カレブ達は分厚いマントを纏い、フードをかぶり、手袋をつけ、なるべく身体の露出を少なくした。ラディックも同じような出で立ちだ。

 ラディックは低い声で行くぞ、と呟くと、宿の扉を開けた。
 とたんに、すさまじい雪風が吹き荒れ、サラは悲鳴をあげた。

 ラディックが一歩を踏み出し、カレブが躊躇いなくそれに続く。

 白。白。白。一面の白。

 まるで、白い闇だ。

 スウッとその奥底に引き込まれそうになり、カレブは宙を睨みつけた。

「カレブ、ラディックさんに続け。俺はその次を行く。サラは俺の後ろだ。グレッグ、最後尾は任せたぞ!」

 風に負けまいと、リカルドが大声を張り上げる。
 サラは、早くもガクガク震えながら、リカルドの後ろにくっついた。
 グレッグは最後尾で、サラを支える。

 カレブは、ラディックの大きな背中に話しかけた。

「何も、見えない。どうやって行くの」

「これだ」

 見れば、ラディックの手にはいつの間にやらロープがあった。
 ロープは、背後の宿の扉の取っ手に、しっかりとくくりつけられていた。

「これをたどり、迷宮まで戻る」

「自殺行為だ!」

 リカルドは叫んだ。
 こんな細いロープ一本に、命を託すわけにはいかない。
 まさか、こんな原始的な方法で、ラディックがやって来たとは思っていなかった。

「すぐに熱を奪われて動けなくなる。全員凍死だっ!」

「クイーンガード長にぬかりはない」

 ラディックはそうつぶやくと、懐から紅に輝く魔法石を取り出し握りつぶした。
 すると、いくらか風が緩み、温かな空気が一行をとりまいた。

「すごい」

 目を丸くして、サラが言う。

「これなら、行けるかも」

「長が作られた魔法石だ。しかし、長くはもたない。急いで移動する必要がある」

 言うが早いが、ラディックは歩き始めた。慎重に、しかし力強く歩を進める。

「共に来るのだ、冒険者よ。私は使命を遂行しなければならない」

 ラディックは本気だ。そこには、信念と忠誠が満ち溢れていた。
 はあ、とリカルドはため息をつく。

「・・・行くか。気を抜くなよ」

 クイーンガード長の加護があるとはいえ、未だ風は強く白い闇は晴れない。
 気を抜いた瞬間に、足元をさらわれるだろう。

 リカルドは、カレブがよろめいたら即座に支えられるように、神経を集中させた。
 しかし、カレブはその持ち前の用心深さで、着実に歩を進めている。ちゃっかりとラディックを風除けにしているあたりが、なんともらしい。

「たくましいヤツ」

 半ば感心し、半ば呆れながらリカルドはカレブの背中を追った。サラが必死でついて来る気配があった。ぼそぼそと泣き言が聞こえるが、風のせいで何を言っているかはわからない。

 少し進んだだけで、あっという間に宿が見えなくなった。

 吹雪にあおられるロープ。それだけが、道筋を一行に教える。まさに頼みの綱た。自然と握り締める手に力が篭る。

「ねえ」

 随分と冷めた声で、カレブがラディックを呼んだ。

「なんだ」

 もっとも過酷な先頭を行く騎士は、振り返らず、前を見つめて答える。

「ソボクな疑問なんだけどさ」

 よくそんな余裕があるな、とリカルドは顔を引きつらせた。
 体力のある自分でさえ、歩く事に必死だというのに。

「どうして、転移の薬を使わないの? あれは、望む場所に身体を運んでくれるんだろう」

 リカルドは愕然とした。

 何故、そんな簡単な事に頭が回らなかったのか。自分も、ラディックも、クイーンガード長も!

