった暗青色の炎が薄らいでいった。

「そのまま、眠って! もう、戦わなくてもいいの」

 これは効いた、とカレブは思った。
 サラの光に浄化され、アンデッドコボルド達は、間もなく屍に戻るだろう。

 光に包まれた生ける屍達は、がくりと膝をつき、まるで祈るかのように頭をたれている。

 この女も腐っても僧侶か、そう思った瞬間、ビョウ、と風が吹いた。

 たっぷりと死の匂いを含んだそれは、まるで墨を運んできたかのようにサラが導いた光をかき消した。

 サラが狼狽のうめき声をあげる。

 光が消えうせた途端に、アンデッドコボルド達は立ち上がった。
 再び大きくなる、暗青色の炎。

「サラ!」

 リカルドは、アンデッドコボルドが突き出してきた剣を、勢いよく弾き返した。

「畜生、この風がある限り、僧侶の祈りは効かないってのかっ」

「違うだろ。単に、サラの祈りが死に負けただけだ」

 冷酷にカレブは、言い放つ。
 ぐっ、とサラは言葉に詰まった。

 しかし、振り向いて、カレブはふっと笑った。

「それだけ、ここに満ちている死が強いって事さ。半人前のあんたにしちゃ、さっきのあれは上出来だ」

 サラはアハハハ、と乾いた笑い声をあげた。
 まったく、褒められているのか、けなされているのか・・・

「悠長に喋っている場合ではないぞ」

 アンデッドコボルド達と距離を取りながら、グレッグが言う。

「どうする、カレブ」

 魔法を使うか?
 グレッグの目はそう言っていた。

 カレブは頷くと、右手をかざす。

「もう一度、灼いてやるさ」

 カレブは、チロリと唇をなめた。
 冬の泉の瞳に、ぶっそうな光が走る。
 唇が動き、ティールの魔法の詠唱が始められた。

 だが、それにおおいかぶさるように、もう一つの詠唱が響き渡った。

 高く、歌うような女性の声。
 優しく、どこか切なげで・・・

 カレブは、こんな風に歌われるようにして導かれる魔法を知っているような気がした。

 歌は、炎を呼びおこす物だった。

 詠唱をやめたカレブの目の前で、朱金の炎が渦を巻く。

 炎はパチパチと小さな火の粉を撒き散らしながら、アンデッドコボルド達を飲み込んだ。
 朱金の輝きに包まれて、アンデッドコボルド達は奇妙な踊りをおどっているかのように暴れた。

 魔法の炎はアンデッドコボルド達を焼き尽くすと、まるで花が宙に舞うかのように散り、消えうせた。後には、何も残っていなかった。骨の一片すらも。

 カレブ達は振り返り、ジャクレタの魔法を放った人物を見つめた。

 杖をかざしていたエルフの娘は、ほう、と物憂げにため息をついた。

「あ・・・」

 カレブは娘を見て驚いた。
 あら、と娘が微笑む。
 彼女は、カレブが小間物屋で出会ったエルフ娘であった。

 優しい森の香りに、一瞬死の気配が遠のく。

 娘はカレブの傍に近寄ると、銀色の髪を見て目を細めた。

「髪を染めるのは、やめたのね」

 カレブは頬を染めると、頷いた。

「う、うん。派手にばれてしまったから」

 随分と素直なカレブの様子に、リカルド達はどぎもを抜かれた。
 サラは、不審そうに眉を寄せ、頬を膨らませる。

 気に入らなかったのだ。自分の祈りをしりぞけた死の風を物ともせずうちはらった娘が。
 自分の言葉では、決して素直にならないカレブに、こんな表情をさせた事が。

 サラは、あからさまに不機嫌な声を出した。

「カレブ君、誰、その人」

 言われて、カレブはまだ娘の名前さえ聞いていなかった事に気がついた。
 もの問いたげなカレブの視線に気づき、ああ、と娘が頷く。

「わたしは、ミシェル。調の森のミシェルよ」

「ミシェル」

 聞いたばかりの名前を、カレブはゆっくりと口の中で転がす。

 サラはますます面白くない。
 なんなのだ。カレブのこの態度の差は。


 わたしなんて、初めて会った時、ナイフを投げられたのに!


 複雑な・・・ある意味単純な・・・心理展開を見せるサラをよそに、グレッグが現実的な質問を投げかけた。

「何故、ここに? 外の吹雪はやんでいるのだろうか」

 ミシェルはそっとまぶたを閉じた。
 青緑色の瞳が隠れる。

「いえ・・・、外はまだ吹雪ね。氷雪の子供達の叫び声がするわ」

「じゃあ、あんたも王宮騎士に呼ばれて、吹雪の中を来たのか?」

 ミシェルは目を開くと、物珍しそうに自分を見るリカルドに微笑んだ。

「わたしは、吹雪の前からこの中にいるの。あの人に、会わなければいけなかったから」

「あの人?」

 ミシェルは頷くと、懐から小さな皮袋を取り出した。

「髪粉。作ってもらっていたの」

「あ」

 ”知り合いに、調合を頼んでみる”

 確か、彼女はそう言っていた。
 だが、まさかその相手が迷宮にいたとは。

「ごめんなさい! 危険な事をさせたんだね」

 謝るカレブに、ミシェルは首をふった。

「気にしないで。事のついでだったし、故郷に行くのは怖くないわ」

 その言葉に、カレブ達は顔を見合わせた。

「故郷? 迷宮が?」

 サラが遠慮なく尋ねる。
 しかし、ミシェルはそれには答えず微笑むだけだった。

 むうっ、とサラの表情が険しくなる。

「あなた、いったい何者よ」

「サラ」

 リカルドが感情的になりだしたサラを止める。
 だが、それで止まるようなサラではない。

「答えなさいよ!」

 ミシェルは綺麗に澄んだ瞳で、サラを見つめると口を開いた。

「わたしはミシェル」

 音楽的な声。

「炎と雷、氷を操り、淀む悪夢を払う者」

 彼女が喋るたびに、長い金色の髪がさらさらと揺れた。

「そして、わたしも、未だ醒めぬ悪夢の中に居る・・・」

 語られた真実の悲しさを理解できる者は、この場にはまだ一人もいなかった。
 そう、今は、まだ。