「そ、そうだぜ!」

 思わずリカルドは叫んだ。

「そりゃ、あの薬は迷宮内に突入するのは無理だが、近辺に印をつけておけば・・・」

「迷宮内には無理なの?」

 サラが不思議そうな声を出す。
 
そうだ、とリカルドは声を張り上げた。

「何度試しても、行けたためしがない。何かの力で弾かれる。それが出来れば随分と楽になるんだが」

「しゃがめ!」

 カレブの警告が飛んだ。
 リカルドの目の前で、ふっと黒い影がしゃがみこむ。

 考えるより先に身体が動いた。片手はロープを掴んだまま、もう一方の手で、すぐ後ろのサラを抱きかかえ地面に腰を落とす。

 つい先ほどまでリカルド達の頭があった所を、折れた大きな木の枝が吹き飛んでいった。
 サラが目を見開き、リカルドはうめきながら嫌な汗をかいた。

「・・・肝が冷えるぜ」

 ゆっくりとサラを立ち上がらせ、己も腰をあげる。

 前方では、既にラディックとカレブが立ち上がっていた。

「グレッグ、大丈夫か!」

 一言も発しない忍者を心配して、リカルドは振り返る。
 だが、その心配は杞憂だったようだ。

 グレッグは、サラの雪を払ってやっていた。

「全員無事か」

 ラディックが事務的に確認する。

「ああ、悪い。行こうぜ」

 再び歩き出しながら、リカルドは愚痴を零した。

「しっかし、本当に転移の薬を使っていたら、今みたいな危険な目にもあわずにすんだんだ。クイーンガード長ともあろう人が、うかつな事だぜ」

「うかつはお前だ、リカルド」

 ラディックの声に、嘲笑の響きが混じった。

「その程度の事、気づかれぬクイーンガード長と思ったか」

 リカルドがムッとするより早く、カレブが尋ねる。

「薬を使わなかった理由は?」

 決して強くはない言葉。しかし、その澄んだ声は吹雪を切り裂くかのように、響いた。
 前を見据えたラディックの瞳が、わずかに細くなる。

「答えてよ、王宮騎士さん」

 重ねて問われ、ラディックは口を開いた。

「迷宮の・・・、つまり、王城跡地の周囲一キロ。その範囲に転移の薬は効かぬ。古より続く聖都の守りの為に。城が姿を消した今も、その力は残っている」

 リカルドは得心がいった。

「それで、か。転移の薬で迷宮への侵入が出来ないのは」

「そうだ。皮肉だが、城を侵入者から守っていた力が、今は我らを阻んでいる。それに、迷宮からお前達の元へ、転移する事もかなわなかった。我らが迷宮から脱出する為につけてある印は、お前達が普段暮らす場所とは別にあるがゆえに」

 風が、ラディックのフードを吹き飛ばした。
 しかし、それを直す事もせず、ラディックは言葉を連ねる。

「よもや、冒険者に助けを求める事態になるとは、思いもしなかったからな」

「フン」

 リカルドは口元をゆがめた。
 王宮騎士達が、冒険者を快く思っていないのは知っていた。
 だが、改めて本人の口から聞かされると、やはり気分が悪い。

「知ってのとおり、あの薬を使って転移をするためには、印が綺麗な形で残っていなければならない。だから、お前達も安全な場所に印をつけるはずだ」

「ああ、そうだ。・・・ああ・・・、そういう事か」

 リカルドは、天を仰ぎたくなった。
 確かに、自分は考えがいたらなかったらしい。

「迷宮の近辺に印をつけても、この吹雪じゃ印が残らないな」

「そうだ。今、迷宮から確実に街へとたどり着き、冒険者を確実に迷宮に案内するには、この方法しかない。だが、誰も行きたがらなかった」

 クスリとカレブが笑う。

「そりゃ、そうだろう。どう考えたって成功の確率は低いもの。あんたは物好きなんだね」

 一瞬の沈黙が落ちた。
 吹き荒れる風の音が、高く低く響く。

「陛下の騎士として、当然の事をしたまでだ。これは命を賭ける価値ある仕事。迷宮で戦うのと同じくらい重要な仕事だ。哀しいかな、その事実を理解していない輩が多かったようだが。・・・元々、お前達冒険者は、陛下の兵ではない。そのお前達に頼みごとをするのだ。こちらが命を賭さねば、その言葉にいかほど耳を傾けてもらえようか」

 だから、この騎士は一人迷宮からやってきた。
 ロープを張り、吹雪をつっきり、クイーンガード長の伝令をその身に秘めて。

 ふいに、手の中のロープが重みをました。
 いや、心がそう感じ取ったのかもしれない。ラディックの覚悟を知りえて。

「ラディックさん、あんた・・・」

「質問には答えた。これ以上、喋って無駄な体力を使うのは得策ではない」

 素直じゃないな、とリカルドは心の中で笑った。

「わかったよ、急ごう」

 笑みを浮かべるリカルドとは正反対に、カレブはラディックの言葉を聞いた直後から、複雑な表情を浮かべていた。

 何か、得たいの知れない感情が、心の中を渦巻いている。
 不思議な昂揚感と、身体が沈んでいくような絶望感。怒り、悲しみ・・・


 なんだ、これは?
 どうして、こんな唐突に?


 カレブは、服の胸元をギュッと握りしめた。